ちょっぴり切ない帰り道〜 母の日に、少し手放したこと〜
昨日は母の日。
夫と次女とわたしで、母のところへ行ってきた。
姉とわたしから、
一人暮らしの母がしゃぶしゃぶを
楽しめるようにお肉を送り、
母が欲しがっていたハンズフリーの靴を
プレゼントした。
とても喜んでくれて、
その笑顔を見られて、うれしかった。
でもその帰り道、寂しくなった。
わたしは、娘たちから何もなかったなぁ…って。
ありがとうの言葉も、
母の日だね、の一言もなくて、
「今日、母の日だったのかー」
それだけだった。
去年は、
ハンドクリームとバスペタルのセットを、
長女と次女とで選んでくれたのに。
今年は、
母の日だということすら忘れていたみたい
だった。
でも、
その寂しさを感じながら、
ひとつ気づいたことがある。
わたしは昔から、家でも外でも、
“人と人の間に立つ役”をしてきた。
母と夫。
娘たちと父。
誰かと誰か。
誰かが寂しそうだと、
わたしも苦しくなる。
気まずい空気があると、
自分の心まで痛くなる。
だから、つないできた。
整えてきた。
先回りしてきた。
父の日も毎年、
わたしが娘たちにリマインドして、
プレゼントのアイディアを出して、
家族イベントを回していた。
それがやさしさだと思っていた。
でも最近、思う。
もう、
それぞれの関係を、
それぞれに返していっていいのかも
しれないって。
娘たちと、おばあちゃん。
娘たちと、パパ。
わたしが間に入らなくても、
育っていく関係がきっとある。
そして、
誰かのやさしさや愛に
気づくタイミングも、
それに対する愛情の表し方も、
人それぞれなのかもしれない。
わたし自身、歳を重ねて、
いつかの母と同じ年齢になって、
ようやく分かることがたくさんある。
あの頃の母も、
毎日きっと必死だったんだろうな、とか。
こんなに家族のことを考えながら、
日々を回していたんだな、とか。
だからきっと、
娘たちは、娘たちのタイミングで
“気づく日”が来るんだと思う。
今日は少し寂しかったけれど、
娘たちが、
元気でいてくれるだけでいいや、
とも思った。
母の日って、
感謝される日というより、
自分が、
どんなふうに人を愛してきたのかを、
静かに振り返る日なのかもしれない。
少し前に書いた、
「見える世界が変わった日」という記事とも、
どこかで繋がっている気がする。
#創作大賞2026
#エッセイ部門
#母の日
#気づき
#家族のかたち
#母との関係
#娘との関係
#心の変化
#自分と向き合う
#HSP
#エッセイ
#手放す
