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短編小説 『逢瀬』 第一話

あらすじ

緑は枯れ、島は沈み、生物たちは息絶える。人々の長年にわたる努力も虚しく、地球環境は破滅の一途を辿っていた。全人口の九割は火星に移住し、”新たな時代”を切り拓こうとしている。そんななか、一人地球に残って環境の経過観測を続けていた研究員・古谷聡子。火星に住む元同僚・満島春也から届いた一通の手紙をきっかけに、聡子は火星へ旅に出る。

全三話の短編小説です。





 人の声を聞くのはいつぶりになるのだろう。最近は電話か電子メッセージばかりが私の生活を埋め尽くしていたせいで、長らく他者と対面していない。彼がきっかけをくれなければ、私はきっとあと数年はあの無駄に広い家でひとり、暇を持て余していたのだろう。
ごろごろごろ。がらんどうな宇宙空港にキャリーバッグをひく音が反響する。ここに数年前に来たときはまだちらほらと人がいたというのに、今はもうオフホワイトの円柱形ロボットが数機あるのみ、しかもそのほとんどがスリープモードである。地球も寂しい場所になったものだ。ロボットのひとつに歩み寄ると、起動音とともに案内ロボットがスリープモードから目覚めた。
「日本宇宙空港国際線ゲートへようこそ。こちらはKTJ01型搭乗受付担当機です。搭乗チケットをカメラにかざしてください」
手に持っていた携帯端末をかざすと、認証音とともに青色のライトが私の全身を照らす。
「古谷聡子さま、この度は当空港をご利用いただきありがとうございます。保安検査をいたしますので、今しばらくお待ちください」
ここから持ち込むものなんてどれも汚染だらけの危険物かのようにも感じられそうだけれど、このロボットからするとセーフらしく、再び認証音が鳴った。
「お待たせいたしました、火星行き025番線までAN03型案内機がご案内いたします」
そう言うと目の前のロボットはステーションで再び眠りについてしまい、少し遠くのステーションから別のロボットがやたらと滑らかな動きで私のもとにやってきた。
「こんにちは。AN03型案内機です。搭乗機までご案内いたします」
ロボットの円柱の半分が起動音とともに大きく開き、あっという間に座席と荷物台に組み変わる。キャリーケースと私の身を預けた途端に、ロボットは急発進して私を運んで空港内を進んでいく。風にあおられ視界を遮る髪をどうしてやるべきかと四苦八苦しているうちに目的地にたどり着き、ロボットは急停止した。
「こちらの搭乗口からご搭乗ください。お荷物はこちらでお預かりいたします。」
そう言って私のキャリーケースを持ったロボットは去って行き、携帯端末を持ったわたしだけがこの場にのこされる。
「火星行き025番線、離陸いたします」
アナウンスに急かされるようにして宇宙船に乗り込む。少し前には日常に溶け込んで鬱陶しくもあった飛行機の騒音が恋しくなるほど静かに、私だけを運ぶ宇宙船が地球を発った。
 
 条約の批准、機構の創立、そんな努力も虚しく私たちの地球の環境は崩壊の一途を辿った。異常気象が日常と化し、様々な動物が絶滅の危機に晒され、多くの島が沈み、大気は汚れ、緑は枯れ、砂漠が広がる。これらの問題に対する抜本的な解決策が打ち出されることは残念ながらなかった。現在の地球は生身の人間が日常生活を送れるような環境ではない。私が暮らしているようなシェルターの外に出る際には、酸素ボンベを背負いこみ重く息苦しい防護服を着るしかないのだ。人類はそんな惨状になった生まれ故郷を捨て、今や全人口の九十九%が火星への移住を果たした。"人類の新たな時代の幕開け"、らしい。
「まもなく火星国際宇宙空港へ着陸します。着席し、シートベルトをお閉めください」
かくいう私は、無駄な悪足掻きだ、資金の無駄遣いだなどと揶揄されながらも、地球環境観察・保全活動の為と称し母国に残った。今更何をしたところで焼け石に水、そんなのわかっている。それでも私は火星に魂を売る気にはなれなかった。
 
「久しぶり聡子さん、元気だった?」
 指先を軽く曲げるだけの独特な手の振り方をする男が荷物受け取りゲートの外側で私を待っている。強張った広角、あの表情は笑っているのだ。本当に、人としての筋肉の働かせ方を知らないかのような人だな。
「まあね。そっちよりかはだいぶん不健康だと思うけど」
「そういうのを聞いてるんじゃないってば」
 目をくしゃりとしている、これは苦笑いだ。
「でもまあ、元気そうでよかったよ」
「うん、春也くんも」
この男の手紙が私の重い腰を持ち上げた。もじゃもじゃの髪で情けない顔で私を見て笑っている彼。



  地球ではもう人の食べられる植物など育てられない。春也くんから定期便で送られてきた段ボールの中には、火星産の食べ物が所狭しと詰められている。MARSじゃがいも、 エウレカニンジン、夏日星みかん。それらに紛れて、白い封筒が入っていた。
『拝啓 古谷聡子さんへ
お久しぶりです、元気にしていますか?ここで粋な時節の候を述べられればよかったのでしょうが、そちらではもうそれに合う自然環境が残っていないのが残念でなりません。』
久しぶりと言っても前に手紙が来たのは1ヶ月半前。電子メールでやりとりすれば良いものを、この男は毎度定期便にこの白い封筒を潜ませる。右下に黄色の花の絵が載る便箋に、青いインクで言葉を綴る。データなら扱いやすいというのにこうしてアナログな手段を取るものだから、こちらも便箋を用意しなければならないし、時々幾つかのクッキーの缶の中身の同じような封筒たちを整理しなければならない。本当に、面倒な人だな。 段ボールの中身を片手で物色しながら膝の上に乗せた手紙の続きを読み進める。自分1人のために調理をするのが億劫だから開けたばかりのみかんの箱から一個取り出して皮を剥く。みかんは良い、調理なしで食べられるから。
『こちらのみんなは元気です。タマも元気にしていますよ。そちらはもうすぐ夏ですか?こちらは水不足のせいでなかなか水遊びができません。僕も頑張って効率的な水生成機を作らなくてはいけないなと思います。ところで、聡子さんがひとり地球に残ってからもう五年です。ずっと文通だけ、そろそろ声を忘れてしまいそうですよ』
白ネコだから、タマ。安直なネーミングセンス。全くもってタマが可哀想である。それに、声を忘れたなら電話をすれば良いだろう。でもきっと彼は不器用だから、 電話をしてもまともに話せないのだろうけど。みかんの白い皮の部分を丁寧に取り除く。ルンバのスイッチを入れ、ルンバの進行方向に今とったばかりの白い皮を落とす。こんなことして、故障しても 修理してくれる人なんてここにはひとりもいないのに。そんなことをしているうちに親指と人差指の爪の隙間にみかんの皮が挟まってしまった。やばい、手紙にみかんエキスが染み込んでしまう。
『もし良かったら、久々に会いませんか?家族に顔を見せるついでにでもこちらに顔を出してくだされば、火星の新居を案内しますよ。航空チケットを電子メールで送信しました。都合がよかったらこれを使ってください。お会いできるのを楽しみにしてます。
満島春也』
辛うじてみかんに侵食されていない小指で机の上のタブレットをタップしてカレンダーですっからかんの予定を確認する。次の環境実地調査があるのは四ヶ月後。それまではここに一人閉じこもって暇をつぶすのみ。予定があるから、って 断ることはできなさそう。仕方ない、彼のお誘いに乗って差し上げよう。スクリーンに映し出された明後日11時発の航空券を受け取った。



ごろごろごろごろ。
「聡子さん、この後のご予定は?」
私の黄色のキャリーケースを転がしながらこちらの顔を覗き込む男。ごろごろごろごろ。
「そうだねえ……父さんに会いに行こうかな」
「ご実家に泊まるの?」
「うーん、父さんに連絡入れてないから」
キャスターの音が止まる。振り返ると、春也くんは眉間に深い皺を刻んでいた。まあ、そういう反応になるわな。分かっていました。
「……帰省の連絡、僕以外にした?」
「してないわ。私にとってここは初めて踏む土地なんだから」
帰省の連絡なんて、そんなもの。吐き捨てるように呟く。私は火星を受け入れていない。火星は故郷になり得ない。アマゾンの奥地のほうがよっぽど愛おしいと思う。あの広大な熱帯雨林、今はもう跡形もないけれど。 私の返答に大き過ぎるほどのため息をついてもじゃもじゃ頭を抱えている彼。
「また一休さんみたいなこと言って……。もう、わかった。今日は僕の家に泊まりなよ。ホテルなんて便利なもの、残念ながらまだ此処にはないんだ」
「じゃあ、今日は父さんの家に案内して?」
「なんで知っている前提なんだよ、聡子さんのご実家の住所なんてわかんないよ」
「ふふ、冗談じゃんわかってるよ」
この情けない男をからかうこの時間、三年ぶりでも軽快な会話。空白なんてなかったみたいだ。それもあの沢山の厄介な便箋のお陰なのだろうか、認め難い。本当に、憎めない人だな。
「とりあえず今日は帰ろう。会いたい人がいるなら事前に連絡くらいするべきだ、君みたいな人は特に」
「……そうね」
帰ろう、だって。彼にとっての帰る場所は、もう私の愛する故郷ではない。
「火星に私がいるなんて、地球環境保全活動本部と春也くんしか知らないもの」
「僕だって、連絡返してくれないから本当に来てくれるのか半信半疑だったんだから」
「ドッキリ大成功〜〜」
「困るドッキリはやめてほしいよ」
「でも、嬉しかったでしょ?」
目を細めて、口をきゅっと結ぶ。これは、どうにも言い返せない時の顔。
 火星用車に揺られること二時間。第一火星都市ボレアリスのはずれに満島春也の家はあった。
「こっちに行くとトイレ、その向かいが洗面所とお風呂ね。反対に曲がるとリビングダイニングとキッチン、応接間があるから」
ペラペラと指さしをしながら説明をする春也くん。どうせ覚えられないのだ、聞き流してしまおう。てきとうに相づちを打ちながら窓の外の景色を眺める。遠くにガラスとコンクリートのかたまりが鎮座している、あれがボレアリス。無機質で味気ない、”新しい時代”の象徴。これから年月を経て、あの場で歴史が綴られ、積み重なっていけば、ボレアリスは人間味のある空気を纏うようになるのだろうか。その景色を私達はきっとみることができない。日常の、生活の息遣いがあの灰色のコンクリートに馴染むには相当の時間を要するだろう。それこそ人間の一世代では到底足りないほどの。ボレアリスはわたしたちではない、遥か未来の誰かのもの。
「……聡子さん、きいてた?」
「うん?聞き流してた」
「もう……ゲストルームはこっち、聡子さんの使う部屋ね。ついてきて」
突き当たりが遥か先にある廊下を歩く。こんなに広いんだから動く床とかにすれば良かったのに、こうして歩いているということは、彼は動いているエスカレーターに乗るのが未だに怖いのだろうか。それともタマに配慮してのこと?両方かしら。私の知る彼と変わっていないのであれば。
「新時代の立役者さん、随分と豪勢なお家にお住まいなのね」
「僕はたいしたことしてないよ。それに、これから先ボレアリスはもっと発展する」
春也くんの瞳は私の見つめる景色と同じ、”新しい時代の象徴”を映している。彼のきゅっと結ばれた口元、この表情は微笑んでいるのだ。彼は、ここで未来を見いだした。
「ほら、もう着くよ」
前を歩く春也くんが少し奥の扉に駆け寄るとゲストルームのドアがひとりでに開き、柔らかな黄色で統一された内装が見え隠れする。
「ここ、自由に使って」
「ありがとう」
彼の手から私のキャリーケースを受け取り室内に入る。
「僕、お茶でも用意してくるよ。荷物整理とかできたらリビングにおいで」
「わかった、ゆっくりさせてもらう」
そう言って彼はまたひどく長い廊下を引き返していく。しばらく、果てのドアに向けて歩く彼の背中が小さくなっていくのを見つめていた。


短編小説 『逢瀬』 第二話|創作大賞2024|幸田晩柑 (note.com)

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