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見える世界が変わった日― 目の前の世界は、わたしの内側を映していた ―

前回、
「わたしでいても大丈夫だった」という記事を
書いた。

人とのやり取りの中で、
無理に合わせなくても、取り繕わなくても、
ちゃんとつながれるのだと知った日。

それは、
頭で理解したというよりも、
「ありのままのわたしでいていい」と、
静かに腑に落ちた感覚だった。



そして昨日、その感覚が、
現実の中で確かめられるような出来事があった。

父のお墓参りに行ったときのこと。

母が、なかなか火のつかないお線香に、
マッチで火をつけようとしていた。

そのとき、夫がそっと手を差し出した。

風があって、なかなか火がつかない中で、
二人でしゃがみ込み、同じ炎を見つめていた。

少し離れたところから、その光景を見たとき、
胸の奥が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。



二世帯住宅で同居していた頃、
あんなにうまくいかなかった二人。

別居してからも
分かり合えない時間は長く続いていた。

その間でわたしは、
なんとかしなきゃと、ずっと力を入れてきた。

うまくいくように、
言葉を選び、気を配り、間に立ち続けてきた。

でも昨日、ただ二人が、
同じ場所で、同じ炎を見つめていた。

わたしは、
ずっとこんな景色を見たかったのだと思う。

それに気づいたとき、
もう何も足さなくていいと、自然に思えた。

これまでわたしは、
何かを足さなければ、
うまくいかないと思っていたのかもしれない。



帰り際、
母がぽつりと、夫に伝えた。

「いつもありがとうね」

その短い一言は、
これまでの、母のどの言葉よりも、
飾りがなく、まっすぐで、
心からのものに感じられた。

思わず、涙がこぼれそうになった。

そのとき、気づいた。

変わったのは、
この人たちではなく、
わたしの内側の世界なのかもしれない。

これまでのわたしは、
「うまくいっていない関係」や
「足りないもの」に、
無意識に目を向けていたのだと思う。

だから、
整えようとしたし、埋めようとしたし、
なんとかしようとしていた。

でも、
「わたしでいても大丈夫」
そう思えるようになったとき、
自分の内側にあった緊張が、ほどけていった。

すると、
同じ現実の中にあったはずのものが、
まるで別のもののように見えはじめた。

不完全なままの関係の中にも、
ちゃんと、やわらかなつながりがあること。

言葉にならないやさしさが、
確かに存在していること。

それは、
新しく生まれたものではなく、
もともとそこにあったものに、
やっと気づけるようになった、
という感覚に近い。



人はきっと、
自分の内側にあるものを通して、
世界を見ている。

自分が信じていることや、
どんなふうに感じているかによって、

同じ出来事でも、
見え方は変わっていくのだと思う。

だから、
無理に何かを変えようとしなくてもいい。

まずは、
自分の中にある感覚に、
そっと気づいていけばいいのだと思う。

「わたしがわたしでいる」ことを許したとき、
世界は、
そのままのやさしさを、
見せてくれるようになる。

大好きな父のお墓の前での
昨日のあたたかく静かな光景を
わたしはきっと、ずっと忘れない。

ああ、これでよかったんだと、
心の奥で、そっと思った。


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