天昇る火柱~最終第三部(5)「羽衣」【歴史小説】
この小説について
この小説は、赤沢新兵衛長経という武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の最終第三部です。
薬師寺元一の乱、阿波守護家の反乱、そして両畠山の合体という立て続けの危機を、当主政元の知略と、赤沢宗益の武略という両輪で、何とか乗り切った細川京兆家。
目指す「日本国惣知行」へ向け、一路邁進してゆくはずが、思わぬ落とし穴に足を取られる。
それが「難治の国」大和。
あっさりと再征服を果たすはずの赤沢党は、国の奥深くまで誘い込まれ、大和惣国一揆に完全に包囲される。
一体何者が、このような計略を描き出したのか。
さらに運命の地、丹後天橋立で、赤沢宗益と新兵衛の二人を待ち受ける結末とは……
神も仏も恐れぬ赤沢党の戦いを描く壮大な歴史シリーズ、ここに堂々の完結!
本編(5)
若狭武田氏の丹後攻めは、一進一退の様相であった。
永正三年の秋には、国府の対岸の宮津谷まで攻め入ったものの、迎え撃ってきた一色方に押し戻された。
が、丹波守護細川澄之の援軍を得ると、阿蘇海の向かいまで侵攻して、天橋立を見下ろす成相寺に陣を敷いた。
一色義有は、至近の阿弥陀ヶ峰城、詰め城の今熊野城へ兵を集め、かえって山上に釘付けとなった若狭勢を、足元から包囲した。
身動きが取れなくなり、進退窮まった武田氏は、京へ急使を飛ばして京兆家へ来援を求めた。
「やはり武田と澄之だけでは、片づけられなんだか」
細川政元は腰を上げ、内衆らへ陣触れを発した。
永正四(一五〇七)年四月である。
京雀たちが沿道へ詰めかける中、二つ引両、五七桐、松皮菱、桜などの旗印を翻し、万を数える細川京兆家の軍勢が、洛中北端の長坂口を指して出陣していった。
その先頭に立つのは、黄金の明光鎧を身にまとい、赤い総つきの兜、烏天狗の面頬をつけ、白馬にまたがった細川政元その人であった。
傍らに山鉾のごとく控える赤沢宗益もまた、唐様の甲冑に身を固めているため、あたかも中華皇帝の親征のような有様である。
大軍は鷹峯から長坂峠を越え、若狭の守護所がある小浜へ入った。
島影の多い北の海に面し、廻船商いで富裕な町である。政元はその波戸に立ち尽くし、
「ここから船を出して羽州へ渡り、廻国修行を積むのも悪くはない」
と独りごちて、近習たちを慌てさせた。
此度の遠征には、主だった内衆はもちろん、跡目の澄元、その執事の三好之長も参陣している。嵐山城からは、嵯峨口を経て、香西元長が澄之の応援へ駆けつけているはずであった。赤沢宗益の下には、古市澄胤の子、胤盛が率いる大和衆も従っている。
丹後のような小国に対し、無用とも思えるほどの陣立てである。さしずめ、京兆家の勢威を満天下へ示す馬揃えの様相であった。
細川の大軍は、国境を越えて一色領へ侵入していった。だが、ひしめくほどの敵が押し寄せているのにもかかわらず、守護方はあくまで戦意旺盛なようであった。
大兵をもって威圧し、相手の意気を挫く、という狙いはひとまず外れた形である。
「守護のもと、一国一丸となっている、というわけでもなさそうですが。加悦の守将の石川直経を初め、国人衆は一色の支配を嫌い、反抗を繰り返してきたと聞いております」
三好之長は、表向き澄元の傅役のようでありながら、実際は政元に近侍することが多くなっている。その旗下の阿波兵は、さながら京兆家の旗本衆のごとくであった。
「傍流の細川には譲らぬ、という依怙地であろう。だがそれも、時間の問題よ」
政元はばっさりと切って捨てた。
ともに足利氏の門葉ではあるが、宗家と近しい一色に比べ、細川には分流の分流とも言うべき出自がある。しかし、たまたま火中の栗のような家督を拾っただけの一色義有が、どこまでそのような筋目を重んじているかはわからない。
むしろ、苛烈すぎる京兆家内衆の戦いぶりが諸国へ伝わり、むざむざ敗北するよりは死ぬまで戦う、というほどの抵抗を生んでしまっているのかもしれない。
武田氏は援軍の到来に力を得て、山上の要害から打って出たが、一色方に逆襲されて大敗し、またも成相寺へ逃げ戻った。もはや一刻の猶予もならない。
「御屋形、味方はいささか数が多すぎ、機敏な動きに欠けるようだ」
守護所の八田館での軍評定で、腕を組んだままの宗益が声を上げた。
「我らだけでも急ぎ駆けつけ、敵の包囲を破って、武田どもを救い出して参ろう」
「沢蔵軒殿の言にも、一理あります」
之長がすぐさま口を添えてきた。
「丹後は山がちで、狭隘な地勢。実際に訪れてみて、はっきりとわかり申した。万を超える大軍を催してみても、かえって取り回しに困るというもの。小勢での討ち込みこそ、この国での勝ち筋と存ずる」
「ふむ」
上座の政元は顎髭を撫でながらうなった。
やはり烏帽子を嫌い、修験の頭襟をかぶっているものの、さすがに天狗の面は着けていない。鼻筋高く整った細面だが、その目つきはどこかぼんやりとしていて、浮世離れした光を宿している。
「ならば決まりだ。御屋形はここで勝報をお待ちあればよい」
宗益は長い脚をほどき、座から立ち上がろうとした。
「では、我ら三好勢もお供いたす」
「見張りなど無用であるぞ」
梁に届きそうな高さから、冷たく見下ろしていた。
「徒士を含めても、赤備えは今や百名を切るほどでありましょう。大和衆を加えても千には届きますまい。いくら少数精鋭の方がよいとは言え、一色を甘く見るのも危ういと存ずる」
「よいではないか。ひと月あまりで大和一国を征服した組み合わせだ。宗益に筑前守、国府のことは二人に任せよう」
政元の一声で、道連れは決まった。
八田を出陣した赤沢勢は、三好を振り切ろうとするかのような早駆けで西へ急いだ。しかし阿波兵の足もどうしてなかなか、遅れずに追いすがってくる。
由良川を渡り、山間の街道を錐のように細くなって進んだ。海沿いの平地へ抜け出すと、目の前に天橋立の絶景と、国府の町並みが広がっていた。
宗益は小勢を活かして切戸を小舟で押し渡り、細長い松林の砂洲を駆け抜けると、阿蘇海の対岸へ急行した。三好勢もそれに引き続いていく。
一色方は、笠松の弁天山で武田勢を包囲していたが、これを見ると一部を下山させて迎え撃ってきた。
国府の街筋が、たちまち戦場となった。
京勢はためらいもなく家々を焼き討ちにし、住民を殺害して糧食金品を強奪した。あちこちから黒煙が立ち昇り、炎が低く燃え広がって、夏の深い蒼空を炙った。
数日のうちに丹後国府は、辻々にむごい死骸の転がる焼け野原となった。
互いに根比べのような合戦となったが、連戦で鍛え抜かれた赤沢と三好の兵は、正面からの打ち合いで後れを取ることはなかった。
敗走した一色方は今熊野城、阿弥陀ヶ峰城へ逃げ戻った。京勢はすぐさま山際へ押し寄せたが、急峻な岩肌の上で力押しも火攻めも許さず、にわかには陥落させられそうもない。
「さすがに山国の要害といったところか。大和や河内の丘ごときとはわけが違うわ」
宗益は歯噛みしたが、山上の成相寺に立て籠もる武田勢とともに、一色義有を反対に挟み込んだとも言える形勢にはなった。
山麓に陣を張り、ひとまず居座りを決め込むしかなかった。之長は国府で丸焼きにした酒屋から、酒樽を大量に運び出させた。
新兵衛は、兵らが噂する他愛もない怪談を耳に挟んだ。
夜な夜な天橋立に、醜い天竺人の女の幽霊が現れ、歌いながら浜辺をさまよい歩くという。
「下らぬ話をしているのではない」
一笑に付し、陣屋の建てつけを急ぐよう尻を叩いた。
だが夜半、据えたばかりの横板の上で、眠れないままに瞼を開けた。
鎧直垂姿で陣幕を出ると、弓張月が黒い鏡のような海の上に懸かっていた。
流れゆく雲に翳る光が、穏やかな波にゆらゆらと揉まれている。
篝火の横に立つ番士に目でうなずきかけたが、直立不動のまま見咎められもしなかった。今やおのれは、この悪鬼のごとき軍勢の副長なのだ。畏れられこそすれ、止め立てされることなどない。
そのまま浜の方へ歩き、湾を横切る細長い砂洲の付け根まで至った。
名を聞いたことがあるばかりで、見も知らない幾つもの国。そこへ出向いては破壊と焼尽を繰り返し、数えきれないほどの人を殺す。それはこれからもずっと続いていくのだろう。勝利とはそういうもので、敗北は比較にならないほど惨めだ。だが、武士という生き物は、どのような仏によっても決して救われることはあるまい。
新兵衛は、一本の松の木を背にしてもたれかかった。総身の力を抜き、草の上に尻を落として座り込んだ。
どれくらいの間、そうしていただろう。
白砂の浜の方で、月明かりのかけらのように、はたはたと瞬いているものが見えた。
それは少しずつ大きくなり、こちらへ近づいてくるようだった。青白い衣の広袖と裾が、風に吹かれて転がっているのかと思った。だがそうではなく、人が身に着けたまま踊っているのだ。
静けさの中で、
橋立の 松の下なる磯清水 都なりせば 君も汲ままし
という女の歌声が聞こえてきた。
新兵衛は思わず立ち上がり、我を忘れて駆け出していた。
深い砂に足を取られながら、息せき切って急いだ。胸が苦しくなり、喉の奥に痰が絡んできた。目指す相手は調子を変えないまま、くるくると衣を振り乱し続けている。
「藍紗」
男は妻の名を呼んでいた。
荒い息をつきながら、踊り手の肩を夢中で抱きすくめていた。香木のかけらのような、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。広い背中へ回した腕の感触もよく憶えている。間違えようもない。
「俺は新兵衛だ。わかっているのだろう」
鎖骨の上で、細い顎が小さくうなずくのが感じられた。
「藍紗」
被いた薄衣の下を覗き込むと、思い出の中とは似ても似つかない面貌がそこにはあった。
頭の左半分が焼け爛れ、黄色い地肌からまばらに毛が生えている。半ば閉じて瘡蓋のようになった左目には瞳がなく、白目を剝いたままになっていた。
だが、顔の反対側は見間違いもしない、十年ぶりに再会した妻の面差しだった。
成身院順宣の話によると、古市焼亡の夜、楠葉の屋敷は筒井党が引き連れてきた野伏によって焼き払われ、孫娘は辻へ引き出されて、衆人の目の中で朝まで慰み物とされた。
それから髪に火をつけられて追い立てられたが、そのまま焼け死んだとも、命は取り留めていずこかへ売り飛ばされたとも言われ、誰も行方を知らないという。
新兵衛は言葉もなく、骨張った肩をひしと抱きしめた。
「あなたの噂は、遠くから耳にしていました」
喉につっかえたような、ざらざらとした声だった。
「だけど、会いに行くことはできなかった」
「ずっと丹後にいたのか」
「ここ数年は。まさかあなたの軍勢が、こんなところまで来るなんて思いもせずに」
「だが、俺はやってきた」
胸の底に溜まったものを吐き出すように言った。
「京にも宇治にも屋敷がある。一緒に来て、残りの一生はそこで安らかに暮らそう」
「そんなことはできないでしょう」
藍紗は目を伏せ、顔の右側だけを向けるようにして背けた。
「あなたは死ぬまで戦う。日の本を平らげたら、次は海の外まで。それを止めることなんてできないでしょう」
「止めたとて構わん。お前がそばにいるのなら」
「お父上を独りにすることができるの」
新兵衛は一瞬言葉に詰まったが、すぐに気を取り直して声を励ました。
「日本国惣知行が成れば、右京兆様が望むのは戦ではない。大船を催して、どこまでも外海を渡っていくことだ。見たことのないお前の故郷にも、きっと行ける。俺はそのために戦っているんだ」
「こんな田舎の山城一つ抜けずに、日の本の全部を攻め落とすなんてできない」
「きっとできるのだ、父上と俺なら」
「やっぱりあなたは、お父上から離れることはできない」
「やめてくれ。どうか、言うとおりにしてくれ」
新兵衛は童のように泣き出していた。
「せっかく会えたのに、そのようなことばかり言わないでくれ」
藍紗は夫の首筋へ手を回し、なだめるように後ろ髪を撫でていた。
「生きてさえいれば、いつか夢の先で、また一緒になれるかもしれない」
「それが今ではないのか」
妻はうつむいたまま、静かにかぶりを振った。
「あなた」
「ああ」
「でも今は、もう少しだけこうさせていて」
藍紗は力を抜き、ふわりとその身を預けてきた。新兵衛は柔らかな腰回りを受け止め、指先で顎を持ち上げて、左からそっと唇を合わせた。
雲が晴れ、月明かりは清かである。
~(6)第三部最終回「火柱」へ続く
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