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米軍ハウスのなぞ:その5

(建築と文化のささやかな考察 01)

第5章 アメリカ人が明治時代に学んだ日本建築

(ペリー来航以降の日本建築への関心)

難易度:★ ★ ★ ★ ★
さて、前回からの続きになります。
さていよいよ最終章です。トップギアで、すごく専門的になります。

建築には、『モジュール』という概念があります。
辞書でモジュールという言葉の定義は、以下のように書かれています。

(建築材料・歯車などの)基準寸法、基本単位。
(建築材料・家具などの規格化された)組み立てユニット。また、装置・機械・システムを構成する、機能的にまとまった部分。

わかりやすいイメージでいうと、方眼用紙のグリッドを思い浮かべてください。あのグリッドが、建築工業規格的なモジュールの姿なのです。

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これは、建築資材が近代において大量生産され、寸法の規格化が必要になったために生まれた概念です。

たとえばベニヤ板(合板)の寸法は、日本では910mm×1820mmと決まっていて、アルミサッシや既製玄関ドアなどもこの寸法を基準に作られています。
ヨーロッパやアメリカなどの世界基準では、1220mm×2440mm(4フィート×8フィート)もしくは、1250mm×2500mmという、タテヨコ比が1対2の寸法で合板が作られています。

こうしたモジュール概念は、一般的には建築素材の大量生産化が進んだ20世紀になってから明確に意識されるようになりました。
欧米では、石造建築が長らく主流だったこともあり、近代以前にはこうした寸法規格の概念はあまり重要視されてこなかったのです。

しかしモジュールの概念を、世界の中で最も古くから認識していたとされる国があります。
それは、室町時代(1336年~1573年)の日本です。

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日本では、室町時代に部屋に畳を敷き詰める文化が定着したため、畳を美しく敷きこむための寸法的整合性が必要とされました。
その結果として、構造材の寸法や配置に一定の基準が生まれ、畳を単位とした明確なモジュール体系が成立しました。
柱のサイズは120mm×120mm(4寸×4寸)、柱の配置は910mm×910mm(3尺×3尺)のグリッド上に配置を行うことで、美しく整った空間が生まれたのです。

この日本独自のモジュール概念に、もっとも強く関心を示したのが、意外にもアメリカでした。学術的な研究によれば、1870年代から1950年代にかけて、アメリカの建築雑誌に日本の木造建築に関する論文が275件も掲載されていたと記録されています。
(参考文献:中谷礼仁・Gregory Clancey・内田青蔵「近代アメリカでの日本建築およびその従事者への認識の変遷と構造」『住宅総合研究財団研究年報』第26号、2000年)

ペリー来航(1853年)や明治維新(1868年)を考えると、驚くほど早い時期から日本建築にアメリカが注目していた事がわかります。この日本建築研究は、当初は東洋美学の探求として始まりましたが、やがて欧米にはなかったモジュール研究へと繋がっていきました。

工業規格としての大量生産合板の誕生は1928年のアメリカとされます。つまり、欧米におけるモジュール概念の実践は、そこから始まったという事になります。
対して日本は、14世紀後半の室町時代にモジュール概念を実用化していたことになるため、500年以上も世界に先行していたと言えるかもしれません。

アメリカで生まれた独自の木造工法である「ツーバイフォー工法」も、この文脈で注目に値します。
この工法は、規格化された合板(1220mm×2440mm)と木材を組み合わせて構造パネルを作り、釘やネジで連結し、壁や構造体を形成するものです。
アメリカにはそれ以前にも木造建築はありましたが、1928年の合板誕生を機に大きく進化しました。

日本建築のモジュール概念がツーバイフォー工法に影響を与えた可能性は十分に考えられます(学術的な裏付けを検証中)。
石造建築が主流だった欧米にはない概念であったことから、ツーバイフォー工法の開発技術者が、明治維新直後から行われていた275件の日本建築研究が載ったアメリカの建築雑誌のいくつかに、触れていた可能性は十分に考えられます。

しかし、このモジュール室町時代発祥説は、日本国内では“ほぼ通説”となっていますが、世界的には1928年アメリカ発祥説が通説になっています。それは言語の壁や、畳が工業製品としてみなされていないという事に原因があります。

大工の息子としては、納得がいかないですが、それも仕方ないと思いつつ、いつか世界の通説になることを夢見ています。

アメリカの映画やテレビドラマに映される、アメリカの住宅街の90%程度が、ツーバイフォー工法によって建設されています。

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さて時を遡り、室町時代より前の平安の時空から、現代という地平線までを俯瞰して、畳が紡いだ物語を見てみましょう。

平安の床は荒い板張り床で、隙間風が地面から室内に吹き上がり、畳は座る場所や寝る場所に置かれた1枚のマットの様なものでした。そして部屋の仕切りは布や屏風で緩く区切られていました。
やがて室町時代に武士の儀礼空間(書院造り)として成立した部屋に畳が敷き込まれるようになりました。そして、畳のモジュール概念を強化するように、障子や襖などの「動く壁」が畳の間に(柱の間でもある)敷居と鴨居というレールの中に置かれるようになりました。さらに天井は竿縁天井という、モジュール概念に親和性の高い天井様式が生まれ、押入れや床間なども、モジュール空間に嵌め込まれていきました。寝具の一部であった畳が空間の生成に寄与したため、このモジュール概念は身体に合った寸法体系になったのです。

少しだけ、2025年の東京の時空に視線を戻します。

昨年より僕はDIYにハマっていて、近所のDIYショップによく行くのですが、910mm×1820mm×18mmの集成材をレジに運ぶことが多いのです。その際に、持ち運びの良さに感心します。910mm×1820mmのサイズは室町時代に成立したモジュール概念を踏襲したものです。尺貫法で言うと3尺×6尺です。
持ち運ぶと痛感します。
「ああ、日本の建築モジュールは持ち運び良さや、それに伴う交換作業の簡素化という身体性を前提としているのだ」
と、しみじみ思うのです。
世界標準の1250mm×2500mmの合板だったら台車がなければレジまで運べません。デカすぎです。

そして再び、さきほどの平安の時空へと視点を戻します。

室町時代に成立したモジュール概念は、数寄屋建築などに移行して、モジュールから空間をズラす(雁行させる)などの操作を導入することで、概念は拡張し、建築技術として成熟していきます。
明治維新以降は、このモジュール概念は海を越えてアメリカで研究され、日本国内では大壁和風(柱を隠す壁の建築)という和洋折衷の和空間を生み出して、椅子やテーブルの日常化に従って、畳は徐々に姿を消していきます。

しかし現在のDIYショップには、畳が産んだモジュール概念の空気が、ショップいっぱいに充満しています。

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さて、こうした歴史的背景を踏まえて、米軍ハウスを再び見てみましょう。ちょっと解像度が上がってきたように感じませんか?そして、その建設に従事した日本人大工の心情が、とても複雑だったということが想像できると思います。
なんというか、アメリカ住宅に多大な影響を与えた可能性がある日本人大工に失礼なことをするなよ、って僕は思います。
ちょっと悔しいです。

この文章を、僕の父と、父の職人仲間たちに捧げます。特に畳屋の鶴岡さんは僕に日本の畳技術の素晴らしさを教えてくださいました。
職人仲間の宴会で、大座敷の畳に誰かがタバコで焼け焦げを付けました。鶴岡さんは、その穴を爪楊枝だけでチョチョッと直し、あっという間に目立たなくさせました。幼い僕はその技術に驚嘆しました。50年以上前の事だから時効が成立していると思います。

以上、長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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日本の古図面。3尺×3尺のモジュールが感じられる図面です。

参考文献一覧(五十音順)

■ 書籍・論文

1. 関野貞『日本建築史講話』岩波書店、1937年
2. 梶山英幸・大浦修二『世界で一番やさしい2×4住宅』エクスナレッジ、2020年
3. 中谷礼仁・Gregory Clancey・内田青蔵「近代アメリカでの日本建築およびその従事者への認識の変遷と構造」『住宅総合研究財団研究年報』第26号、2000年
4. 中谷礼仁『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005年

■ ウェブサイト・一次資料

11. 株式会社磯野商会公式サイト(ジョンソン・タウン運営)

12. 狭山市観光協会サイト(ジョンソンタウン紹介)



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