短編小説『春風の中の告白』
高校卒業まであと一週間というある日、ボクはクラスの女子に呼び出された。時間通りに学校の裏に行くと、彼女はもうそこに立っていた。
目鼻立ちは整っており、肩までかかる髪が春の柔らかい風に揺れている。
「あの……前から気になっていました。私と、付き合ってもらえますか?」
照れ臭そうに目を逸らしながら、彼女は小さな声でそう言った。
——生まれて初めて告白された。
ボクは言葉を失った。頭の中が真っ白になって、喉の奥で何か詰まったような感覚だけが残る。
「あ、あ……ボク……あの……」
——気温も少しずつ高くなり、春めく街では、三月に入ってから連続刺殺事件が起きていた。一週間ごとに一人ずつ、計三人の女性が被害に遭っていた。
どの被害者も三十代だった。会社の帰り道、飲み会の移動中、深夜勤務に向かう途中……犯行はどれも夜に行われていた。
ニュースでは「似た年齢層」「女性」「夜間」という共通点が繰り返し強調され、警察は「同一犯の可能性が高い」と発表していた。
街では誰もが無意識に後ろを振り返る回数が増え、バッグを胸に抱きしめる仕草が目立つようになった。
そんな中、警察はその被害者の中の一人、中川莉緒と最近まで付き合っていた男性、鴨川隆をマークしていた。
彼はつい最近彼女と別れたのだが、その理由がDVだったという点、そして中川莉緒を通じて他の被害女性二人とも顔見知りであったという点から、事件の重要参考人として強く浮上していた。
——アパートの質素な一室。
生活感のない部屋で、新聞の記事を苦々しく見つめていた三十代の男性、鴨川隆。彼はスマホを取り出すと、ある古い動画を眺めた。
そこには、若かりし中川と友人らの無邪気に笑う姿が映っている。鴨川は壁に貼ってあった中川の写真を静かに剥がして懐に入れると、道具の入ったカバンを肩にかけ、無言のまま部屋を出た。
——小さなアパレルショップ。
そこに勤務する三十代女性、ショートカットの川本真琴は閑古鳥の鳴く店内を見回した。
「……ねえ川本さん、最近この辺も物騒だよね」
同僚の市川が、暇そうにネイルをいじりながら声をかけてくる。
「何か怖い事件起きてますよね、早く犯人が捕まればいいけど……」
川本はそう話しながら、棚に積まれた洋服を丁寧に畳みだす。
「ほら、私なんかもう四十だから大丈夫かな?って勝手に思ってるんだけど、川本さんはまだ三十だっけ? その犯人の射程圏内に入ってるんだから、気を付けたほうがいいかもよ」
市川はラメの入ったネイルで川本を指さした。
「そんな……同じ年代だからって狙われるなんて限らないですよ」
「そう? そういう猟奇的な犯人って何かしら自分にルールみたいなのを決めて犯行を重ねる傾向にあるって……テレビで言ってたよ」
「そう……なんですか?」川本の畳んでいた手が止まる。
「だから、三十歳縛りみたいなことしてる可能性も大いにありってこと」「そっか……そう考えると怖いですよね」
「ねー、あ。お客さんだ、いらっしゃいませぇ~、どうぞご覧になってくださぁ~い」おかしな抑揚をつけて話す市川さんに苦笑いしながら、川本はその後も淡々と洋服を畳んでいた。
閉店後、シャッターを下ろす音が響く頃、川本は一人でバックヤードのロッカーを片付けていた。ふと、さっきの話が気になり、スマホを取り出して例のニュース記事を眺めた——
——その女子、中川さんはじっとボクの返事を待っていたようだった。
……とはいえ、急にそんなことを言われても、ボクは中川さんを知らない。ただ、告白の言葉は嬉しかった。そしてその言葉は、クラスの中でも美人の部類に入る中川さんから言われたのだ。
しかし、だったら尚更、ボクなんかより引く手あまたなはずの彼女が……どうして……ボクみたいなのと、どうして。
ボクは少し置いてから「すみません、こういうの慣れていないので、一日だけ考えさせてください」そう告げた。
その言葉が意外だったのか、中川さんは少し驚いたような表情を見せながらも、静かに口を開いた。
「わかりました、じゃあ明日、もう一度ここで……」
ボクはその帰り道、すごくドキドキしていた。あんな美人さんに話しかけられるだけでなく告白されただなんて……後から考えるほど、それは信じられないことだった。
もはや選択する余地など無く、帰り道に答えはもう出ていた。
多様性の時代とはいえ、ボクみたいなのに告白だなんて。
中川さんもすごく考えて、勇気を振り絞ったうえでのことに違いない。
それなら、ボクがしっかりと受け止めるべきなのかもしれない。しかし、その日の夜は出血と痛みがすごかったのもあって、さすがに眠れなかった。
結局、寝不足のまま、当日になった。
学校もこの時期になるとクラスにはほとんど生徒は来ていない。中川さんももちろん居なかった。午前中で終わり、ボクはあの場所へ向かった。
中川さんはそこに、居た。
「あの後……どうでした?」
彼女が静かに告げると、ボクは真剣なまなざしで答えた。
「中川さんのその気持ち、ボクはしっかり受け止めたいと思います……」
「という事は、お返事は……?」
「もちろん、こんなボクで良ければよろしくお願いします!」
「良かった……」
その瞬間、中川さんの表情がぱあっと明るくなった。ボクも幸せな気持ちで胸が熱くなり、二人の距離が一気に近づいた気がした。
見上げた桜の花が祝福してくれているようだった。
——鴨川隆は現場付近をうろついていた。中川の痕跡を探すように。
街往く女性はその姿に少し距離を置いた。中には逃げ出す女性もいた。それほど、自分は恐ろしい目をしていたに違いない。
……しかしその中に、目を背けずにいる女性もいた。
ショートカットの女性、三十代くらいだろうか。彼女は凍るような視線を自分へと真っすぐに向けて近づくと、静かにこう告げた。
「お前も……知ってるのか?」
「えっ……?」
表情が明るくなった中川さんは、声を出して笑ってみせた。ボクも一緒に笑った。彼女は、ボクと付き合うことをそんなに楽しみにしていたのだろうか。久しぶりに笑った気がした。
すると、どこからか別の笑い声が聞こえてきた。木陰から別の女子が顔を出したのだ。
「おめでとう中川!」「中川!やったねー!」
パチパチと拍手をしながら女友達二人が現れた。
サプライズだったのか、ボクも祝福されているようでこそばゆかったが、悪くはない。ああ、ボクは閉鎖的な自分の環境の中、どこかでこういう普通の世界にあこがれていたのかもしれない。
卒業間際で、ようやくその世界への仲間入りを果たせたのだ。そう考えると純粋に嬉しかった。
「いやー、さすが名演技だよね」
「アカデミー主演女優賞候補ものだわ、中川」
そう笑う友達二人に中川さんは笑いながら答えた。
「でしょ?ほんとにコロッと落ちたから、ウケるんだけどー!」
——彼女たちが何を言ってるのかわからなかった。
戸惑うボクに中川さんは目を細めてニッと笑って見せた。
「ざんねーん!噓告でしたー!」
そう大声で叫ぶと友達とケラケラ笑ってみせた。その友達は続ける。
「さすがにさ、女子同士のお付き合いってのちょっと引くよね……」
「え?川本さん顔赤くなってない?なに?そういう気あったんだ……うわー、きもいんですけどーw」
しかもどこからか動画をずっと撮っていたようで
「ねえ、これすぐ動画上げる?」
「待って、音付けて編集しよ!その方が絶対バズるって!」
「だよねー、じゃあ、あそこのカフェでやろうよ」と勝手に盛り上がっていた。
中川さんは髪を気にしながら「いいねそれ!じゃあお疲れしたー、ま・こ・と・く・ん」と、言葉を失っていたボクに、笑いながら手を振って友達と去っていった。
——えっ?何だよそれ……?
待って、ボクの気持ちは?
ねえ中川さん、嘘だと言ってよ、ねえ……!
——あれから十年、街で中川を見つけた時は心底歓喜した。
あの直後に動画はバズり、一瞬だけ彼女らは有名になった。しかし、流行りものはすぐに廃れ、次々と別のものに移り変わっていった。当の彼女らもそんなこと、とっくに忘れてしまっているだろう。
ただ、待て……
ボクは決して忘れていないし、許す気も無い。あの日のボクの気持ちを踏みにじった彼女らを絶対に許さない。
……アパレルショップで働きながら中川と友達の二人を気づかれないように見つけ、タイミングを見計らって、何も言わずにただ刺した。彼女らはどうして刺されたのかも知らないまま、亡くなったことだろう。ふふ。
……だが、それでいい。
そこに彼女らの罪の意識など一切要らない、それを与えることすら生ぬるい。ボクの気持ちを弄んだ彼女らは絶対に許されない。
ただ、死んでゆけ——そう思うボクの顔は周りからどんなふうに見えていただろう。
目の前には同じような表情を見せる男、鴨川が居た。彼は中川と付き合っていた時に、あの話をどこかで聞いているかもしれない。
……ならば、彼も消す。ボクの黒歴史ごと消してしまおう。
ボクは鞄の中でアイスピックを握ったまま、彼に近づいた——
「待ってくれ、キミは川本さんだろう?」
「えっ……?」鴨川からの意外な言葉にボクは硬直した。
「俺は知ってるんだ、中川のやったこと。モザイクはあったが、あの動画に写っていたのはキミなんだろう?中川から聞いたことがある。ひどい話だよな……それを笑って話す中川を、俺は許せなかった」
この男は何を言っているのか。
「それでちょっと口論になって思わず突飛ばしたらDVだなんだって騒ぎ立てて……俺はたまらず別れた。中川は美人でも、中身は最低だった。別れて正解だと思う」
「……そんな告白が何だって言うんだ?ボクの気持ちは何も変わらない」
そう告げてボクはアイスピックを取り出した。
「それも知ってる、あんなことをされたら誰だって恨むに決まってる。特にその……川本さん、アンタも女性の体で生まれていろいろ苦労して生きていたんだろう?」
「お前みたいな男に何がわかる?知ったような口を利かないでくれ」
ボクは久しぶりに感情が高ぶるのを感じた。
「ただな、少しで良い。これを……見てくれ」
そう告げると鴨川は懐から一枚の写真を取り出してボクに見せた。それは中川の写真だった。
「こんなもの……」と破ろうかと思って掴んだ写真の裏面に目が留まった。
なんだ……これ?
『真琴くんへ——
私、あの時ひどいことしちゃって君のこと傷つけたね。ほんとうに最低だったと思う。完全に周りに流されてしまっていた私を、許してほしいとは言えないけれど、せめて、ほんとうの気持ちだけは伝えたい。
ちゃんと付き合いたかったことを。
私、いつも見てたよ、寂しそうに外を眺めている君のことを、図書館で本を読む君のことを、一人でパンを食べていたキミのことを、真琴君——
中川莉緒 』
なんだこれ……?
「中川がいつも持っていた手帳の中に入ってたのを見つけた時は驚いた。聞いてた話と全然違うからな。いつかキミに会った時にでも渡そうとしていたのか……それとも常に持ち歩くことであの時の贖罪を……俺にはもう、どっちがほんとうのアイツかわからなくなった。でもあの時一緒にいたキミなら、何かわかるんじゃないのか?」
なんだよそれ……意味が解らない
今更ずるいよ、中川さん……どこで……どこで間違えたんだろう、ボクも、中川さんも……
よくわからない感情が一気に湧きだして、ボクはいつしか涙を流していた。周りも気にせず嗚咽した。鴨川は何も言わずにだまっていてくれた。
そして……ようやく少しわかった気がする。
中川さんも、あの時、正直どうしていいかわからなかったんだろう。自分の生まれたその複雑な気持ちに、素直になれる自信が無かった。だから、そこから逃げてふざけてしまった。それがこんな結果を招くなんて……
「難しいよな、恋愛ってやつは……多様性の時代なんて言いながら、実際は誰もが自分の本心を隠して、簡単に流されて、傷つけ合ってしまう……」
鴨川が見透かしたように呟く。
……あの瞬間の中川さんの笑顔だけは、やはり本物だったのだ。
桜の木の傍で向かい合う二人。
春の柔らかい風が、彼女の髪を揺らした、あの笑顔は——
今回はこちらの企画に参加してみました。
