No.967 「共感」と「感染」の境界線はどこにある?
人の話を聞く際は自分事として捉え、共感の態度を示す。
ビジネスにプライベートと、どの場面においても重要性の高いスキルです。
しかし、これにも副作用がある…疑問が湧いたらすぐに言語化からのAIに投下です。




共感の「共」はそっと手を取り合うイメージ。
感染の「染」はべったりと密着するイメージ。
つまり、共感=つながり 感染=つるみ(しがらみ)
という結論に至ります。
その感染リスクはわたしを含め、誰にでもある。
多くの人が各集団内で他人軸の人生を送っているのは歴史的にも明らかにされており、わたしたちは既に普遍的とも言える大きな課題を抱えています。
主に、家庭・学校・会社組織
環境はそれぞれ違っても本質的には同じ"主従"を前提にしているので、いつの間にかそのリスクを上げていた。
秩序とか、お金とか、そうしたもののために本当の自分がずっと行方不明の状態。
わたしも繰り返し語っている"自分軸"が近年ブームになっていますが、これは課題の根深さが表面化されたと同時に、(克服は難しいけど)寛解できる可能性を示しているとも言えます。
タイトル文の「境界線はどこに?」
既に存在している線を探してもないに等しく、自分で線引きする位置を探し、決めるのが早いのでは?
これもハッキリ言って面倒くさいです。
(普段からタスクまみれでしんどいのに)
だけど、自分が楽するために次々と大切な部分にまでショートカットすると、今後もずっと自分のフリした他人として生きていくことに。
そうしたら、さらに多くの時間を溶かすのは間違いないでしょう。
自分軸は揺れやすく、崩れやすい。
これまでの人生経験から、繰り返し語りはするけどその分、インプットとアウトプットを回す。
じゃないと、安易に語り散らかす口だけ人間になってしまい、大切にしたいはずのつながりが途絶えてしまう。
こんな感じで、時に自分に厳しく、時に優しくのバランスを取りながら、泳ぐように生き延びる。
それが、"今ここ"にいるわたしの生き方・あり方であると改めて自己完結します。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!