世間ではカスハラというが、シニアの暇は人を面倒くさくする
最近、「カスハラ」という言葉をよく耳にする。ニュースでは、理不尽な要求を繰り返す客として高齢者が取り上げられることも少なくない。法整備により、2026年10月1日から、すべての事業主にカスハラ対策が義務化されるのだが…。
そのたびに思う。俺は大丈夫だろうか?なにしろ私も、その高齢者の仲間入りをしているのである。シニアがカスハラに至る理由に、脳が萎縮して柔軟に対応できないというのだから、他人事ではなくなる。最近は冷蔵庫が開いたままだと、家庭内クレームも徐々に増えているもんで…。
現役時代のクレーム同行訪問
そんなことを考えていたら、現役時代のある出来事を思い出した。
私は長年、ヘアケア商品の研究をしていた。ある日、お客様相談室から電話が入る。
「ヘアカラーを使ったら髪が抜けたというお申し出がありまして、ご同行いただけませんか」
研究員が同行するくらいだから、よほど重大な話なのだろうと思って出かけた。
玄関に入って最初に目に飛び込んできたのは、壁のスケジュールボードだった。一か月分の予定が書ける立派なボードなのに、予定は「〇〇会 定例会」の一件だけ。残りは見事なくらい真っ白。
私は心の中でつぶやいた。
「……今日は長くなりそうだ。」
予感は当たった。リビングで話を聞くと、「ヘアカラーを使ったら髪が大量に抜けた」とおっしゃる初老のお客様。ただ、失礼ながら、その方の頭髪は細く短く、長ーい友達という髪が去り始めた状態である。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。そこで、絨毯に落ちていた毛髪をお預かりし、専門機関で調べてもらうことにした。
結果は30本すべて自然脱毛。
ヘアカラーとの因果関係は認められない。
その結果を持って再び訪問すると、その方は静かにこう言った。
「これで終わりですか。」
さらに少し間を置いて、
「それなりの対応はしてくれるんですよね。」
うまい。実にうまい。あの一言には、ちゃんと値札が付いていた。
私は研究員として報告だけを済ませて帰ったが、その後、お客様相談室では半年以上にわたり毎週電話対応が続いたそうだ。最後は「ご不満でしたら訴訟という方法もあります」と伝えたところ、ぴたりと連絡が止まったという。当時は「大変なお客様だったな」で終わった話だった。
話し相手が欲しいシニアたち
ところが、今になって思う。あの人、本当に欲しかったのはお金だったのだろうか。玄関の真っ白な予定表。平日の昼間。独身らしい生活。
一番欲しかったのは「話し相手」だったのかもしれない。そう考えると、急に笑えなくなる。いや、笑えるのだが、人ごとではないのである。
会社を辞めると時間はたっぷりできる。ところが、予定も役割も一緒になくなる。暇は贅沢だと思っていたが、多すぎる暇は、ときどき人を面倒くさくする。誰かに話を聞いてほしい。そんな気持ちが、クレームという形で出てしまうこともあるのだろう。
考えてみれば、私だって危ない。最近は妻に話しかけても、「その話、昨日も聞いた」と言われる回数が増えてきた。いつ誰に話したのか、実は覚えられない歳になったのだ。
だから、自戒を込めて決めていることがある。
・予定を作ること。
・趣味を続けること。
・話し相手にお客様相談室を選ばないこと。
・そして、「それなりの対応」という名ゼリフだけは、一生使わないこと。
もっとも、この文章を書き終えた今も、釣り仲間から釣果の連絡が来ないかと、五分おきにスマホを見ている。
…どうやら私も、「誰かと話したい病」の初期症状なのかもしれない。

<参考>カスハラ対策が企業の義務になりました
近年、社会問題となっている「カスタマーハラスメント(カスハラ)」への対策が法整備され、2026年10月1日から、すべての事業主にカスハラ対策が義務化されます。
企業には、従業員を守るために次のような取り組みが求められます。カスハラを許さない方針を明確にする
相談窓口を設置する
被害を受けた従業員を迅速に支援する
対応マニュアルを整備する
従業員への教育・研修を実施する
カスハラとは、暴言や脅迫、長時間にわたる執拗なクレーム、土下座の強要、過度な要求、SNSでの誹謗中傷など、社会通念上相当な範囲を超えた迷惑行為を指します。
お客様を大切にすることはもちろん重要ですが、働く人が安心して仕事に取り組める環境づくりも同じくらい大切です。今回の法整備は、企業に「従業員をカスハラから守る責任」があることを明確にした大きな一歩と言えるでしょう。
