あなたが思い出す僕は、笑っている僕であれ。

私は野島伸司作品が好きだ。


初めて見た作品は101回目のプロポーズだと思う。

母親が当時リアルタイム視聴者として、毎週見ては号泣していたとことあるごとに話していたのを聞いていたので、どこが泣き所なのかと気になって見始めた。

そして気づけば、母同様に私も、この月9ドラマで泣いていた。
何話から泣き始めたのか分からないが、案外早く訪れるトラック飛び出し「僕は死にましぇん!!」のシーンでは信じられないくらい泣いていた。

これはヒーリング・ラブストーリーだと思った。
「トラウマや自己の弱さを越えたい。あなただから僕は変わりたい。」と願えるようになるまでの物語。
 

結婚式当日に婚約者を失った過去を持つ薫(浅野温子)に対して達郎は、あなたのためなら全て捨てられるというような、ともすると破滅的な表現方法で薫にアプローチすることが多々あった。

その中で”僕は死なない”という表現は、”どんな破滅のあとでも、生きてみせる”という強靭な精神が宿ったアプローチであり、達郎というキャラクターこそがこのドラマの中で一番力強い人間であることを見せきった瞬間でもあったように思う。


その告白を受けた薫のまるで赤ちゃんのような泣き顔。
トレンディドラマを一身に背負う美貌が崩れ、薫として素直になり始めた瞬間である。

こういったヤマ場のシーンでは美しさはいらない。
たとえば寅さんのように、三枚目が内面の二枚目を発揮したとき、そのリアルさに、その温かみに、美形の役者が立ち向かうのは相当に難しいと思う。

このシーンでいえば、道路に飛び出して告白するような武田鉄矢さんに負けない魅力を発揮しなければいけない中で、見事に涙き笑いを誘う表情を残してくれた浅野温子さんの演技に感謝しきれない。





とかなんとか語っているが、今日語りたいのは101回のことではなく。

今なぜかTVeで再配信されている1998年放送の「世紀末の詩」。
絶対に再生回数も回らないであろうに、ときたま再配信してくれる編成局に感謝しつつ、本作品について語りたい。
初回のあらすじは以下の通り。

大学の学長選挙に落選した百瀬夏夫(山﨑努)と、結婚式当日に花嫁に逃げられた野亜亘(竹野内豊)は、同日に自殺を図ろうとして知り合った。奇妙な友情が生まれた2人に、不思議な女性ミア(坂井真紀)も加わり、とある漁港で3人の共同生活が始まる。

https://tver.jp/episodes/epuxunxrlk?p=2487


深夜ドラマ、山﨑努、自殺、漁港で友情。

渋い。
渋すぎて口がギュッとなる。

この作品は当時、水曜22時に日本テレビで放送されており、関東地区の平均視聴率は14.6%。最終回は2時間SP。ほんまでっかあ。

私の愛する山﨑努も渋さに拍車をかけている要因だが、そこに野島伸司の明るくはない脚本、さらにヒロインは木村佳乃・坂井真紀で決して派手でない女優陣。

それでも視聴率を14%も取っていたと聞くと、本当に生きている時代というか、時代の空気感や人々のパーソナリティーが違ったんだなと感じる。恐らく現代でリメイクしたら、視聴率は1~2%がいいとこだろう。

そして竹野内豊演じる、本作の主人公。ようやく101回目とつながる。

結婚式当日に婚約者を失った青年、野亜亘(のあ わたる)。

毎話泣く竹野内豊
生気を奪われて白髪になるが、
二枚目すぎてこれはこれで良くなる

野島作品は聖書や神話をモチーフにした人物が多く、本作は世紀末、ノアの箱舟が大きな主題だと思われる。
前述したとおり、全体的にストーリーは暗めで、寓話的な部分もあるので、心身が元気なタイミングでは恐らく響かないだろう。気分の落ち込んだときに、たまたま見たくらいがちょうどいいと思う。

1話完結型の全11話構成なので、もしもたまたま誰かが出会うなら、ここに出会ってほしい回を記録する。


第2話「パンドラの箱」

かいつまんで説明すると、盲目の美しい女性が、手術で視力を取り戻す。
初めて現実を直視した彼女は、これまでの恋人との暮らしを捨て、自分に好意を寄せる医師を選ぶという内容。

しかし味わいは細部にある。
細かなポイントも記載するとこうなる。

ーー

ある日ノアは、盲目の美しい女性・鏡子に出会う。



盲目の鏡子を迎えに来た恋人・興梠は、あまりにも想像とは異なる容姿で思わず笑ってしまうノア。


興梠を笑ってしまったことを謝罪するため2人の住むアパートを訪れたノアは偶然、興梠のプロポーズの瞬間を見かける。応えた鏡子への思いから、興梠は鏡子に視力回復の手術を受けさせる。



実は興梠は貧乏な花火師で、稼ぎのために道化師としても働いていた。
ノアに、彼女との出会いは花火大会で、自分の作った花火を目の見えない彼女が誰よりも美しく想像してくれているように思ったと語る。


回復手術の日、目が見えるようになったら、「まず鏡をみたい、自分の顔を知らないから」と話す鏡子。


手術を終えた鏡子は、鏡で自分の顔を見る。医師の顔を見る。


続いて、診察室に入ってきた興梠を見て


「あなたが興梠さん?想像と違ったから」とこぼした鏡子。


安ボロの2人の住まいに帰宅し、この現実を初めて直視した鏡子は、彼女に好意を寄せる医師からの電話を受け、書置きを残してアパートを出る。


医師から誘われたレストランに着くと、立派な花束を贈られる。医師から興梠の存在を問われ、「福祉のボランティアの方」だと答える鏡子の美しい顔が、シャンパングラスに映る。


時を同じくして、手術の成功祝いだと弾むように帰ってきた興梠。鏡子はおらず、手土産に買ってきたシャンパンボトルとオレンジ色のチューリップは、手付かずのまま机に置かれる。

花言葉は、「照れ屋」「思いやり」「幸福」など



あくる日も、道化師を続ける興梠。
大きな時計のマイムを見せて動かなくなる。



◆エンドロール
花火大会での出会い。笑顔の鏡子に一目ぼれする興梠。


デートの途中、花屋のチューリップに顔を近づける鏡子。

その姿を見つめ、泣き笑いの表情を浮かべる興梠。

ーー


盲目の女性、貧しい道化師、花屋。
チャップリンの街の灯をオマージュにしたうえで、その後を描いた作品と言える。

鏡子という人は、盲目の間は誰よりも美しい想像をし、実世界を見れば釣り合いの取れたモノを選ぶ現実的な女性であった。それこそ盲目的に鏡子を愛していたために、それに気が付かなかった興梠は、時が止まってしまう。

魔法が解けることの予兆は、斎藤洋介、遠山景織子という悲哀の表現に長けた役者のキャスティングや、「コオロギ」「鏡子」といった役名、また「想像と違う」「自分の顔が見たい」といったはしばしの台詞からも感じさせる。

興梠は鏡子の本質を知って接するべきだったか?鏡子の幸せとは何だったのか?恋人同士でも互いの幸せは別個にすべきか?優しさはお金や外見と同等に評価されるべきか?

あのときどうすべきだったか考えることは、これからどうすべきかを考えること。
答えのない哲学が、野島作品の魅力だ。人の痛々しさや傲慢さを知りたい時、はあまりないと思うが、現代のハッピーエンドがなにか心に刺さらない。そんなときは、ぜひ野島作品にも触れてみてほしい。


※第1話には、前年1997年にフジテレビのビーチボーイズで共演した広末涼子がゲスト出演している。竹野内豊とともに、海辺が似合うアイコニックな2人の再共演を楽しめる。


※第4話には、工夫役として谷啓が出演。教授と2人で煙草を燻らすシーンは、ベテラン2人の佇まいに痺れる。



※第4話が消化し切れないうちに、第5話の予告編に、車椅子に乗った三上博史が登場。この世の果て位に漂う最悪な香りに興奮する。





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