『狭き門をこじ開けろ!』第3話 ブラックアウトで明かされる真実
私たちの宇宙船は、今回の有人ミッションにおける最大の難関、火星周回軌道上での長期観測を無事に終了した。これで、ミッションの大部分は完了したと言っていい。
あとはこのまま地球まで生還すればいいだけという状況になり、船内には目に見えてホッとした雰囲気が広がっていた。
「通信、ブラックアウトフェーズに入りました」
その一言で、宇宙船内の空気がふっと変わった。
地球、太陽、火星が一直線に並ぶこのタイミング、数時間にわたって一切の電波が地球に届かなくなる。NASAのモニター室にも我々の姿は映らない。これが、通称――宇宙ブラックアウト。
24時間体制で行われていた地球からの監視カメラの目が、完全に途切れる唯一の時間。それまで張り詰めていたクルーたちの肩の力が一気に抜け、奇妙な解放感がブリーフィングルームに満ちていく。
だが私はそのとき、まったく知らなかった。
本当のブラックアウトを迎えるのは、私の脳内だということを。
昼食を終えて、ブリーフィングルームに集められた我々。
いつもどおりの空気感――かと思いきや、ジェイコブ船長の第一声が予想外だった。
「さて、ここからは、真実の時間だ」
「え?」
首をかしげる私をよそに、心理カウンセラーのエリックが不敵に笑いながら、一枚の極秘ファイルを開いた。
「マモル……お前、ほんといいリアクションだったぞ」
「……はい?」
「トーマスが番長だと言った時のお前の反応と言ったら」
エリックが笑いをこらえられず、噴き出した。
レイチェルが口元を押さえながら、肩を揺らす。
「私、マモルが『エエエエ』って言うたびに、笑いをこらえるのが本当に大変だったのよ!」
……ん?
……あれ?
え?
「……ちょ、まさか、全部……演技だったんですか……?」
エリックがファイルの中身を私に突きつける。そこには、信じられない文字が並んでいた。
番長システム・ドッキリプロジェクト計画書
主演:エリック(影番)
共演:トーマス(番長)、レイチェル(スケ番)、ジェイコブ(お飾り)
標的:マモル(日本人・指示待ち忖度型)
気がつけば、私は椅子の背もたれに頭をぶつける勢いで、情けない声を張り上げていた。
「エエエエエエエエエエエエッッ!!!???」
混乱する私に、エリックは淡々とした、しかしどこか冷徹なトーンで語りかけてきた。
「閉鎖空間でのストレスをガス抜きするNASAのプログラムさ。高度生成AIがお前の心理を予測して作った完璧なシナリオだよ。お前は見事に、だまされ枠にハマってくれたわけだ」
この半年間、影番や番長に怯え、胃に穴を開けそうなほど気を遣ってサバイブしてきた日々はなんだったのか。全部、AIの書いた嘘。国家予算を投じた超大作ドッキリだったのだ。
エリックがさらに、もっともらしい口調で言葉を重ねる。
「仕方がなかったんだ。過酷な火星ミッションで自分たち四人の精神を守るため、君の心を犠牲にした。これは必要なコストだったんだよ」
エリックが引き攣った笑みを浮かべ、レイチェルが気まずそうに視線を外す。ジェイコブとトーマスも、冷ややかな、しかしどこか申し訳なさそうな目を私に向けていた。
――次の瞬間、私の目から大粒の涙が溢れ出した。
あまりの衝撃に、私は両手で顔を覆い、号泣してしまった。ブリーフィングルームに響き渡るほどの音量だったに違いない。
ジェイコブ船長の声が聞こえる。
「……やはり、取り返しのつかないトラウマを植え付けてしまったか」
「うおおおおお……感、感激です……っ!!」
「……は?」
エリックの口から間抜けな声が漏れる。
(最高だよ、何も考えなくて済むんだ。悲劇のヒーローとして黙って耐えてればいいんだ)
私は涙を拭い、椅子から立ち上がると、興奮で顔を紅潮させて叫んだ。
「素晴らしいじゃないですか! 私のこの、胃がキリキリ痛むような忖度の日々が、皆さんのメンタルを救い、この偉大な火星ミッションを裏で支えていたなんて! これぞ、これぞ私の求めていた理想の職務形態です!!」
理由は分からないが、四人のクルーの顔から余裕の笑みが消えていた。
「外部からは決して見えない、縁の下の力持ち……! これです! これこそが日本人の美徳! 聞いてください皆さん! 日本には古来より、主君の仇を討つためにあらゆる艱難辛苦を舐め尽くし、最後は潔く切腹した赤穂浪士という至高の英雄たちがいるのです! さらに言えば、国を憂いて刑場の露と消えた吉田松陰はですね――」
そこからの私は言葉が止まらなかった。どれほど自分が「組織の犠牲」になることに至上の喜びを感じるか、もちろん日本の歴史がいかに自己犠牲の美学で満ちているかを、熱弁した。
四人の顔から血の気が引いていくのがわかった。なぜだ?
「ま、マモル……もういい、止めてくれ……」
エリックが震えながら、拒絶するように両手を突き出す。
「止めろ、そんな、そんな澄んだ目で俺たちを見ないでくれ……っ!」
後にエリックがしみじみと語ったところによれば、この時の私の目は静かな青い空のように一点の曇りもなく、美しく澄み切っていたそうだ。思わずニカッとこぼれた笑みからは、白い歯が神々しく輝いてさえ見えたらしい。
「レイチェルさん! 私が犠牲になることで、このミッションが成功するなら、私は本望です!!」
「何なの、この人……!? ミッション成功なんてただのステップよ! 私は周りを踏み台にしてでもNASAの幹部へ出世する、その先のキャリアしか見ていないの! 女性の方がストレスに強い優秀な種族だって証明するためにね!」
「すごいです。私は先のことも自分の人生のことも、なーーんにも考えてなくて」
「……は? 何も、考えてない……?」
「はい、目の前のマニュアルをこなすだけで精一杯です!」
「今回のドッキリで、あなたはキャリアを絶たれて使い捨てられるのよ!? ただの道化役だと知って、強烈な劣等感で自殺したくならないの? 私が今まで踏み台にしてきた凡人たちは、みんなそうやって絶望して消えていったわ!」
なんだか、レイチェルさんの様子がおかしい。息を荒くして、幽霊でも見たかのように私の顔を凝視している。
「信じられないわ……どうしてそんな誇らしげな佇まいで私を見つめることができるの? 理解できない」
あの冷徹で鋭いツッコミを誇っていたレイチェルさんが、叫び声をあげて狭い船内を後ずさりし、不意に崩れ落ちた。彼女は頭を抱え、ブリーフィングルームの隅でブルブルと震え始めた。
ジェイコブ船長と機関士トーマスは、ただただポカンと固まっている。軍人と日本の武士は共通点があるのだろう。きっとサムライの切腹の話に感銘を受けたに違いない。
そんな中、心理学の専門家のエリックだけが、私に語りかけてくれた。
「マモル……お前という存在は、それほどまでに冷酷な搾取を受け入れ、他者のために己の魂を捧げられるというのか? 欺かれ、踏みにじられたというのに、その心に一片の憎悪も、ドゥッカ(苦しみ)の執着も存在しないというのか……?」
この人の話は難しくて、イマイチ意図が分からん。
私、マニュアル人間なので何も考えてませんよ。ぶっちゃけ考えるのめんどいんで、頭の中はいつも空っぽなんです。でも、それじゃ体裁が悪いから、少しカッコつけて答えよう。
「常に心を『無』にしてます」
すると、エリックが雷に打たれたような顔をして、その場に膝をついた。
「僕は心理学の専門家だから、マインドフルネスとして東洋哲学や『禅(ZEN)』にも並々ならぬ興味を持っていたんだ」
床に正座して丁寧にお辞儀をするではないか。
「『無』……! 形而上の概念をすべて空っぽにし、組織のなかで個の自我を完全に消滅させる……! それこそが、禅の究極の悟り……『己を手放す』ということか……!!」
エリックの目に感動の涙が浮かぶ。
「マモル……いや、マスター・マモル! 俺たち欧米のエリートがいかに傲慢だったか、今ようやく理解した。お前は、俺たちの精神を救うために遣わされた、本物の導師だ……!」
また、小難しいこと言い出したなぁ。だが、ここは空気を読んで適当に返事しとこう。
「はぁ、どうも」
これらの会話はブラックアウトで地球には届いていなかった。しかし、それこそが後に取り返しのつかない悲劇を招く原因となるのだった。
続く
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