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「すべき」が苦しい

 言葉は、切りつけて人をじわじわと追い込むナイフのようでもあり、一瞬で心を打ち砕く弾丸のようでもある。

 言葉のやりとりをする際には、意図せずして相手を傷つけたり、逆にちょっとした言葉で傷ついたりする可能性が常に付きまとう。しかし、自分の気持ちを内に内にしまっておくのも自分の気が持たないということで、ここにいろいろ書いている。

 書く際には、自分の言葉がナイフや弾丸になっていないかと不安になる。気を付けたからと完全に防げるとは思わないが、鋭利な刃の「角を落とす」ことくらいはできるのではないかと考えている。

 Xなどのソーシャルメディアを見ていると、「すべき」という言葉が目立つ。概ねそれは正しいことなのだと思うが、見るたびになぜか胸が苦しい、息詰まるような気持ちになる。

 同時に、自分も「すべき」という言葉を使っているのではないかと不安になる。この気持ちを、自分の文章を読んだ人に味わせていると思うと恐ろしい。

 もちろん、状況によっては「すべき」と強く言う必要がある場面はあるだろう。しかしながら、「してほしい」などの表現で伝わるなら、その方が丸く柔らかい。

 こうした感覚を抱くのは「すべき」という言葉だけではない。ソーシャルメディアのアルゴリズムによって、インパクトのある言葉が注目を浴びやすいのだろう。だが、投稿を見るのはあくまで心のある人間である。言葉の表現や強弱にはできる限りの注意を払いたい。改めて自らを戒める。


大雪となった今日。ストロボをたくと、雪のつぶが輝いた。日本の雪よりも乾燥していて細かい



きょうの1曲




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