【哲学】なぜ自己中でいいのかー"世界の構造"からアクセスー
はじめに
この記事では生きる意味を探索し何が見えているのかを認識します。
意味の意味
あくまで一つの捉え方としてですが、
意味とは理由や定義を紐づけるものです。
図的に表すと矢印の関係です。
例えば、お菓子を食べる理由がおいしいだったとすると
おいしい→食べるの関係になっていて
食べるの意味はおいしいからとなります。
生きる意味の考察
上記の意味とは矢印であるという仮定から生きるの矢印はどこからきてるのか考察しました
結論、二つの候補が出てきました
それは主体から自身にと客体から自身です
主体から自身に生きる意味がある
例 : スポーツをしていて楽しいから生きるというような自身でその意味を決定できる自分から自分に矢印が向いてるものがあります。
客体から自身に生きる意味がある
例 : 神様が自分に使命を与えてくれた、だから私は生きるというように他人にその意味を求めている他人から自分に向いた矢印があります。
その上で客体から自身に矢印が向くのはおかしい説
僕は小さい頃から睡眠時の夢を起床してもとても鮮明に覚えてしまうことがよくあります。
なので、この世界は仮想現実なんじゃないか、夢なんじゃないかと区別がつかなくなることもあり、世界が仮想現実かどうか考えることがよくありました。
この世界は仮想現実か
その問いの僕の結論は「どちらでも同じ」です。
この世界が仮想現実だと仮定したとき
今見えてる世界はどういう構造なのかと考えると、自分がVRゴーグルをかぶるように、目の前がなんらかのスクリーンで意識したものがあるという構造が想定されます。
この世界が仮想現実ではないと仮定したとき
世界は暗闇の洞窟の中自分が持ってるスポットライトで照らした範囲だけが見えるという構造が想定されます。
一見、この二つの仮定は異なるようですが、自分視点では同一のものが見えていて感じられるなら、同じものとして扱っていいと僕は思います。
この二つの考え方に共通することを発見
一見、この二つの仮定は異なるようですが、自分視点では同一のものが見えていて感じられるなら、同じものとして扱っていいと僕は思います。
まとめ
話は戻ります。だから、客体から自分に向けられた矢印は実はまっすぐではなくて自分からでた矢印が他人に近づいてUターンして自分に向けられているだけなのかもしれません。
だから、自分は自分のために生きるべきです。
この記事ではマクロで個別的な生きる意味について解説しました。
