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【歴史小説】寧らかの波 第五章(1)「泣いているのか?」


ここまでのあらすじ

 16世紀。
 異国の血を引く少年・楠葉入鹿くすばいるかは、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、管領かんれい細川高国ほそかわたかくにのために働くことを強いられる。
 境界に生きる者の国を築こうとしている明国人みんこくじん宋素卿そうそけいと入鹿は行動をともにし、南海の臥蛇島がじゃじまから大陸の港都・寧波ねいはへと渡ってゆく。 
 そこで明の官吏・朱子純しゅしじゅんと武人・愈志輔ゆしほに尋問され、素卿の過去が明らかになる。素卿は実は乳房を切り落とした女であり、寧波出身の元歌妓かぎであった。
 一行は船で双嶼島そうしょとうへ逃亡し、仲間たちの船団とともに明の海軍を迎え撃つ。入鹿の剣技は明の兵士を圧倒するが、愈志輔と斬り合って窮地に陥る。
 致命的な一撃を受ける直前、入鹿は海に飛び込んでどうにか難を逃れるが、そのまま果てしなく沈んでゆき、意識を失ってしまうのだった……

本編

第五章

     一

 曲輪くるわから煙が上がっている。
 それも一ヶ所ではない。次々に立ち昇り、すぐに城の丘陵を覆い尽くさんばかりになった。
総州そうしゅうめは、誉田城こんだじょうへ逃げ込んだようでございまするな」
 そばにいる武士が、手庇てびさしを作りながらそちらを眺めやっている。赤い甲冑に小具足こぐそく。まだ若いが、顔つきは巌のように険しい。
 自分は、雪の空を仰いで大笑した。腹の底をえぐるような銅鑼声どらごえが出た。
「情けない、情けないのう。せっかく両畠山が六十年目の和睦を取り結んでおきながら、この切所で見殺しにするか。尾張守おわりのかみのために、哀れを催すわ」
「畠山義就よしひろの勇猛の血は伝わらず、むしろ尾州びしゅうの方へ色濃く残ったようでございまするな」
(畠山)
 入鹿は、ぼんやりとした心の内で聞き咎めた。
「あれほどの武将が、ろくな一門衆を持てなかった。頼みになる者もなく、ひとり河内かわちで血みどろに戦い続け、その一生もここで一巻の終わりよ」
 傍らの武士は、鋭い目つきに暗い笑みを浮かべ、こちらへうなずき返してきた。
長経ながつね。尾張守を、押し包めるか」
「さすがに激越な戦いぶりですが、既に足並みが乱れておりますれば、遠からず」
「では、最後はわしが行く。あやつとの因縁浅からず、戦い続けて久しい。せめてこの手で引導を渡してくれるわ」
(これは、一体)
 瞼を閉じてまた開くと、自分は河原毛かわらげの蒙古馬にまたがっていた。丈は低いが、背中や腿の肉は隆々と盛り上がり、鞍の据わりは極めて良い。
「者ども、今日この場で、長きにわたった戦を終わらせる」
 持ち上げた籠手こては、やはり赤い。六尺もある金砕棒かなさいぼうを軽々と握り、頭上へ掲げている。
 そんなことができるほど、この腕は強くないはずだ。が、目に映る前腕は、またがっている馬の脚と同じくらい太く、たくましい。
「既に袋の鼠となった誉田城は落ち、畠山上総介かずさのすけは首を捜されている。残るは高屋城たかやじょうから打って出てきた、畠山尾張守尚慶ひさよしのみじゃ。紀伊きいを根城に、畿内の静謐を乱し続けてきたあの男を討ち取れば、偽りの公方くぼう義尹よしただとて、もはや再起する力を失う」
 応、と周囲を取り囲む武者たちが太い声を揃えた。やはりいずれも赤い鎧兜だ。この一団はみな甲冑の色を揃えているらしい。とすれば、自分もやはり同じ格好をしているのだろう。
「者ども、くぞ!」
 馬首を翻し、足元の腹を蹴って駆け出した。速い。周囲の景色が見る間に吹き飛んでいく。そんな暴れ馬を片綱で見事に御していた。
 双子のように盛り上がった丘陵の、もう一方の城を背にして、敵が寄り集まっている。自分は少しのためらいも見せず、先頭を切ってそのただ中へ突っ込んでいった。
 片手で長大な金砕棒を振り上げ、打ち下ろし、既に戦い疲れた雑兵たちの頭を、陣笠の上から次々に叩き割っていく。
沢蔵軒たくぞうけんが推参なり。畠山尾州、その首頂戴仕る」
(ああ、これは)
 と、入鹿は思った。
(これは父だ)
 赤沢あかざわ宗益そうえき、といったか。
 その時、敵陣の左翼から、白馬にまたがった一騎の武士がこちらへ飛び出してきた。
 黄金こがね作りの鍬形くわがたを立てた筋兜すじかぶと。肩から杏葉ぎょうようを垂らした黒糸縅くろいとおどし腹巻鎧はらまきよろいに、軽々とした八間草摺はちけんくさずり佩楯はいだてには小紋斑濃こもんむらごの紋が染め抜かれ、手にしているのは身の丈よりも長そうな大太刀おおだちだ。
「赤沢沢蔵軒、神仏をも畏れぬ魔性の者よ。今ここで、その悪の根を断ち切らせてもらう」
「来おったか、尚慶。そなたはもう終わりだ」
 同時に薙ぎ払った金砕棒と大太刀が、中空でぶつかった。稲妻のような音が鳴り響き、火花がぱっと飛び散る。
(ああ)
 入鹿は声にならない声を上げた。
(ジイ、ジイじゃないか)
 目庇まびさしの下の精悍な面立ち、燃える両目は、間違いなく若き日の卜山ぼくさんそのものだった。
(ジイ、俺だ、入鹿だ。俺はここにいる。だけど、どこへ行けばいいのかわからないんだ。どうか、俺を導いてくれ、ジイ)
 痛切な思いとは裏腹に、自分は何度も金砕棒を振り上げ、力任せに叩きつけた。相手の息はとっくに上がっている。折れない瞳の奥に疲労の色が揺らめく。そこにつけ込むように、憎らしい自分は金砕棒を鋭く突き出した。
「ああっ」
 先端が、相手の左胸を捉えた。
 白馬がいななき、ひづめを振り上げて竿立ちになる。騎乗の武者は、大きくよろめいて黒漆塗の鞍から落馬した。
 周囲にひしめく雑兵たちの足元に隠れ、その姿はすぐに見えなくなった。

「ジイ!」
 身を起こすと、裸だった。
 しとねを敷いたしょうの上に横たわり、毛織の被子ベイジを掛けられている。
 傍らに、人が寝ていた。やはり裸だ。こちらを向いている。長い髪を解いていた。それが肩にかけて縮れながら流れている。
 胸が平らだ。乳首がない。代わりに刀で裂いて縫い合わせたような傷跡が脇にかけて走っていた。
「素卿」
 と、入鹿はつぶやいた。
 相手はもぞもぞと首を回し、怒っているような目でこちらを見上げてきた。
「海からお前を助け上げるのは、一苦労だった」
 そうだ。自分は頭から冷たい水中へ落ち、深く深く沈んでいった。光の届かないところまで。まるで氷の中に閉ざされてしまうようだった。それが今は、こうして息をしている。
「船員総出で、必死だった。あとで全員に感謝しておけ」
「敵は」
「退いていった。何人かは、あのとかいう男に、腹いせに斬られたがな」
「そうか」
 自分は、敗れたのだ。あの野育ちの獣のような柳葉刀りゅうようとうに。
「冬の海だ。ずいぶん水を飲み、体が冷え切っていた。誰かがお前を温めてやらなければならなかったのでな」
 素卿は早口にそう言ってしまうと、肘を立てて体を持ち上げ、まじまじとこちらの顔を見つめ返してきた。
「お前、泣いているのか」
「泣いている」
 自分の頬に触れると、確かにそこが濡れているのを感じた。
「夢を見ていたんだ」
「夢?」
「父になった俺が、ジイを討ち取る夢だった」
 裸の素卿は、しばらく黙ったまま目玉を動かしていた。
「畠山卜山は、赤沢宗益に討ち取られてはいない。何度も敗北したが、その都度どうにか生き残った。だからこそ、お前を育てることもできたんだ」
 入鹿はうなずいた。
 しかし、あれは本当に起こった場面のように思われてならなかった。父の記憶が、自分の心の奥底に宿っており、それが浮き上がってきたのではないか。
「目が覚めたのなら、もう大丈夫だ」
 素卿はあっさりと身を翻し、被子を持ち上げて起き上がろうとした。竹に布を巻いた枕の傍らには、青い衣が皺をなして折り重なっている。
「素卿」
 入鹿は思わず呼び止めた。今を逃しては、もう尋ねる機会はなさそうだという気がした。
「ずっと気になっていた。あんたは、どうして俺たちの言葉が話せる。なぜこの巨大な明国を動かせるほどの金を、どんどん宦官へ渡せるんだ」
 こちらの言葉に、相手も動きを止めていた。毛織物の下で、小作りなへそがこちらを見上げていた。
「あんたは一体、何者なんだ」
「私は肉でも魚でもない、境界を越える者さ」
 素卿も、じっくりと話す気になったのか、もう一度褥子ルージへ背中を横たえ、天井の梁を見上げる格好になった。
「私は寧波府鄞県ぎんけんの、裕福な商人の家に生まれた。
 女だったので、家を継ぐことは期待されていなかった。いずれどこかの商家に嫁入りするだろうと思われていた。幼いころから歌や踊りを習い、蝶よ花よと育てられた。
 初めのうち、実家は太監たいかんともうまくやっていた。日本からやってくる朝貢使ちょうこうしの接待を請け負い、そのぶん莫大な利得にあずかっていた。同船してきた日本の商人たちと口裏を合わせ、隠れて密貿易も行っていたんだ。
 だがある時、その取引で商品を持ち逃げされ、大損を出し、公費で穴埋めするという行いに手を染めてしまった。
 もちろん、そんな悪事はいずれ露見する。私は、その不正を見逃してもらう代わりに、太監のもとへ女官として奉公に出されることになった。何のことはない、ていの良い身売りさ。
 それからだ、私と宦官どものつながりが始まったのは」
 瞼を下ろし、フーッと一つ深い息を吐いた。
「ところが行ってみれば、実際は奴婢ぬひの扱いだった。奴らには、確かに男根がない。だがそのぶん、変態ぶりは度を越している。とても思い出したくもない、口に出したくもないことを毎日させられていた」
 入鹿に見られることも耐え難いのか、細い顎を巡らせて顔を背けた。
「私は見た目が美しく、歌が上手だったので、市舶司しはくしの歌妓として育てられた。もちろんただ歌うだけでは済まない。客は官吏がほとんどだったが、相手の興が乗れば、もてなしとして夜伽よとぎをさせられる毎日だった。
 ある時、日本の朝貢使をもてなす宴で歌うことになった。終わってみるとひどく感嘆され、ぜひとももらい受けたい、と申し入れがあった。
 太監とて、商人たちから莫大な裏金を受け取り、後ろ暗い弱みを抱えていることに変わりはない。私はそういった取引の中に含められ、くだんの商人に連れられて日本へ渡ることになった。
 表向きには十七歳と言っていたが、実際には十二歳になったばかりだった」
 入鹿もまた天井を見つめていた。同じ景色を目にしながら、素卿にも確かにあった女童めのわらわとしての時代が、ぐるぐると頭の中を巡るようだった。
唐土もろこしの少女、という物珍しさもあったのだろう。博多津はかたのつでは、主人の妾として遇され、初めは悪くない暮らしをさせてもらった。それまでは片言程度だった日本の言葉を、しっかりと教わったのもそのころだった。
 が、やがて本妻とその娘から、激しく嫉妬されるようになった。
 娘は私と同じくらいの年ごろだったが、そんな若さで父親の寝所に侍っているのが、汚らわしく思えたのだろう。本妻については言わずもがなだ。
 こちらがわからないと思って、表でも裏でも、汚らしい言葉で私を呼んでいた。私の持ち物や衣服が知らないうちに隠され、粉々に引き裂かれて池の底から出てきたりした。私がもらっていた部屋の畳が焼け、ぼや騒ぎになったこともあった。
 主人が体調を崩して寝込むと、私が酒に毒を入れたからだ、という噂を町中に流された。娘の飼っていた猫が惨殺されて見つかると、私がやったのだ、ということにされた。
 主人は私を可愛がっていたし、ずっと本気に取らなかったが、あんまりそういったことばかりが続くので、次第によそよそしくなり、私を遠ざけるようになっていった。
 そしてある日、主人がいきなり倒れて亡くなってしまうと、葬式も終わらないうちに私は袋叩きにされ、住み慣れた屋敷から追い出された。津のならず者たちへ引き渡されると、そこでまた奴婢のような暮らしに落とされ、毎日嬲りものにされた」
 そこでしばらく、素卿は黙っていた。耐え難い記憶と戦い、自分の中からもう一度追い出しているような時間、そして沈黙だった。
「ある時、男のたちの目を盗んで逃げ出した。通りすがりの有徳うとくそうな老人に、死ぬ思いで頼み込み、摂津せっつへ向かう人船ひとぶねに同乗させてもらった。
 その老人は京に住む医師で、穏やかな人柄だった。私の境遇を聞くと哀れを催し、涙を落としてくれた。住みいおりの一室を空け、そこに置いてくれた。私は内向きのことを手伝いながら、体が癒えるまでゆっくりと過ごすことができた。医師は和語の読み書き、古書や算用の知識まで女の私に教えてくれた。
 生まれて初めて、私は他人の中に安らぎを見出した。その養女になり、全てを過去にして、穏やかな一生を過ごすこともできたかもしれない。
 が、私は全く別のことを望んだ。乳房を切り落とし、男として養子にしてもらいたい、と頼んだのだ。
 復讐の思いからではなかった。ただ、汚らわしい全てをなげうちちたかった。それでもなお、私というものはこの肉体を介してしか生きられない。ならば、何者でもない誰かになりたかった。可能な限り最も大きく、強く、力を持った誰かに。
 老人は、細川分家の野州家やしゅうけの典医も務めていた。
 その家の若い当主が、まだ内乱を勝ち抜いて京兆家けいちょうけの後釜に座る前の、細川ほそかわ高国たかくにだった。
 初めて目通りした時から、おや、と思うところがあった。
 武芸は得意ではなく、人柄に隙もあるが、気がきいて頭も回る。あれでいて果断なところもある。この男に賭ければあるいは、と思わせるものがあった」
 入鹿は意外な気がした。自分にはよくわからなかったが、それでも足利あしかが将軍四天王のうち最後まで京に残り、曲がりなりにも天下を掌握している男だ。素卿の感じたように、傑出した何かを持っていたのだろう。
「私は元の名を変え、明国の皇帝の子孫であることをほのめかして、高国に面白がられ、うまくそのふところへ入り込むことができた。
 漢語を操りながら、大陸の沿海の事情や宦官に取り入る術を説き明かした。やつは興味を示してきた。細川氏が派遣していた遣明船けんみんせんの事業に、私をうまく使えると考えたのだろう。
 かつては仲間だったが、今は宿敵となった大内おおうちを出し抜き、朝貢の利を独占する。その目的において、私たちは手を取り合うことができたのだ」
「素卿」
 入鹿はふと、相手の方を見やって気づいた。
「泣いているのか?」
「私がが?」
 素卿は両手の指で、自分の目の下辺りをさすった。近くで見ると思いのほか細い指が、下瞼からこぼれてくるしずくをすくい上げた。
「俺も初めは、あんたたちを獣みたいな連中だとしか思えなかった」
 入鹿は、訥々とつとつと口にしながらうなずきかけていた。
「だけど、今は心から思う。いつかあんたが、ずっと安らかに暮らせる国を作ろう。俺たち自身の手で」
 すぐ近くで、互いの瞳が見つめ合った。その奥深く、内側のはるか遠くまで透き通っていた。
「そのために、俺は強くなりたい。いや、必ずそうなってみせる。今よりもずっと、ずっと」
 堰を切ったように、相手の両目から涙が溢れ出した。
 言葉もなく、互いの肩を抱きしめ合った。こちらにぴったりと触れた相手の胸は、ひどく平らで、肌の下の骨の硬さが直に感じられた。

~(2)へ続く

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