【掌編小説】初恋営業
天気をたしかめるように見上げないと、恭平とは目が合わない。
あの時は女子よりも低いぐらいだったのに、と玲那は目を見張った。変わったのは身長ばかりではない。当時は、伸びかけた芝生のようにツンツンとしていた頭も影を潜め、刈ったばかりのツーブロックになっている。
それでも、恭平の涼やかな目元は全く変わっていなかった。
「久しぶり。じゃ、行こっか」
恭平は、自分の変化にも、玲那の変化にも触れることなく歩き出した。玲那は、ずんずんと進む恭平に何も話しかけられないでいる間、何年ぶりかしらと指折り数え始めた。中学を卒業して以来、彼とは会っていなかった。そのまま別の高校、大学へと進み、今はお互い社会人1年目、つまり約8年ぶりということになる。
恭平から急に「会おうよ」とLINEが来た時、玲那の心臓は3cmほど持ち上がった。それでもすぐに返事をするのは重いかという懸念があった。1時間後に、「久しぶりだもんねー是非是非!」とわざと社交辞令っぽく返信すると、1分も経たずに「いつにする?」と返信が来た。
これほどまでに、すんなり……
初恋の人と会えること、あるだろうか。
先日初任給をもらったばかりの玲那には、気に入った服を買う余裕が少しだけあった。初夏らしい半袖の白いワンピースに、透け感のある水色のカーディガンを羽織って全身鏡をみた。あの時の自分とは違うはずだ。
やがて恭平は通り沿いの「喫茶ルノアール」で立ち止まり、ドアを押した。玲那も慌てて後ろからついていく。店員が空いている席に通して、向かい合わせで座った。
恭平と目が合うのが恥ずかしく、冷水の揺れる氷に目を落とした。
「久しぶりだね」
さっきから聞いていたのに、すっかり大人の男の人の声になっているのに改めて驚いてしまう。
「ひ……久しぶり」
透明な氷が、カラン、と音を立てた。
何から話すべきか、ぼんやりと浮かんでは沈んでいく。
会わなかった8年間のこと、同じクラスだった時のこと、それとも……あの日のこと……?
玲那の「あ……」という声と恭平の「楢崎さ…..」という声が重なった。
「あ、どうぞ」と恭平が促すのを「いいよ……大した話じゃないし」と弱く返した。
「じゃあ、ごめん。楢崎さんって、働いてるって言ってたね。何系?」
「不動産だよ」
「あー不動産か。不動産も受けたなー、デベロッパーとか?」
「ううん、賃貸。そんな大きいとこじゃないんだけど」
「へー意外。意外っちゃ失礼か」
「就活しんどくて、どの会社でも頑張るしかないか、みたいな」
「あー……わかる。俺も」
恭平は頬を人差し指で掻いて苦笑した。
「俺、保険業界で働いてるんだ」
そうして恭平はカタカナが多めの会社名を告げた。
「すごい、聞いたことある!外資?」
「……の、日本法人」
「すごいなあ……」
あまりにも大手の保険会社で、「俺も」なんて共感されたことが恥ずかしくなる。
やがて、店員がホットコーヒーの入ったカップを2人の前に置いた。
「その……楢崎さんの会社って、研修とかあるの?」
「あるよ。今は色々営業所とか回ってOJTだけど、泊まり込みの合宿もあってね」
「すごいブラックなやつ?」
「やだなあ、そんなんじゃないよ。座学で色々詰め込まれて眠かったけど」
「ダルイよなー」
「でも、頑張ったんだよ?最後のテスト、同期の中で1位だったし」
「ああ、いいな。そういうの真面目にやる子、好きだな」
恭平の言葉に揺れたことを気づかれたくなくて、玲那は手元のコーヒーを啜った。コーヒーのキリリとした苦味が、心臓の圧迫感を和らげてくれる。
「宮島くんは……?」と聞くと、恭平は「あーそれなんだけどね」と、また頬を掻いた。
「研修の一環で、10人に保険を売らなきゃいけないんだ」
「へー……大変だね」
「それでなんだけど」
と、恭平は言葉を切って、玲那の方を見た。今日会ってから初めて、目が合ったような気がする。恭平の喉仏がスッと持ち上がった。
「俺の会社の保険に、入ってほしいんだ」
玲那は、たった今理解した。
それなのに、前からわかっていたような気がした。
自分がここに呼ばれた目的が。こんなにすんなりと会える理由が。
そもそも、玲那の初恋は、いい思い出などではなかった。
クラスの中心にいた恭平とは、特別な話をしたことはなかった。けれども、他の男子が玲那を気にも留めない中、恭平だけは目を合わせて「おお、楢崎さんじゃん、おはよ」と言ってくれた。ただそれだけのことだ。
だから、修学旅行の消灯後、同じ部屋割りの女子たちで布団を被りながら、誰が男子で一番かっこいいと思うか……玲那の番が回ってきて、誰か一人をどうしても答えないといけなかった時「宮島恭平くん」と、初めてその名前を発音した。
暗がりにしゅわんと消えた玲那の声を、一人のはしゃいだ声が引き継いだ。
「え、恭平が好きなの?意外!」
「いや、そんな……好きってわけじゃ」
「わかるよーかっこいいもんね!」
玲那が肯定も否定もできないでいるうちに、他の女子たちは恭平の話題でひとしきり盛り上がり、そしていつしか、イケメンな数学教師に彼女がいるのかどうか、という話題に移っていった。
しかし、この言葉がはじまりだった。
いつの間にか玲那は「恭平のことが好き」ということにされた。「恭平が好きなの?頑張ってね」、と体育が一緒なだけの、隣のクラスの女子からニヤニヤしながら言われたこともあった。でも、なぜかその言葉をきっかけになのか、周りの言葉のせいなのか、わからないまま、恭平の涼やかな目元を追うようになっていった。恭平のことを、もっと知りたい気持ちにさせられて、どこかで「恋」という言葉を聞いた時に、自然と恭平のことを思い浮かべるようになっていった。
そんなある時、恭平を含む男子、三人と廊下ですれ違った。
遠くから、一人の男子がこちらをチラチラ見ながら恭平を小突いて笑う。
玲那は気にしないふりをして、廊下の真っ直ぐ先を見据えた。
すれ違った時、はっきりと、恭平の声が聞こえた。
「……無理だって」
声変わり中の掠れた語尾は、他の二人の男子の笑い声にかき消された。
玲那は、全身が熱くなるのをはっきりと感じた。自分は、クラスの中心にいる恭平を好きになることすら許されない立場にある、という事実。心をくすぐってきた恋心は、重しとなって心臓を圧迫した。
その後、恭平のことは受験の忙しさで段々と感情なしに思い出すことができた。高校、大学に進学して、玲那も数回は彼氏ができることになる。それでも「初恋」にカウントしていたのは、恭平だった。
そんな恭平が、今目の前にいる。
そして、保険を勧誘している。「無理だって」の言葉を、まざまざと思い出した。恭平に会える、となんの疑いもなく浮かれて服を新調していた自分が愚かしく、その情けなさは恭平への怒りに変わった。
「……私なら、断らないと思ったわけ?」
「そんなこと……」
「もしくは、断られても後腐れないから、呼んだってわけ?」
「違うんだって」
「あり得ない。私がいつまでも引きずってるわけない。宮島くん、あなたにね、無理って言われた時から私だって無理なんだから!そんな保険の勧誘なんて、あなたの仲間に言えばいいじゃない」
勢いに任せて立ち上がり、財布を取り出そうとした。
「楢崎さん、待って」恭平が手で制する。
「何?自分の分は払うから」
「そうじゃない、聞いてくれ……俺は片っ端から勧誘してるわけじゃないんだ」
「……どういうこと?」
恭平が立ち上がった玲那を見上げる形になった。玲那は取り出しかけた財布を戻して、ゆっくりと座り直した。
恭平は、うつむいて、口を開いた。
「俺は……幸せになってほしいんだ。初めて好きになった人に」
「……え」
「研修で言われたんだ。今まで出会った人を思い浮かべて、幸せになってほしい人に会いに行きなさいって。それで、一番に浮かんだのが、楢崎さんだった」
玲那は突然のことに思考が上手くまとまらなかった。
「嘘……そんなの。だって、あの時無理って」
言い淀む玲那に、恭平は言葉を重ねた。
「ごめん、あの時は失礼なことを言った。でも許してほしい。中学生の時だ、周りはガキなんだ、本当のこと言えるわけないだろ」
「そんな……」
「でも、後悔してる。あの時から、楢崎さんに避けられてるな、って思った。俺のことが好き…..なんて噂があってさ、調子に乗ってた。そうじゃなくても、好きだったのに……連絡ついて、すごく嬉しかった」
「……信じられない。営業トークでしょう?」
「そう思ってくれて構わない。営業トークだ。ただ、俺はこの会社の保険を本当にいいと思ってるんだ。それに、保険担当者として、ずっと見ていられる、何かあったら助けられる。どうでもいい人にはこんなこと言わない、むしろ、どうでも良くない人、本当に幸せでいてほしい人を担当したいんだ」
玲那は、恭平の話を聞きながら、中学時代の恭平を思い出していた。
「おはよ」と言った時に細まる目元、周りの男子とつるんではしゃぐ声、授業中にふざけて先生に叱られていたこと。女子よりも低い身長をいじられて笑い、それでもクラス対抗のバレーでスパイクを決めて得点したとき、なぜか涙が出てしまったこと。もし、青春というものがあるのだとしたら、彼はいつも、その真ん中にいた。その人が、今、自分の幸せを願って、だからこそ保険の担当をしたい、と言っている。
玲那は、顔を上げた。
「宮島くん」
「うん」
「馬鹿にしないで」
「え……」
目を丸くする恭平に、玲那は続けた。
「私は、自分で幸せになる。もし必要になったら、こっちから連絡するから」
呆然とする恭平を前に、玲那は今度こそ財布を取り出して、1000円札を置いて、「じゃあまたね」と店を出た。
恭平は、「喫茶ルノアール」の、玲那がいた席を眺めながら、会社の先輩に言われたことを思い出していた。
「……初恋営業ってなんですか?」
恭平がそう言うと、先輩は口の端を歪めてニヤリと笑った。
「好きだったんだ、って言って勧誘するんだ」
「そんなの……騙してるみたいで、嫌です」
「そんなこと言ってられるか。知り合いでもクラスメイトでも営業しないとこの業界はやっていけないんだ」
恭平は先輩に言われるがまま、「初恋営業」というトークスクリプトを作りこんだ。この台本で、9人は保険に入ると言ってくれた。話すたびに、虚実織り交ぜた話し方も、上手くなっていった。
玲那は、10人目だった。
やるせなさに、ため息が出た。
自分の気持ちに嘘をつくのに、ほとほと疲れてしまった。
玲那の緊張していた面持ち、それがほぐれてきた時の柔らかい声、疑いの冷たい眼差し、そしてきっぱりとした意志で、去っていった背中、水色のカーディガンの下で、揺れた白いワンピース。あの頃と同じ、ポニーテール。
8年間、彼女はどんな風に過ごしてきたのだろう。その期間どころか、彼女の今までを何も知らないままだった。
すっかりぬるくなったコーヒーを啜りながら、ひとりごちた。
「嘘は上手くなっても、本音は下手なままだな」
(了)
読んでいただきありがとうございます!
初恋営業、という話を書きました。
「 #何の企画でも賞でもない小説を普段から書けるようにしておきたい 」という自分一人でしている取り組みの6作目です。
発想の源泉は、クラスメイトの男子に保険の営業されて嫌だったな……という個人的な思い出でした。その男子を好きになってたとかでもないのですが
今までの、「 #何の企画でも賞でもない小説を普段から書けるようにしておきたい 」を貼り付けます。興味がある作品があれば、ぜひ読んでみてください!
◾️1作目
◾️2作目
◾️3作目
◾️4作目
◾️5作目
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