【歴史小説】寧らかの波 第七章(3)「自分が前に進むために、誰かを殺していいわけじゃない」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引き、剣術「陰の流」を受け継いだ少年・楠葉入鹿は、美貌の明国人・宋素卿と出会い、南海に「境界に生きる者たちの国」を作るため共闘を誓う。
日本の細川京兆家・明国の宦官と通じている素卿は、勘合貿易の莫大な利を守るために行動するが、対立する大内氏から刺客を送られ、入鹿は彼らと激闘を繰り返す。
第二の故郷である南海の臥蛇島を、元の仲間である中林孫太郎により焼き払われた素卿たちは、大内の遣明船を追いかけて大陸の港都・寧波へと向かう。
明の官吏・朱子純と武人・愈志輔、大内の遣明正使で狂僧の謙道宗設、異形の巨人・神代源太郎らが待ち構える寧波で、果たして誰が生き残るのか。
物語はいよいよ佳境へ!……
本編
三
嘉賓館の中にも火が回り、煙が立ち込めてきた。
組み合っていた武士の返り血を、拳と体の正面にべっとりと張りつけたまま、入鹿は門の外へ転がり出た。
夜の街が、炎に包まれていた。
これでは堺や、臥蛇島と全く同じだ。
姿の見えない人々の叫びが、耳を裂くように届いてくる。
低い空が城壁に囲まれているので、北も南もわからない。
入鹿は、やたらめったらに駆けた。
「武器庫だ」
と、そのうちに思い当たった。
刀がなければ、連中と戦えない。没収されたのは、港へ上陸してからすぐのことだ。他の積み荷が、岸辺の倉に収められたのと同じ時だった。ならば、港の方へ行けばそれも見つかるはずだ。
火影の明かりと、わずかな覚えを頼りに、三つの川の交わる方角へ足を向け直した。
現地の人々も街路へ出て、大声で互いに呼び交わしている。その間をすり抜けるようにして、入鹿は港へ急いだ。
が、既に遅かった。
海際の倉は、百人ばかりの日本の武士たちによって占拠されていた。むろん、大内方の者たちだろう。扉を叩き壊され、中身を運び出されている。何者が来ても渡すまいと、取り返した武器を手にしっかりと四方を固めていた。
あそこへ躍り込み、自分の刀だけを捜し出してくるなどというのは、もはや到底不可能だろう。
さっさとこの場を離れる方がまだいい。入鹿はためらわず背中を向け、今来た街区の方へ走り戻っていった。
人けのない大路を、白い煙が吹き流れてゆく。その真ん中に、奇妙なものが並べられていた。細い金棒らしい。それが何十も横に連なっている。
列の半ばほどで、一人の男が腰をかがめていた。
落ち着き払った所作で、そのうちの一つを持ち上げて肩に担ぐ。しばらくすると、すさまじい爆音が響き、棒の先端から火の玉が飛び出していった。炎は塀の向こう側へ飛び込み、建物に絡みついて燃え上がらせ、さらに黒煙を立ち昇らせた。
「おい、お前」
入鹿は思わず駆け寄っていた。
相手もこちらに気づき、手を止めて振り返った。顔の半ばが赤く照らし出され、細い垂れ目が人外の魔物のように光っていた。
「孫太郎」
「火薬は、武器と思われてないからいいよなあ」
金棒を足元へ悠々と投げ捨ててから、含み笑いを浮かべた。
「ずいぶん遅かったのう。使節の船よりも早くこの町へ潜り込んで、支度をしておく時間は充分にあったわい」
「なぜ、こんなことをした。素卿は、お前を拾ってくれた恩人じゃなかったのか。他に行き場のない、境界の者たちの居場所を、ともに作り上げるんじゃなかったのか」
「オレがいつ、そんなことを言ったよ。ええ?」
猿のように甲高く笑ってみせる。
「それはただ、お前の頭の中にあっただけのことじゃろう。あの出来損ないの女が勝手に盛り上がって、お前もいいようにだまくらかされちまった、ただそれだけのことじゃろうがい」
肩をすくめ、あきれたようにかぶりを振った。
「オレは元々、そんなことどうだっていいんじゃ。細川だろうと大内だろうと、それ以外の何だろうと、ケエッ! 知ったことかい。勝ち目のない方にくっついたままで、一緒くたに殺されちまうのはアホらしい。ただそれだけのことじゃ」
入鹿は奥歯を割らんばかりに食いしばり、相手を睨みつけていた。
「だから臥蛇島も焼き払い、あそこの人々を残らず海賊へ引き渡したって言うのか。だからお前は、安那を殺してもよかったって言うのか」
「そのことは口にするなっ」
とたんに色をなして叫んだ。
「もう終わった話じゃ。くだらん、バカバカしい昔の話よ。一人の人間にとっちゃ、消してしまわにゃならん過去だってある。そうでもしなきゃ、一歩も前に進めんことだってあるんじゃ」
「自分が前に進むために、誰かを殺していいわけじゃない」
「お前はやっぱり、あの素卿とよくお似合いじゃの。小理屈こね回して人を見下す。誰かを、って持ち出すんならな、人はみんな自分のことだけで精いっぱいよ。ただ何とか生き残って、体と頭の中に溜まった、どうしようもない思いをやりくりすんので精いっぱいよ。澄まし返った山猿なんぞには、一生わからんことじゃろうがの」
入鹿は胸元へ手をやりながら、決然とそちらへ歩み寄っていった。
この男をやるくらいなら、短刀一本で充分だ。間合いの内へ入りさえすれば、奴にできることは何もない。
孫太郎も身をかがめ、足元の鉄棒の先へ火花を点ずると、ぐいと持ち上げてこちらへ向けてきた。
「そんなもの、何度も食らうか」
かえって足を早めていく。破裂音と火の玉。腰を落とし、横っ跳びでそれを避けた。焼けた鉄の粒が額と頬に突き刺さる。ただそれだけだ。後ろ足を蹴りつけ、一息に間を詰めた。
が、ふいに壁のようなものが目の前に立ちふさがった。
切り株ほどもある脚だ。見上げると、裂けた口の端から煙を吐き、赤光を宿した両目がこちらを見下ろしていた。
「こんなところにおったか。ようやく見つけたぞオ、楠葉入鹿」
「神代源太郎」
思わずつばきを飲み込み、二三歩あとずさった。
ぼろぼろになった小袖は、滴るほどの血糊で黒く染まっている。引きちぎられた誰かの前腕が、細帯へ取りすがるように引っかかっていた。
衛兵から奪い取ったらしい官製の鉾を、両手に握りしめている。片方は石突が欠け、刃先に青々とした腸が絡まったままだった。
「この者の仕事を、邪魔させるわけにはいかんのオ。なんせ、まだまだこの寧波の町を燃え上がらせ、火の海にさせてやらねばならんでのオ」
「お前たちは一体何のために、ここまでのことを続ける」
「何のため? 愚問、愚問よのオ。悠長に頭を巡らせておるだけ、やっぱり貴様らはいい気なもんじゃ。先ほどこの中林が申しておった通りよ。我らはただ生きる。生きるために生きる。そうしておのれの力を尽くしているだけでのオ」
入鹿は正対の構えのまま後ろへ飛びのき、間合いを取り直した。
まずい。
例の隠し腕もある。これだけの巨体を相手に、短刀だけでやり合えるものではない。
逃げるか。
だがこの男のすばしっこさは、塑像じみた図体からは考えられないほどだ。
迷っているうちに、丸太のような腕が振り下ろされてきた。後ろへ回りながら避けると、穂先が地面に叩きつけられ、もうもうと土埃が舞い上がった。
やはり、今は逃げるしかない。
腰を上げかけた時、相手の腹がもぞもぞと動き、短い手首が飛び出してきた。かと思うと、そこに握りしめていた打根を鋭く投げつけてきた。
不意を衝かれ、入鹿は避けきれず、太腿へまともに刃先を受けた。
金のぶつかる音が骨に響く。万一のため、袴の下へ板を仕込んでいたのだ。
傷は受けなかったが、足が痺れて身動きが遅れた。
そこへ、もう一本の鉾先が頭上に落ちてきた。
「あっ」
あっけなく、命を奪られた、と感じた。
またしても、この相手にしてやられた。
もう次はない。自分は最後まで、戦の勢いをつかむことができなかった。とんだ愚か者だ。ジイの弟子が聞いてあきれる。今度こそ、おのれは死んだ。
おえい。
もう一度、一目だけでも会いたかった。
ふっと瞼を下ろす。
が、火花の弾ける音が耳に届いた。
やはり、自分は死んでいない。
目を見開く。黒い獣のような体躯が、自分と敵の間へ入り込んでいた。
深く腰を落とし、幅の広い柳葉刀を横ざまに構え、鉾の刃をじりじりと受け止めている。
「お前は」
渇いた声を絞り出すので精いっぱいだった。
「兪志輔じゃないか」
「王八蛋」
鋭く振り向いた横目は、やはり猫に似ていた。
なぜ異国人の俺を助ける、と尋ねる前に、地べたを打ちつける革鞭の音が聞こえてきた。
「そこなる者、先刻嘉賓館にて日本国の正使を殺害し、市舶太監殿にも危害を加えんとした下手人と見た」
和語だ。しかも、文面こそ堅苦しいが、その発声にはごつごつとした訛りがある。
「すなわち、この甚だしい騒乱を引き起こした張本人。大明国皇帝陛下の名において、刑部員外郎がその身を拘禁する。それでもなお抵抗を止めなければ、この場で死を持って処する、……でごわす」
背後で立ち止まったのは、黒い官服と足の長い幞頭姿の士大夫だった。
「朱子純」
驚く入鹿の方へ向かって、細いものを山なりに放り投げてきた。胸元でそれを受け止めると、一振りの黒漆塗拵えの刀だった。下緒の革紐が、栗形に巻きつけられている。
「特例たい。その日本刀を使って、愈志輔に助太刀せい。二人してあのバケモンを、必ず討ち取ってみせんしゃい」
「どうしてあんたたちが、俺を助ける」
「おいは明帝国の官吏じゃ。皇帝陛下の臣下じゃ。それがここまで好き放題されて、黙っとられるかい。ぬしや宋素卿のことも、こうなっちゃ後回しじゃ。朝貢使を称しながら中華の町を焼き払うなんぞ、天朝に対する叛逆に他ならん。九族に至るまで死罪じゃ。まずはそのバケモンを討ち果たして、止めるんが先たい」
目の前で踏ん張っている愈志輔が、漢語で何事かを叫んだ。言葉はわからないが、早くしろ、と急かしているに違いない。
入鹿は鞘を抜き払い、ためらわず遠くへ投げ捨てた。むろん自分の刀ではないが、思ったよりも柄巻の組紐が手になじんだ。
横へ跳びのきざま、黒豹のような若者と目を見交わした。互いに意を通じ、小さくうなずき合う。
愈志輔は、計ったように激しく打ち込み始めた。神代は両手の鉾を交互に繰り出し、それを防ぎ止めるので手いっぱいになる。
入鹿はその隙に脇へ回り込み、巌のように盛り上がった膝の皿を、振り上げた刀で叩き斬った。
以前に傷を与えたのと同じ箇所だ。
「ヌグウッ」
神代はうめき声を上げ、巨体をよろめかせたが、もう一方の足でどうにか踏ん張った。かえってその傾きを利し、長く持った鉾を大ぶりに振り回してきた。
入鹿は後ろへ飛びすさると、もう一度愈志輔に目で合図をし、息を合わせて左右から同時に飛び込んだ。
どちらを相手にすべきか迷った神代は、両手の鉾を薙ぐようにぶん回し、間合いへ入らせるまいとしてきた。
が、二人はそれをかいくぐると、ほぼ同時に神代の左右の脾腹へ刃を突き立てた。
腹から伸びた短い腕が、苦しげに空を掻いていた。その生爪が全て剥がされているのが見て取れた。
「貴様らアアッ」
ぐりぐりと眼を回していたが、やがて大量の血を吐いた。それが赤い雨のように頭上へ降り注いでくる。
「こんな、わしがこんなところで」
額に青筋を立て、目玉を飛び出させながら、ぶるぶると震えている。裂けた口の端からは、泡になったつばきが噴き出していた。
「いやじゃあっ、死にとうない。おっ母、おっ母あっ」
重い手応えに逆らい、刃先を突き入れて掻き回す。断末魔の絶叫が、黒煙に包まれた夜空に響き渡った。
巨躯が支えを失い、こちらへ寄りかかってきた。二人が相次いで刀身を引き抜き、後方へ飛びすさると、壁のような体が前のめりに傾き、土埃を立てながら倒れ込んだ。
愈志輔はその上へ跳び乗り、息の根を止めるため、何度も背中から心臓を突き刺した。泉のように血が噴き出し、細切れになった肉と骨の欠片がほじくり出されてきた。
入鹿は首を落とそうとして、うなじへ刀を振り下ろしたが、あまりに太過ぎて途中から刃が入らなくなった。
愈志輔はこちらへ白い歯を見せつつ、何事かを口にした。そこまでしなくても大丈夫だ、とでも言っていたのかもしれない。
「大得出奇」
と、つぶやいていた。
我に返って辺りを見渡した。炎と煙に包まれた街路に、鉄の筒がばらばらと転がっているばかりだった。
「孫太郎」
その姿は、もうどこにも見当たらなかった。こちらが決死で戦っているさなかに、さっさと姿を隠してしまったらしい。
「あの野郎め」
入鹿は舌を鳴らし、唇を噛んだ。他の者はともかく、あいつだけは許すことができそうにない。
「ようやったばい。ぬしら二人が力を合わせりゃあ、そうそう負かせる相手もおらんじゃろうな」
手元で鞭を丸めながら、朱子純が笑いもせず声をかけてきた。
「しかし、まだ何も終わってない」
「その通りばい。主犯の謙道宗設をひっ捕らえ、拷問の獄へ下してやらねば、なあんにも終わりゃあせんたい」
とにかく、素卿の行方が気にかかる。一刻も早く見つけ出して、自分が守ってやらなければならない。
「ぬしゃあ、宋素卿のことが気になっとるんじゃろう」
図星を突かれたが、それがそもそもおのれの役目なのだ。
「俺は、あいつの用心棒だからな」
「おいが受けた報せじゃあ、素卿は源永春に連れられ、早々に寧波を脱出したそうたい」
「そうなのか」
炎上する町を必死に駆けずり回っていたのが、馬鹿らしいような気もした。とは言え、あいつが無事でいることの方がよっぽど大切だろう。
「ぬしが連中を引きつけて、時を稼いだおかげとも言えるじゃろ。素卿は一味の者たちを頼り、紹興府へ向かったそうたい」
「紹興」
今までに聞いたこともない地名だった。そんな場所に別の仲間がいるとも、全く知らされていなかった。
愈志輔は柳葉刀の血糊を布切れで拭い、粗野な拵えの鞘へ納めていた。
「ここからは、ざっと西へ二十里ばかりじゃ。歩いてたどり着ける道のりではなか」
朱子純は片眉を持ち上げ、つややかな顎髭をさすっていた。
「楠葉入鹿、馬には乗れるか」
「まあな」
「おいたちとともに戦うんなら、馬を貸しちゃろう。こいつもやっぱし、特例たい」
~最終章へ続く
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