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曼殊沙華【幸手権現堂秋祭り参加作品】


 沙希さきが一番に向かったのは「あの場所」だった。
 
 権現堂堤。(ごんげんどうつつみ)関東有数の桜の名所として知られ、シーズンには全国から多くの人が1kmは続くその桜色の天蓋の道と風光を楽しみにやってくる。その昔、日光道の幸手宿として栄え江戸期将軍家日光社参の御成道が重なるこの重要地を利根川支流、権現堂川の氾濫から一帯を守るため繰り返し築堤された堤の内側に作られたのが現在の堤。明治天皇巡行の際にはこの地を訪れ、行幸みゆき提とも地元では呼ばれる。大正期から始まった桜の植樹によりこの地は桜の名所として賑わいを常としていた。
 その美しさは今や春の桜とその周りを黄色に彩る菜の花だけではなく、初夏の紫陽花、秋の曼殊沙華、冬の水仙と一年を通じて人々の心に記憶を残す場となっている。
 
 沙希の祖母「みよ」はそんな場所をずっと守ってきた。そして忘れ得ぬ想いを抱いていた人でもあった。

「ただきれいだあ 見てるだけよ」
みよはそう言って大人になった沙希に話していた。

 沙希が知らない曾祖母にあたるみよの母は農作業の帰り道、幼いみよの手を引き権現堂堤の工事の様子を見ていたという。みよの父もその工事に徴用されていた。やがて完成した堤には桜が植えられ、そこに住む人はもちろん日光街道を行く旅人も足を思わず留める見事さだったという。
 
 月日は流れ十六の歳になったみよは隣村の農家の次男坊の嫁となる。暫くは平穏な暮らしが続いたものの、戦争がはじまりその戦局が悪くなり始めた頃、みよが支えたその人は届けられた一枚の紙をもって戦地へ駆り出され、そして一枚の紙きれでその魂をお国へ捧げたと知らされた。まだ子供ができていなかったこともあり、みよは嫁ぎ先からいとまを出される。実家に帰ってきたみよは懸命に働いた。幸せの意味など考える暇もなく、悲しみに暮れる暇もなく。
 
 その頃の権現堂堤の桜は戦時中の燃料供出を理由にほぼすべてが伐採されていた。誰もが足を止めその美しさに心を洗っていたその風光は、ただ重い足を前に向かわせる残された者たちが、腰を下ろしのどの渇きを僅かに癒すために水筒を取り出すだけの場所となっていた。しかし1949年に当時の町長が中心となり桜の植樹をしその景観を復活させたのだ。それから権現堂堤はその桜のシーズンだけではなく四季折々の表情をみせ、集う人の心を休ませてくれた。みよはその権現堂堤の景観保存に役場の人間と共に戦後ずっと労力を惜しまなかった。そして活動の中で知り合った男性と再婚をし子を授かった。それが沙希の父、忠雄である。みよと祖父、そして沙希の父、忠雄は権現堂堤を守る活動をずっと続けていた。そんな姿を見続けた中、沙希もNPOに参加しこの地を守る活動を自然と受け継いでいたのであった。

 みよが子供の頃の沙希を連れ、この堤で語った話があった。沙希はなぜかその話をずっと忘れられずにいた。

「ばあちゃん、もうすぐ桜が咲くさね」
「うんだ、今年もねぇ。花は律儀に毎年咲いてくれるさねぇ」
「ばあちゃん、りちぎってなに?」
「ああ、沙希にはちっと難しいねぇ。やくそくをちゃんと守ること」
「やくそくは守らんといかんねぇ」
「うんだ、守らんといかんねぇ」
「さき、きのうお手伝い忘れてお母さん言われた。やくそくじゃんて」
「あらあ?、沙希は賢いのに忘れたか」
「うんだ、忘れた」
「しょんないよ(しょうがない)たまに忘れることもあるさねぇ。人だからねぇ」
「きれいに咲いても、散ったら忘れちゃう?」
「うんだねぇ、桜はいっときだけ。菜の花も咲くけんどまた来年じゃ忘れるか」
「ずっと咲いてたらいいのに」
「うんだ、ずっと咲いてたらあの人も忘れんかねぇ」
「あの人ってだれ?」
「だれでもねぇ さあけえろ」

 ☆☆☆☆

 「みよさん、精がでるねぇ」息子の畑仕事を手伝っていたみよに市役所に勤める男が声をかけた。彼の名は林太一はやしたいち。市の観光課に努める青年である。土木事業の現地視察の帰り道、みよを見かけ車を停めたのだった。
「ああ、林さん」
「聞きましたか? 決まりましたよ。堤に曼殊沙華も東側に植えられることになったんですよ」
「うんだ、聞いてます。孫から」
「秋が楽しみで、沙希ちゃんもNPOで熱心に動いてくれてるし、みよさんや忠雄さんがなんだかんだ働きかけてくれたおかげなのさ。みよさんは堤の守り神だんね(だよね)」
「すったらこと(そんなこと)ばあさんに言ってもしょんないよ(しょうがないよ)なんも出ねえよ」
「ははは、ほいじゃあね」林はそう言って再びエンジンをかけた。車が通ざかっていくのをみよは暫くの間、見送る。
「母さん、どうした?」息子の忠雄が声をかける。
「いや、なんでもねぇ」みよは視線を落とし、また作業を続けるのだった。

☆☆☆☆

 梅雨の季節、数年前に植樹されたあじさいが随分と増え、沙希の属するNPOが主催となってあじさい祭りが開かれる。春先だけだった観光客も県内外から多くの人が訪れるようになり街は活気づく。当然に沙希は忙しくも充実した毎日を送っていた。期間中だけでなく桜を中心とした木の保全を中心とした維持管理の仕事は多岐にわたる。関係各所との連絡調整も含め沙希は無くてはならない存在となりつつあった。

 「沙希ちゃん、どうかな。話…… いつ行けばいい?」
林太一は会場の不具合が無いかの点検中の沙希に声をかける。沙希はよそよそしく点検簿に記録をしながら目線を太一にむけない。
「どうしたんだよ」
「今、忙しいけ、あとで、連絡するから」
「やっぱり、あの話、気になるか」
「あたりまえじゃん。太一さんがおばあちゃんの死んだ最初の旦那さんと親戚だって、おばあちゃんに、お父さんにも言いにくい」
「けど、もう昔のことじゃん」太一はつい口を滑らせた。
「太一さん、おばあちゃんがなんでこの堤をずっと守ってきてたかわからない? それにお父さんだって複雑だと思うよ。そりゃ反対はしないと思うわよ、あたしたちの結婚には。けど、あたしだってあなたから聞いて初めて知ったのよ。びっくりするわよ。びっくりしておばあちゃん寝込みでもしたらどうすんのよ」
「いや、ごめん。そんなつもりは……」
「だから、もうちょっと待ってよ。今は秋の曼殊沙華の開花予想も気になるし」
 
 沙希は自分が思う以上にいら立っていることに気づいていた。太一のせいではない。自分もそんな昔の話で、とは思う。しかし桜を毎年見つめるみよの姿を見ていると、自分たちを大切に育ててくれた祖母とは別の、女性としての若き日の祖母の心情を思うと、そう簡単には言い出せないのだ。みよの誰にも明かさない痛み。何十年もの間、自分だけの心に秘めた気持ち。それを無理やり自分たちの都合で外からひも解くような真似はできないのだ。しかしいつかは話さざるを得ない。太一を愛する気持ちと父、祖母を大切に思う気持ちが堤の道を行ったり来たりしているように思えた。

☆☆☆☆

 「沙希、おばあちゃんにスイカ切ったから来てって」
「は~い」
 母の台所からの声に沙希はみよを探す。休みの日の午後。夏は容赦のない暑さで度々全国にも知れる。さすがにこの夏はみよも外へ農作業やら出かけることは少なくなった。
 縁側でぼんやりと座る、みよ。なんだか最近は小さくなっていくような気がする。沙希はひとつ息をはさんで声をかけた。
「ばあちゃん、暑いべ。エアコン効いてるとこへはいんな」
「うん? ああ、沙希。ちょっとここ、座れ」
「え、うん」怒っているような口調でもないが、みよの言葉に沙希は気詰まりな感を覚えてしまう。早くこの感じから飛び出さないとと沙希は座らずしゃがんで声をかける。
「ばあちゃん。お母さん、スイカ切ったけぇ。行こ」
「いいから、ちっと座れ」
「なに? ばあちゃん、なんかおっかねぇな(怖い)」
「んだ、ばあちゃんは沙希に怒っとる」そう言ってみよは沙希を睨み、すぐに破顔する。一瞬ではあったが沙希は肝を冷やした。
「何?」みよの顔は見ずに横に座り沙希はそう言った。
「おめぇ、林さんちの市役所の太一くんとなんかあったか」
 沙希はいったんひいた冷や汗を倍にして流した。目が泳いでどこを見ているのか自分でもわからない。
「なによ~、なんかあったかって、変な言い方」
「んじゃあ、太一君とはいい仲なんだんべ?」
「すったらこと(そんなこと)、誰から?」
「すったらあこと? おめぇ、ばあちゃんが何も知らんけぇ 黙っとるつもりか」
「いや、そうじゃないさ。まだ、そこまで……」
「おめぇ、ばあちゃんに気をつかっとるさね」
 沙希はすでに何も言えなくなっていた。その様子を見て、みよは沙希の膝の上の手を節の目立つごつごつとした自分の手で覆った。

 「市役所の弘子さんから聞いとるけぇ、わかってるよ」
市役所の弘子さんというのは太一と同じ観光課の女性だ。太一の上司でありベテランの副課長。世話好きであるがゆえに太一と沙希のこともいち早く感づき、太一も隠すに隠せなくなったと聞いた。もちろん沙希やみよとも付き合いは長い。いい人ではあるのだが今回ばかりは余計なことをと思ってしまう。

 「あの人はおめぇよりもばあちゃんのことを知ってるさ」
「弘子さん?」
「うんだ」みよは、ぽんぽんと沙希の手を優しく叩いて微笑んだ。今しか本心を話すときはない。沙希は澱まず話した。太一とのなれそめ、結婚の約束をしたこと。太一から、実は自分の家とみよは昔、縁戚関係にあったこと。そしてみよに対し太一の祖父らがした辛い仕打ちのことも。それ故になかなか太一との話を言い出せなかったことまで。
 
 「そうか、すまんかったねぇ。沙希」みよは沙希の手をもう一度ぽんぽんと叩いた。
「あの人、ばあちゃんの初めのだんなさんは林さんの茂一さんの弟でね。茂一さんは長男で優しい兄さんでねぇ」
「でも、太一さんの話じゃ、ばあちゃん追い出されて……」
「ありゃ、しょんない話だ。戦争で農家といえど食うのは精一杯。子供ができとりゃまだ違った、けんど子供できんうちにあの人は…… 茂一さんは世間体とかじゃない。まだ若かったばあちゃんに幸せになってくれと、いとまを出してくれたんさ。わたしゃありがたいと…… そのおかげでおじいさんと知り合い、再婚して、忠雄ができ、沙希が生まれたんさ。ありがたい。んだんべ?」
「ばあちゃん……」

 「あの人がねぇ、戦争に行くときは秋でねぇ。堤の桜は切られてないしねぇ。あの人は畔に咲いてた曼殊沙華の花をずっと見てっさ。それで、ぽつんと言うんさ。『権現堂堤に彼岸花もいっぺぇ咲いてたら晴れやかに行けるのにって』ばあちゃん、何が晴れやかにだと思ったさ。なんで生きて帰ってくるって言わんかてねぇ。葬式の花を先に咲かせてどうする? すったら話は聞けんてねぇ。ばあちゃん泣いてばっかりで、あの人も困ってたさ」
 瞼がさがり小さくしか見えないみよの瞳は、あの時の夫の姿と赤い曼殊沙華の花を見ている。桜に思いを寄せているとばかり思っていた沙希の心は揺さぶられた。祖母はいつかあの堤に赤い花を群生させたいと、昔から思っていたのだ。帰ってこなかった夫を彼岸に迎えるための精一杯のもてなしをしたかったのだ。奇しくもその願いは今秋にかなう。

 「沙希、太一君と幸せにねぇ。堤はいつも花を咲かせるところになったんだべ。皆が幸せになれるとこになったんだべ。沙希のおかげじゃ。ありがとねぇ」
 沙希はそれ以上の言葉をなくし、ただ小さなみよにすがりつくのだった。

 ☆☆☆☆

 秋の権現堂堤は見事な曼殊沙華の紅で人々の目を楽しませた。

 みよはそれを見届け、年が明ける前に静かに息を引き取った。弔いには太一の両親も駆け付け、みよの棺に深く頭を垂れた。その光景に太一と沙希は改めてみよに感謝するのだった。

☆☆☆☆

 「ばあちゃん、さっき病院から帰ってきたよ。赤ちゃんできたよ」
 他の季節にもまして鮮やかな色で出迎えた権現堂堤は、みよが喜んでいるのを伝えるようにざわめいていた。
堤は秋まつりの準備だ。大勢の人が忙しく行き交う。一足早く紅の群生を見ようと公園を散策する人も少なくない。
「ああ、沙希ちゃん。どうだった?」
準備のために来ていた市役所の弘子さんが沙希を見つけ声をかけた。
「うん、おめでたでした」
「いやあ、まあ、おめでとう。林君もパパかあ~。こりゃもっと頑張ってもらわんといかんべぇ」
「はは、そうさねぇ」
「林君には、言った?」
「はい、さっき電話で」
「そう。じゃあ早く役所帰って、みんなの前でお祝い言おう『パパ~、やったねぇ~』てさ」

 沙希は少し照れながら礼を言う太一の姿を想像した。祖母の言った通り、この堤は皆が笑顔になれる場所であるべきだ。悲しい過去はあってもそれを忘れるのではなく、いつ訪れても誰かしらの思いを先への幸せに繋げる。
 今年の夏も大変な暑さだった。秋の序章に紅華は通り抜ける風に首を振り、今、聞いた沙希の幸せを伝言しているように見えた。


完(5254文字)

※この作品は幸手市、権現堂堤など実在する地名や組織が登場しますが、完全なるフィクションです。


この作品は以下の皆さまからのご案内により参加させていただきました。


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