玩具トランシーバの起源
超再生受信機が開いた、小さな無線機の系譜
1960年代から80年代にかけて、子供たちの手に渡った小さな玩具トランシーバ。
それは単なるおもちゃではなく、CB無線、Part 15、トランジスタラジオ輸出、日本の小型電子工業、そして超再生受信機が交差したところに生まれた、大衆無線文化の小さな結晶だった。
1. 玩具トランシーバは、どこから来たのか
玩具トランシーバの歴史をたどるとき、われわれはしばしば「おもちゃ」という語に惑わされる。
現在の目から見れば、それは子供向けの安価な通信玩具であり、通信機としては粗末で、選択度も悪く、雑音も多い。しかし、その成立の背景には、戦後アメリカの無線制度、27MHz帯CBの普及、トランジスタ技術の低価格化、そして何よりも、超再生受信という独特の回路技術があった。
玩具トランシーバは、いきなり玩具として生まれたのではない。むしろその祖型は、1950年代後半に現れた、27MHz帯の低出力・簡易用途のCB風通信機に求められる。
米国では、CB無線が一般市民向けの短距離通信手段として広がる一方、Part 15の枠組みによって、きわめて低出力(終段入力100mW以下)の無線装置が免許なしに利用できる余地も存在した。この制度的な余白に、小型で安価な「CBらしきもの」が入り込むことになる。[1]
2. 27MHzという、玩具には少し難しい周波数
ここで重要になるのが、27MHzという周波数である。
27MHzは短波帯の高い側に位置し、波長は約11メートルである。低周波回路のように、配線を単なる導線として扱うわけにはいかない。コイル、コンデンサ、配線容量、トランジスタの高周波特性が、すべて受信性能に関わってくる。
普通のストレート受信機で27MHzの信号を受けようとすれば、検波の前に高周波増幅を行う必要がある。しかし27MHzで安定に利得を稼ぐことは、玩具用の安価な部品と簡単な組立工程にとっては容易ではなかった。
高周波増幅段を増やせば、感度は上がるが、発振しやすくなり、調整箇所も増える。シールドや中和も必要になる。
これは、安く、大量に、子供向け商品として作るには重すぎる構成であった。
その困難を一挙に迂回したのが、超再生受信である。
3. 超再生受信という「荒いが効く」技術
超再生受信機は、受信周波数の発振回路を、発振寸前または発振可能な状態に置き、クエンチによって周期的に発振を停止させる。
入力信号は発振の「種」となり、信号が強ければ発振は早く立ち上がる。この立ち上がりの差を取り出すことで、わずかな高周波信号を音声やデータとして検出する。
これは、通常の直線的な増幅とは少し異なる考え方である。
微弱な信号をそのまま何段も増幅するのではなく、発振という非線形な現象を利用し、小さな入力差を大きな状態変化へ変換する。超再生受信機は、いわば「電波をきっかけに発振がどう立ち上がるか」を観察する受信機であった。
もちろん、この方式は高級な通信機には向かなかった。
選択度は広く、雑音も多く、周波数安定度も高くない。さらに、受信機でありながら内部で発振するため、その成分がアンテナから外へ漏れることもある。
しかし玩具トランシーバにとっては、その欠点よりも長所がはるかに大きかった。
すなわち、少ない部品で大きな実効利得を得られるのである。
4. Jerry Norris の3石CBトランシーバ
この流れの中で象徴的な位置を占めるのが、1962年ごろ、Texas Instruments のエンジニア Jerry Norris が発表した3石CBトランシーバである。
この回路は、後の玩具トランシーバの祖型としてきわめて重要である。
構成は単純で、1石が高周波部を担当し、残る2石が音声増幅を担当する。受信時には高周波段が超再生検波器として働き、送信時には同じ段が27MHz帯の発振器となる。さらにスピーカーは、受信時にはスピーカーとして、送信時にはマイクとして使われる。[2][3]

ここで、その回路の構成を少し眺めてみると、玩具トランシーバがなぜこの形式に収束していったのかがよく分かる。
図の左半分は、ほぼ1石の高周波部である。
ここに置かれたトランジスタ Q1 は、受信時には27MHz帯の超再生検波器として働く。同調コイルとコンデンサによって受信周波数を選び、正帰還によって発振寸前、あるいは発振する状態に置かれる。
外部から電波が入ると、それが発振の種となり、発振の立ち上がり方が変化する。この変化を取り出すことで、Q1 一石だけで高周波増幅と検波を兼ねてしまうのである。
一方、送信時には同じ Q1 がまったく別の顔を見せる。
受信時に超再生検波器であったこの高周波段は、切替によって水晶制御の27MHz発振器として動作する。つまり Q1 は、受信機の入口であると同時に、送信機の心臓部でもあった。
ここに、玩具トランシーバらしい徹底した兼用思想が現れている。
図の右半分は、Q2 と Q3 による音声増幅部である。
受信時には、Q1 で検波された音声信号を増幅してスピーカーを鳴らす。送信時には、同じスピーカーがマイクとして使われ、その微弱な音声信号を Q2、Q3 が増幅し、高周波発振段を変調する。
したがって、この回路ではスピーカーもまた二役である。
受信時には音を出す部品であり、送信時には声を拾う部品である。
この構成を機能別に分ければ、送信機、受信機、検波器、発振器、変調器、音声増幅器、マイク、スピーカーが必要になる。しかし Norris の3石回路では、それらがわずか三つのトランジスタと一つのスピーカーに折り畳まれている。
高級な通信機の設計思想とは正反対である。
機能を分離して性能を高めるのではなく、機能を重ね合わせて部品を減らす。この設計思想こそが、後の玩具トランシーバの標準形を生んだのである。
5. 玩具メーカーにとって理想的な回路
この兼用構成は、玩具メーカーにとって理想的であった。
部品点数が少なければコストは下がり、組み立ても容易になる。調整箇所が少なければ量産しやすい。性能が多少荒くても、子供が数十メートル先の友人と声を交わすには十分であった。
こうして、1石RF、2石AFという構成は玩具トランシーバの定番となり、多くのメーカーによってコピーされ、簡略化され、改良されていった。[2]
その普及規模を、今日、正確な年次生産台数として復元することは容易ではない。
玩具トランシーバは、しばしば「電子玩具」や「低出力通信装置」といった大きな分類の中に埋もれ、無線機として独立した統計項目を与えられなかったからである。
しかし、1970年代半ばの米国資料からは、その市場が決して小さなものではなかったことが分かる。
1976年のFCC資料によれば、当時、26.96〜27.27MHz帯では、免許を要するPart 95のClass D Citizens Radio局と、Part 15の低出力音声通信装置、すなわちウォーキートーキーが同居していた。
この共用は、免許の要否をめぐる混乱と、CB帯への妨害問題を生んでいた。つまり、玩具・ホビー用の低出力トランシーバは、規制当局が無視できないほどの存在になっていたのである。[1]
同じFCC資料は、49MHz帯への移行をめぐる議論の中で、超再生受信機を禁止する案に対し、General Electric、Midland、Radio Shack、EIAなどが反対したことを記録している。
彼らの主張は明快であった。
超再生を禁じ、非超再生式の受信機を要求すれば、玩具ウォーキートーキーの小売価格は大幅に上がる、というのである。Midland は低価格ウォーキートーキーの価格が倍以上になるとし、Vanity Fair は当時の27MHz帯ウォーキートーキーが一組12.95〜20ドルで売られていたと述べた。
EIAは、この種の製品が年間1000万〜1500万ドル規模の市場であったと見積もっている。[1]
この数字を単純に当時の小売価格で割れば、年間50万〜100万組超、台数にして100万台を超える規模が浮かび上がる。
もちろんこれは生産台数そのものではなく、販売額からの概算にすぎない。しかし、超再生式玩具トランシーバが単なる珍品ではなく、1970年代半ばには大量消費財として市場を形成していたことを示すには十分である。
興味深いのは、FCCが最終的に、超再生受信機そのものを禁止しなかった点である。規格に適合する超再生受信機であれば、方式そのものを排除する必要はないと判断されたのである。[1]
ここには、低価格な玩具通信機を成り立たせる技術として、超再生がなお不可欠であった事情がよく表れている。
6. トランジスタラジオからPart 15トランシーバへ
ここで、トランジスタラジオから玩具トランシーバへの接続を考える必要がある。
1950年代末、日本製トランジスタラジオは米国市場へ大量に流入した。1959年には、日本から米国へ600万台を超えるトランジスタラジオが輸出されている。
この輸出を担ったのは、ソニーや東芝、日立、松下のような大企業だけではなかった。日本国内には、部品メーカー、輸出商社、そして多数の中小組立業者が存在し、安価な小型電子機器を米国向けに大量供給する仕組みが形成されていた。[4]
この急成長は、すぐに日米間の摩擦を生んだ。
1959年には低価格の日本製トランジスタ輸入をめぐって米国側から保護要求が出され、1960年には通産省が米国向けトランジスタラジオ輸出に数量枠と最低価格を課した。さらに1962年には、香港経由の迂回輸出や、日本製トランジスタを用いた香港組立ラジオの問題も生じている。[5]
このことは、日本の小型電子機器産業が、単にラジオを作っていたという以上の意味を持つ。
そこには、米国市場の低価格商品を読み取り、部品を調達し、小型筐体に組み込み、輸出商社を通じて大量に送り出すという、ひとつの産業的な型が成立していた。
この型は、玩具トランシーバにもそのまま応用できた。
Part 15の低出力ウォーキートーキーは、米国では免許不要の短距離通信装置として、ラジオ玩具やホビー用途に位置づけられていた。1976年のFCC資料は、26.96〜27.27MHz帯で、免許を要するCB局と、Part 15の低出力ウォーキートーキーが同居していたことを記録している。[1]
重要なのは、これらのPart 15機器が「高性能な無線機」ではなく、低価格な玩具・ホビー向け通信装置として扱われていた点である。
FCCが49MHz帯への移行を検討した際、超再生受信機を禁止する案に対して、General Electric、Midland、Radio Shack、EIAなどは強く反対した。非超再生式の受信機を要求すれば、小売価格が大幅に上がり、低価格ウォーキートーキー市場が成り立たなくなる、というのである。[1]
ここに、トランジスタラジオと玩具トランシーバを結ぶ回路が見える。
日本のメーカーは、すでにトランジスタラジオで、安価な部品、手作業を含む組立、輸出商社、米国向け大量販売という経験を蓄積していた。
そこへ、超再生式の1石RF+2石AFという低部品点数のトランシーバ回路が現れた。Part 15の低価格ウォーキートーキーは、この日本型小型電子機器輸出の生産基盤に非常によく適合した商品だったのである。
米国国際貿易委員会の資料は、Part 15の低出力トランシーバを通常のCBトランシーバとは別扱いにしているため、玩具トランシーバ単独の日本製造台数をそこから直接読むことはできない。[8]
しかし同資料は、日本企業が1960年代初めから米国向けを主目的にCBトランシーバを製造していたこと、1970年代には日本が米国CB輸入の支配的供給国であったことを明記している。[8]
したがって、玩具トランシーバは、米国で考案されたPart 15/CB風の低出力通信機が、日本のトランジスタラジオ以来の小型電子機器産業に吸収され、低価格・大量生産商品として展開していったものと見ることができる。
そこには、技術史だけでなく、日米貿易摩擦と輸出型電子工業の歴史が重なっている。
7. 日本の小型電子工業と玩具トランシーバ
この輸出型電子工業の裾野は、玩具産業とも深く重なっていた。
1960年ごろの日本は、米国に次ぐ世界第2位の玩具生産国であり、国内で製造された玩具の約3分の2が輸出されていた。[6]
また、1965年から1970年にかけての米国玩具輸入においても、日本と香港は主要な供給源であり、日本は玩具分類における大きな供給国であった。[7]
したがって、玩具トランシーバは、単に米国で考案された超再生CB回路が玩具化したものではない。
それは、トランジスタラジオで鍛えられた日本の小型電子機器産業、輸出商社、部品供給網、そして玩具製造業が交差した場所で量産された商品でもあった。
1970年代のCBブーム期には、日本は米国向けCB機器の圧倒的供給国となった。
米国国際貿易委員会の資料によれば、日本企業は1960年代初めから米国向けを主目的にCBトランシーバを製造しており、1970年代半ばには米国のCB機器輸入において支配的な供給国となっていた。1976年には、米国に輸入されたCB機器の大部分を日本製が占めていたとされる。[8]
ただし、ここでいうCB機器統計には、本格的なCB機と玩具的な低価格ハンドヘルド機が必ずしも同じ形で集計されているわけではない。
米国資料には、低価格のハンドヘルドCB機を “Toy-type, CB” として区別し、主要統計から除外する箇所もある。[8]
したがって、日本が玩具トランシーバ単独で世界最大の生産国であったと断定するには慎重であるべきだろう。
しかし、日本が1960〜70年代において、玩具、小型電子機器、CBトランシーバのいずれにおいても最大級の輸出供給国であったことは、複数の資料から十分にうかがえる。

8. 27.125MHzの小さな無線文化
やがてこの系譜は、27.125MHz、すなわちCBチャンネル14付近を用いる玩具トランシーバとして広く普及する。
27MHz帯の小さな送受信機は、少年たちの手の中で「無線機」として経験された。
もちろん、それは本格的なCB機とは異なる。出力は小さく、受信機は超再生で、混信にも弱い。それでも、呼びかければ声が返ってくるという経験は、無線通信の魅力を十分に伝えるものであった。
この意味で、玩具トランシーバの起源は、単なる玩具産業史ではない。
それは、制度、周波数割当、半導体技術、国際貿易、そして回路技術が交差した地点に生まれた小さな通信文化である。
Part 15の低出力通信という制度的余白があり、27MHz CBという市民無線の流行があり、トランジスタの普及があり、日本を中心とする輸出型小型電子機器産業があり、そして超再生という「安くて荒いが、驚くほど効く」受信方式があった。
玩具トランシーバは、無線技術の末端に位置するものではない。
むしろそれは、無線技術が大衆化し、玩具化し、子供の手にまで降りていく過程を示す、きわめて興味深い存在である。
高性能化の歴史だけを見ていては、このような技術の広がりは見えてこない。
粗末で、安く、雑音まじりで、それでも確かに声が届く。
その一点において、玩具トランシーバは無線通信の本質を、小さな箱の中に閉じ込めていたのである。
関連記事
参考資料
[1] Federal Communications Commission, Low Power Communication Devices in the 49.82-49.90 MHz Band, Federal Register, 1976.
https://archives.federalregister.gov/issue_slice/1976/2/18/7394-7407.pdf
https://digital.library.unt.edu/ark:/67531/metadc701358/m1/1167/?q=%22Literature%22
[2] Thomas H. Lee, “Tales of the Continuum: A Subsampled History of Analog Circuits,”
IEEE Solid-State Circuits Society News, Fall 2007. Norris の3石CBトランシーバと玩具ウォーキートーキーへの影響を扱う回顧記事。
https://rincon-mora.gatech.edu/classes/ana_history.pdf
[3] Jerry Norris, “Three-Transistor CB Transceiver,” Electronics World,
November 1962, pp. 38–39.
https://www.worldradiohistory.com/Archive-Electronics-World/60s/1962/Electronics-World-1962-11.pdf
[4] The Rutherford Journal, “The Transistor Radio in Japan and the United States.” 日本製トランジスタラジオ輸出と中小メーカーの展開に関する記述。
https://www.rutherfordjournal.org/article020110.html
[5] Kenneth Flamm, “Mismanaged Trade? Strategic Policy and the Semiconductor Industry,” Brookings Papers. 日本製トランジスタラジオ輸出規制・日米摩擦に関する記述。
https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/1993/01/1993a_bpeamicro_flamm.pdf
[6] Takara Tomy, corporate history / CSR page. 1960年ごろの日本玩具産業と輸出比率に関する記述。
https://www.takaratomy.co.jp/english/company/csr/community/vitalization.html
[7] United States Tariff Commission, Toy Trucks from Japan, 1971. 1965〜1970年の米国玩具輸入における日本・香港の位置づけ。
https://www.usitc.gov/publications/tea/pub372.pdf
[8] United States International Trade Commission, Citizens Band Radio Transceivers from Japan, Publication 852, 1978. 日本製CBトランシーバ輸入、Part 15機器の扱い、Toy-type CB の扱いに関する資料。
https://www.usitc.gov/publications/docs/pubs/201/pub852.pdf
ほかの記事も用意しています。よろしければ、http://www.lowpowerradiolab.org/ にもアクセスしてください。
