『シナリオs』映画史を究極に削ぎ落とし、諧謔を残したmétrage raffiné
ゴダールは『映画史』において映画博物館を創り、『イメージの本』では図書館を実現した。
ではこの短い遺作は何か?
映画で創った音楽だろう。
彼がずっとこだわっていた、対位法から和音を生み出したかったのだ。
和声法においては和音がメロディを生む。逆に対位法ではメロディそのものから和音が生み出される
と言っていたが、
それをついに彼は自身の作品で成し遂げた。
対位法とはGeminiさんに説明任せた🙌
映画における対位法は、音楽の技法を応用し、複数の異なる要素を意図的に組み合わせて、複雑で多義的な効果を生み出す表現手法。
特にジャン=リュック・ゴダールにとって、対位法は単なる技法を超え、映画の基本的なあり方、すなわち
「映像」と「音」の関係性を根本から問い直す
ための核となる概念でした。
映画における対位法は、主に以下の要素を対比・衝突させることで成立します。
映像と音の対位
悲しい場面に陽気な音楽
をつけたり、逆に
暴力的な場面に静かな音
をつけたりすることで、感情や意味の単純な一致を避け、観客に解釈を委ねます。
異なる映像同士の対位
させることで、第三の意味や比喩的な
意味を発生させる
台詞と映像の対位
映像に映っていることが矛盾したり、
ずれたりすることで、
台詞の真実性や映像の意味を
相対化させる
ゴダールによる「映像と音の対位法ゴダールは、従来の映画で当然とされていた
音は映像を補完・説明するもの
という関係性を徹底的に否定し、「映像」と「音」をそれぞれ独立した二つの単位として扱いました。
映画の「人工性」の強調
観客に求められる主体性
「映像に頼らずに音を聞き取る」主体性や、映像と音の間の空白を「想像力で埋める」ことを観客に求める手法
脳内で探す「音象徴」
ある音が聞こえたとき、観客は自分の経験や記憶に基づいて、それが映像内の何と結びつくのかを脳内で探します。
ゴダールは、あえて非現実的な音を使用することで、この音イメージを混乱させ、音や音楽を、映像のムードを盛り上げます。
音や音楽を「道具」としてではなく、映像と対立し、新たな意味を発生させる対等な表現単位
として用いる。
突然のノイズの使用や、感情的な場面での音楽の停止、あるいは映像と関係ないナレーションの挿入など
『映画史 (Histoire(s) du cinéma)』:
ゴダール後期の集大成ともいえるこの作品では、映像(過去の映画の断片、写真、文字)と、ナレーション、音楽、詩的なテキストが、驚異的な速度と密度でモンタージュされ、文字通り映像、音、テキストの複合的な対位法が展開されています。
2022年9月13日にこの世を去ったゴダール、最後の革命
である、今作。

静止画が多用されていますが、こちら拙稿の冒頭で私はゴダールのことを「人の感覚を超越した、映像とセンス」と書きました。
そして、まさしく
静止画と言うのは、神(天)の視点
によるものだったのだと、よく分かりました。
「あまりにゆっくりで高みから見下ろすとほとんど静止して見える」
本編
1. 『シナリオ』(18分)
2. 『予告篇の構想」(36分)

1. 亡くなる前の2年間 で創り上げた5冊のノートを、
死の数日前
になってカードを切り直し、二部構成の映画を仕上げるように指示を出した。作成当初のタイトル《Scenario》には最終的にはsが足されて《Scenarios》と書かれた。
内容



「DNA基礎を成す要素」と「MRI オデッセイ」の二部構成。
MRI検査中の音
が長くて、そりゃ死も選びたくなるわな…と、徐々に彼の死が迫ることを感じ、受け入れるための音になりました。
2つのパートはそれぞれ、《Adieu au Langage》のように、まったく同じ一連のシークェンスで幕を開けます。
第二部になると単なる繰り返しから分岐していき、
死の前日に撮られたJLG最後のイメージ
-ベッドに腰かけ、腹部をあらわにし、身体の衰えをいっさい隠すことなしでサルトルを朗読し、読み終えたゴダールが「よし」と言ってカメラに視線を向けるところで終わります。

(「シチュアシオンIV」所収)
2021年10月、『シナリオ」という長篇企画の構想を、アシスタントのジャン=ポール・バタジアとファブリス・アラーニョに説明しているドキュメント。
「指と指ならざるもの」
「指を用いて”指は指に非ず"を説明するよりも、指ならざるものを用いて"指は指に非ず”を説明するほうが有効である。
白馬を用いて"馬は馬に非ず”を説明するよりも、馬ならざるものを用いて“馬は馬に非ず”を説明するほうが有効である」
「宇宙は1本の指であり、あらゆるものは1頭の馬だ」
ねこじゃらし発行のブックレット内、
映画研究者 堀潤之のエッセイ
に、こう書かれている。
後半で、自作「はなればなれに」(1964)から、クロード・ブラッスール演じるアルチュールが長い撃ち合いの末に相撃ちに倒れるという、悲壮さと滑稽さが同居するシーンを引用。
二重写しで、老人が杖をついて砂漠を歩く姿が映し出される。
この人物はゴダールの遠戚でもある博物学者テオドール・モノー
ゴダールが好んでいたゴヤ晩年の素描『私はまだ学ぶ』を思い起こさせる。

死にゆくアルチュールの頭に
「最後の想念」としてオディールの顔が思い浮かんだ
と言うナレーション。
オディールはアンナ・カリーナ演じる登場人物であり、ゴダールの母親の名前でもある。

エルシェ・クリスティアンスの処刑を描いたレンブラントの素描

ベルゲン゠ベルゼン収容所付近の死体が散乱する道を歩く少年の写真(ジョージ・ロジャー撮影)
梯子の上から下界を見下ろす女優アイリーン・セジウィックの合成画像
内容: 6つのパート序曲(事物の本性について)
権力奪取の連鎖
資本主義→社会主義者→女性→子供たち→動物たち→自然、と、権力が移行していく物語
ここではその権力奪取の連鎖が、古代ローマの詩人ルクレティウスの著作のタイトルを借りて「事物の本性」であると考えられている。
1フェイクニュース
テレビ・アナウンサーの女性の昼の生活と夜の生活(ジキルとハイド)を対比させる。
彼女は恋人に捨てられるという設定。
参照されているのは、
ジャン・コクトーの戯曲
「人間の声」
マルセル・カルネ「ジェニイの家」(1936)の
フランソワーズ・ロゼー
ロベール・ブレッソン「ブローニュの森の貴婦人たち』(1945)の
マリア・カザレス
2唯一の神
エジプトの作家ナギーブ・マフフーズの小説「アクエンアテン(1985)に基づく。
ノートには、
チュニジアの映画作家ナーセル・ヘミール「バーバ・アジーズ』(2005)
「シェヘラザード 千夜一夜物語』(2011)からのイメージ。
3ニセフォール・ニエプス/ハムレット
写真の発明者の一人であるニエプスがいかに現実を捉えたのか。
写真発明の栄誉がダゲールにのみ与えられたことに抗議した写真家イポリット・バヤール。
ニエプスが使ったとおぼしきカメラに「洞窟」と書き込みがなされ、アーサー・ペンの「奇跡の人」(1962)のヘレン・ケラーやデューラーの版画「メランコリア」
4消え去った現実
「ゴダール・ソシアリスム』(2010)にも出演した哲学者アラン・バディウの2015年の講演録「失われた現実を求めて』(未訳)が下敷き
2人の少女が操り人形を動かし、それがエイゼンシュテイン「イワン雷帝」第2部(1946/58)の宴で踊る仮面の男と接続される

フィナーレ
アッサ・トラオレを起用して、ルーヴル美術館のピラミッドでラシーヌの悲劇「ベレニス」を読ませるというアイデア。
2017年の大統領選挙の際にまさにルーヴル美術館のピラミッドで勝利宣言をしたエマニュエル・マクロンに対する批判。
さて、そろそろ締めますが、黒沢清さん、ゴダール好きなのね。

お気に入りのレビューたち
『イメージの本』こそがゴダールの遺作である、否、以後の作品もまた、彼自身の作品であるーの間で揺れ動きながらも、今日私たちは、この作品を前にしている。
Le Monde
ゴダールは、最後にもう一度、映画における物話、形式、視覚のシステムに革命を起こすことで、我々観客に同様の振る舞いを、メディアへの絶え聞ない考察を続けることを促す。
Bref cinéma
感想観終えた時、ゴダールの
「続きは、また明日。もっと面白くなる」
と言うナレーションが、聞こえた気がしました。


