【思わぬ大金を得た男の日記】 4話 「言わなかったこと」
子どもが寝たあと、
そのままリビングに戻る気にならず、
車の鍵を取った。
「少しだけ、外出よう」
それだけ言って、
二人でエレベーターに乗った。
夜の駐車場は静かだった。
同じ形の車が、同じ向きで並んでいる。
エンジンをかける前に、
一度だけ周りを見た。
理由はなかった。
そういうことをする気分だった。
車内は、家よりも狭い。
その分、声が残らない。
「最近さ…」
エンジン音が落ち着いた頃、
妻が先に口を開いた。
「なんか、様子変だったよね」
責める感じはなかった。
確認というより、
気づいていたことを置かれた感じだった。
「うん」
それだけ答えた。
少し間があって、
妻が続けた。
「正直、深刻な病気かと思ってた」
思ったより、まっすぐな言い方だった。
「それか、借金」
軽く言ったつもりなのだろうが、
その言葉は、少しだけ重い。
「どっちでもない」
そう言うと、
妻の表情が変わった。
分かりやすい変化だった。
「じゃあ、よかった」
本当に、それだけだった。
詳しく聞かれることはなかった。
こちらも、続きを探さなかった。
「悪い話じゃない」
自分から、そう付け足した。
「ただ、まだ整理できてない」
それ以上でも、
それ以下でもなかった。
妻はしばらく黙ってから、言った。
「じゃあ、今じゃなくていい」
言い切りではなかった。
置いておく、という感じだった。
「言いたくなったらで」
エンジン音だけが残る。
安心したはずなのに、
何かが軽くなった感じはしない。
ただ、
最悪の想像が消えたことだけは、
はっきり分かった。
「心配かけて、ごめん」
そう言うと、
妻は首を振った。
「心配はするよ」
当たり前みたいに。
「でも、そういうのじゃなくてよかった」
ドアが開いて、
夜の空気が入ってきた。
部屋に戻ると、
子どもはすっかり眠っていた。
寝顔を見て、
さっきの会話を思い返す。
言わなかったこと。
言えなかったこと。
でも、
言わなくてよかったことも、
確かにあった。
書類ケースは、
今日も開かなかった。
妻が安心した顔をしていたのを、
もう一度思い出す。
あの表情を、
今すぐ裏返す理由は、
見当たらなかった。
布団に入って、
天井を見る。
車の中で切ったエンジンは、
まだ、完全には止まっていない。
この話は、
二人の間に置かれたままだ。
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