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坂道に帰る


ずっと帰ってみたい場所がありました。


札幌で生まれ、いまは東京に住む僕は、
父の仕事の都合で2歳から4歳の間、
奈良県の”富雄”という町に住んでいました。
それ以降、1度も訪れたことはありません。


誰しも1度くらい、自分の中の一番古い記憶を
辿ってみたことがあると思います。


僕にとっては、この奈良で過ごした記憶が
それにあたります。洒落た言い方をするならば、
「原風景」というものでしょうか。

数年前に30歳を超えた僕にとっては、
富雄の記憶は30年物ということです。
きっとワインなら芳醇で重厚な味と香りが
するくらいでしょうか?

僕は、そんな30年ものの「原風景」の味と香りを
どうしても知ってみたかったのです。


高校を卒業したくらいの時期から、そう思って
いましたが、
生粋の「行動力&主体性ナシ人間」なため、
ずるずるずるりと時の流れに身を任せ続け、
バイトで時間がないと自分に言い訳をし、
他にもっと行きたいところがあるとごまかし、
意味もなく先延ばしにし続けました。

挙げ句の果て、数年に1度、発作のように起きるこの衝動を、グーグルアースのストリートビュー
で抑える術を覚えてしまったので、ついぞこの
年齢になるまで、幼年の地を訪れることは
ありませんでした。

そんな時に偶然、2月に大阪に行く用事が
できました。
大阪の用事の前に、少し無理をすれば寄り道
できそうでした。
ちょこっとだけ逡巡しましたが、

「行ってみよう」

と心の中で小声でそう囁きました。
なんだか、いま、行くべきだと思ったのです。

東京駅から新大阪まで新幹線で2時間半、さらにそこから電車を乗り換え、近鉄奈良線で、
大阪と奈良の間にある生駒山を越え、富雄駅の
ひとつ先の、急行が停まる”学園前駅”までさらに
1時間弱。

進行方向の右側、乗降口のすぐ脇の座席、ワインレッドのモケット生地の座席にちいちゃくなり
ながら揺られました。
向かうは観光地でもなんでもない、ただの住宅地です。

そのときふと、気付きました。

父の務めていた会社は大阪市内にあったので、
毎日この電車で、生駒山を越えて、働き、そして帰ってきていたはずなのです。

家族のために働き、僕たち家族が待つ小さな
アパートは、父にとって、「帰りたい場所」
だったはずです。


途中、石切駅という生駒山の中腹あたりの駅が
あるのですが、この駅は大阪平野を一望できる
有名なスポットです。

大阪方面から東へまっすぐ進む近鉄奈良線は、
生駒山へ差し掛かる手前で左にぐいっと曲がり
ます。すると、車体の左側の窓が「オーサカ
シティ」という
メトロポリスのパノラマを、右から左へと流す
スクリーンとなって石切駅まで登ってゆきます。

まだモーレツバリバリに働いていた時期であろう父が、30年前にこの電車に乗っていたという
事実の不思議さ、疲れた身体を押し込まれ、
人々の隙間からパノラマを覗くとき、なにを
思っていたんだろう。そう思うと不思議な感覚を覚えます。


父にとっての「帰りたい場所」は、30年後の僕にとっても「帰りたい場所」ってなんだか面白いな。と流れるスクリーンを眺めながら感じます。

富雄駅の隣、急行が止まるこの学園前駅は、
その名の通り、帝塚山学園のお膝元です。

住んでいた当時は一度も訪れていないこの町の駅前は、バスターミナルがあり、コーヒーショップや大きな商業施設があり、ロータリーを囲うように歩道橋がかかります。

住んでいたアパートから500mちょっとの距離ですが、当時の自分にとっては、遠い遠い、
異国の地というか、存在すら知らなかった町です。

制服姿の学生も見ました。彼らを見て、

「あ!あの制服は後輩だな」

なんて思う人生の分岐パターンもあったかも
と思うと、

「人生っちゅうのは、分岐の連続なんだなあ」

と小難しそうなことを思ってしまいます。

住んでいたアパートは、この学園前駅と富雄駅の間にあり、2月の曇天の下、歩いてみることに
しました。



この付近の地形は少し変わっていて、線路の北側は高台、南側は線路沿いの道から1本入ると坂を
下って住宅が広がっています。

住んでいたアパートは南側の坂の下です。

このアパートに学園前から行くには、まず北側の高台の道を進む必要がありました。


僕の記憶だと、南側のアパートに住む僕は、
北側に行ったことはほぼありませんでした。

北と南を隔てる線路には、フェンスではなく、
2mくらいのコンクリートの壁が万里の長城
よろしくずらと並び立っていて、当時約1m
ちょっとの身長の僕にとっては、
このコンクリートの壁はベルリンの壁に等しく、
壁の向こう側は未知であり、

そもそも存在するのか、ゲームでよくある、
ただの奥行きを感じさせる背景みたいな感覚
でした。

当時の僕にとっては、この線路沿いのコンクリートの壁が、世界の果てでした。

誰かにとって普通の風景は、得てして誰かの特別な場所でもある


そんな未知の世界に30年越しに行ってみると、
百楽園という、立派なお家が整然と並ぶ閑静な
高級住宅エリアでした。

「そりゃあ行くわけないわ」

と苦笑いがこぼれました。

30年後に世界の果ての向こう側を確認しに
行ったら、ただのめちゃくちゃ良い高級住宅街
でした。そんなもんです。



年始に妻と2人で僕の実家に行った時、当時
父が撮り、残してくれたホームビデオを
見つけたので、妻と観てみました。

そこには、玉のように可愛らしい男の子が無邪気に遊ぶ姿や、家事をする母に鼻を垂らしながら
絡む様子が収められていました。

妻とケタケタケタと笑いながら観ていると、
場面が変わり、アパートの前の坂道を1人、
自分の足でしっかりと登り歩いている僕を、
父が遠くの後ろのほう、どこかの陰から撮って
いる場面になりました。

こうやって見るとただの坂道だなぁ


ぷくぷくに着込んで、ウルトラマンティガの
ベリベリの靴で、後ろを振り返りもせずに
歩いてゆきます。彼の左手には100円玉が3枚
握られていたはずです。

僕の「初めてのおつかい」は、近所のイズミヤで、父、母、そして自分の分のガチャガチャの
まんまるのガムを買ってくる事でした。

あの時のガムの味はもう、思い出せません。
けれども、あの時の100円玉を落とさないようにぎゅっと握りしめていた感触、
父と母の喜んだ表情を想像してワクワクした
あの時の感情は、微かに覚えている気がしました。

そんな思い出のイズミヤは、外観も中も思った
以上にそのままでした。
ただ、母の自転車の後ろに乗っかり、いつも
停めていた駐輪場には、ハローサイクリングのポートがあり、入り口にはPUDOのステーション。

がらんどうの駐輪場


変わらないと変わったが混在してます。

記憶のなかで色彩も消えつつあった微かな記憶
に、ハローサイクルの黄色、PUDOの緑がやけに
サイケデリックな輝きを放ちます。

「こりゃいかん」

と思った時に、静かに輝く看板に気付きました。
ーそれはマック。もとい、マクドでした。

イズミヤ学園町前のマクドは、現在のスタイ
リッシュな黒字に白色の「MacDonald’s」の
ロゴではなく、赤字に白色の「マクドナルド
ハンバーガー」なのです。

まるで時が止まったかのように、ここだけは記憶と完全に一致しました。

こんなこと思うようになっちゃったか…。と
自分でもヤになるのですが、

「今の若い子にはこの懐かしさと感動はわからないんだよナア」

とナチュラルに思ってしまいます。

しかし、あの、スーパーの一画のフードコート的なスペースにあるオールドスタイルのマクドナルドからしか得られない栄養分が確かにあるのです。

せっかくなので大好きだった照り焼きマックを食べてみました。

記憶にはないですが、きっと30年前に、ここで
照り焼きマックを食べているはずです。

照り焼きソースのあの甘辛と、マヨネーズのコク、忘れた頃に歯触るレタスのクタクタシャキリ、
変わらない味。

いつしか視界の端をじわじわと侵食してきた
サイケデリックはなくなっていました。

さすがに、まんまるガムのガチャガチャはありませんでした。
せっかくなのでなにかガチャガチャでもやるかあと思い、財布に1枚だけあった100円玉を握り
しめて物色します。

ひと通り見て思いました。

「今のガチャガチャって100円じゃできない
じゃん!」

イズミヤを後にしてアパートに向かいます。住んでいたアパートは、敷地内の真ん中に居住者用の
駐車場があり、それを囲うように、2階建の
おんなじ形の建物が立っています。

イズミヤを出て1分後、30年ぶりのアパートも、坂道も、何もかも変わっていませんでした。
あんまりにも変わっていなさすぎて、

「わァ‥ァ」

とため息が歯の隙間から漏れます。

さすがにアパートの敷地内には入らず、外から
眺めていると、ふとある記憶が蘇りました。
下の前歯が抜けた時に、母が、

「下の歯が抜けたら屋根に投げるんだよ。
そうするとこれから生えてくる大人の歯が
しっかり生えてくるからね。」

と教えてくれ、一緒にアパートの屋根上に投げたのです。
さすがに、残ってないよな…。

今の感覚で見ると、かなりズシりと重そうな
カメラで撮ったホームビデオのあの坂道を、
父が僕を後ろから撮ってくれたのと同じ画角で、
iPhoneで撮って歩いてみました。

すると、録画中のスマホの画面の中に薄ぼんやり
と、ちいちゃい男の子が力強く、自分の足で
歩いている気がしました。

なんだかとても、不思議で、暖かく、優しい瞬間でした。

そういえばもう、僕の年齢は、ズンズン歩く
このチビ助よりも、あの時の父の年齢との
ほうがよっぽど近くなっています。

あの時の父はなにを思い、どんな気持ちだった
のだろう。
少しだけ、分かるような気がしました。

胸に去来する色々な想いを感じるとともに、
みぞおちの奥のほうが、じんわりと暖かくなる
感覚を覚えました。ちょっとウルルとしたのは
内緒です。

帰りの新幹線で、撮った動画を改めて見てみま
した。
画面の向こうであの時の僕が歩いてゆく。
その背中に向けて、父がそっとカメラを構えた日。

あの時の父の視線の中に、今の僕が入り込んで
いくような、不思議な感覚を覚えました。

その瞬間、僕はあの時の父に、やっと会えたような気がしました。

きっといつか、あのアパートも、あの坂道もなくなるだろう。父も僕も、当たり前ですがあの時に
は戻れません。

けれども、ここに帰ってきて、30年前といまが
繋がったような気がしました。

「帰ってみてよかった」

そう心から思いました。


たまには実家に帰って、スマホで撮った動画を
父に見せてあげようかな。

あの坂を、僕が歩いた道を。




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