『狭き門をこじ開けろ!』 第2話 隠された最強システム
宇宙というのは、思っていたより静かだった。
それでも毎日は忙しい。火星までの長旅、気を抜けば命に関わる。だからこそ、私はこのミッションを誰よりも真剣に捉えていた。
日本人である私は、何よりも集団の秩序を重んじる。群れの頂点に君臨するボスである船長の顔色を伺い、常に彼の命令通りに動く。指示は必ず船長のジェイコブからいただく。確認も、判断も、相談も、彼を通していた。
だがその日、カウンセラーのエリックが、妙に真剣な表情で私に声をかけてきた。
「マモル、お前は来たばかりだから知らないと思うから、ちょっと忠告だ」
「はい?」
「船長ばかり立ててるとまずいぞ。機関士のトーマスが気分を害してる」
「エエエエエッ!? なぜ!?」
私は全力で空気を読んでいたつもりだったのに。
「でも……船長が一番偉いのでは……?」
「違うぞ、マモル。船長なんてのは、ただのお飾りだ」
「えっ、お飾り!?」
「宇宙船の中で船長の上の階級は何だと思う? マモル」
「えっ、船長の上があるんですか?」
「お前は日本人だろう。そんなことも分からないのか?」
首を横に振る。ため息をつくエリック。
「それでは教えてやろう。船長の上の階級は……番長だ」
「エエエエエーーッ!? バンチョウ!?」
「マモル、声が大きい」
エリックは私の肩に手を置いて、低く囁いた。
いや、それって、あの日本の昔の学園ドラマに出てくる――。
「なぜアメリカに番長が!?」 私が聞くと、エリックは目を細めて笑った。
「日本の漫画文化がアメリカに深く入り込んでるんだ。番長システムは今やNASAの裏マニュアルにも記載されてる。番長は……最後に必ず勝つ。そして最強だからな」
驚きすぎて敬語を忘れ、つい心の声が漏れてしまった。
「エエエエエ、マジすか……。番長制度をNASAが採用?」
「マジだ。だが、番長システムはアメリカの宇宙政策がライバル国に決定的な差をつける極秘事項だ。船外では他言無用だ」
私は衝撃を受けた。あの無口でガタイが大きくて重厚な機関士トーマス。どうりで、と思った。機関士トーマスは番長だけあって、みんなを牽引していくだけのパワーを感じる。最初に会った第一印象が「番長顔」だと思ったんだよな……無意識に。
「あと、レイチェルにも気をつけろよ」
「レイチェルさんですか?」
「うむ。彼女は番長と同格のスケ番だ」
「エエエエエエエッ!!??」
スケ番!? あの、ヨーヨーを持った伝説の不良女子のアレ!? NASAに!?
いやいや、でも――思い返せば、レイチェルさんのあの目線、ツッコミの鋭さ。あれは確かに、スケ番の風格だったかもしれない……。
「言葉遣い一つ間違えれば、ヨーヨーが飛んでくるぞ。医者のくせに手加減ゼロだ」
「……親切にご教示いただき、誠にありがとうございました」
私は、宇宙船内の権力構造を改めて認識した。
表面上はジェイコブ船長がトップ。だが実質は――番長トーマスとスケ番レイチェルの方が格上だ。
日本人である私には、それが直感的にわかった。誰が空気の支配者か、肌で感じる――これぞ「忖度」だ。
以後、私はすべての行動をトーマスとレイチェルに伺いを立ててから進めるようにした。
数日後、機関士トーマスと二人で作業していたときのことだった。彼はあたりに誰もいないことを確認すると、私に忠告をした。
「マモル、お前は最近、よく俺を立ててるな」
「はい。エリックさんにそうするように言われました」
「だが、勘違いするな。このクルーで一番の権力者は俺じゃない。お前は勘違いをしている。きちんと筋を通さないとひどい目に合うぞ」
「えっ!? じゃあ、やっぱり本当に偉いのは……船長ですか!?」
「違う。あいつは単なるお飾りだ」
機関士トーマスは私の肩をガシッと掴んで、低い声で言った。
「番長の上には、もっとヤバいやつがいる」
「……まさか……」
「そう。影番だ」
「エエエエエエッ!!??」
機関士トーマスは更に核心に迫った。
「そいつの正体は――エリックだ」
「エリックさん!?」
あの、軽口ばかり叩いている、ムードメーカーが……か、影番?
でも……思い返せば、あいつだけはいつもどこか余裕があった。情報も、技術も、すべてを牛耳っている感じがした。
「奴は冷静で頭が切れる。そして冷酷だ。俺はあいつには逆らえない。影番こそがこの船の本当の支配者だ。これは船外では機密事項だ」
「エエエエエ……」
私はバカだった……。番長がいるなら、その背後に影番がいる。漫画なら当たり前じゃないか。なぜ私はそれに気づけなかったんだ!
こうして、私は船内カーストを完全に理解した。
表のリーダー:船長ジェイコブ
実務を牛耳る:番長トーマス
現場の制裁者:スケ番レイチェル
裏から操る黒幕:影番エリック
私は、和も乱さず、皆に最高の敬意を払うという日本人の黄金スキルをフル活用し、ひたすら笑顔の忖度で、この火星船ライフを穏便に乗り切っていく決意を固めた。
その日、ジェイコブ船長がふいに私に話しかけてきた。
「マモル。お前がなぜこのミッションに選ばれたか分かるか?」
「それは……私が夜を徹してマニュアルを完璧に暗記したから、ではないのですか?」
「うっ……まあ、それもある。しかし、優秀なメンバーは他にもたくさんいた」
「……では、なぜ私が?」
ジェイコブは遠くの星を見ながら言った。
「このクルーの力関係に耐えうる唯一の男だったからだ。空気を読む力、上には一切逆らわず、まじめに仕事をこなす。それが日本人最大の武器だ」
(なるほど……! 船長は、私が『影番』や『番長』たちの恐るべき支配構造に気づき、完璧な気遣いで船内環境を維持していることを見抜いているんだな……!)
「おっしゃる通りです。私はただ、与えられた役割を全うするのみです」
これほど嬉しい言葉はなかった。私は日本人で本当によかったと、自分の育ってきた環境を心から誇りに思ったものだ。
――ただ、この時の私は夢にも思っていなかった。
後にミッションを終えて地球に帰還した際、機密解除された他国のスパイの通信記録を見て、私は文字通り目玉が飛び出るほど驚くことになる。
そして、私が船長の上は番長、さらにその上には影番がいるという宇宙船の恐るべき真実に怯え、ただ必死にニコニコしながら全方位へ配慮するだけの会話記録は、文面通りに他国の情報機関へと筒抜けになっていた。
当時、私たちの会話を盗聴していた某国の凄腕スパイたちは、この機密音声を聞いて冷や汗を流し、国家規模で戦慄していた。彼らにとって、この通信は「NASAが超エリートたちの長期共同生活の破綻を突破するために極秘開発した、最強の組織統率プロトコル」の実態が暴かれた瞬間だったのだ。
通信記録には、以下のような生々しい暗号報告が残されていた。
『緊急報告。NASAが極秘裏に運用していた最重要プロトコル、通称――番長システム(BAN-CHO SYSTEM)の存在を確認した。エリートたちの精神崩壊を防ぎ、長期滞在を可能にする究極の統率システムと思われる。そして最も警戒すべきは、日本から送り込まれた高橋マモルという男だ。彼は宇宙に出てわずか数日でそのシステムの中心を完全に掌握し、裏の支配者である影番すら手玉に取っている。間違いなく、東洋から現れた正体不明の怪物だ。警戒度を国家最高レベルに引き上げろ』
世界がこの「番長システム」という謎のパワーワードと、その中心に君臨する高橋マモルという存在に激震し、やがて各国が「システムの起源」を巡って狂った大論争を始めることになるのだが……当時の私は、そんな地球規模の異変など知る由もなかった。
続く
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