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《王様の美術館》②舟越桂が好きだった作品?自己は遠くにwithオキーフ【横浜美術館】

ルネ・マグリットの絵は、ジョージア・オキーフに似ているかもしれない

舟越桂 個人はみな絶滅危惧種という存在 集英社

舟越桂の言葉。彫刻家・舟越桂の創作メモ「個人はみな絶滅危惧種という存在」という本に載っている、メモの言葉です。

舟越桂とマグリットとオキーフ。なすにきびはこの3人がとても好き。そして勝手に妄想する。舟越桂はマグリットの《王様の美術館》が好きで、これを見てそう思ったんじゃないだろうか。

横浜美術館の顔ともいうべき、マグリット晩年の作品《王様の美術館》。似ている!なんとなく舟越桂が彫る、描く人物になんだか共通するものがある!

どこを見ているの?何を考えているの?起きてんの?誰なの?

といった疑問がこれらの人物を見ていると自然と湧く。湧かないのかも。疑問が湧く前に、何か深いところに吸い込まれてしまうような。何も考えが浮かばないような。パーツがぼんやりと浮かんでいるような人間離れした怖さも似ている。

どちらも人物が浮き出ているとも、彫り出されているとも、その感覚が並行して入ってくる。力があるような、抜けているような。

どこで知ったか忘れたけれど、舟越桂が作り出す人物はその遠い目線の先に自分を見ているのかもね、的なことを本人が言っていた、気がする。「自己を見つめる目」。マグリットの《王様の美術館》で言うと、「自分=マグリット自身」と、見つめている「自分、自分の心の奥/核になる景色=山の中の赤い屋根の家」。その二つを一緒に画面に載せようとしたものの結果があの不思議な絵ということー。

最初の言葉に戻ると、マグリットと似ている、と舟越桂が言うジョージア・オキーフ。こちらも、彼が見て、好きだったかもしれないオキーフの絵を考えると例えば、動物の頭骨をイコンっぽくしてみた絵。↓

「自己を見つめる目」。「自分=鹿の頭骨」と見つめる、その全てである「自分、鹿、頭骨の記憶=遠い山の景色」マグリットの絵との違いはそれが外にあるか、謎っぽく中に入っているかくらい。オキーフが描く立派な花の絵もこれに当てはめることができなくもない。

《タチアオイの白と緑―ペダーナル山の見える》1937年
東京国立近代美術館

オキーフにとっては、彼女が後年拠点としたニューメキシコ州北部のゴーストランチから遠くに望むペダーナル山が、心の景色だった。舟越桂は岩手県盛岡市出身。ちょうど岩手山のような、遠い自然の風景の記憶といった画面には同じことを感じるところがあるんだと思う。彼の作品の人物もその風景の記憶や故郷を見つめているかも。シュルレアリスムであり、それより強いノスタルジー?

《私は街を飛ぶ》2022年

東京・丸の内の道、アートストリートには舟越桂の彫刻作品が剥き出しで置いてある。↑この「頭街人間」。これも「自分」が見つめる「自分、自分の心の核=街並み」を一度に彫刻という手段で表そうとした結果なのかもしれない。よく分かんない芋虫みたいなやつも気になるけれど。

マグリットが演出する「分かりやすい謎」のようにこの「頭街人間」も不思議さ、そして時が止まったかのような静謐感を纏っている。「青い」ところも一応共通。つまり舟越桂バージョンの《王様の美術館》。自己というものは意外と遠くにあるのかも。

《王様の美術館》は6月2日までやっていた横浜美術館のリニューアルオープン展「おかえり、ヨコハマ」展で展示してありました。今後も見れる機会がたくさんあると思います。

《王様の美術館》①の記事もぜひ↓


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なすにきび...勝手美術 偏った美術愛ですが、面白いなと思っていただけたら、いいねフォローなどよろしくお願いします。大変はしゃぎます。