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[小説]ソグディアナ物語〜前編


ソグディアナ物語 前編




煌々こうこうと沙漠の月に照らされて
駱駝らくだ山羊やぎも眠るオアシス


はるかなる天山てんざん超えて亀茲国きじこく
チュルクの馬と共に旅征く






[小説]ソグディアナ物語


序章     夢の中で


夢の中でぼくは沙漠にいた
夢うつつの静寂を
月は優しく照らしている・・・

夢の中で目覚めたら
荒涼たる沙漠にいた

夢だとわかっているのに
うつつのような
ふわふわとした
朝の光の中を進んだ

メェメェと鳴く
山羊や羊たちを追いながら
長い列を成し
隊商は進む・・・

ぼくがまたがっているのは・・・
ラクダ?

険しい山道を登ると
向こうから馬にまたがる
精悍せいかんな男たちがやってくる

湖のそばには美しい花畑…
再び熱砂が顔に叩きつけてくる
目や口にはザラザラとした感触

曖昧あいまいな夢の中
賑やかな声が聴こえだした
そこは異国のバザール
カラフルな市場を抜けて
オアシスの緑の中へ
ぼくは進んだ

おおらかで闊達かったつな異国の人々の賑やかな声
見慣れぬご馳走…うたげ
かなでられる異郷の楽器
そこで…
舞を舞う娘は・・・
誰なのだろう?

ぼんやりと彼女の笑顔が見えかける
直前で…
夢からさめた

目が覚めた「ぼく」の心には、
懐かしさと切なさが残っていた
胸が熱くなるのはどうしてなのだろうか?
あの娘はいったい誰なんだろう?







第一章 舞台稽古


 ソジュンには幼い頃から、何度もみる夢があった。

かき鳴らす弦楽のリズム
異国のかけ声
踊る娘たち
ひとりの娘が彼に微笑みかける・・・


 その顔が見えそうになるところで、いつも目が覚めた。

「今朝も、またあの夢をみた・・・
あの娘は誰?あそこは、いったいどこなんだろう?」 


 彼は、キム・ソジュン。
 二十歳でバンドデビューし、今はミュージカルの舞台にも立つ。

「ソジュナ!そろそろ、次のシーンから読み合わせを始めるぞ!」
 今は間近に迫った弘大ホンデミュージカルの舞台稽古の最中だ。
「OK!明日は通しでリハーサルする。解散!」

 監督の声に緊張は解けた。
 俳優たちはガヤガヤと楽屋へ戻っていった。

「ソジュナ、なあ、昼メシ行かないか?」

「あ、미안 ミアン(ごめん)、今日は約束あってムリなんよ」

「そっか、了解、楽しんできて。じゃ、明日の稽古でね!」

 ソジュンは、急いで着替えると
ジャケットを羽織り、弘大ホンデの街へと飛び出していった。




第ニ章 若者の街 弘大ホンデ


 コロナで静まり返っていた街は賑わいを取り戻し、弘大ホンデにも若者たちの活気が戻っていた。

 学生時代にインディーズを組んだ純一が日本から来る。二人が会うのは約三年ぶり。路上ライブをしていた懐かしい弘大ホンデで会うことにしたのは、ソジュンの次回公演の劇場がここにあるからでもあった。
 弘大ホンデは、ファッションの店やオシャレなカフェも多い若者の街。アーティストたちの創作の発信地でもある。週末になると工芸品やアクセサリーのフリーマーケットで賑わう。ここのバスキン(路上ライブ)でデビューする者も多いからインディーズバンドの聖地とも言われる。

 二人は、弘大ホンデのミュージカルショーNANTA劇場の近くのカフェ「943KINGS CROSS」で待ち合わせしていた。

 「久しぶりだから韓国語が話せるだろうか…」と、ちょっと心配していた純一だったがソジュンが見えた途端、普通に言葉は出てきた。
「ソジュナ!」
「あっ、ヒョン!待たせてごめん」
「いや、さっき着いたばかりだよ」
 二人は食事のオーダーをして、二階に上った。
 席に着いてからも純一は目をキラキラさせて辺りを見回している。

「うわー、まるでハリーポッターの世界だ。あの『ハリーポッターの衣装』を着て、記念写真も撮れるんだね!」
「前にハリーポッター好きだって言ってたからさ。せっかくだから後で撮ろう。そう言えばさ、日本には新しくハリーポッターのスタジオ出来るんでしょう?休み取れたらいくつもりなんだ。その時は、ヒョンのところに泊めてくれる?」
「もちろん!楽しみだなあ。
とにかく、今日はありがとう。舞台直前なのに時間取ってくれたんだろう?」
「ヒョンこそ忙しい中、来てくれて嬉しいよ。で、ソウルにはいつまでいる?」
「三泊だよ。明日から学会で会議があるんだ」

 二人は同じ年の生まれ。タメ口でしゃべっていたが、誕生日が少しだけ純一の方が早いので、ソジュンは純一を『ヒョン』と呼んでいる。

 純一の大学の卒論テーマは「異文化交流と唐代のシルクロード」で、シルクロードに伝わる楽器の歴史に、のめりこんで大学院に進学。研究のためソウルの大学に留学した。

 講義やゼミの合間、弘大のバスキン(路上ライブ)を聴きに繰り出した。
 そこで知り合ったのがソジュン。仲間同士でカラオケに行くうちに意気投合して、その勢いでバンドも組んだ。

 でもインディーズバンドが路上で歌うと言っても、人はなかなか集まらなかった。

「どうせやるなら、何か目立つ事をやろうぜ」
「うーん…ギターでのバンドって多いしね。ヒョン、ギター以外の楽器って何かやれる?」
「そうだな、琵琶びわなら少しはやれるかな。昔、住んでたアパートの大家さんに習ったんだ…まあ、それが楽器に興味持ったキッカケっていうか」

비와ビパ?チンチャ!?伝統楽器やれるの?実は、おれはチャンゴやれるんだ」

「マジで?!琵琶とチャンゴならコンセプトいい感じじゃね?」


 そんなわけで純一が琵琶、ソジュンがチャンゴを演奏しながら歌おうと決まった。こうして「シルクロード☆JUN-JUN 」は誕生した。

 伝統音楽で使われる琵琶とチャンゴといっても、演奏スタイルは昔風ではなくラップを交えたロックナンバーだ。
   二人の歌唱力と、純一のクールさ、愛嬌あるソジュンのビジュアルにも注目が集まって女子中高生の話題に。動画がアップされてからは、あっという間に人気バンドとなった。

 次第にメンバーも増えて、ダンスの上手い仲間たちも加わった。
 大人なR&B、バラード曲とレパートリーを増やしていくとファン層も拡大した。特にメインボーカルのソジュンは人気で、週末には弘大ホンデに集まる、いわゆる推しの“ソジュンペン”(ファン)が目立つようになっていった。

 一方で留学生の純一は、帰国日が近づくにつれ、バンド参加も減って学業に専念するようになっていった。
   研究テーマは中央ユーラシアの文化交流史だが、シルクロード交易で活躍したソグド商人や各国の伝統音楽の歴史も研鑽していた。論文作成の忙しさで、次第にバンド仲間との関わりも減っていった。

 そんな頃、純一は、教授に紹介されて国楽の名手のお宅を訪ねることになった。
 玄関のチャイムを鳴らすと、聞きなじみのある声が明るく返答した。
(まさか、ソジュンか…?)

 純一の予想は当たっていた。

「隠してるつもりじゃなかったんだけど、わざわざいうタイミングがなかったんだ。미안해요 ミアネヨ(ごめん)…」
 照れくさそうに、ぼそっとソジュンは言った。
「え〜!まじ?…そういや、ソジュンの両親の話って聞いたことなかったもんなぁ」
「うーわ!대박 テバッ(ヤバっ)!教授のお気に入りの教え子ってヒョンのことだったってこと?」

  ソジュンの両親は、父親はチャンゴ(杖鼓)、母親はカヤグム(伽耶琴)と呼ばれる韓国伝統の国楽器の名手だった。
 ソジュンによると、彼自身も幼いころから伝統音楽をやっていたけど、十代半ばからKPOPや流行りのダンスに目覚め、純一と知り合った当時は両親に内緒で弘大ホンデに入り浸っていた時期だったようだ。

「両親はオレがバンドしてるのは知らないから、内緒でね」
 そう小声で念押しすると、中に案内した。

 純一は、伝統的な韓屋ハンオクを前に緊張していたが、ソジュンが出てきたことで、さらなる驚きと拍子抜けしたような感情が同時に押し寄せていた。

 ソジュンのアボジ(父)もオモニ(母)も人柄のいい気さくな人たちで、伝統料理を振る舞い、演奏も披露して歓待してくれた。それからというもの純一は、度々ソジュンの家に招かれては御馳走になった。ソジュンのオモニ手作りのキムチはもちろん、チヂミ、マンドゥ(餃子)や参鶏湯サムゲタンも絶品だった。

「今度は泊りがけでいらっしゃい。息子も交えて、合宿のように慶州のハルモニ直伝のニラチヂミも教えてあげるわ」

 その後も彼らは純一をかわいがり、時には泊りがけで国楽の演奏の手ほどきも受けながら、伝統文化について惜しみなく語ってくれた。純一にとって本当にお世話になった恩人一家なのだ。
 純一は帰国してから、懐かしいニラチヂミを作ってみたが、外がサクッとしたあの感じを再現できないでいる。

 彼にとって、今回はコロナ禍が落ち着いて渡航制限明けの待望の渡韓だった。日本からの手土産のゴマ団子を渡しながら、純一はソジュンに言った。

「ご無沙汰しているけど、ご両親はお元気なの?お会いしたかったなあ。これ、ぜひご両親に渡してよ」
「ありがとう!ツアー中で会えないのを両親も残念がってたよ」
 それから二人は、思い出話をしたり、近況を語り合いながら、弘大の街を歩いた。

「相変わらず活気があるね、弘大は。学生時代に戻ったみたいでさ、元気が出たよ。それにしても、スターがこんな所をうろついていて大丈夫?」
純一が気遣うと、
「ケンチャナ(大丈夫)、これが意外とばれないんだよ。コロナ前は『マスクに帽子』っていうとかえって目立ってたけど、今は、まだマスクしている人も多いからね」と笑った。


 バンドを組んでいた十年前、純一が留学を終えて帰国した後しばらくして、ソジュン達のバンドは芸能事務所にスカウトされ、Kポップバンドとしてデビューを果たした。彼の両親は初めは反対したが、今では、誰よりも彼のファンであり、応援してくれているようだ。

「バンドメンバーも、それぞれソロでの活動が増えてるんだ。僕も、最近はミュージカルが中心かな。それで、ヒョンの研究はどうなの?」
「ご両親には感謝しているよ。おかげで、あれから論文が雑誌に載ったんだ。今も研究は続けられているんだ。高校で世界史を教えながらね」

「おお、すごいな。研究続けるの難しいって言っていたけど、よかったね」
「ほんとに、ありがたいよ。今学期は特別に秋まで、新しい研究プロジェクトの研究期間をもらえたんだ。『二刀流』みたいなものかな。生徒達に、韓国でスターと会うと言っても誰も信じなかったよ…。まあ、『誰々?』って追及されても、困っただろうけど」
「で、プロジェクトって、どんなやつ?」
「今度、中央ユーラシアで国際学会があってね、国際チームで調査団を組むんだ。その前に個人的に五月からサマルカンドに行こうかと…」


 その瞬間ソジュンは立ち止まり、純一のほうに向き直った。
「チンチャ⁈(マジで)」と叫んだ。
「サマルカンド!ヤバい行きたい!」
「え⁈舞台があるんじゃないの?」
「五月なら公演明けでスケジュールが割と自由でさ。楽曲作りに当てようと思って海外に行きたいと思ってたんだよ。この仕事してると、国内や人気リゾートでは、なかなか気が休まらないし」

 ソジュンはさらにテンションを上げ言葉を継いだ。
「この前ね、サマルカンドのダンス動画を見て、ちょうど次のアルバム作りの前に行ってみたいと思っていたんだ」
「え!ほんとにいいの?ソジュナ!
実は今回は音楽や舞踊の歴史を調べるチームでね。僕は調査団の中ではかなり音楽好きではあるけど、趣味で楽しんでいる程度だから音楽家や舞踊家を加えることを考えていて、その調査の下見でサマルカンドに行くんだ」 
「えー!そうなの?!具体的なスケジュールがわかったら連絡くれよ。マジで楽しみだ。今夜すぐマネージャーに確認してみるよ。タブレットさえあれば、向こうで楽曲制作もできるし。というか、むしろ、その刺激が新しい音楽のアイディアになるでしょ。プラスしかないよ」




第三章
青の都サマルカンドへ


 いよいよ五月、サマルカンド出発の日がきた。 

「メールでご連絡させていただいていました、わたくし、マネージャーのアン・ミンジェでございます」
 彼は流暢な日本語で丁寧に挨拶した。純一と連絡を取り合って熱心に段取りし事務所の社長に対しても、
「今回のことはソジュンの活躍の場を拡げるチャンスです」と交渉し、ちゃっかり出張扱いで同行することに。

「今回のサマルカンド行きが決まって、なんとウズベク語まで勉強して驚いたよ。張り切ってますよね。アンマネージャー」
 マネージャーでもあるが、ソジュンにとって頼り甲斐のある兄の様な存在でもある。

 純一は改まって挨拶した。
「ありがとうございます。何から何まで、お世話になりまして」
「いえいえ、ツアーのコーディネートもマネージャーの仕事ですから。こういう事は慣れてますんでね……うーん正直言って遠足に行く子どもみたいに楽しみで…あっ、社長には内緒ですよ!」
 彼は、日焼けした彫りの深い顔立ちをくしゃくしゃにして笑った。




 ウズベキスタン空港に到着した一行はタシケントに一泊し、翌朝、ウズベキスタンの新幹線「アフラシャブ号」でサマルカンドに向かった。三人が向かい合わせの席に座っても広々としている。

 窓の向こう羊たちがゆったりと草を食んでいた。
 しばらく行くと、次第に外の緑は少なくなり、ごつごつした岩が目立つ沙漠地帯を進んだ。
 車窓からの景色は次々と移り変わっていく。今度は再び、水路の両脇に濃い緑が広がりだした。

 純一の憧れのウズベキスタン。沙漠、緑のオアシス…そんな異郷の光景を前にいつもクールな彼もテンションが高かった。

「砂漠が続くのかと思ったら緑が綺麗だね」

「うんうん、サマルカンドはパミール高原の雪解け水で潤された『オアシス』だから、昔は『上空から眺めたら白い砂の上に一本の緑のベルトのように見えただろう』って」
「なるほど素敵な表現ですね。沙漠を越えてきた旅人がこの緑を見たら、ホッとしたことでしょうね」
 アン・マネージャーも窓の外を眺めていた。
 今回の旅程を陸路ラクダで旅したら、何ヶ月もかかる道のりだったわけか…と彼は心に思っていた。


 サマルカンド駅に着くと現地案内の男性ガイドが出迎えに来ていた。
「ようこそ、いらっしゃいました!」
「お出迎え、ありがとうございます!ご連絡いたしましたアン・ミンジェです」
「長旅で、お疲れになったでしょう。先にホテルに参りましょう…
荷物はこちらですね」

 ホテルに荷物を預け、さっそくサマルカンド観光に出発した。
「先にレギスタン広場の見学をして、バザールに案内しましょう。そこのランチがオススメなんです」

  乾季に移るこの時期の太陽は、朝からまぶしいくらいだった。彼らを載せた車の正面に、真っ青な空にターコイズブルーのドームが堂々と姿を現した。

 「ここがレギスタン広場です。あれは『メドレセ』と言いましてね、イスラム教の神学校なんですよ。中を観ていきましょうか」
 広場を囲むように大きな建物が建っていた。広場は、世界中から来た観光客で賑わっている。

 中に入ると壁にびっしりと「青」のタイルが貼られていた。白、緑、黄色を少しずつ混ぜ合わせた多彩な青を見上げた。
「あの青には、『ラピスラズリ』が贅沢に使われているんですよ。中国の陶器とペルシャの顔料が出会って産まれた青いタイルが美しいでしょう?十四世紀、ティムール王の大帝国の都です。当時は世界中から来た商人や、学問や芸術を学ぶ学生たちでもっともっと賑やかだったはずです」

 外に出ると、建物の脇の大きな木の陰に観光客が佇んでいた。オアシスの乾季の日差しは朝から眩しい。

「今度は別の建物を案内しましょう」ガイドは続けた。
「こちらは『ティラカリ・メドレセ』です。綺麗な『金と青』の装飾でしょう?『ティラカリ』っていうのは金箔のことでしてね」

 天井は巨大な万華鏡のようにも見えた。茶、青、黄、緑のタイルが同心円状に貼られ、草模様が描かれていた。
「水が貴重なオアシスに暮らす私たちにとって『草模様』は生命の象徴でもあります」

 車に戻ると、ちょうどイスラムの祈りが始まった。
 さっきまでの喧騒けんそうとは打って変わって、ただ祈りの声だけが響いていた。


 ガイドは、一行をスザニ市場に案内した。
「『スザニ』っていうのは、シルクや綿の布に鮮やかな花や草の刺繡をしたもので、サマルカンドの特産品なんです。元々は嫁入り道具に持たせた品でね」

 色とりどりの美しい刺繡が施された「スザニ」を土産に買うことにした。

「アン・マネージャー、そんなにいっぱい?」
「スタッフの皆さんのお土産にいいと思いましてね…」
「まるで、仕入れですね」

 品物を受け取ったアン・マネージャーは日焼けした顔に照れた笑みを浮かべ、袋いっぱいのスザニを抱える様に持った。
 職人が工芸品を作る工具の音が響き、あちこちから客引きの声がする。
 一行はバザールの人込みに、もまれながら進んだ。
 向こうには鮮やかな色の野菜や果物の店が続いていた。籠には、ベリー、ブドウ、西瓜、ドライフルーツにナッツ、香辛料が無造作に積まれている。
 パンを焼く匂い、羊肉のシャシリクを焼く芳ばしい香辛料の香り…
 嗅覚からも、ここが異国であることを実感させた。


 マネージャーとガイドは、もう打ち解けたようで流暢なウズベク語で話している。どことなく似ている二人は、まるで昔馴染みのように盛り上がっていた。
 四人は、バザールの人混みを縫うようにガイドについて進んだ。

「そろそろ食事にしましょうか。良かった、間に合った…ちょうどサマルカンド舞踊が始まるみたいです」
 そう言って、バザールの広場を囲むように置かれたテーブルへと彼らを案内した。メニューを見ながら羊肉の串焼きシシャリクや果物、飲み物を注文した。

「なかなか美味いもんですな」
「お口に合って良かった」


 その時、男の甲高い歌声を合図に男たちの演奏が始まった。建物の向こうからは、青いシルクの衣装に身を包んだ女性たちが弧を描くように並んで踊りだした。

 踊り子がクルクル回ると、薄く透き通った絹のべールが、ふわりと浮き上がる。回るたびに衣装の裾は円を描くように広がった。腰のベルトに付けた小さなドイラ(打楽器)を両手でリズムをとるように交互にたたくと片手を高く掲げた。もう片方の手を外に広げながら右に左に回旋する。大きく輪を描く様に回転しながら踊り続けた。

 不意に始まった異国の踊りに、ソジュンも純一も一瞬で魅了された。
 初めて観るサマルカンド舞踊を見ながら、西域の踊りに熱狂した唐の人たちも、こんな気持ちだったかもしれないと純一は想像した。

 回るたびにエキゾチックな香水を振りまき、「西域の風」が彼らを包み込んでいく。
 現代の「胡旋舞」に見惚れて、スマホを向けるのも忘れていた。



 サマルカンド観光から帰る頃には、すでに夕刻。
 大きな夕陽が地平をオレンジに染め始め、空は淡く層状に色を落としていった。真っ青だった空の向こうに始まったオレンジ、ピンク、薄紫へと変化する色のグラデーション…

 やがて夕闇に沈んだレギスタン広場がライトアップされた。
 その瞬間、青のドームが群青の夜の街並みに浮かびあがった。






第四章 ブハラへ



 翌朝、彼らはブハラに向かった。ここからの宿泊先はガイドの昔馴染みの民宿となった。

「バザールでガイドさんと話してた時に変更したのですか?」
「ええ、現地の人たちと触れ合えるような民宿の方がいいと思いましてね」
「民泊か…いいですね!嬉しいなあ。ありがとうございます」

 現地の人との触れ合いは純一にとって、願ってもないことだった。

 「ちょっと回り道して、サマルカンドの旧市街地を案内致しましょう」
 ガイドはそう言うと、エンジンをかけた。一時間ほどすると辺りには果樹畑が広がっていた。果樹の木漏れ日の下を通り抜けて走り続けた。

 ウズベク語がわからないソジュンだけ、車内の会話がわからない。たまには純一とマネージャーが訳して話を振ってくれたりもしたが会話についていけず、彼は外の景色を眺めて過ごしていた。

「…この辺りはアーモンド畑なんですよ。細長い桃みたいな実がなりかけているでしょう?花の頃は、そりゃあ、きれいですよ」
「へぇアーモンドか!綺麗でしょうね」
「ええ、バザールでもナッツをいっぱい見られたでしょう?アーモンドってね、昔から砂漠を越えるとき商隊キャラバンが持っていくものだったそうですよ。旅の途中でうっかり落としてしまったのが芽を出したって話聞いたことあります?それでシルクロード沿いのオアシスづたいにアーモンドの木が生えているらしいですよ」
「へえ、面白いなぁ」
「いつか、日本のお客さん来た時、アーモンドの花を見て『サクラの花に似てる』って言ってましたっけ。あたしは、『サクラ』って花を知らないですけどね」
 そうガイドは笑った。

 ぼんやり外を眺めていたソジュンにも「アーモンド…チェリー」という単語は聞き取れたから木を見上げて、
「葉っぱも桜に似てる。花が咲いたら、きれいだろうな・・・」と呟いた。それを聞いたアン・マネージャーはガイドに訳して伝えた。
「それはもう!今度は三月の『ナウルーズの祭り』の時期にいらっしゃるといいですよ。パレードや舞踊があちこちで行われてましてね。草原の方では『騎馬レース』もやるんですよ。杏やアーモンドがいっせいに咲いて見事ですからナウルーズの頃、来てくださいよ」


 道は、段々と悪くなっていった。
でこぼこした道で時折、体がドスンと持ち上げられた。
 昨日のきらびやかな大建築とは対照的に、旧市街地には低い白い土壁で囲まれた古い民家が並んでいた。水路で水遊びする子供に日陰を作るポプラの木は、ここでもありがたい存在に見えた。

 砂埃を巻き上げながら南下すると遺跡が見えてきた。そこはアフラシャブの丘に築かれていた昔の都である。

 ガイドは、「この辺りに住みだしたのは紀元前七〜六世紀ですって。
ソグディアナの人たちは灌漑水路カナート作りが上手くてね。農耕やって、豊かになったって聞きましたよ」

 ソグドが住む土地を「ソグディアナ」と言い、この丘にソグディアナの宮殿があった。ここが旧サマルカンドである。このソクディアナを本拠地として網の目のように交易を行っていた。

 宮殿内に入ると、側面には青いラピスラズリをふんだんに使った七世紀の壁画が飾られていた。
「豪華な毛織物を背に乗せた二頭のヒトコブラクダにまたがる、外国の使節団の男二人が描かれた壁画もあったんですよ」

 ガイドは説明を続けた。
「復元された壁画がサマルカンド歴史博物館にありましてね。唐の高宗が六五八年、この地のソグディアナ王を康居都督こうきょととくに任命した時の様子だそうですよ。あちらです」
 紀元前からの長い歴史の展示を前に純一は、熱心に見てまわった。
「文献では知っていたけど感激ですよ」
「そうですか。それは、良かった。壁画の使節団には、ソグドや唐はもちろんですが、西突厥とっけつ(チュルク)やモンゴル。羽飾りの髪飾りを付けた高句麗の使節も描かれているんですよ」
 ガイドの話をアン・マネージャーから聞いたソジュンは驚いて言った。
「ええ?!こんな遠くにコグリョ(高句麗)の使節が!」

 ブハラへ向かうにつれ、辺りは沙漠の風景となった。車は、黄色がかった細かな砂を巻き上げながら進んだ。

「昔、アタシの小さい頃は、まだ大きな溜池ハウズが二百くらいはありましたかね。ブハラは水の豊かなオアシスでしたから。コウノトリの巣があちこちにあってね。鳥の楽園でした。最近はハウズも少なくなってしまいましたからコウノトリも、ぱったり来なくなっちまいましたよ」

「ブハラ土産で有名な『コウノトリのハサミ』はそういうことだったんですね。コウノトリ、見てみたかったですなあ」
 アン・ミンジェが残念そうに言うと、
「景色が変わっちまって残念ですよ…」
ガイドは昔を懐かしむようにつぶやいた。


 単調な沙漠を走るうちに、三人は、いつの間にか寝てしまった。
「…お客さん、お客さん着きますよ」
 ガイドの呼ぶ声で彼らは目を覚ました。

 舗装されていない細い路地を右折した先に民宿はあった。宿脇の広い空き地には、アーモンドの木が植えられている。
 そこに車を停めると、ガイドは座席の方に振り返って言った。
「お客さん、宿に着きましたよ」
「いつのまにか寝てしまって…」
「疲れていらしたから、宿に直接参りました。ブハラ観光は明日という事で…」
「あ、しまった!コウノトリのハサミの店に行きそびれた…」
 アン・マネージャーは残念そうにしていた。
「あ、ハサミね。明日行けるように、ここの案内する者に伝えておきますよ…」

  その時、宿の中からガイドの友人の男が出てきた。



第五章 ブハラの宿


母の涙


「ブハラへようこそ!長旅でお疲れでしょう?お荷物をお運びしましょう…
久しぶりだな、運転お疲れ様!お前も休んでいくだろう?」
 出迎えた男は、車から降りるアン・マネージャーの顔を二度見し、首を傾げている。彼の誘いにガイドは申し訳なさそうに返事した。
「申し訳ない。今日はここで失礼するよ。お客さんたち、またサマルカンドに来る時はご連絡ください。それじゃあ、私はこれで。良い旅を!」
 案内してきた運転手が急いで帰ろうとすると、宿の現地ガイドは彼を引き留めた。

「え?少し休んで行かないのか?」
「ありがとう、でも今日は予約が入ったってメールがあったから、ここで失礼するよ。お客さんたちの日程は、ここにメモしてある。おばさんたちによろしくな。皆さん、ブハラも楽しんでください!」

 サマルカンドのガイドは、荷物を中に運ぶなり慌てて帰っていった。


 来客に気付いた女性が、宿の中から出てきた。
 彼女は、彼らを見た途端、目に涙を浮かべ、慌てた様子で建物の方へ駆け戻っていった。

「お、お義母かあさん、お義母かあさん…」

 しばらくして、彼女は老婦人を抱き抱えるように支えて出てきた。
 彼らを見た老婦人の目にたちまち涙が溢れた。頬をつたう涙を拭うこともなく、両手を前に広げ少しよろめきながら、こちらに駆け寄ってきた。

「おお、息子や!帰ってきたのかい」
彼女はアン・マネージャーを両手で抱きしめ、そう言った。
 状況をつかめないでいたソジュンと純一に向かって、ガイドの男がつぶやいた。
「伯母さんの息子が…あたしのいとこですがね、一昨年、COVIDコビッド(コロナ)で亡くなりましてね・・・お連れの方、そのいとこと瓜二つなんですよ。あたしも驚きましたよ…」

 アン・ミンジェは、ただならぬ老婦人の様子を察して、何も言わずに小刻みに震える小さな背中を優しくなでていた。
 ガイドの男は小声で言った。
「前はね、あたしの従兄弟夫婦でこの民宿をやっていたんですよ。数年前、従兄弟をCOVIDコビッドで失ってからは、彼女ひとりで民宿を切り盛りしていてね。それで、あたしたち夫婦も加勢してるんですよ。料理や買い出し、街の案内をね」
 三人は、彼女たちが落ち着くのを黙って待っていた。



 我に返った彼女は、アンマネージャーを抱いていた手を離し、肩を落とすと、うなだれた。
 虚ろな目で黙っていた老婦人は、つぶやくように言った。
「わかっているんだよ・・・あの子が帰ってこないってことはね・・・」

「お客さんたち、取り乱してしまって、すみませんね…あんまり、あの人に似ていたものですから、お義母さんも私も混乱してしまって、失礼しました。長旅でお疲れでしょう?さあ、こちらへ」

 宿の女主人は、涙を拭って笑顔をつくると、彼らを家の前の広いスペースに案内した。葡萄棚には、緑の実をつけた葡萄が日差しを受けて輝いていた。オアシスでは、屋外の葡萄棚の下のテーブルで客人をもてなすのが常なのだ。

 木陰には二十人が食卓を囲めそうな大きなテーブルがあって、その上には菓子や果物が用意されていた。

「こちらに、おかけください。お茶を用意いたしますね」
 そう言ってお茶を注ぎ、菓子や果物をすすめた。
「お茶を飲まれたら、あちらで少しお休みになりませんか?荷物は部屋に置きましたから少しお休みになってから、お食事がよろしいかもしれませんね」

 見事な絨毯を敷きカラフルなスザニで飾りつけした部屋へ案内した。三人は椅子に腰掛け、しばらく語り合った。
「さっきは驚きましたね。こちらの息子さんとそっくりだったなんて…」
「いや、驚きましたよ。でも、抱きしめられたら、自分の方も死んだお袋に抱きしめられたみたいに思えてね…こっちまで泣けてきましたよ…」

サマルカンドの娘


「少しは休めましたか?夕食の準備が整いましたので、お食事にいたしましょうか」

 彼女が先ほどの木陰のテーブルに三人を案内した時には近所の人たちも集まり始めていた。

「親戚みたいなご近所の方々なんです。
遠くからいらしたお客様ですから、歌と踊りを後で見ていってくださいな」
「まあ、それにしても、そっくりですこと!」
「本当にねえ・・・」
 近所の御婦人たちはアン・マネージャーの方を不思議そうに眺めていた。

 大皿に盛った料理を運んでは、
「これも、召し上がってくださいね」そう言いながら、次々とテーブルに並べていった。

 遅れてやってきた男たちも加わり、二十人程が集まった頃、女主人は、
「さあ、プロフを召し上がれ!お熱いうちにね」と言って、炊き立てのプロフを持って出て来た。
プロフ」は、この土地の集まりには欠かせない郷土料理、「ウズベキスタン風炊き込みご飯」だ。地域や家庭によって味が違って、ブハラでは「オシュソフィ」と言われてもいる。この地では男が作ることも多いが男手のないこの宿では、彼女が作っていた。

「お取りしましょうね」
彼女は熱々のプロフを取り分けた。
近所の人が持ち寄ったシャシリク(羊の串焼き)やソムサ(肉と野菜のパイ包み)を所狭しと並べ、グラスに葡萄酒を注いだ。

 陽が傾きかけた頃、地元住民たちが続々と集まってきた。アンミンジェが予約を変更したのは、『昔ながらの宴』で客をもてなす民宿ということを知ったからだった。

「だいたい集まって来たようだから、そろそろ始めましょうか。遥々はるばる来られた旅の皆さん、ブハラへようこそ。乾杯!」
白いひげを蓄えた長老らしき男が、皆にそう告げ宴は始まった。

「あんたのオシュは、やっぱり格別だねぇ」
「まあ、そんなこと言ってくれるなんて作った甲斐があるわ。嬉しいね。お客さんたち、遠慮せずに召し上がれ。クザチャもどうぞ」

 女主人が、野菜と肉を煮込んだスープを運んできたところに、長老らしき男がおもむろに近寄り、話しかけてきた。
「お客さん方は、どちらからお見えで?」 
「ご挨拶が遅れまして。私たち二人は韓国からで、あちらの先生は日本からです。私はアン・ミンジェと申します」

 アン・ミンジェが言うと純一、ソジュンも自己紹介をした。
「お世話になります。私は田中純一です。日本で高校で教えながら古代史の研究をしています」
「キム・ソジュンです。純一がソウルに留学していた頃からの友人なんです。今回は彼が学会でサマルカンドに行くと聞いて、僕たちも一緒に来たんです」
 ソジュンの挨拶は、ミンジェが通訳して伝えた。

「ブハラへ、ようこそいらっしゃいました。それにしても、ミンジェさんが甥っ子に似ているので、わしもびっくりしました。なあ、義姉ねえさん」

 小柄な宿の老婦人は、アン・ミンジェの隣にちょこんと腰掛けて、嬉しそうに笑みを浮かべて、うなずいた。

「まるで、息子が帰ってきたのかと驚きました、さっきはごめんなさいね」
「いえ、そんなことはお気になさらないでください」
 ミンジェは笑顔で返した。

「学会にご出席とは、何の研究をされておられるのでしょうか」
「ええ、『シルクロード交流の歴史』を…中でも中央ユーラシアのソグド商人の事を調べております」 
「おお、シルクロードのソグドを……?」            長老がそう言って純一に何か言おうとした時、宿の女主人の声で話は途切れた。

「ロクサナ、お帰りなさい!帰ってこられたのね」
 彼らはアーモンドの木々の向こう側に目を向けた。
 柔らかな夕陽を背に受け急ぎ足でやってくる娘の姿があった。
「ごめんなさい。遅くなって。お久しぶりです。おじさん、おばさん」 

「あれ…?」ソジュンは小さくつぶやいた。
(もしかして、あの娘さんは昨日のサマルカンドの舞踊団の女の子なんじゃない?)と心の中で思った。
 宿の女主人は、彼らに娘を紹介した。
「この子はね、うちの娘。サマルカンドにあるウズベキスタン-ダンスの舞踊学校に行ってるんですけどね。今日は、民宿の手伝いに帰ってきてくれたんですよ。後で、皆さんにブハラ・ダンスもお見せしましょう。じゃあ、ロクサナ、着替えていらっしゃいな」

 宿の女主人がそう言うと、奥に座っていた、濃いひげをたくわえた陽気な男性が口を開いた。

「お客さんのため、もちろん楽器も持ってきましたよ!」
 何人もの男たちが嬉しそうに、それぞれの太鼓や笛や弦楽器などを手に立ち上がった。宿の白壁の前には、赤地に草模様柄の絨毯が何枚か敷かれていた。絨毯の舞台で男たちがドイラ(タンバリンに似た打楽器)を鳴らし、ドゥタール(琵琶に似た弦楽器)をかき鳴らし歌いだした。
 古民家の白い土壁を杏色の陽が美しく染め上げていく。柔らかな光が差す中に、あの娘が濃紺のビロードの衣装で現れた。白いドレスの上に膝下丈の濃紺のコートを羽織っている。襟ぐりから中央の合わせと上着の裾には、ぐるりと金の刺繡が施されている。腰より長い、細く編まれた髪。ビロードの帽子。帽子の下には、小麦色の彫りの深いかんばせに長いまつ毛に縁取られた碧眼が煌めいた。
 被った透ける淡いエメラルドグリーンのシルクは、その娘が回るたびに一緒にふわりと、たなびいた。
 衣装も踊りも、昨日のサマルカンドのものとは全く異なっていた。

 娘は両手を高く掲げて手首につけたダンジャース(鈴)の音を響かせて踊り、カイラキ(カスタネット)を鳴らした。
 優雅に始まった踊りはスピードをあげ、時にダイナミックに反り返った。リズミカルにステップを踏み、今度は何回も旋回した。
 リズムにのって身体を動かしていた女性たち数人は、立ち上がり踊りに加わった。三人もまた、皆に合わせ手拍子をした。陽気で素朴なオアシスの宴は続いた。





第六章ソグディアナ物語


前編 二つの木簡


 彼らは、宿の娘ロクサナの舞う西域の踊りに魅了された。特にソジュンは、ロクサナの舞う姿に釘付けになっていた。


 踊りが終わって戻っていく彼女を目で追っていた彼は、誰かの声に我に返った。
 
「楽しんでいただけましたか?」
 長老は、目を細めて彼らに語りかけると、純一の方を向き尋ねた。

「ところで純一さんは、さっきシルクロードのソグドの事を調べていると申されましたか?」
「ええ、そうなんです。中央ユーラシアを往来した民族…ソグドの人々のことを研究しているんです。それが記録が少なくて苦心していまして」

「ほう…ソグドのご研究を…?」
「ええ、文献や遺跡の記録が少なくて……今回は各地に伝わる楽器や踊りの歴史を調べようとしているところです」

 純一がそう答えると、向こうの方から若い男が言った。
「えっ?楽器っておっしゃいましたか?楽器っていやぁ、うちら昔からの楽器職人でして、長老の工房で楽器作ってるんですよ。ここの民宿の亡くなった御主人も古くからの楽器商人でね」

眼鏡をかけたひょろ長い男が言うと、長老は、ぼそっとつぶやいた。
「ピ……ピーラブーチェ」


 その瞬間、純一は目を見開き、くるっと振り向いて長老に尋ねた。
「え?!今、『ピーラブーチェ』と言われましたか?ヤグノブ語をご存知なのですか?」
「……」
 長老は返答に困ったように口ごもった。

 シルクロードの商人で活躍したソグドの言葉は、失われて久しい。今では、辛うじてソグド人の末裔と言われるタジキスタンのヤグノブ地方の言葉に痕跡が残っていると言われる。

 いつになく静かにしていたアン・ミンジェが、口を開いた。
「もしかしてですが・・・」
 彼は、躊躇ためらいながら切り出した。
「実は、タシケントのホテルで純一先生には見てもらったんですが・・・長老、これを見ていただけますか」

 そう言うと、バッグの中から布に丁寧に包まれた古い木箱を出した。


「これは、私が祖父から譲り受けた物なんです・・・」
 そう言いながら包みを開けると、中には、かなり年代物の木箱が入っていた。中身は、厳重に麻の布に包まれた古い木簡だった。

「祖父はよく、『我らの祖先は遠いところから来た』と言っていましたが……どこから来たのか詳しく聞く前に他界してしまって……
木簡にはアラブ文字のような字が書かれていたので、アメリカ留学中にアラブ出身の友人にこれを見せたんです。すると『アラブの文字に似てるけど、もっと古い文字かもしれない』と言われましてね。
その言葉が、ずっと気になっていたので、今回、歴史に詳しい純一さんに尋ねてみたんです。すると、
『これはソグド文字かもしれない』
と言われまして……」

 彼は長老に、木簡を見せた。
 長老はその木簡を見ると、驚嘆の表情で小さく叫んだ。
「オー!プルワーンツ(prwānc)?!」
 その言葉を聞いた純一は、長老に詰め寄った。
「え?!やはりソグド語をご存知なんですね!プルワーンツは、ソグド語の文献で…確か『手紙』という意味のはず…」
 しばしの沈黙の後、長老は語り出した。
「わしは、その文字は読めませんが…」
 そう言って、長老はまた黙り込んだ。しばらくすると彼は、再び重い口を開いた。
「どうやら亡くなった甥っ子にそっくりのアン・ミンジェさんとは、ただならぬご縁があるようじゃな・・・」

 一同はすっかり静まり返っていた。
皆が注目する中、長老は話を続けた。

「私どもは、実はソグド商人の末裔でしてね。千年以上昔から楽器商としてソグディアナの各地で商売をしていたと伝え聞いております。義姉さん、我が家に伝わる『あれ』を持ってきてくださいますか?」

 宿の老婦人は軽くうなづき立ち上がると、家の奥から、丁寧に包まれた古い小箱を持って出てきた。 

「まあ!?」
「それは?」

 その箱はアン・ミンジェが持参した物に、とても似ていた。
 驚いた皆も、長老が何を語りだすのか見当もつかないまま、固唾かたずをのんで見守った。
 彼は二つの木簡をじっと見比べながら言った。

「旅のお方が持っておられるものは、我らのものと同じ、どうやら『prwʾnc プルワーンツ…』ですな。実を申しますと、私どもの先祖『ソグドの商人』の交易では、昔、こんな手紙でやり取りしていたそうなんです」



「……わしらの一族が、このブハラの地に落ち着くまでには長い歴史がありましてな。遠い昔、逃げ惑うようにしてブハラに辿り着いたらしくてね。
長い間、先祖はソグドであるとも言えずに、ここで暮らしていたんです。一族の皆にも我らがソグドだと言うことは長い間、秘密にして参りました。

 遠い国から我が一族に所縁ゆかりあるアン・ミンジェさんが来られたのも不思議な『ご縁』です。皆に話す時が来たしるしかもしれませんな。ソグドの一族の長老にだけ伝え聞いてきた物語をお話しいたしましょう」


 長老は茶をゴクリと飲み込むと、向き直って語り出した。






後編 ソグディアナ物語


「遥か昔、遊牧をして暮らしておった先祖はザラフシャン川のほとり、ソグディアナに辿り着いたんじゃ。ザラフシャンはペルシャ語で『黄金の水しぶき』。上流では砂金がとれたそうな。
 先祖はバクトリアの人たちに出会って農耕を始めた。灌漑水路 カナートを作ってオアシスは豊かになっていった。
 食べきれないくらいの物が採れたからな。今度は、あちこち運んで商売をしだしたそうな。

ヒトコブラクダに乗って西に砂漠の国へ
フタコブラクダで沙漠の山の向こうへ
ヤクに乗りかえてパミール高原を越え
天竺へと、遠い険しい道のりを往来するようになって行ったそうな。

 バクトリアを通って西に向かいペルシャへも商いに行った。
 アレクサンドロスがソグディアナに来てからは、ローマやギリシャへの道も開けた。
 天竺にも商いに行っておった祖先は、東の亀茲きじ楼蘭ろうらん吐噶喇トカラにも商いに出向いていったそうな。
 漢の張騫ちょうけんの使節団が、絹織物を運んで大月氏だいげっしの国へ行く途中で、この土地を通りかかったんですな。その頃から漢への交易も盛んになっていった。

 たくさんの興亡があった時代じゃ。
ソグディアナを支配されることもあった。
 支配者が変わっても、先祖は時代に応じて商いをやっておったんじゃな。
 人を載せ、品物を運び、様々な教えも運んでな。
 仏教の僧侶や宝物をラクダに載せ唐へと隊商を組んだ者もおった。
 やがて唐では、胡楽も盛んになっていったそうな。

 楽器商となっていた祖先は、楽器を運んで天山の南の亀茲国へも行くようになった。
 いつしか先祖は、マラカンダ(サマルカンド)から亀茲に本拠地を移した。
 薩保(商隊の長)として『異国の楽器を他の地へ届け、楽器工房を持ち、楽団を送ること』も先祖の仕事となったそうでな」


 初めて聞く一族の話に、一同は固唾をのんで、聞き耳を立てていた。

「義姉さん、あの踊りは覚えておられますか?」
「ええ、ええ!お義母さんに教わった、あの踊りですね。覚えていますとも。遠い国から遥々、来てくれた私の『もう一人の息子』と、お仲間のために、今宵は私が踊りましょう…
ロクサナ、よく見ておくんだよ」

「では、今宵は、私が久々に演奏しましょうか」
 長老はそう言うと楽器を手にし演奏が始まった。老婦人は背を伸ばし舞い始めた。  
 二人を月が煌々と照らしていた。

 彼女は、片手をしっかりと天に向け、もう片方の手をしなやかに側方に広げて、指先に神経を行き渡らせるように。顔には笑みをたたえ、時に顎を左右に傾けた。
 その様は古代インドの踊りにも似てはいたが、どこか異なる。
 昨日見たサマルカンド、ブハラのものとも違う。

 頬を紅潮させた表情は、昼に出会った老婦人とは思えない。
 彼女は、緩やかに回転し始め、踊るうちに回転が速くなった。右へ左へ回旋の向きを変えながら踊り続けた。
 今度はテーブルの上の小さな皿を取ると、両手にもって、指でカスタネットの様に鳴らし、足で地をけるように音を立てて舞った。

 純一は、思った。
「これは、以前観た、ウイグルの歌舞団が亀茲のキジル千仏洞の壁画を元に再現した古典舞踊と似ている・・・」


「さあ、ロクサナ、私の真似をして踊ってごらん」
 今度は孫娘のロクサナも加わって、祖母を見ながら向かい合って踊った。
これこそが唐の都で踊られた胡旋舞そのものではなかろうか、とその場にいたものに思わせた。


 「夢うつつ」の時が流れた。
 無意識の奥深くにしまわれた記憶を呼び覚ますかのような悠久の時に包まれた。

 明るい満月は、天高くから皆を照らしている。
 遠い昔から月はそこにあって、今も昔も、砂漠やオアシスの暮らしを見護っている。

 草原の羊の群れを
 広々とした平原の馬たちを
 砂漠に眠るラクダの親子を
 どこかの水辺で眠るコウノトリや
 オアシスの木々、家々まで、
 隔てなく煌々と照らして…


 優しい月の光の下、オアシスの宴は、夜更けまで続いた。





第七章 三人の娘の物語


 月明かりの下、長老の話は続いた。
「私どもが亀茲に住んでいた頃の伝説をお話しいたしましょう…」
 ドゥタールをき鳴らしながら、彼は一族に伝わる物語を語り出した。


前編 三人の娘の物語


 「遠い祖先が亀茲に住んでいた頃の話じゃ。
 男には一人の息子と三人の美しい娘が居ったそうじゃ。
 ラクダ百頭、二百頭の長い隊列を連ねて遠く唐に往来する薩保をしておった。大きな隊商の隊長をしておったんじゃな。

 ソグドの息子は五歳のころから字を学んだ。二十歳になったら他所よその土地に商いの修行に行くのが慣わしだった。

 一番上の娘は、草原への隊商に行った春に生まれたそうな。
 草原には色とりどりの花々が咲いている頃じゃったから、娘を『ローラ』と名付けて大切に育てたそうじゃ。

 次の娘は、天竺への薩保を組んだ初夏に生まれての。池に咲いていた美しい『蓮の花』にちなんで、『ニルファナ』と名づけたんだそうな。

 末の娘は、冬の星々の美しい日に生まれてな。『小さな光』を意味するロクサナと名付けたんじゃそうな。厳しい冬にも暖かな光に包まれて幸福に育つことを願っての。
 ロクサナが幼いころ、母親は、はやり病で亡くなってしまった。二人の姉や近所の人たちに大事にされたロクサナは、明るく元気に育っていったんじゃと。

 娘たちは、幼い頃から毎日、亀茲楽を聴いて育って行ったから自然と楽器を奏で、舞うようになっていった。

 二十歳になった上の息子は、ソグドの風習に従って別の土地へ修行に出たそうな。

長女ローラの物語

 娘たちが年頃になった頃、精悍な若者が馬に乗って訪れての。草原を駆け巡って暮らすチュルクの若者は、美しいローラに一目惚れしたんだそうな。たくさんの馬や羊たちを連れてやって来た若者は、ローラを嫁に欲しいと申し出た。
 ローラは見知らぬ遠い土地へ行くなんて不安でいっぱいだと言うたが、男は諦めんかった。
『青々とした草原を馬にまたがって風を切って駆け巡ると気持ちがいいぞ。我らは馬で移動しながら暮らす。馬の乗り方も教えてやろう。春になると草が芽吹いた草原には赤や黄色の花々が一斉に咲く、あの光景をローラにも見せてやりたい』
 ローラは、チュルクの若者のもとに嫁いでいったそうな。

次女ニルファナの物語

 次女のニルファナは楽器を奏でるのが上手じゃった。胡旋舞も亀茲で一番と評判での。幼馴染のチャドとはいつも一緒じゃった。二歳上のチャドは楽器職人の息子だったそうな。         
 チャドの母親は、ニルファナたちの母が亡くなった後は、妹のロクサナの乳母のように娘たちの世話をしておった。
 いつも一緒に育ったチャドは、いつしかニルファナに恋するようになっての。
 ニルファナは薩保のお嬢様。
 チャドは楽器職人の息子。
 そんな引け目もあってな、チャドは思いを打ち明けることもできずにおった。
 そんなある日、ニルファナたちの父親が、唐へ薩保として出向いた途中、盗賊に襲われてしまったんじゃと。
 荷を奪われ、けがを負い命からがら戻ってきた。大変な損害じゃった。とうとう借金のかたに、他の商団に『薩保』の権利を渡す事態になった。

 ニルファナは、こう言ったんじゃ。
『御父上、私が次の歌舞団に加わって唐へ参りましょう』とな。
 唐の歌舞団に加わると言うことはもう帰れないことを意味したんじゃな。

 男は思ったそうじゃ。
『借金のかたに泣く泣く唐への楽団に入る若い娘たちを多く見てきた。
今、自分の身に起きて、その痛みが初めてわかった』
そう言って、涙を流したそうじゃ。

 チャドは、ニルファナのために琵琶を作った。自分に出来るのはそれだけだったからな。もう会えない大切なニルファナのために。
 琵琶の背面を縁取るように、たわわに実るブドウと葉と蔓を彫った。その内側には、敦煌の『鳴砂山めいささんの五色の砂』を使って絵を描いた。
 透明の石で『澄んだ池』を、
 緑の石で『葉』を、
 白と赤と黄の石で『蓮の花(ニルファナ)』を描いた。
 宝石で飾ったら貴人の目に留まって取り上げられるかもしれんと思ったのかのう。遠目には地味なものだった。
 その琵琶を手にしたニルファナはチャドの思いに涙し、唐の月明かりの下で、もう帰れぬ故郷を思って想い出の曲を弾いたそうじゃ」




 長老は客たちのほうに向き直って言った。

「旅の方々もお疲れでしょう。
長々と昔話をしてしまいました。
夜も更けましたので、今夜は、ここまでといたしましょう。三人目の娘のお話は、明日に、いたしましょうか」



「まあ、義叔父おじさん、私たちも初めてお聞きしましたわ。そんな長い歴史があったなんて驚きました。
夜も更けて、冷えてまいりましたので温かいお茶を入れましょうね」

 真っ暗なオアシスの夜更け。
天上の星々は、赤や青、金銀の宝石の如く瞬いていた。




後編 ソグディアナの木簡


 夜更けまで続いた話の後、客室に戻ると、部屋には香がたかれていた。
エキゾチックな香りが漂う部屋の壁には、三着の民族衣装が掛けてあった。

「旅の思い出にご用意しました。
明日、お召しになってください。その衣装を着て写真撮影を致しましょう。
ごゆっくり、お休みください」

 添えてあったメモを見た純一は、衣装を見あげた。

「ソジュン見てみろよ!ソウルで入ったハリーポッターのカフェの『衣装セット』みたいだよな。あれ着て写真撮影出来るってさ」
「チンチャ?いいじゃん。その衣装着てSNSにあげよう!」


 いつもお喋りなアン・ミンジェは、今日は物思いに耽るように静かで話に入ってこない。

 純一の方から口火を切った。
「それにしても不思議なご縁ですね…」

「ええ、まさか…この旅行で遠い祖先に繋がる人たちに出会うとは…驚きました」

 アン・ミンジェの言葉に、ソジュンも頷いていた。
 ソジュンは二人が訳してくれて概略は聞いたものの、詳しくは状況をつかめていなかった。小声で純一に尋ねた。
「でさ…結局そのソグドって何なの?」

「うーん、そうだな…シルクロードの商人。何ヵ国語も喋れるくらい語学堪能で、海外の国々と取引してたんだ。今で言ったら大きな商社を持っていて、ラクダで品物を届ける物流会社もやってシルクロードの交易を仕切っていたって感じかな」

「ふーん」

「あ、それでここの先祖の人たちは、楽器会社もして中国の唐へ楽団を送っていたらしい。
そうだなぁ…わかりやすく言ったら、ダンサーやミュージシャン育成して唐でコンサートしたってことかな。
唐でのプロモーションしたら大ブレークしてさ。唐に現地事務所置くくらいの大手プロダクションになった。
亀茲に楽器工房や演奏者やダンサーの養成所も作るレベルの大手に成長したってことかな」

「へぇー?!それじゃさ?
アン・マネージャーの先祖も芸能事務所の仕事してたってこと?!」

「うーん、そう言われたらそうかも。それにしても、不思議なことあるもんだな」


 いつもは、すぐ寝付くソジュンだが今夜は寝付けずにいた。
「サマルカンドで気になっていた娘がここの娘さんだったとは…
しかもアン・マネージャーがここの息子さんにそっくりで、その上、代々伝わる『古い木簡』が『ソグドの手紙』だったなんて……どゆこと?」

 いろいろなことが頭に浮かんで寝付けなかった。
 彼は、机の上に置かれてあったアンマネージャーの「謎の木簡」を繁々と見つめ、手にとってみた。

 木箱を手に取ると、じわじわと温かくなっていくように感じられた。

「ヤバ、この箱『カイロ』みたく熱もってきたんじゃね?……そんなわけないか。まあ、とりあえず寝よう」

 ベッドに戻った彼が眠りについた頃、あの『木簡』は蛍のような柔らかな光を帯びだした。
 彼らが眠っている部屋の中。
 次第に強くなった光は螺旋状らせんじょうに光を放ち出した。やがて薄紫色の光がゆらゆらと部屋を包んだ。

 部屋に起きた静かな変化に気づかず、三人は眠りの中にいた。

 外の物音に目を覚ましたソジュンはベッドの中でつぶやいた。
 「何の音?動物の鳴き声?……
気のせいかな。もう一眠りしよう」

 彼は、そのまま眠りについた。




第八章 チュルクの若者と征く草原の道


 ソジュンが目を覚ました時に、二人の姿は無かった。衣装も彼の分だけになっていた。
「先に食事に行ったのかもな」
 彼は慌てて着替え、ぶどう棚の下に行ったが彼らはいなかった。宿の女主人が彼に気づいて声を掛けた。

「あら、お目覚めになりましたか?朝食を用意しましょうね」

 彼女は厨房に戻ると焼き立てのナンと熱々のスープを運んできた。
「朝は冷えますからね。スープで温まってください。お茶も用意しますね」
 二人がどこかと聞きたくても、ここの言葉がわからない。彼は、黙々と食べていた。    


「食事はお済みになりましたか?」

「ごちそうさま。美味しかったです」
(あれ?へんだな。ここの言葉がいつのまにか、わかってる?)
 彼女の言うことがわかって会話していることを、ソジュンは不思議に思った。

「ラクダが到着しましたので外へどうぞ。お荷物も載せますから」
 彼女に促されて、彼は宿の前に出た。車を停めていたはずのアーモンドの木の下に行くと、宿の脇には数頭のラクダがつながれていた。

 その時、聞き慣れた声がした。
「おはようございます、お客様。昨夜は、お休みになれましたか?」
 その男は言った。

「アン・マネージャー?!」
 ソジュンは驚いて声をあげたが、彼はその言葉を気に留めず話を続けた。

「…少し長旅になりますけどね。こいつは気立てのいい、おとなしいフタコブラクダですから。すぐに慣れますよ」

「同行のものは、先に行ったのですか?」

「お供の方ですか?分かりませんな…私は旭俊ソジュン様のお迎えにと言われて来ましたんでね…」
(え、別人?似た人が多いな…じゃ、彼らとは現地集合ってこと?)

 アン・マネージャーとそっくりと言っても大体髪型が違う。ターバンの下の髪は長く束ねてあった。あまりに似ていて不思議には思ったものの、物事を深く考えないソジュンは、「彼らは先に出発して現地集合なんだろう」と解釈した。

(旅の思い出にって民族衣装まで用意してくれてたからな。『ブハラ観光ラクダ体験ツアー』か。リアルだな)
 ソジュンは、目の前のラクダを見つめていた。
 するとラクダは大きな優しい目をこちらに向け、「さあ、どうぞ」と言うように長いまつ毛をバサバサさせ瞬きし乗りやすい体勢をとってくれた。
「ラクダは、乗ってみたかったんだ。よろしくね」と声をかけ分厚い毛織物を背に載せたフタコブラクダの背にまたがった。
「うわー、高っ!」

 ラクダに揺られて行くと、別の方角からやって来た何頭ものラクダが合流してきた。
 砂塵の向こうから湧くようにラクダの隊列が加わっていく。男たちがまたがったラクダは、背の左右にたくさんの荷物を載せたラクダたちを引き連れて砂を巻き上げながら沙漠を進んだ。
 隊列の後方には数十頭の山羊や羊たちの群れもかたまりとなって「メェメェ」と賑やかに砂埃をあげラクダに続いた。

 いつしか百頭を超える長い隊列になっていった。
「ヤバくない?本格的過ぎる…
まさかロケ?オレに内緒でアン・マネージャーが仕込んだドッキリとか?…それにしても純一とアンマネージャーは、どこにいったんだ?」
 疑問には思ったがラクダに乗るのに必死なソジュンは、今は前に進むしかない、と思った。

 昨日来た道と違い、周囲には民家もない。ゴロゴロした砂礫が転がる道は、かなり悪い。
(確かに車は、運転しにくいかもな。
こんな所の移動だからラクダなのかも)と、彼は納得する理由を探してみた。
 ラクダの背中は広々としているし、ブハラの沙漠が遠くまで見渡せた。
(それにしても建物が全然ないな…)


 砂漠の中を進んでいったら水辺〜溜池ハウズのような場所があった。水辺の久々の緑は、ひときわ眩しく光っていて溜池ハウズには割と大きな白い鳥たちが群れていた。
 見上げたら、彼らの隊列の頭上を大きな白い鳥が何羽も飛んで降り立った。
 向こうの高い木の上の巣らしき場所で長い脚の鳥が立ち上がった。木切れを集めて作ったような巣からは、カツカツというリズミカルな音が聴こえる。

(えっ?コウノトリ??昨日のガイドは、最近ではめっきり居なくなってって言ってなかったか?ここらには、たくさんいるじゃん……)

「旭俊様、ここら辺で小休止しましょう」
 アン・ミンジェそっくりの男は言った。


 しばらくの休憩の後、再び隊列は進んだ。周りの緑は消え、次第に険しいゴロゴロした石ころ混じりの砂漠をラクダ達は進んだ。しかも勾配は急になっていく。春のはずなのに冬に逆戻りしたような身に応える寒さだ。
 ソジュンは、ラクダの背から落ちないように足に力を入れた。
 雪もちらつき出し、手がかじかむ。向こうの山々の頂は真っ白く雪が積もっていて、キャラバンは途中で何度も暖を取りながら山道を進んだ。
 (様子がおかしい…さすがに変だ)
いつも楽天的なソジュンだが、さすがに不安になった。

 道が細くなり出した頃…正面から馬のひずめの音が近づいてきた。馬にまたがった精悍な男たちは、親しげな笑顔でこちらに向かって来る。
 毛皮に身を包んだ若者は、笑顔で叫んだ。
「兄貴、久しぶりでしたな」

「おお!お前か、迎えまで、ありがとう!元気そうで何よりだ。父上も変わりなく元気だ。ローラと甥っ子たちは無事に過ごしているか?」

「おかげさまで、元気にしてますよ。兄貴、まずは俺たちのテントへ!温まるものを準備しておいたんで」


(若者は、迎えに来た男の妹の婿なのか?『ローラ』って言ったか?どこかで聞いた名前だな…)
 そう思いながらソジュンたちは、馬にまたがる若者についていった。

 冬場はもっと下へ移動し草原の『冬テント』で過ごしている。義兄からの連絡を受けて中継地で休めるように、ここにテントを張って待ってくれたのだという。
 中は広く何枚もの毛織の厚い絨毯が敷き詰められていた。壁面には外気を遮断するように毛皮の掛け物で覆われ、テント内は暖かい。
 「このスープは、俺たち『チュルク』が冬を越える特別煮込み料理だぞ。食べたら体の芯からあったまるんで。そっちの兄さんも遠慮なく!」
 何日も煮込んだ柔らかい山羊肉とネギ入りのスープを飲んだら、ソジュンの頭にも血が通いだした。
(あの馬に乗って迎えに来た人たち、『チュルク』って言ったか?…
それで今晩は、ここに泊まり…?)
 彼には、何が起きているか見当がつかなかった。

「これもどうぞ」
 チュルクの若者は、塩漬けにした肉をナイフで薄くスライスしながら勧めた。「チーズ、塩パンも遠慮なくどんどん召し上がれ」と膳の上に山の様に盛ってくれた。腹一杯食べた一行は、その夜、そこに泊まった。


 翌朝、男は毛皮の帽子とコートを渡した。
「兄貴、しばらく雪道が続くんで、この毛皮を。ここからの山道は凍結している。遠回りだが天山の北を回って草原を通る方が良さそうだ。我らの馬で誘導しましょう」

 チュルクの若者の馬を先頭に、ラクダの長い隊列は、険しい山道を進んだ。後方のチュルクの男たちは、ヤギを追いながら進んだ。
 岩場の下には川が見える。切り立つ山の細い道をギリギリ抜けて進めば、石がコロコロと落下する。ヒヤリとする瞬間が何度もあった。
 ソジュンのまたがるラクダの足元の石も坂を転げ、深い谷に落下していった。
(怖っ!!このツアー、ヤバいよな?)
ソジュンは体が震えてきた。しかし今の彼は、ただラクダに身を任せていくしかなかった。
後方につけたチュルクの男たちは、軽々とヤギを追いながら山道を進んだ。

 この地を駆け巡るチュルクにとっては慣れた山だった。長いラクダの隊列を先導して、また後続を守るように通りやすい道へと次第に誘導した。馬の後について細い山道を抜けると、目の前には美しい緑の草原が広がっていた。昨日まで通った真冬の雪景色は、一気に春となった。湖のほとりの草原には、赤や黄色のチューリップが咲き乱れていた。 


「うわー、スゲー!」ソジュンは一面の花畑に歓声をあげた。
「ローラに話していた通りだ。チュルク(突厥)の暮らす土地は美しいですなあー」


後ろから、明るい声が聞こえた。
「兄さーん!」
「おじちゃん!!」

 駆け寄ってくる子どもの声も聞こえた。

「おお!ローラ、お前たち!元気だったか?」

 迎えに来たのはチュルクの若者の家族。そこは広々とした草原に張られた突厥(チュルク)たちの居所のテントだった。

 草の上に腰を下ろし、休憩をとった。草原の草は風にそよぎ、小川の流れる軽やかな音もする。

 ローラは山羊肉の塩漬けの煮込み、山羊乳を熟成したチーズ等、心尽くしのチュルク料理を振る舞い、彼らを歓迎した。
 ラクダたちは、小川の澄んだ水をガブガブと美味そうに飲み、塩を舐めた。オアシスで見つけたという好物のナツメヤシの実をもらって、ご機嫌だった。
 ヤギも馬も思う存分、草を喰み、寛いでいた。

 腹を満たした昼下がりの草原。
 草の上に円を描くように腰を下ろした。
 中央に座ったチュルクの男は、コムズ(ウードに似た弦楽器)を奏で、草原の向こうまで響き渡るような歌声で歌った。

 しばしの休息の後、いよいよ草原の道を発つ事に。子どももローラも途中までは、一行に連なった。
 チュルク(突厥)の遊牧民は、この時代、天山山中を本拠地としてユーラシアの中央から西北までを駆け巡り生活していた。その辺りは彼らの庭のようなものだった。

 着込んでいた毛皮のコートや帽子もいらないくらい暖かだ。上着を脱ぎ清々しい風が吹き抜ける中、その隊列は進んだ。

 次のオアシスに至った時、チュルクの若者は言った。

「私どもは車師国(トゥルファン)をまわってカシュガルに行くんで、ここで失礼する。このまま西に行って亀茲へ行く方がカシュガル周りよりいいよな。タクラマカンが短い方が、その兄さんにちったぁ良さそうだしな」
そう言って、ソジュンの方を見て笑った。
 「この先は砂漠が続くから…これを食え。ウチで作った塩味の『クルト』だ。兄ちゃん、コイツを食いながら行くといい。頑張れよ、もう少しだからな」
「あ、ありがとうございます…」

 たっぷりの塩を効かせて作ったヤギ乳のまん丸いチーズのような保存食をソジュンにも手渡した。すると向こうから隊列を率いるアンミンジェ似の男は、快活な声で言った。

「ありがたい。遠慮なくいただくよ。パミールまで迎えに来てくれたおかげで雪山を迂回できて助かった。案内、ありがとう」
 チュルクの男が差し出した包みを受け取って感謝を伝えた。

「また来るぞ、ローラ。楽しい時間を過ごせた。甥っ子たちが大きくなったら、亀茲の父上にも孫の顔を見せに来てくれ」

「兄上の顔が見られてよかったです。父上、ロクサナにもよろしく。この子たちが馬の乗り方に慣れて来た頃、必ず参ります」

「うむ。カシュガルのバザールに山羊達を連れて行くとき、亀茲に参れ。父上もロクサナも皆、待っているからな!」



第九章 熱砂の砂漠


前編 タクラマカンの砂嵐


 馬にまたがる遊牧民に先導され雪山を越えたラクダの一行は、ローラ(チューリップ)が咲きみだれる春の草原で、チュルクの一家と和やかなひと時を過ごした。

 一家と別れたあと次のオアシスで、砂漠の旅に備え装束を着替えることになった。
「タクラマカンは、私どものような旅慣れたソグドにとっても一番の難所でございます。太陽の日差しで、やられないように、こちらに着替えて参りましょう」

 (ソグドって言ったよな?それって長老の話してくれた物語に出ていたソグドか?…やばっ、これってロケじゃない気がしてきた)

 彼の想像を超えた出来事が起きているに違いない、と不安に思いながら渡された服に着替えた。

 金茶色の絹の長袖に、ゆったりとしたシャルワール(ズボン)を履き、裾を絞って革のブーツの中に入れた。その上に、淡い青色の絹に金のペイズリー柄の刺繍を施した足元近くまでのカフターン(ローブ)を羽織った。
 腰はベルトで締め、二つの袋をぶら下げた。一つは、水筒(水を入れた羊革の袋)。もう一つは砂漠の携帯食〜塩分補給用クルト、干しぶどう、ナツメヤシの実、アーモンドを入れた袋だった。


旭俊ソジュン様、タクラマカンの日差しは強烈ですから、このトゥルバンを巻いてください」
 金の刺繍を施した水色のトゥルバン(ターバン)で日差しを遮り、絹のベールで顔を覆うように巻いた。
「砂漠では砂が吹き付けますので。目に入らないように、これで顔を覆うのです」

 長いラクダの隊列は、キラキラと日光を反射する砂の海を進んだ。灼熱の太陽が照りつけ空気が揺らぎだすと、刺さるような照射と砂からの照り返しが全身から水分を奪うようだった。

 ゆらゆらとした空気の向こう、遥かな地平線がぼやけ出した。砂の海の向こうの空色が微妙に赤みを帯び出した瞬間、誰かが叫んだ。
「砂嵐が来るぞ!」

 些細な異変をキャッチした仲間の声で、隊商は進行を止めラクダたちを円を描くように停めた。

「旭俊様、急ぎ、ラクダを降りてください!腰を低くして伏せるのです。
立っていたら砂嵐に飛ばされますぞ!
ラクダたちの円の内側にお入りくださいませ」
ソジュンは、彼らの真似をして砂漠の地面に伏せた。
 ラクダたちも円の中央に顔を向け、腰を低くしゃがんで、目を閉じてじっとしている。
「砂嵐が去るまで、目を閉じてくださいませ」
   
 むっとする強い風が吹き付けた。
次の瞬間、凄いスピードで熱い砂が襲った。熱砂はバチバチと音を立てた。服の上からも痛く感じるほどだった。
 ソジュンは固く目を閉じ、砂漠に伏せ嵐が通り過ぎていくのを待った。

「もう大丈夫ですよ」
 砂嵐は去った。
 細かい砂が衣服の隙間からも入り込んでいた。吸い込んでしまったのか、口の中もジャリジャリとした感触がして、「ヤバっ…砂が口に入った」とソジュンは思わず呟いた。
「そうなんですよ、砂ね…閉じてても入ってしまいますよね。
まずは、この水を含んで濯いでください。カフターン(ローブ)は脱いで、こうやってはたいて砂を落とすんです。後でオアシス着いたら念入りにしますが、今とりあえず、ちょっと湿らした布で体を拭きます。この布をお使いください」

 貴重な水で口を濯ぎ、湿した布で身体を拭いた。隊商の男たちは、驚いて逃げ出したラクダがいないか数を確認していた。荷物が飛ばされていないかも、念入りにチェックした。
砂嵐の去ったあと、再び隊商は歩み出した。

「旭俊様、ここを越えたらもう少しでございます」

 金色に染まるタクラマカンの夕焼けの中、ラクダたちの長い影が進んだ。
 やがて群青色の空の縁が桃色となり辺りは暗転した。日没すると肌寒い砂漠の夜が始まる。隊商の男たちもソジュンも、防寒に厚手のキャメルのマントを羽織った。炎天下に旅を進められない砂漠では、日没後の夜も旅は続く。

 真っ暗な砂の海を進むラクダたちのシルエットは、月灯りに照らされ、金色に浮かび上がった。

 深夜、彼らはテントを張り、オアシスで休んだ。
 隊商の男たちも、ラクダたちも、羊の群れも朝から晩までの移動の疲れで深い眠りの中にいた。
 砂漠の天高くから照らす月は、そんな彼らを優しく見守っていた。




後編タクラマカンの太陽の病
xšēn wēn(フシェーン・ウェーン)

 朝日が東の地平を赫赫かくかくと照らし始めた。また次の旅が始まる。
「もう一息で、ございます…旭俊ソジュン様。腹ごしらえしておかないとバテますので。リコリス茶もどうぞ」
 皆で山羊乳とナン、チーズを頬張り、干し肉や果物をかじった。

 幾日も続いた遠征でソジュンの肉体は、かなり疲労していた。寝ても疲労は蓄積していくばかりだった。
 そんな中でも旅は続く。ラクダの上で幾たびも携帯した水を飲み、クルトや山羊乳で塩分補給した。それでも、その日の喉の渇きは尋常なものでなかった。

 そんな彼を気遣って、何度もラクダを止め休ませた。
 午前中とは言え、その日の日差しは強烈だった。

 次第にソジュンの意識は、ぼやけていった。
「旭俊様、旭俊様!…」
 自分を呼ぶ声が遠ざかっていく…
そこでソジュンの意識は飛んだ。


 ソジュンが気づいた時、彼は簡易のテントで横になっていた。
「おお!目覚められましたか!!」
 砂漠を征く隊商には、医師も同行していた。衣服を緩め、脇にはヒンヤリ冷たい羊の袋を挟んであった。袋の中には、砂漠で貴重な『冷水』が入っていた。

「大切な客人が意識を失なわれて私ども、心配致しました。重篤な太陽の病、xšēn wēn(フシェーン・ウェーン)でございましたが、これで峠は越えましたな。若旦那様が使いの早馬で取り寄せた『天山の雪』で、お体を冷やしました。
目を醒まされましたので大丈夫でございましょう。ご安心ください」
(知らぬ間に大変な事になっていたんだ)とソジュンは驚いた。

 医師は脈を取りながら、言葉を続けた。
「『気虚』の状態でございます。旅慣れておられない旭俊様には、このタクラマカンの暑さは堪えましたな。生薬を調合致しました。胃腸の働きを増して疲労をとり、体の熱を冷まし、『水(すい)』を調節いたしましょう。
 生薬は、『人参と黄耆おうぎを含む参耆ジンギ剤』が宜しいかと。暑さで弱った体の回復を助けましょう」
 医師は、生薬の調合を脇にいる助手らしき若者に説明していた。

「砂漠のxšēn wēn(フシェーン・ウェーン)の患者では、内にこもった熱をとり身体を冷やし体力を戻すのが重要じゃぞ。
人参にんじん黄耆おうぎ陳皮ちんぴ麦門冬ばくもんどう蒼朮そうじゅつ当帰とうき黄柏おうばく甘草かんぞう五味子ごみしの九味を入れておくのが良い。漢の時代からの薬方に先人が工夫したやり方だから覚えておくのじゃ…戻ってきたら補中益気湯を使う手もある」

 医師は、そう言うと調合した生薬を器に注ぐとソジュンに渡した。
 苦いかと思ったら割と飲みやすい、とソジュンは不思議に思った。

「甘く感じられますでしょう?身体にあった生薬は甘く感じるものです。
今の旭俊様なら塩を舐められたら、甘く感じるはずです。体が欲している証にございます。試しに塩を舌にのせてご覧なさい」
 ソジュンは言われたように塩を舌にのせてみたら、「塩なのに甘く感じる」と不思議に思っていた。

 医師は、「これを食べるのも治療でございます」と言って、たっぷりと味噌をつけた胡瓜を渡した。
 ポリポリ美味そうに胡瓜をかじるソジュンを見て、医師は目尻を下げて微笑んだ。



 ソジュンの体力が回復したという医師の判断で、旅は再開した。
 その後もオアシスでの休憩をしながら目的地を目指した。


「いよいよ着きましたよ!」と、先頭の男は言った。
 向こうにオアシスの緑の木々が見えてきた。
 オアシスの中の道をラクダたちが砂埃を上げながら進んだ。
 鮮やかな色彩の果物、各地から集まった織物、ガラスの水差し、大きな壺等がところ狭しと陳列させている。
 商品を売る商人の威勢の良い声、客たちとの駆け引き、再会の挨拶…
バザールには、そんな活気が溢れていた。
 荷を背負ったロバも通る。商人に不可欠なラクダや羊、ロバを売り買いする店も並んでいた。
 果物の山の前でラクダを止めたアン・マネージャー似の男は、うれしそうな声を上げた。
「おお、xarbuzarハルブザーがありますよ!砂漠を旅して食べるxarbuzarハルブザー、この甘い瓜は格別ですからね。旭俊ソジュン様の身体を冷やすのに、ビンドゥバーネ(西瓜)とキャール(きゅうり)も買っておきましょう。

 彼は、甘瓜や西瓜、胡瓜を大量に買い求めた。路で別れる仲間の分を手渡し、バザールを抜けて再び進みだした。
 しばらく行くと白壁の集落が見えてきた。

 程なくして「到着!」と言う声に、隊商はラクダを止めた。
 川の側の白い土壁の大きな屋敷の前で、隊商は止まった。
旭俊ソジュン様、いよいよ到着致しました。こちらが父の屋敷でございます」

 一行の到着に気づいたのか、屋敷の中から嬉しそうに弾む声がした。
「おかえりなさい!兄上」
 こちらに向かって娘が駆けてくる。
「おお、元気だったか?大きくなったな、ロクサナ!」

 駆け出してきたのは、見覚えのある亜麻色の髪を編み込んだ娘。
青い瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。

「まさか・・・?」

 風が一陣。
 オアシスの胡楊ことかけやなぎの木々が強風にあおられて葉を揺らし、ガサガサガサッと大きな音を立てた。

「ここは、何度も夢に出てきた、あの場所だ!」
 その瞬間、ソジュンは確信した。
「オレは、ここに来たことがある・・・」







第十章 亀茲で友と邂逅かいこう…?


 屋敷の入り口には、歓迎の「焚き火」がたかれていた。隊商の者たちは、次々と火を飛び越え、煙を浴びて体にいぶした。

旭俊ソジュン様も、火を飛び越え煙を浴びてくださいませ。交易から帰って来た者を疫病の邪気から守る風習でございます」

 彼の言葉に我に帰ったソジュンは、その言葉に従い、火を飛び越え煙を浴びた。

 そこに松明たいまつを掲げた若者が現れた。
「若旦那様おかえりなさいませ!御無事で安堵あんど致しました。お客様、長旅お疲れ様でございます。お疲れになられましたでしょう。母が案内しますので、あちらへどうぞ」そう言って、にこやかに出迎えたのは、職人風の若者だった。
「チャドフシャフ(Čad-xšaf )か、久しぶりだな!何年ぶりかな。チャドがまだ十五になる前だった…背もグンと伸びて頼もしい若者になった。
お父上のパールヴァン(Pāruwān)おじさんや工房の皆も息災であったか?」
「ええ、若旦那様。両親も、楽器工房の皆も元気にしております。私は、荷下ろしのお手伝いを致しましょう。母がすぐに参ります。向こうに、お茶の用意もしております」

 店の者たちは、ラクダの背に載せた大量の錦の荷下ろしをしていた。
「見事なザンダニジにしきでございますね、若旦那様!」
 ザニダニジは、ブハラ近郊のザンダネ村で作られるソグド錦。ザンダニジ錦には、連珠模様の中央に鳥が向かい合った西域特有の図柄が描かれていた。
 一行の到着より先に届いていたプルワーンツ(手紙)の内容と積荷の札の内容を照らし合わせ、一つ一つ丁寧に確認していた。



「ただいま帰りました。父上」
「おお帰って来たか、チャクシダト(Čaxšidāt)!無事で何よりだ。長旅で疲れただろう。まずは茶を飲みなさい。お客様にも、こちらで休んで頂きなさい」
 葡萄ぶどう棚の方へ案内されたソジュンは、チャクシダトの父親が「ブハラの長老」にそっくりで驚いた。

 茶を運んできた女性は、嬉しそうに、「お帰りなさいませ!チャクシダト坊ちゃん。まあ立派になられて…嬉しゅうございます。まずは喉を潤してください」と、皆に茶を注いだ。
「お久しぶりです、マフシード(Mahšid )おばさん。バザールで買った土産の果物です。ハルブザール(xarbuzar甘瓜)が並んでいたので思わず買ってしまいました」
 チャクシダトは、バザールで買い求めた果物の入った麻袋を彼女に手渡した。
「もうハルブザールが?今年は初めて、いただきますよ!大好物なんです。熟れた甘い匂い…食べ頃ですね。皆様の分、さっそく切って参りますね」と言って受け取り、切り分けて出てきた。
 「甘瓜」はラグビーボールのような形をしていて外の黒い縞模様はスイカのようにも見える。中を割るとオレンジ色の果肉は熟し、甘い香りが辺りに広がった。

「さあ、旭俊ソジュン様もどうぞ。疲れが吹き飛びますから」と、その瓜を勧めた。
「うわー、美味しいですね!」
 ソジュンは思わず叫んだ。
「お気に召して頂けて良かった。
わしはあるじの亀茲の商人ダダンブク(Datang-buk)じゃ。宿で旅の疲れを癒して寛いでくだされ。
 ところで…チャクシダト、お越しになった客人はどちらからのお方かな?」
「これは失念してました。こちらは鶏林ケイリンからいらした金旭俊キム・ソジュン様でございます。新羅シルラの王族のお方で、学問の研鑽で唐や天竺のナーランダーの学舎へ行かれた帰りに西域を通られたので、康国・安国をご案内して参りました。旭俊ソジュン様は胡楽こがくを学ばれているとのことでしたので亀茲にお連れしたのです」
 いくつもの驚きが、ソジュンを襲った。
「え?!王族?!…何の話?鶏林から来たって言ったか?」

 天竺はインド。康国とは今のサマルカンド。安国はブハラのことだ。
(鶏林って、三国時代の新羅シルラの都だろ?)
 ソジュンは、心に思った。
「そして、そちらは?」と、チャクシダトが聞いた。
「この方か…こちらは倭国から来られた田中臣純麻呂たなかのおみすみまろ様じゃよ。唐に留学生りゅうがくしょうで来られ、敦煌とんこうで研鑽しておられた。わしが楽器を敦煌とんこうに届けに行った時に知り合ってな。『胡楽に興味をお持ちなら亀茲楽を観ていかれては』と、お連れしてきたんじゃよ」
 (え?まさか!)
 倭国から来たという若者は『純一』と髪型が違うだけで、激似だった。

「初めてお目にかかります。倭国から参りました、田中臣純麻呂たなかのおみすみまろにございます。あなたも胡楽にご興味がおありとは。遠い、この地でお会いいたしましたのも何かのご縁でしょうな。よろしくお願い申し上げます」と『純麻呂すみまろ』は真顔で言った。
「初めてかよ!ふざけてるだろ?純一」ソジュンは、心の中でツッコミを入れたかったが、そんなシーンでは無さそうだ。

(まさか、これはオレの過去の記憶?純一もあの宿の人たち、アンマネージャーみんなが亀茲で昔、会った人たちだったってことなのか?!)
 ソジュンには、まだ理解できなかった。

「初めまして金旭俊キムソジュンと申します。よろしくお願い申し上げます。(ソ・・・)
ケ、ケイリンから参りました」
彼は「ソウルから」と言いかけ、
(鶏林ケイリンからと紹介されたわけだから、ここは合わすのが無難だ)
と考えて、ケイリンと言い換えた。

(そう言えば『鶏林』と言えば、僕のじいちゃん、ばあちゃんは慶州の出身だ・・・『鶏林』って慶州の昔の名前だろ?鶏林はともかく、アイツは『スミマロ』って?マジ、純一に激似なんだけど)

 ソジュンは困惑しながらも、今は、この状況を受け入れるほかないと思った。

「鶏林ですか?それは遥々はるばる、遠い亀茲にまで、お越しくださいましたな」と、ダダンブクの言葉を聞いたソジュンは思い出していた。
(しかもキジと言えば、ブハラの長老が『昔話で言っていた亀茲国』なのか?)


 時空を超えて、記憶の奥底に迷い込んだ気分だとソジュンは感じていた。
「いつも『夢』に見ていた、遠い昔のどこかに来ちまったってわけ?…
これって、まさか、タイムスリップしちゃったの?





第十一章 亀茲楽の宴





旭俊ソジュン様、長旅でお疲れでしょう。宿の方でお休みになってくださいな。チャド、お荷物をお持ちして、ご案内して差し上げて」
「そうですね…ご案内しましょう。こちらでございます」

 チャドは川沿いを通って、ソジュンを案内した。
 天山の雪解けの水を集め水嵩みずかさを増した川は、ゴォーゴォーと音を立てていた。オアシスの緑は眩しく、水車小屋の音がカターンカターンと響く水辺には、あんずすももが小さな実をつけ、柘榴ざくろの赤い花が咲いていた。

 広い庭を囲むように二十棟程の宿が軒を連ね、駱駝小屋の前にはラクダたちが草を食んでいた。交易から帰った隊商は街に入る前、ここで旅の疲れを癒す。

「旦那様は長年、薩保さっぽうをされていましたから、往時には大勢の商隊が出入りして、唐や敦煌へ往来する商団で賑わっていました。
 申し遅れました。私はチャドと申します。旦那様の楽器工房で働く職人でして。先程、お迎えした女性は私の母。父も私も、この近くの旦那様の工房で楽器作りをしてるんです」
 チャドは、向き直って挨拶をした。

「こちらのお部屋です。着替えは、これをどうぞ。水を汲んでおきましたので砂漠の砂を落とすのにお使いください。後で蒸し風呂に、ご案内いたしましょう。準備が出来ましたら、また参ります、ごゆっくり」

 ソジュンは砂だらけになった衣服を脱いだ。布を湿らして体を拭き、着替えて横になった。





「…旭俊様、旭俊様」と呼ぶ声に、ソジュンは目を覚ました。
「お休みになれましたか。食事の準備が出来ましたので、あちらへどうぞ」
 空が茜色に染まる頃、二人は母屋の方へ向かった。

 屋敷の前の広場には胡楊の木で組んだ大きな『焚き火』があり、男の背丈より高くまで炎が上がっていた。焚き火を囲むようにテーブルが並べられ、卓上には御馳走や果物が出されていた。

「旭俊様、さあさあ、こちらへどうぞ」
 屋敷の主人と息子チャクシダトの近くの席に案内された。側には純一そっくりの遣唐使・純麻呂すみまろもいた。

「ようこそいらっしゃいました。うちで作った葡萄酒です」
 あるじのダダンブクは、旭俊ソジュンのグラスに葡萄酒を注いだ。
「さあ、皆さんもどうぞ!」
 主人の乾杯の掛け声で宴は始まった。
「今年の葡萄酒は出来がよろしいですね。父上」
 久しぶりに帰った息子の言葉に、ダダンブクは顔をほころばせた。
「美味い!唐で食べたご馳走より、これが食べたかったんですよ!マフシードおばさんの作るメシが一番だ。なつかしいなあ」
「まあ!うれしい!!十年ぶりに帰られるチャクシダト坊ちゃんのため、特別に腕を振るったんですから。そう言って頂けたら作った甲斐がありましたよ」

 マフシードは、客の方を向いて、「さあ、純麻呂すみまろ様、旭俊そじゅん様も遠慮なさらないで、どうぞ召し上がってくださいね。どんどん、運んでまいりますからね!」
 彼女は皿に料理を取り分けた。
「まずはこちらを召し上がって。砂漠の旅で疲れた体にはこれがいいんですよ」と彼女は言って、胡麻味の胡瓜の和え物を彼に勧めた。
「このスープもどうぞ」とスープを目の前に置き、串焼き肉や蒸し餃子と次々と料理を運んできた。
 ソジュンには見慣れぬ珍しい献立もあったが、サッパリとした酢の風味やニンニクやネギの効いた味付けは彼にも馴染みのあるものであった。

 主人のダダンブクは、純麻呂に尋ねた。
「ところで、倭国はどの辺りにあるのですか?私も商いで、あちこち旅していますが倭国には、まだ行ったことがないもので」
「ダダンブク様は鶏林は、ご存じでしょうか?」
「ええ、楽器のお届けで鶏林には行ったことがございます」
「倭国は、鶏林の前に広がる海を渡った所にある国なんです」
「ほう…!」
「生まれたのは母の故郷の『筑紫ちくし』にございます。天気の良い日に島を巡れば、対岸に伽耶かや国を望めます。幼い頃は、海辺にある母方の祖父母の家によく行ったものです」
 遣唐使として既に七年。彼は懐かしい故郷を思い浮かべて語った。

「母方の祖父の家は、代々、貝の交易をしておりました。南海の多禰たねの島々で採れた夜光貝やこうがいを加工し、大和の朝廷はもちろん、昔は伽耶かや新羅しらぎ百済くだらへも交易しておりました」
「ほう!!純麻呂すみまろ様のおじいさまは、交易を?!しかも海路とは驚きました。今度、詳しくお聴きしたいですな……
ところで、そちらのお客様、旭俊ソジュン様は確か……」
 今度はソジュンの方に笑顔を向けて語りかけた。
「先程、旭俊ソジュン様は新羅シルラから来られたと申されましたね」
「え、ええ・・・」
 ソジュンは、一瞬、言葉に詰まってしまった。ちょうどその時、楽団が楽器を持って現れた。


「旭俊様、申し訳ない。お話の途中ですが……そろそろ、うたげの準備ができたようじゃ。お客様に亀茲楽きじがくをお聴かせいたしましょうか」

 日が傾きかける頃、その演奏は始まった。
 弦楽のゆったりとした演奏に、打楽器の音が加わりスピードを上げていった。撥弦はつげん楽器をき鳴らし、陽気な歌も加わった。聴衆も一体となって手を叩き、足で拍子をとりだした。

 すでに日が暮れたオアシス。鮮やかな連珠れんじゅ柄の赤い絨毯じゅうたんの上の舞台は、赤々と上がる炎で昼のように明るい。
 そこにエメラルドグリーンの光沢ある絹の衣装に身を包んだ娘が舞いながら登場した。
 「あっ……」
 ソジュンは、一瞬、息をのんだ。

 「この音楽、この場面……それは、夢に何回も出てきた異国の宴だ!そして、あの娘は・・・」

 チャクシダトの妹のロクサナは、ブハラで会った宿の娘と瓜二つ…
 彼女を見た時、彼は鼓動を抑えることが出来なくなってしまった。
 何度もみた夢のあのシーン。顔が見える前に目が覚めて思い出せなかった『夢の中の娘』が、今、彼の目の前にいる。

 ロクサナは片方の手を高く掲げ、もう一方の手で柔らかく円を描くように舞った。ロクサナが手に持つ透けるように薄いエメラルドの絹のリボンは、彼女が舞うたびにフワリとくうを舞った。それは、まるで天女の羽衣。ゆっくりと優雅に始まった踊りは、速度を上げ素早く回旋する。左右の手に持った絹のリボンで円を描きながら旋回のスピードを上げていった。

 この踊りこそ、唐代の「胡旋舞」そのもの……
 ロクサナは舞いながら位置を変え、ソジュンの席のすぐそばで踊り出した。頬が紅潮し微笑みながら舞う、ロクサナの澄んだ瞳に見つめられた時、ソジュンは身体中が熱くなるのを覚えた。




第十二章 亀茲の月灯りの下で


 宴は終わった…

 旭俊ソジュンは、まだ胸の高鳴りを抑えられずにいた。部屋に居ても落ち着かないと思った彼は、中庭を散策することにした。昼と違ってオアシスの夜は肌寒い。
(頭を冷やすのにちょうど良い)
 彼は葡萄棚の下に座り、ぼんやり月を眺めていた。
「そう言えばブハラでも、今日のような月が出ていたな…それにしても、純一とアン・マネージャーはどうしているんだろうな…」
 ソジュンは、月を見上げながら思った。




 すると、そこに近づいてくる人影があった。

「あら…?もしかして旭俊ソジュン様ですか?」

 彼が振り返ると、『あの娘』が立っていた。娘は淡い水色の服の上に金の刺繍の入った濃紺の上着を羽織っている。

 やっとおさまっていた鼓動が、再び速まった。
「ああ…ロ、ロクサナ様でしたね。
新羅シルラから来た金旭俊キムソジュンにございます。素晴らしい『舞い』をありがとうございました」
 動揺しているとロクサナに気づかれないよう、彼は平静を装って手短に答えた。

「遠くから来られたと兄に聞きました…亀茲にお供したチャクシダトは私の兄なんです。ようこそ亀茲にお越しくださいました。
あっ、いけない…おばさんに言われていたのに。お茶をお出しするのを忘れていました。喉が渇きますでしょう?飲み物をお持ちしますね」

 ロクサナはそう言うと、中に戻って飲み物を持ってきた。彼の前に置かれた器からは、湯気がたっている。

「お茶でございます。マフシードおばさんが用意してあったのに、お部屋にお持ちするのをうっかりしておりました。沸かし直してきました。このお茶、ここで飲まれますか?それとも、お部屋で?」

「あ、ありがとうございます。こちらで頂きます」
 ソジュンは、茶を飲みながら空を見上げていた。
(何か言わなくては場が持たない…)
やっとの思いで、ひとこと言った。

「……月が綺麗ですね」
 静かなオアシスの空には、ソジュンがソウルで見たこともないくらい月は大きく見えて、無数の星が瞬いていた。

「ホントに綺麗!今夜は星もいっぱいですね。うわー、これが春の月?!
『天山の雪解けの頃の月は優しい色をしているのよ』って、マフシードおばさんが教えてくれたとおり、『優しい色の月』ですね……
あっ、ごめんなさい。
マフシードおばさんって、私の乳母なんです…」

 ソジュンには、月灯りがロクサナだけを照らしているように見えた。彼は手を温めるように器を両手で持ち、ゆっくりと茶を飲んでいた。
 満月に照らされ、ロクサナの編み込んだ髪につけた小さなラピスラズリの髪飾りがキラキラと輝いた。


「お寒くありませんか?」
「だ、大丈夫です…」
「今夜は慣れない土地で落ち着かないかもしれませんね……
明日から兄やチャド兄さんが、亀茲をご案内すると申しておりました。今夜はゆっくりお休みくださいませ」



          後編に続く




長い小説を、ここまで、お読みくださってありがとうございます😊
現在、連載中ですが、ここまでをまとめたものがこちらです。

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