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覚えたんじゃない。好きになっただけ


子供の頃の話である。

お昼休みになると、担任の先生が突然言った。

『しずくさん、今から視聴覚室に行って』

……は?

何で?

視聴覚室なんて、普段ほとんど行ったことがない。

理由も分からないまま、とりあえず向かった。

そこには、カメラやテレビ。

そして、テレビの撮影などで見るような、先端に大きなふわふわが付いたマイクがあった。

(何これ……触ってみたい)

正直、緊張よりも、そっちだった🤣

大人の人が何人もいる。

でも、小学生の私は何が始まるのか全く分かっていなかった。

『今から録音するので、〇〇を朗読してください』

……は?

またである。

何のためなのかも分からない。

ただ言われた通りに、朗読をした。

その時読んだのは、「スイミー」だった。

後になって知った。

その録音は、ある場所に電話をかけると、その子の朗読した声が流れるというものだった。

家に帰り、その話をすると、両親はびっくりした。

そして、すぐに電話をかけて聞いていた。

嬉しそうな顔をして。

もちろん、私も自分の声を聞いた。

電話から聞こえる自分の声。

なんだか不思議だった。

「あ、本当に私の声だ」

そんな感覚だった。

なぜ私が選ばれたのか。

それには理由があった。

低学年の頃、私は「スイミー」が大好きだった。

覚えようと思ったわけではない。

暗記しようと努力したわけでもない。

情景が、頭の中にパッと浮かんだ。

小さな魚たちの世界。

海の中の景色。

物語が、そのまま自分の中に入ってきた。

だから、気づいたら覚えていた。

私は昔から、好きになったものが自然と自分の中に入ってくる子だった。

先生は、そんな私を見ていたのだと思う。

そして、高学年、中学生になるにつれて、それは少しずつ変化していった。

誰かに選ばれるだけではなく、自分から「好き」を届けに行くようになった。

高学年の頃、百人一首に夢中になった。

これもしようとして覚えたわけではない。

好きだったから、いつの間にか覚えていた。

ある日、また先生に言われた。

『しずく、〇〇場所に行け』

……は?

またである🤣

行ってみると、そこでは百人一首大会が行われていた。

上の句が読み終わる瞬間、

『はいーー!』

と札を取る子がいる。

(え!?そんな勢いで滑らせるの!?)

と思って見ていた。

しかし。

始まってみると……

私も負けずに滑らせていた🤣

好きなものを前にすると、人は変わるらしい。

中学生になり、国語の授業で島崎藤村の「初恋」を習った時もそうだった。

読んだ瞬間、

(めっちゃ好き、これ)

と思った。

そして、また覚えた。

時間にすると、1時間少しだったと思う。

以前の記事にも登場した、国語の先生に言った。

「覚えた!初恋を!聞いてほしい、先生に」

先生の前で、一つ一つの言葉を大切にしながら詠んだ。

この詩は、男性から女性へ向けた想いを描いたものだった。

でも、私が先生に伝えたかった気持ちは少し違った。

この文章が好きだったこと。

この感動を、一番に先生に伝えたかったこと。

それだった。

すると先生は笑いながら言った。

『お前が一番に来ると思った笑』

きっと先生は、私が好きなものを見つけた時、誰よりも早く誰かに伝えたくなることを知っていたのだと思う。

振り返ってみると、私は昔から褒められたくて頑張っていたわけではなかった。

もちろん、褒められれば嬉しい。

でも、それが目的ではなかった。

ただ、

「好き!」

「面白い!」

「もっと知りたい!」

と思ったものに、夢中になっていただけだった。

そして、

「これを誰かに伝えたい」

その気持ちが強かった。

気づけば覚えていた。

気づけば夢中になっていた。

そして、いつの間にか誰かが見つけてくれていた。

私が持っていたものは、特別な記憶力だけではなかったのだと思う。

好きになったものへ、まっすぐ向かう力。

それを最初に見つけてくれたのが、先生たちや周りの大人だった。

今、大人になった私は文章を書いている。

考えてみれば、それも同じなのかもしれない。

「これ、好きだな」

「これ、誰かに伝えたいな」

その気持ちから始まっている。

実は、何十年経った今でも、島崎藤村の「初恋」は口にできる🤣

やっぱり私は昔から変わっていない。

私は、覚えたんじゃない。

好きになっただけだった。

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