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不思議の住処 おまけ 前編

文學市二日目のこと

 文學市二日目に参加することにした。昼食を『阿吽』で摂った後、買った本を入れるための紙袋を持って、商店街を抜けた先にある大きな広場へと行く。そんな予定通り、私は二時前に広場の草を踏んだ。

 穏やかな風に乗って過ぎゆく古い本の独特な香り、店番をするアルバイトの大学生、運命の一冊とのかくれんぼを楽しみ、或いはその一冊に魂を吸われるように、彷徨う人々。

 凪の時間だ、と思う。私もその静かな、しかし活気のある空間の一員として、端の方から順に本を眺め歩いた。

 端の方に乱雑に本を並べている店があって、学生だと思われる女性がパイプ椅子に座って店番をしていた。並べてある本のうちの一冊が気になって、そちらへと惹かれていった。

 店番の女性は「いらっしゃいませ」とだけ言って、特別私のことを気にする様子はなさそうに、仲間に置いてけぼりをくらったかのような小さな雲がぽつりと浮かぶ空を眺めた。私は気になったその本を手に取ってみる。それほど分厚くはなく、なめらかな触り心地の表紙が心地よい。

 それほど古い本ではないうえに、角の擦れた感じや表紙の汚れなどが一切なく美しいままに売られていることから、前の持ち主が丁寧に扱っていたであろうことが窺える。

 最初の数頁をパラパラとめくってみると、どうやら、『夢』を軸にした短編集らしいということが読み取れた。枯れた羽の生えた男の世話をする者、身体が砂になって崩れ落ちる病、子供だけしかいない街。自分は眠ることができないくせに、他人に夢を見せる仕事をしている女……。

 そういった不思議な内容は私の好むものであったから、直感を信じ、迷わず購入することにした。その他にも気になる本をいくつか手に入れて、重くなった紙袋の持ち手が手のひらに食い込み跡をつけるのに耐えながら帰路に着いた。

 住み慣れた我が家に戻り一息ついた私は、紙袋からいくつかの本を取り出した。やはり一番気になるのは短編集であった。取り出してすぐに私は驚いた。

 その本の表紙に印字された題名が起き上がり、表紙の上で踊り出したのである。私はよく見ようと顔を近づけた。

 その瞬間、爪の先も触れてはいないのに、表紙が一人でに開いた。何か起こるに違いないと察し、本に近づけた顔をすぐに離し、両手を顔の前にかざし、防御の姿勢をとった。指の隙間からじっと本を見た。不思議なことに、本から身体ごと離れようとは思わなかった。

 呼吸一回分の静寂の後、頬に風を感じるほどに勢いよく頁が捲られ、大量の文字が紙から飛び出した。宙を舞い、ばらばらと机の上に落ちた。明石や阿吽の姉妹らに、あまり表情が変わらないと言われる私でも、流石に、小さくではあるがぽっかりと口を開けて固まってしまった。

 文字たちの中には、落下の衝撃で跳ねて机の外に散らばったものたちもいたが、素早く集まってきて、群れを成した。

 そのうちの『か』の文字を他の文字たちが持ち上げて私に見せてきた。どうやらその『か』は掠れて消えかけてしまっているようだった。

 ちょっと待っていてくれ。

私は文字たちにそう告げて、いつも使っているペンケースから油性の黒いペンを取り出した。試し書きをしてインクが残っていることを確かめ、『か』の文字を掌に乗せた。ゆっくりと丁寧に塗ってやった。

身体を取り戻した『か』は元気になったようだ。文字たちは器用に二手に分かれ体をぶつけ合うことで拍手の音を鳴らした。私が手をかざすと、ハイタッチをしてくれた。かわいいやつめ、そう思った。

文字は蠢いて、机の上に文章を作り始めた。私は完成したところから順に読んだ。

『家に帰りたい。待っている。待っている』

待っている?

『持ち主。少女』

君らの主人というわけか。どこにいる?

『隣町』

ならばちょうど来週そちらへと出向く用事がある。連れて行ってあげよう。今日はもう遅いから本の中へお戻り

『ありがとう。ありがとう』

文字たちは一斉に本の中に帰って行ったが、とりあえず戻った、というような感じで、美しく整列することも、なんらかの文章を成すこともなく、眠った。

私も、眠った。


つづき↓


本編↓


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