天昇る火柱~最終第三部(4)「古市」【歴史小説】
この小説について
この小説は、赤沢新兵衛長経という武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の最終第三部です。
薬師寺元一の乱、阿波守護家の反乱、そして両畠山の合体という立て続けの危機を、当主政元の知略と、赤沢宗益の武略という両輪で、何とか乗り切った細川京兆家。
目指す「日本国惣知行」へ向け、一路邁進してゆくはずが、思わぬ落とし穴に足を取られる。
それが「難治の国」大和。
あっさりと再征服を果たすはずの赤沢党は、国の奥深くまで誘い込まれ、大和惣国一揆に完全に包囲される。
一体何者が、このような計略を描き出したのか。
さらに運命の地、丹後天橋立で、赤沢宗益と新兵衛の二人を待ち受ける結末とは……
神も仏も恐れぬ赤沢党の戦いを描く壮大な歴史シリーズ、ここに堂々の完結!
本編(4)
古市の郷は、白い芒の穂が風にそよぐ荒れ野となったままだった。
かつての風流踊りの夜の、異形ひしめく殷賑を思い起こさせるものは、何一つ見当たらなかった。
坂道の上の館があった場所も、広々とした野原に礎石、柱穴の焼け跡だけが残り、あの巨大な湯釜の欠片一つさえ落ちていなかった。
「あの日に帰りたい、と思われるのか」
新兵衛は、焼けぼっくいの木切れを蹴りながら尋ねた。
「いいや。拙僧にとっては、常に今こそが全てだ。兄は間違いなく、そう思っていたであろうが」
澄胤はむしろ心静かなくらいの様子で、澄みきった秋空の下の廃墟を見回していた。
「そのように感じているのは、貴殿の方ではないのか。赤沢新兵衛」
「俺はもう何も感じなくなった。いや、むしろ、初めからそういう性分だったのかもしれない」
「拙僧の見る限り、それは本当ではないな。貴殿は無理をしている。必死に何も感じないように取り繕っている。少なくとも、周りの目にはそう見えておろう」
ふと、かつての薬師寺与一の言葉がよみがえり、胸に迫ってきた。
『お前とて、決して向こう側の人間ではあるまい。あの者たちに合わせていたのでは、やがて無理が積み重なり、いつか必ず破綻してしまうぞ』
「今の世に、何一つ無理をしていない者などいようか」
「お父上は、いかがでござろう」
旧主は他人事らしく笑っている。新兵衛は背中を向けて歩き出し、そこで話を打ち切った。
二人はわずかな時間を縫い、上壇の迎福寺を詣でた。
焼け残りの境内は、野放図に育った若竹にすっかり押し包まれていた。さわさわと葉ずれの音がし、まどろむような緑の陽射しが降り注いでいる。
一隅に並んだ経覚、胤栄、楠葉元次の五輪塔に向かい、新兵衛と澄胤は静かに手を合わせた。
京勢が合流を果たし、一丸となって南下を始めると、越智、箸尾、十市ら残りの国衆には、二つの道が残されているはずであった。
合戦に訴えて一息に雌雄を決するか、南方の険阻な山々を頼りに、敵を消耗させる粘りの戦に持ち込むのか。
万を号する兵の数は、依然として京勢を上回っている。が、選ばれたのは後者であった。
北上していた越智らは、激突を避けるように反転すると、早々に多武峰へ入山していった。妙楽寺の数えきれない塔頭別院を郭に見立て、それぞれ立て籠もったのである。
「さもありなん。この国の者どもが選び取る道など、とうから見え透いておる」
宗益は猛禽じみた冷笑を浮かべていた。
山籠もりした相手に対し、赤沢勢が行うことはたった一つである。何も難しい手管ではなく、予想の立てられぬ奇策でもない。すなわち、徹底した火攻め焼き討ち。
赤沢、三好、古市の将兵はせっせと力を合わせ、松明で木々の梢を炙り、燃えた柴草の束を谷底へ転がし、松脂に点火した遠矢をさかんに射込んだ。
辺り一帯が黒焦げた裾野となり、斜面を這う白煙で覆われると、さらに前進して同じことを繰り返した。
やがて獣じみた叫び声が、山のあちこちから響き渡ってきた。髪や服に火をつけながら、捨て鉢に駆け下りてきた敵兵が、待ち構えていた京勢の薙刀で斬り殺されていった。
幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか、一滴の雨も降らなかった。天も大和衆を見放したというわけであろうか。
「いつものことながら、ひどいもんですな」
さして心も動かない様子で、猿丸が息をついた。
「これもやつらが、自分で選び取った運命だ」
新兵衛は、火の手に絡め取られてゆく鋭鋒を仰ぎながらつぶやいた。
「多勢にもかかわらず、恐怖を抑え勇を奮い起こして、勝利を拾いに行かなかった。決着を先へ送り、見込みもない幸運を当てにして、地の利を言い訳に守りに入った。その末が、逃げ道を失い、炎と煙に燻し出されている今なのだ」
だがそれほどまでに、赤沢宗益と真正面から対峙することは恐ろしいのだろう。敢えてそれをしようというのは、本当に畠山尚慶くらいなのかもしれない。
その尾張守ですら、完膚なきまでに打ち破られ、今や生死も明らかでない有様なのだ。
九月五日、多武峰は一山ことごとく焼亡させられた。夥しい数の伽藍堂宇は、立て籠もった僧俗数千人もろとも灰となった。
京勢は、生き残った敵を追いかけてさらに南下し、ついに吉野の深山にまで分け入った。越智の残党が逃げ込んだ龍門寺を襲い、またしても丸ごと焼き払うと、ついに全ての手向かいは已んだ。
かつてなく団結していた惣国一揆もまた、敢えなく敗れ去った。大和一国は、ついに赤沢宗益の支配するところとなったのである。
「甥御らは、これであきらめると思われるか」
新兵衛は、目の前に端座している壮年の僧に対して尋ねかけた。
鈍色の袍裳に綾錦の加行袈裟を掛けている。成身院順宣は、落ち窪んだ両の瞼を物思わしげに閉じた。
「例え幾星霜を山中に暮らしても、あきらめることはありますまい」
「さもあろう。かつては二十年もの雌伏を経て、官符衆徒棟梁に返り咲いた筒井の一族だ。だが古市もどうして、執念深さではおさおさ劣っておらん。今度も束の間の平穏にしかなるまいな」
興福寺境内の妙音院である。窓の木格子を透かして、初冬の乾いた日差しが射し入ってくる。ケーン、と甲高く鳴き交わす鹿の声が、遠くから響き残っていた。
古市氏だけでは、どうしても大和一国を抑えきるには足りない。宗益がこの国の者に敗れることもあるまいが、その身はただ一つである。
あらゆる隙を狙って蜂起を繰り返し、山中で苦汁を舐めることも厭わない筒井が相手では、いつまでも不毛な闘争が続いていくことを覚悟しなければならない。
では次にそうなった時、目の前にいるこの男は一体どうするのか。
こうして奈良へ戻っているからには、赤沢の武力を後ろ盾とする澄胤の統治に、協力するつもりはあるのだろう。宗益とのつながりも浅くはない。だが表向き隠棲したとは言え、おのれの血筋というものを裏切ることはできるのか。
筒井は一乗院、古市は大乗院の衆徒筆頭である。後者が官符棟梁となった例は以前にはない。だからこそ筒井は古市を蛇蝎のごとく憎む。広い世界から見ればいかにも下らぬことだが、それが現実である。
「そう言えば、澄胤の手から筒井の城と町を救っていただいたとのこと。不肖の甥どもに代わって御礼を申し上げます」
順宣は、一介の判官に対しては慇懃すぎるほど、深々と頭を下げた。
「おのれを失ってほしくなかっただけだ。最後のところで修羅になりきれぬのが、播磨公殿の取り柄ゆえ」
「筒井の一党とは違う、と」
「だからこそ勝てはせぬが、最後にどちらが残っているかなど、誰にもわかるまい」
新兵衛はしばらく黙り、軒の向こうに広がる飛火野をぼんやりと眺めていた。色あせた芝草の上に、きらきらと霜が張っている。
「実は、御坊に訊きたい話があった」
「は、何なりと」
「明応六年十月六日のことだ」
ふっ、と息を吹いたのは、「そのような昔の、細かい日付のこと」と笑いたかったのかもしれない。が、新兵衛のただならぬ眼光に気づくと、喉仏を鳴らして声を呑み込んだ。
「よもや忘れはすまい。筒井党にとっては、悲願の国中帰住の叶った日である」
「しかし、そのように急に尋ね出されましても、なかなか」
順宣は、首筋に触れる冴えた冷たさにはっとしていた。新兵衛が膝を立てて中腰となり、帯に差した打刀を抜いていたのだ。
「いつか西方胤栄に吐かせるつもりだったが、それも叶わぬこととなった。代わりに御坊の口から、洗いざらい話してもらおう」
当時、新兵衛は宗益とともに京にいた。まだその養子となって間もないころである。
河内八箇所、宇治五ケ庄の代官を歴任していた義父に従い、在地へ赴いて反細川方との合戦に明け暮れる日々だった。
順賢はまだ十四歳に過ぎず、得度も果たしていなかった。東山内から筒井近郊の番条へ降りてきたばかりだった。
つまり畠山尚慶の攻勢と、胤栄の手引きに乗じて、自焼炎上した古市城下へ乗り込み、破壊の限りを尽くした筒井勢を率いていたのは、目の前にいる成身院順宣なのだ。
新兵衛はまばたき一つせず、凍った炎のように動かない。
順宣は観念したかのように、また瞼を閉じた。
~(5)「羽衣」へ続く
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