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自分の文章は冷たい?元新聞記者、最近の悩み

 もうすぐ8月が終わる。

 じりじりと肌を突き刺すようだった強い日差しは、8月中旬を境に急に弱まり始めた。最近は風もさらりとしていて、わずかながら冷気を帯びている。だらだらと居座り続ける日本の夏と違い、アメリカ北東部の夏は潔く去っていくらしい。

 最近、他のクリエイターの方々の投稿を読んでいて気づいたことがある。バックグラウンドや発信している内容は個々で違うが、皆、感情の表現が素直、かつ豊かであることだ。こうした文章は読んでいると気持ちが揺さぶられる。

 それと同時に、自分の言葉にそういった力があるだろうかと顧みてしまう。私は自分の気持ちを文章に乗せることに難しさを感じている。感情の入っていない文は温度感が薄いような気がする。

 文章に感情を込めることがなぜ難しいのか、自分なりに考えてみたい。




新聞記者としての書き方


 noteは新聞社退社をきっかけに始めた。記者として働いていたときは、取材して書くのが仕事だった。

 新聞記事には、最も重要な情報から順に書いていくというルールがある。そのため、取材した情報を基に、事実を淡々と書き並べていく。

 「何がニュースなのか」という判断は記者に委ねられているが、自分の感情を文章にのせることはない。むしろ、自分の感情が入り込まないように注意しながら文章を書いていた。

 コラムやグルメ紹介記事など一部の例外はあるが、記者時代は自分の感情を排して書くトレーニングを重ねてきたようなものだろう。


noteとの違いに戸惑う


 一方、noteの他のクリエイターの方々の投稿を読んでいると、自分が経験したことを通して感じた気持ちをストレートに表現するのが大切だと感じさせられる。「この人はこのように考えるのか」「自分ならどうするのだろう」などと、自分を振り返る間を持たせてくれるのだ。

 文章を書くという点では記者と同じだが、意識することは真逆である。この書き方にはまだ慣れておらず、戸惑いながらパソコンと向き合っている。どうも感情を出し切れていない気がするのだ。


心の奥にある壁


 理由を考えると、1つ思い当たる。「私が感じたことなんて書く価値があるの?」と心の奥深くで思っているからだ。

 記者時代の価値観は、「何がニュースなのか」である。ニュースとは基本的に「最新情報」とか「初めての出来事」のことだ。

 自分の置かれた環境や体験したことは、中には特殊なものもあるかもしれないが、ニュースではないだろう。無意識に自分の中で壁をつくってしまっているのである。


自分なりの文章を探して


 この壁は厄介だ。仕事でもないし、別に書かなくても何も問題はないからだ。しかしせっかく時間をかけて書いているのだから、自分で納得がいく形に仕上げたいし、自分にしか書けないことを書きたい。

 元記者として冷静に物事を見つめる視点に加え、自分の感情も生かしたスタイルを模索したい。楽しみながら、書き続けていく。


NYのワン・ビーコン・コート・コンドミニアム。「不思議な形だな」と思って写真を撮った。後で調べたら、ここは正面ではなく裏手のようだ




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