「いつか後輩におごってあげてね」──会社員時代、私が先輩から受け取っていたもの #238
「僕たちもこれまで先輩におごってきてもらってきたから、いいんだよ。だからいつか後輩におごってあげてね」
私が会社員をやっていた頃、一緒のチームで仕事をしていた上司はよく言った。そうしてご飯をおごってくれた。場所は決まって『王将』だ。
新入社員としてはじめて配属されたのは、3人チームだった。3つ上の男性の先輩と、ひとまわり上の男性の上司。当時は毎日帰る時間が遅くて、23時に会社を出ることはザラだった。入社早々「これが会社か・・・・・・」と圧倒される私。しんどいとか、しんどくないとか、ない。覚えることはたくさんあるし、失敗はするし、でも役には立ちたいし。ついていくのに必死だった。同じチームの先輩と上司は、そんな私をよく気遣ってくれて、「王将会」と称して、月に一度くらいの頻度で『王将』に連れて行ってくれた。
その王将会が大好きだった。3人で大食いチャレンジのように限界まで食べるのだ。餃子は決まって「りゃんめん(両面)焼きで」と注文する。メニューに載ってないのに、「カレーチャーハンってありますか?」と毎度聞く。過去に限定メニューであったらしい。そして会計では王将らしくない金額をたたき出す。
仕事の話をする。仕事でない話もする。キャンプの話とか、家族の話とか。私に対して「大丈夫、しんどくない?」や「もっとこうした方がいい」などの話はほとんどない。先輩も上司も「いやー、今のプロジェクトは、正直ハードだよね」と、みんな平等に疲れを吐き出していた。だから私も「みんなも大変で、疲れていいんだ」と思えて楽だった。
私の配属された部署は、いわゆる研究職。机の上で細かい作業をしているイメージがあるかもしれないが、現実はまあまあの肉体労働だった。重たい機材を運んだり、防塵マスクをつけて原料を測ったり。きっと王将の厨房をイメージしてもらっても、遜色ないように思う。
いま思い返すと、愉しそうな職場に思えるが、あの時は、愉しいとかそうでないなどを考える余裕もなかった──
最近、今年の春に就職で上京してきた青年、信田くんと、たまに会ってご飯に行く。彼の年齢は私のひとまわり下。昨年、事務所が開催した京都の写真展で、大学生バイトとして参加してくれ、数週間一緒に働いた人だ。そこから縁が続いている。
(信田くんと東京で再会したときの話も、併せて読んでみてほしい)
7月某日、平日の夜。せっかく東京に来たんだし、ディズニー気分でも味わおうかと、舞浜駅前へ行った。とはいえ、もう19時なので、ディズニーランドには行かない。彼も私もディズニーランドには1、2回しか行ったことがなく、その記憶もおぼろげで、そこまでディズニー愛が強いわけでもなかった。
舞浜駅に初上陸する。想像していたよりディズニー感はない。彼は駅を降りた瞬間、「腹減ったー!」しか言わないモンスターと化した。電車の中では、会社のあれこれを話していたのに、もう理性を働かせるエネルギーも尽きたのだろう。私は私で、せっかくだからディズニー感に浮かれてみたくて、5ステップくらいスキップしてみた。
フロアマップで何を食べに行くか探す。彼は相変わらず「腹減ったー!」しか言わない。焼肉か、沖縄料理か、台湾料理の3つで迷った挙句、お客が並んでいない台湾料理に行くことにした。
黒チャーハンとルーロン飯と、小籠包、エビ餃子、油淋鶏、ごま団子・・・・・・ああ、昔の「王将会」みたいなだと思う。今日は3人いないけど。私の隣には2人分をゆうに食べられる健啖家がいる。
信田くんは尋常じゃない量を食べる。いや、私からすると尋常じゃないだけで、20代前半の男性にしては普通量なのかもしれない。が、彼をみていると、絵本の『はらぺこあおむし』を思い出す。注文した料理を待っている間も、彼は後で追加で頼む料理を選んでいる。常に食べ物を探してるから、やっぱり『はらぺこあおむし』だ。
ただそれは、見ているだけでおかしくて。
生命の塊みたいに思えてきて。
彼がこのまま、健やかであればいいな。
と、そう思った。
上京してきた彼と久しぶりに再会したときは、入社2ヶ月目にして会社員に窮屈さを実感し、うなだれていた。そしてこの日は「ひとまず6ヶ月は様子をみる」と言っていた。これまでも高校、大学など、新しい環境になると、楽しくなってくるまでに半年はかかったことを思い出したそうだ。
それでも会社では色々と試行錯誤中な様子。カッターシャツが窮屈で、Tシャツで出勤したら、上司から「Tシャツなんだね・・・・・・」とだけ言われて、ゾッとした話など。色々話してくれた。
そういうよく分からない失敗をする今も、きっと栄養になっているのだろう。そうしてそのうち「あおむし」から「ちょうちょ」になって、自分の行きたい場所へ飛んでいくのだろう。その過程を、できるだけ長く見続けられたらいいな。モリモリ食べる彼をみて、そう思うばかりだった。
一通り食べ終え、信田くんは「うまかったー!」しか言わなくなった。そして「次、甘いもの行きませんか」と、食欲はさらに他へと向かっていた。
お会計をするとき、ふと、あることを思い出した。「王将会」で言われてきたこと。「後輩ができたときは、おごってあげてね」と言われて、いつも先輩や上司がご馳走してくれたことを。
当時は、いつもおごってもらって申し訳ないな、という気持ちしかなかった。でも今、逆の立場になってみて、上司側の気持ちが少し理解できるような気がした。後輩に金銭的に負担をかけたくないとかではなくて、もっと抽象的な気持ち。
「腹減った」ばかり言って、何にでも「うまいっ!」って感動しながらモリモリ食べて、食べ終わったら「うまかったー!」しか言わなくなる、若さみなぎる青年。微笑ましいというか、尊いというか、この健やかさを守りたいという、願いみたいなもの。
王将をおごってくれた上司も同じ気持ちだったのだろうか。もしそうだったのなら、もっとすんなり甘えておけばよかった。今更ながらそう思う。ただ同時に、上司や先輩から受け取ってきたものを、次の世代にバトンできたような気がして、嬉しかった。
ご馳走したい、という気持ちは、きっとただのエゴだろう。相手のためのようであって、自分がもらってきた愛情を、ただ注ぎたいだけ。バトンを受け渡す。その指名を果たしたいだけな気がする。背負ってるものを軽くしたい。なんとなく、そんな感じ。
最近、その王将会に行っていた先輩から連絡が来た。「元気にしてますか?」と。きっと連絡を取るのは5年ぶりくらいだ。そして王将会メンバーの先輩と上司の2人の写真が送られてきた。一緒にキャンプに行ったらしい。
送られてきた短い文面と写真を、何度も見た。
少し涙が出た。
彼ら2人は、私がAV女優をしていることを知っているらしい。そしてその事実を知った時は悲しんでいたと、風の噂で聞いた。どういう種類の悲しみなのかはわからない。会社を辞めてAV女優に転身する時、彼らにはなにも伝えなかった。ことを起こす前に、何かを相談することもしなかった。そのためか、なんとなくずっと、彼らを裏切った気がして、少し気に病んでいた。だからあまり思い出さないようにしていた。
でも時が経ち、先輩から私のことを思い出してもらえた。いつもしてもらうばかりだ。誘ってもらう、おごってもらう、連絡をもらう。少し情けない。
「また会ってください」
ちょっと勇気を出して送ってみる。
「もちろんです!」
そう返ってきた。
いつどこでなどの日取りは決めなかったけれど、会えるというサインだけで、今はもう十分だった。何かが小さく許された気がした。あの人たちに伝えきれなかった感謝はたくさんある。話したかったけど、機会がないまま消えていった想いもたくさんある。けれど彼らから受け取ったものは、私の中で消えていなかった。王将会で受け取っていたバトン。それを今回、信田くんとの食事で思い出せた。
次に会えた時は「私も後輩にご飯をおごるようになったんです」とかって、そんな話したい。あの王将会で受け取ったものが、ちゃんと次へ渡っていることを伝えたい。そしたら2人はなんと言ってくれるだろう。ね。
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