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【連載小説】男友達との約束:最終話

前の話

 芽依が待ち合わせ場所に指定したのは、駅前にある古い喫茶店だった。恐らく昭和の時代から経営している昔ながらの喫茶店で、外から店内の様子が見えない上に、店の前に食品サンプルも展示されておらず手書きのメニューが貼り付けてあるだけだ。頑固そうな常連さんがカウンター席で初老のマスターと話し込んでいそうな、1人で入店するにはかなりハードルが高い喫茶店だった。
 私はしばらく店外で待っていたが、待ち合わせ時間を5分過ぎても芽依が現れないので、仕方なく1人で店内に入った。意外にも喫茶店のマスターは30代前半くらいの若い男性で、待ち合わせだと伝えると完璧な営業スマイルで窓際のテーブル席へ案内してくれた。
 待ち合わせ時間を30分過ぎても芽依が現れないので、先に注文だけでも済ませようかなと思い始めた頃。扉が開いてカランカランとドアベルが鳴り、芽依が入ってきた。先日の飲み会とまったく同じ服装だ。よれたシャツの皺や、膝部分が白く擦れたデニム。安っぽいブレスレットを手首にしつこく絡めている様子も、生え際が黒くなり始めているぱさついた髪も、そこまで同じ格好ができるのか? と驚いてしまうくらいに同じ格好だ。

「遅れてごめんね、愛里。服装に悩んでたら時間が経ってて……」

 芽依は私の向かい側の椅子に腰を下ろしながら、いつもの遠慮がちな笑顔で言った。悩んだのにこの前と同じ服装なの? うっかりそう指摘しそうになったけどやめておいた。悠也についての話を一刻も早く聞きたい。余計な雑談は省きたかった。
 店員を呼んでアメリカンコーヒーを注文する。アメリカンコーヒーの美味しさを教えてくれたのは悠也だ。薄味に感じるけれど、さっぱりした口当たりで飲みやすい。芽依はメニューの隅から隅まで視線を巡らせて吟味していたけれど、結局、私と同じアメリカンコーヒーを注文した。芽依って、こんなに何も決められない優柔不断な性格だったかな? そういえば、芽依と2人きりで行動することなんてほとんど無かったから、あまり覚えていない。

「悠也のことで話があるって、なに?」

 早く答えがほしくて単刀直入に問い質したけど、芽依は、間抜けに口を半開きにして小さく首を傾げる。……何なの、その反応は。私は呑気にお茶をしに来たわけじゃないのに。悠也のことで話があるって言うから来たんだ。そうじゃなかったら、芽依と2人きりで古い喫茶店になんか来ない。

「あ、悠也君か……。うん、ちょっと待ってね。えーと、どこから話そうかな」

 視線を彷徨わせながらそわそわと身体を前後に揺らす芽依は落ち着きが無くて、とても子どもっぽく見える。見事な営業スマイルを貼り付けたマスターがアメリカンコーヒーを運んできても芽依はなかなか話し出さず、私が居心地の悪さと苛立ちを感じ始めた頃、芽依が口を開いた。

「あのね、私、結菜にストーカーみたいなことしちゃったんだよ」

 ……え? 結菜? 悠也の話って言ってたのに、結菜の話? ストーカーってなに?
 待たされた苛立ちと混乱で、つい険しい表情になる。話に割って入ろうとしたけど、「ごめんね。最後まで聞いて」と、芽依に遮られてしまった。

「私、結菜と一緒に婚活を始めたんだけど、結菜が先に結婚が決まったの。もちろん祝福したんだけど、結菜が結婚したあと、連絡が少なくなってきたから寂しくなって。……ストーカーっぽいことしちゃったみたい。それで、結菜の旦那さんと揉めちゃって」

 いったいこれは何の話なんだろう。相談?
 私は驚いた方がいいのだろうか。それとも、心配する?
 確かに芽依は高校時代から結菜と一緒に行動することが多かった。先日の飲み会でも、芽依は結菜にずっと同調して、結菜を褒め続けていた。でも、それは思春期の女子によく見られる特殊な連帯感だと思っていたし、流石に大人になってからは、芽依も自立していると思っていた。結菜が結婚して寂しくなったからストーカーしてしまうなんて異常だ。何が起きたんだろう。

「あ。私、同性愛者ってわけじゃないんだよ。私の恋愛対象は男性なの。結菜と恋人になりたいわけじゃないからね」

 それだけは絶対に言っておかなければならないとばかりに、芽依は身を乗り出した。その姿に既視感のようなものを覚えて嫌な予感がする。これは何だろう。同じような台詞を聞いたような……。

「結菜と恋愛したいわけじゃなくて、全部を共有したいって感じ。惚気話とか愚痴とか、全部。お互いの近況を知っておきたいっていうか……」

 心臓がどきりと跳ねた。わかる、と思ってしまったからだ。
 私も悠也とすべてを共有したい。恋人になりたいわけじゃないけど、悠也の恋人について知りたいし、できる限り友達関係も把握したい。私の近況も悠也に知ってほしい。友達と近況報告し合うのは普通だと思っていたけど、違うんだろうか。
 ……そうだ。先程の既視感は、他でもない私自身が発した台詞だ。悠也は恋愛対象じゃない。恋人になりたいわけじゃない。何度も何度も、男女の友情を理解してくれない相手にその言葉を発し続けてきた。

「このブレスレット、結菜が高校時代にくれたんだよ」

 突然、芽依が手首を顔の高さに上げてブレスレットを指差してきた。細いシルバーチェーンでハートのチャームがついているブレスレットだ。先日の飲み会でも、芽依はずっとこのブレスレットを弄っていた。結菜から貰ったものだったのか。かわいいデザインだけど明らかに学生向けで、しかも、古くなったせいで黒ずみが目立つ。もし、高校生の頃にこのブレスレットを贈られたら嬉しかっただろうとは思うけど、社会人になった今では安っぽいとしか感じない。それに、高校生の頃に結菜から貰ったブレスレットを今も大事につけているなんて、ちょっと気持ち悪いかも。

「お守りとして、ずっとつけてるの。これを見てると勇気が出るから」

 自慢げに芽依がそう語った瞬間、私は無意識に自分自身の手首を握っていた。悠也が誕生日にくれた香水。どこのブランドなのかもわからない安っぽい香水だけど、私はとても気に入っている。この香水をつけると頑張れるような気がするから。嫌なことも乗り切れるアイテム。それこそ、私だけのお守りみたいなものだったから。
 芽依が「悠也君のことで話がある」と言った理由が、薄っすらとわかり始めていた。芽依の眼差しが遠慮がちに語っている。「私たちって仲間でしょ? 愛里も悠也君に同じ感情を抱いてるんでしょ?」と。
 ふざけないでほしい。私と悠也は純粋な友情で結ばれているんだ。私は悠也をストーカーしたりしない。勝手に仲間意識を持たれるなんて迷惑だ。それに、芽依の話には矛盾がある。

「あのさ、芽依。この前の飲み会で、結菜と仲良さそうだったよね?」

 先日の飲み会で、結菜も芽依も、普段通りの態度だった。そもそも、自分にストーカー行為をした相手とは絶対に会いたくないし、徹底的に拒絶するのが普通だろう。だけど、結菜は芽依を歓迎していたし、むしろ積極的に飲み会に招いていた。
 芽依の目的はさっぱりわからないが、嘘をついているか、話を盛っていると考えるのが自然だ。もしかしたら、芽依はとにかく誰かに構ってほしいのかもしれない。虚言癖があるのかも。

「自分をストーカーした相手と仲良く飲み会なんてする? 普通じゃないよ」

「そうなんだよ! 結菜ってそうなんだよ! ちょっとおかしいよね?」

 それまで遠慮がちだった芽依の表情が、いきなり輝いたので私は驚いた。嘘を暴かれて怯むかと思ったのに、それどころか、芽依は勢いづいたかのように饒舌になっていく。

「私ね、結菜の旦那さんの素行調査して別れるように勧めたりとか、泣きながら結菜に鬼電したりとか、家の前で待ってたりとか、そんな感じのことをしちゃったんだよ。結菜の旦那さんにストーカーって言われて、それで私が結菜の旦那さんと揉めたの。だけど、結菜は一度も私を怒らなかった」

 私が険しい表情をしたせいか、芽依は「わかってる。異常だよね」と、気まずそうに笑って頷く。だけど、私はそれどころではない。
 私も悠也の彼女さんのSNSをパトロールして別れを誘導しようとしていたし、家まで行こうとしていた。実際に悠也の家の前で待っていたこともある。それがストーカーになるの? 仲の良い友達同士なら、よくあることじゃないの?

「結菜は、何をやっても許してくれるんだよ」

 芽依は穏やかな口調でそう言ったけど、その表情は悲しそうだった。

「結菜は、私がどんなに迷惑な行動をしても、“私たちは親友なんだから気にしないで”って、いつも言うの。すぐ許してくれて、数日後には普通にランチに誘ってくるんだよ」

 悠也も似ている。私がどんなにワガママを言っても受け入れてくれる。だけど、それは悪いことじゃないはず。悠也はとても優しい人だし、友達なら許し合うことも大事だ。

「ストーカーした私が言うのも絶対おかしいけど、結菜もちょっと変だと思う。だって、旦那さんは私のことをすごく嫌がってたのに、何故か結菜は、私と“親友”でいようとするんだよ。今回だけじゃなくて、昔からそう。距離を置こうとしても、忘れた頃に必ず連絡してきて“親友”に戻っちゃう。でも、私以外の人にも“親友”って言ってるから、私は嫉妬でおかしくなっちゃって……」

 芽依が何を言いたいのか、さっぱりわからない。結菜を褒めているのだと思っていたけど、恨み言にも聞こえてくる。

「結菜と一緒にいると私は駄目になるんじゃないかって、怖くて。私が暴走すればするほど、結菜は優しくなるから……。“大丈夫だよ”って言ってくれるのが嬉しくて、私はますます暴走しちゃう。結菜が世界のすべてになって、何も見えなくなるの」

 一気に話し終えてから、芽依は助けを求めるような眼差しをこちらに向けてきた。私は「暴走」や「ストーカー」という言い方がとても引っかかって、苛立ちすら感じ始めていた。

「……結菜が許してくれてるなら、別にいいんじゃないの? 結菜は迷惑してないんでしょ?」

 本音だった。芽依はストーカーと言っているけれど、結菜が笑って受け入れているなら、それは迷惑行為ではない。結菜の旦那さんを説得するのは結菜の役目だろうし、妻の友人関係にまで口を出すのはやり過ぎだと思う。しかも、ストーカーよばわりするなんて。

「本当にそう思う?」

 芽依は手首に絡めているブレスレットを指先で忙しなく弄り始めた。しゃりしゃりと金属が擦れる耳障りな音が響く。向かい合って座っているというのに、芽依はやや上目遣いだ。奇妙な無表情で感情が読み取れない。

「今日ね、結菜と連絡が取れなかったから服が決まらなかったの。だから、飲み会の時と同じ服になっちゃった。この服、結菜がかわいいって褒めてくれたやつだから。……大昔だけどね」

「え?」

 芽依の口元だけが歪んだ笑みを浮かべている。愛想笑いを返そうとしたけど、ひゅっ……と喉から変な音が出ただけだった。何故か結菜のきれいに整えられたフレンチネイルが脳裏に蘇る。照明に反射してきらきら輝く、どこか冷たいピンク色の爪。「芽依もそう思わない?」と、さり気なく同調を促していた、芯が強い結菜の声。

「私、ヤバイよね? 結菜がいないと、自分の服すら決められないんだ。ずっと結菜のことばっかり考えて物事を決めてたから」

 しゃりしゃり。ブレスレットを弄る金属音。芽依は落ち着きなく視線を彷徨わせている。そういえば、さっきから芽依と一度も目線が合わない。
 もう芽依の言葉を嘘だとは思わなかった。だけど、受け入れられない。飲み会の席での結菜は完璧だった。私と喧嘩はしてしまったけれど、芽依に対しては優しく接していた。結菜は知っているのだろうか。芽依が自分の服装すら決められない状態になっていることを。知っていながら“親友”として一緒にいるのだろうか。芽依が他の友達と会う時の服装すら決めてあげるのだろうか。あの完璧な笑顔で。

「愛里は悠也君から早めに離れた方がいいよ。的外れなこと言ってたらごめん。だけど、こういう関係って、時間が経てば経つほど離れられなくなっちゃうと思うから」

 芽依は、私と悠也の関係を自分たちと同じだと完全に決めつけて忠告してきた。芽依の目的は忠告だったのか。でも、「こういう関係」ってなに? 私と悠也は親友だ。友人関係。それだけ。他に何があるっていうの? 
 芽依は喋るだけ喋ってやっと落ち着いたのか、コーヒーを飲もうとしてカップの取っ手を握った。けれど、まるで熱した鉄を触ってしまったかのように、すぐ手を引っ込める。テーブル上に置いてあるスティックシュガーを手に取って、そして、

「このコーヒーって、砂糖入れた方がいい?」

 ……と、私に向かって聞いてきた。私は「どっちでもいいよ」と答えながら、少し背筋が寒くなる。結菜という光が当たらないと、芽依の視界は真っ暗。1人では何も決められなくなっている。
 私と悠也もそうなの?
 いや、違うはずだ。私と悠也は固い友情で結ばれている。芽依は結菜に完全に依存しているけれど、私は違う。
 すっかり冷めてしまったアメリカンコーヒーをブラックで飲む。高校時代はコーヒーには砂糖を入れないと飲めなかったけど、悠也がブラックで飲んでいたから、私もブラックで飲むようになった。悠也が……。
 え? 悠也? ひょっとして、私も悠也を基準に物事を選んでいるのだろうか。いや、違う。これは良い影響だ。だって、私は悠也のおかげでブラックコーヒーの美味しさを知ることができたんだから。それに、ブラックコーヒーと一緒に食べるチーズは最高。これも悠也が教えてくれた。
 芽依は私の向かい側で、まだコーヒーに砂糖を入れようかどうか迷っている。私はメニューに載っているレアチーズケーキを追加注文したかったけど、息が詰まりそうな空気に耐えられなくて、コーヒーを飲み終わったら早く帰ろうと決意した。
 だいたい、芽依は甘えている。結菜が結婚したなら、旦那さんが優先になるのは当然なのに、連絡が無くて寂しいなんて。
 私は、その気になれば悠也から離れられる。悠也は親友だけど、あくまで友達。悠也が恋人を優先したいなら、悠也の意思を尊重する。悠也は、部屋の窓際に置かれている観葉植物の鉢植えみたいな存在。あれば嬉しいんだけど、無くても困らない。それが悠也。悠也にブロックされそうになって泣いてしまったこともあったけど、あれは悠也の彼女さんに無理やり引き離されるのが嫌だっただけ。悠也の意思じゃなかったから。芽依の話は興味深いけど、私と悠也には当てはまらない。
 芽依は結局、コーヒーに砂糖を入れずに飲んでいる。悠也についての話が終わったら、芽依との間には話題が無くなってしまった。私は視線を彷徨わせて、店内を見渡す。昭和の雰囲気を醸し出しているが、手入れが行き届いた店内。テーブル同士のほどよい距離感。とても居心地が良い。

「この喫茶店、素敵だね。芽依はよく来るの?」

「うん。結菜が教えてくれたから」

「……そっか」

 芽依の基準は、すべてが結菜だ。怖いくらいに。けれど、この喫茶店の居心地が良いのは事実だ。コーヒーも美味しい。穴場かもしれない。芽依との時間は気詰まりだけど、きっと悠也もこの喫茶店が気に入るだろう。今度は悠也と2人で来よう。

 ……あれ? 私、また悠也のことを考えてる?

 いやでも、これは友達としては当然だ。私と悠也は親友だから、友達がどう思うのか気遣うのは当然だ。そうだ。悠也だって同じように私を気遣ってくれるから。
 ちょっと待って。悠也は何かを決める時、私のことを考えるんだろうか。悠也と会う時は、いつも大衆居酒屋や古風な喫茶店だ。悠也が好んでいるから。オシャレなバーやカフェからは自然と足が遠のいていた。私は悠也の影響をたくさん受けているけど、悠也は私から何らかの影響を受けているのだろうか。私の好きな食べ物や、好きな色や、趣味。
 そこまで考えた時、重大な事実に気が付いてしまった。私の好きな食べ物は、悠也の好きな食べ物だ。そして、私の趣味は、悠也の好きな漫画や、悠也と一緒に行くスポーツ観戦。
 突然、飲んでいたコーヒーが苦くなった気がした。そういえば、悠也と出会う前、私は何が好きだった?
 甘いものも、少女漫画も昔は好きだった。だけど、悠也に会ってからは甘さ控えめのものばかり食べるようになって、少女漫画は読まなくなった。それだけじゃない。彼氏を選ぶ時すら、男女の友情を理解してくれる相手を選んだ。悠也との友情をできるだけ理解してほしかったからだ。だから、悠也が私の彼氏と揉めることは一度も無かった。
 だけど、すべて私の意思だ。悠也に無理やり変えられたわけじゃない。一度も強制はされていない。それって悪いこと?

「私と悠也は、ただの友達だよ」

 思わずきっぱりと声を発していた。そうしなければ、自信が無くなってしまいそうだった。私と悠也は友達。それだけ。芽依のように、結菜に依存しきって何も決められなくなっているわけではない。
 芽依が視線だけを上げる。初めて目が合った。

「私と結菜も、ただの友達だよ。他に当てはまる関係が見つからないからね」

 答えた芽依の顔には何の表情も浮かんでいなかった。しゃりしゃり。手首のブレスレットを弄る音。私は無意識に自分の手首を握る。悠也がプレゼントしてくれた香水をつけている手首。

「友達には“別れ話”が無いから厄介だよね。恋人や夫婦は別れ話をすればさよならできるのに。結菜と離れるにはどうすればいいんだろう」

 芽依は悲しそうに笑った。私は何も答えられない。芽依と結菜の関係を言葉にするなら、確かに友達だ。いくら芽依が結菜に依存していても、結菜は芽依を拒絶しているわけではないから。互いに受け入れているから。
 私と悠也も友達。キスもセックスも無いから、友達という壁を越えていない。恋人との時間を優先されれば引き下がる。
 だけど、悠也が他の女と結婚したら、私はどうするだろうか。芽依みたいになってしまうのだろうか。悠也と会う頻度は必然的に減るだろうけど、2人きりで会いたいなんて思わない。もちろん、待ち伏せなんてしない。私が最も恐れているのは、悠也からの連絡が途切れること。悠也の情報が入手できなくなることだ。
 もし、悠也からの連絡が完全に途切れてしまったら?
 悠也から連絡が途絶える世界をうまく想像できなかった。悠也と会えなくても構わない。だけど、連絡が途切れるのは怖いのだ。
 芽依もそうだったのかもしれない。芽依は同性愛者ではないから、結菜とは友達。だけど、結菜が結婚して近況報告をしなくなったから、なんとか情報を得たかったのだ、きっと。だから、鬼電したり待ち伏せしたりしてしまった。
 しゃりしゃり。しゃりしゃり。芽依がブレスレットを弄る音。不快な金属音が鼓膜を引っ掻くみたいで叫び出したくなった。芽依は結菜と一緒にいるべきじゃない。

「……芽依。もう結菜に連絡しない方がいいよ」

「わかってるよ。でも、結菜から連絡がくると、すぐ返事しちゃうんだよ」

 そんなことってあるだろうか。離れたい気持ちがあるなら、連絡なんてしなければいい。
 芽依が助けを求めるような眼差しをしていたので、会話を続けるのが難しくなってきた。私が知るわけない。結菜に連絡しなければいいだけじゃないのか。
 無言でコーヒーを飲む。柑橘系の匂いが鼻をついた。自分の香水の匂いが急に強くなった気がして手首をごしごしと擦る。柑橘系の尖った匂い。加納さんが香水の匂いが気になると言っていたけれど、確かに少し臭いかもしれない。
 加納さんには謝ろう。そして、思いきってエンターキー強打の件を本人に相談してみようかな。少しは考慮してくれるかも。
 悠也に恋愛感情は抱いていない。それだけは断言できる。でも、悠也とすべてを共有したい。そう思っているから、私は悠也に自分の情報をすべて曝け出しているけど、悠也はどうだろう。
 今だって、私は必死で悠也の彼女さんの情報を集めて、束縛系の彼女だと証明しようとしている。悠也を守るためだ。だけど、悠也が私の彼氏について言及してきたことは一度も無い。名前すら聞かない。悠也はいつも「愛里が選んだ相手なら間違いないよな」としか言わなかった。

 ……バカバカしくなってきた。

 スマホを取り出して、スクショしておいた悠也の彼女さんのSNS写真を削除する。悠也が彼女さんに束縛されるなら、それは悠也の責任だ。

+++

 加納さんの必殺技が減った。私の隣席でパソコンのキーボードを一心不乱に叩いているけれど、音量は控え目だ。エンターキーにも優しく接している。そして、溜め息は相変わらず。「はぁーー……あ」と、かなりの頻度で加納さんの口から溜め息が漏れる。だけど、

「あ。ごめんね。また溜め息吐いちゃった」

「いやいや、気にしないでください。溜め息吐きたい時もありますよね」

 短い会話のあと、互いに笑い合って仕事に戻る。
 加納さんが私の香水の匂いを指摘してくれたことをキッカケに、加納さんとの間に漂う空気はだいぶ柔らかくなっていた。私は香水をつけるのを止めて、その代わり、加納さんに思いきって言ったのだ。「エンターキーを強打されると怖いです」と。加納さんが怒って関係が悪化したらどうしようと内心でびくびくしたが、加納さんは不機嫌になるどころか「え!? 私、そんなに強く叩いてる? ごめん!」と謝ってくれた。ちなみに、加納さんと話すうちにわかったのだが、溜め息はただの癖だった。まったく意味は無いらしい。
 もう3ヶ月以上、悠也には連絡していない。こんなに長期間、悠也に連絡しなかったことは初めてだった。悠也とサシ飲みしてストレス発散しないと仕事なんてやってられないと思い込んでいたけれど、気のせいだったみたいだ。
 やっぱり、私は芽依とは違うのだ。それに、悠也も私がいなくても平気だろうし、私たちの友情は、細やかで健全な繋がりだったのだろう。ふと思い出した頃に年賀状とかを送り合うような間柄になれればいい。今はそう思う。

 その日の昼休み。弁当を早めに食べ終わったので、休憩室のテーブル席に着いて暇潰しにスマホで漫画を読んでいた。中学時代に読んでいた少女漫画の続編が出ていたことを知ったので、電子書籍を購入したのだ。エコバッグからおやつのチョコレートを取り出し、食べながら漫画を読み進める。購入したばかりのエコバッグはデザインが可愛くてサイズ感もちょうど良い。何より、自分専用って感じがして愛着がわく。早く買えばよかった。
 スマホの液晶画面の中では漫画の主人公が恋人と大喧嘩を繰り広げている。「もういい! 別れる!」と、主人公が怒鳴って、私はハラハラしながら液晶画面に指を滑らせスワイプした、その時。スマホにメッセージ受信通知が届いた。
 ……悠也だ。
 意識するよりも先に、指が勝手にメッセージを開く。メッセージが既読になる。

「この前はごめんな。愛里をブロックしようとするなんて、どうかしてたよ」

 突然の謝罪に戸惑う。別に怒っているわけではなかった。けれど、悠也は私が怒っていると勘違いしているのだろうか。悠也は私から連絡が無くて寂しかったのだろうか。
 堰き止められていた感情が緩やかに決壊していく。悠也は、今どうしてるんだろう? 彼女さんから束縛されてない? 素敵な喫茶店を見つけたけど、悠也は気に入ってくれるかな?
 そういえば、私はどうして悠也と距離を置こうとしているのだろう? 芽依から結菜との歪な友情について聞かされて、少し怖くなってしまったからだ。でも、芽依が結菜に依存しているからといって、私と悠也が離れる必要は無い。
 気付いた頃には、私は悠也に送るメッセージをスマホに打ち込んでいた。

「気にしてないよ。忙しくてずっと連絡してなかったね。悠也、元気?」

 素早く送信する。あっという間に既読になって、あっという間に「元気!」と返事が来て、離れていた2人の距離が一瞬で縮まる。気持ちが弾んだ。……そうだ。私が好きな少女漫画を悠也にも勧めてみよう。

「今、面白い漫画読んでたんだよ」

「俺もオススメの漫画があるんだよ!」

 私が少女漫画を紹介するより先に、悠也が漫画を紹介するリンクを素早く送ってきた。読んだことの無いスポーツ漫画だ。少女漫画が読みかけだったけれど、そろそろマンネリな展開に飽きてきていたところだったから、ちょうど良いかもしれない。「おもしろそうだね」と送信し、笑顔のスタンプを送る。
 無意識に自分の手首を擦っていた。香水をつけていない。あの匂いが無い。落ち着かない。また少しつけてみようかな。ほんの少し香る程度なら加納さんにもバレないだろう。

「30歳になってお互いに相手がいなかったら、俺たち結婚しような!」

 とても久しぶりに悠也からその約束を聞いたような気がする。しかも、かなり唐突だ。驚いたけれど、そのメッセージの直後に細長い謎のキャラクターがくねくねしたダンスを踊っている変なスタンプが送られてきて、思わず笑った。そのスタンプのデザインがあまりにツボだったので、すぐにタップして購入する。……そう。私たちは友達。ひとつの約束で繋がった親友。これからもずっと。

【終】

#創作大賞2025 #オールカテゴリ部門

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