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大体これ一本で分かる!発達障害の歴史( 一一)👍【ADHD編】

どうも、こんにちは!魔術師タヌタローです。
( 一一)✨

 前回はASDの歴史を解説させて頂きました。読んで頂いた皆さん本当に有難う御座います。(„・・„)✨
 
さて今回取り上げさせて頂くテーマはADHD(注意欠如・多動症)です。

ADHDは割と発達障害の中では比較的、有名な部類に当たり、その発病率は日本では成人の場合では2.09%男女比1.6:1になっています。

 僕はADHDでは在りませんが…。メモを忘れたり、部屋の片づけが苦手だったり集中する事が苦手だったり。なので多少なり恐らく重なる所は在ります。お気持ちお察し致します。( 一一)💦

なので、
 今回はADHDが周囲に認知されるまでに至る歴史を出来る限り丁寧に分かり易く解説させて頂きたいたいと思います。( 一一)👏

 因みに余談ですが、日本語の記事やサイトに殆どADHDの歴史に対して此処まで詳しい記事は僕が探した限りでは見つけられませんでした。自分で言うのも何ですが、恐らく、現段階ではADHDの歴史に最も詳しい無料で読める純日本製の記事に成ります。( 一一)!やったね。

 またこの記事は如何なる使用方法等に於いても此方は言及致しませんので是非ご活用下さい。もし宜しければ最後まで読んで頂ければ幸いです。
後、一つ謝ります。長くなって申し訳ない。ごめんよ。
( 一一)👉👈

魔術師タヌタローより

◆前回の記事( 一一)✍



◇コラムについて◇

コラム:『哲学的な医師』に記述されたADHDの治療法の話。
コラム:『Der Struwwelpeter』シュトルベルピーター
コラム:スティル医師の偉業について語ろう( „一一)„👍
コラム:結局『嗜眠性脳炎』の原因って何?
コラム:市販で可能なADHDの対策『麻黄湯』の話
コラム:『リタリン(コンサータ)』の登場。

◇ADHD歴史早見表◇

1775年:ワイカード医師が著書にて初めてADHDを言及する。
1798年:クライトン卿が現在のDSM-IVの基準に近い論文の発表。
1846年:ホフマン医師がADHDの行動特性を題材にした絵本を発表。
1903年:ゴールストニアン講義にてADHDの言及がされる。
1916年:無気力脳損傷との因果関係が発表される。
1932年:運動機能亢進症が発見される。
1937年:ベンゼドリンでADHDを治療可能である事が判明。
1957年:ADHDの脳損傷との関連性を廃止し『脳機能障害』に変更
1962年:リタリンがADHDにて処方が承認される。
1968年:小児期運動過多反応という認識に代わる。
1994年:注意欠陥多動性障害という言葉が使用されるようになる。
1976年:成人のADHDの診断基準が完成する。

📖:ADHDの歴史的背景


Melchior Adam Weikard[1742.4.27~1803.7.25]
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📖:彼の著書『哲学的な医師』


1:『Der Phiosophische Arzt(哲学的な医師)』の存在

 1775年、初めてADHD(注意欠陥多動性障害)について言及した医者がいました。メルキオール・アダム・ワイカード(Melchior Adam Weikard)です。

 当時の医学ではキリスト教の影響もあり『病気の原因は悪魔魔女にある』と考えられていた時代でした。そんな世の中でワイカード医師は『病気の原因は物理的な原因である』と当時としては非常に珍しい考えを持った医者・哲学者だったんですね。
( 一一)✨

 そんな中で彼が書いた本こそ『哲学的な医師』です。一般的にADHDとして知られる注意欠陥多動性障害について取り上げADHDの事を彼は書籍内で

自身の意識的行動であれ、全てに於いて集中力が低く、物事の完了の為により多くの努力を行い、気まぐれで不注意で、仕事では多くのミスをする。基本的に行動に一貫性が見られない

原文は著書内に記載

と評価しています。
 現在の医学的に見れば間違った解釈は多いですがADHDに対しての治療方法にも言及している書籍です。何気に当時の医学者の中でも可成り優秀な医師・哲学者であることが分かっています。

 またこの彼の著書を当時のフルダ近郊(ワイカード医師の故郷)の王子であるハインリッヒ8世(Heinrich von Bibra[1711~1788])が支持していましたが、協会の批判が多く最終的に多くの人間が反発した為に王子は敢え無くこの書籍に禁止令を出す事に成ったのでした。( 一一)😢

コラム:『哲学的な医師』に記述されたADHDの治療法の話。
 先程、ワイカード医師の著書にADHDに対しての治療法に言及していると述べました。折角ですので治療法についてお話していきましょう。
《ワイカード医師が挙げたADHDの治療法》
・体を擦る動き
・スチールパウダー(鉄粉)
・シンコナ(アカネ科キナノキ属の植物)
・ミネラルウォーター
・乗馬及び体操等の運動
を上げています。勿論これ等は現代の医学では正しいとは言えないですがこの時代の事を考慮すれば画期的な考え方でした。因みにこの当時、ワイカード医師はADHDの原因を脳に存在する繊維が柔らかい若しくは極度に機敏である事を原因としており、この原因を教育による後天的な障害であると述べています。( 一一)👌

ワイカードWikipediaより



Sir Alexander Crichton[1763.12.2~1856.6.4]
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📖:彼の著書『精神疾患の性質と原因に関する研究』


2:非常に精巧な書籍『精神疾患の性質と原因に関する研究』

 1798年、今現代の基準に最も近いADHDの特徴に言及した人物がいます。その名をアレキサンダー・クライトン(Sir Alexander Crichton)といいます。
 なんと2世紀前の段階で彼が書いた著書の内容は既に現在のADHDの基準の一つであるDSM-IVに書かれている不注意サブタイプの項目とほぼ完全に一致していました。彼がADHDにおいて言及したのは以下の通りです。

『何かの作業に於いての適合力に欠ける場合、殆どの場合、神経の不自然か病的な感覚から生じる為、次から次へと興味が移る傾向にある。またそれはは社会的な要因で在ったり、偶然として生まれた病気かも知れない』

『普通の人間と比べて成長段階の中で非常に早い段階で異常が明らかになり、教育に対して遅れをとる観点から非常に悪影響を及ぼします。勿論それは全ての教育や成長に於いて悪い影響が出る訳では在りません。幸運なことを言えば大人になるとその症状は減少します。』P271

『この病気の印象は丁寧に言えば、人に動揺の印象を与え、不自然なレベルで落ち着きがなく些細な環境の変化で彼らの集中力は破壊されてしまいます。彼らはあらゆる事が単純な理由で出来なくなります。』P272

原文は著書内に記載。

 またクライトン医師はこれ等の子供達には特別な教育介入が必要であると示唆し彼等単体の努力では周囲に対しての順応に限界があると指摘しました。次の項目で紹介するスティル医師と比べても極めて客観的に道徳的側面を排除してこの障害の状況を説明し記述している事が理解出来ると思います。( 一一)✨

コラム:『Der Struwwelpeter』シュトルベルピーター
 18世紀初期この時多くの小説家がADHDの特性に近い物を描き道徳性の提起をした作品が多く出回りました。その中で一つ有名な絵本が在ります。

 ハインリッヒ・ホフマン医師(Heinrich Hoffmann[1809.6.13~1894.9.20])が1815年10月3日に出版した童話集『シュトルベルピーター』です。元々ホフマンは、『子供用の教育の本が不足している』と考え彼がADHDの特性を持つ3歳の息子にクリスマスプレゼントとして彼が代わりにを書き、挿絵を付けて与えた絵本です。彼は当初、販売するつもりは在りませんでしたが友人を切っ掛けに販売を決意した事でこの書籍が人々に人気を博し定期的に再版するまでに至ったといいます。( 一一)✨

 また、彼は元々専門分野外ではあったものの、統合失調症患者の改善に力を入れた医者としても知られており、非常に人道的で思いやりのある精神科医であったそうです。( 一一)👍

 またこの本は仕立て屋(ハサミ職人)の悪役を西洋文学に取り入れた切っ掛けになった作品として知られ、ADHDを含めた発達障害に対する警告的な比喩の側面を描いた作品として知られています。( 一一)✍

シュトルベルピーターWikipediaより

📖:『シュトルベルピーター』ホフマン作・画



Sir George Frederic Still[1868.2.27~1941.6.28]
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📖彼の著書『子供の病気』

📖彼の著書『子供の頃に良く起こる出来事』

📖彼の著書『小児期の一般的な障害と病気』

3:ゴールストニアン講義にて言及されたADHD

 1902年3月4日、6日、11日にイギリス初の小児医学教授のジョージ・フレデリック・スティル卿(George Frederic Still[1868.2.27~1941.6.28])がロンドンの王立内科医協会で『子供の異常な精神状態』に関する講義を三回に分けて行いました。彼の講演は同年の後期に医学雑誌『ランセット』に掲載される事に成りました。

📖:医学雑誌『ランセット1902年』

 実験対象は持続的注意能力に深刻な問題を抱え、しばしば反抗的な性質を持ち、過度に感動的或いは情熱的でしつけに抵抗し知性には問題が見られないが自分の失敗行動から学習能力が無いという特徴を抱えた43人のケーススタディの児童を例に次のような内容を述べています。

『一般的な知的障害のない道徳的な欠陥のこれ等の性質の中で注目すべき特徴は持続的な注意能力が異常と言えるほど彼等にはない』

付け加えて

『彼らの道徳性はあらゆる環境における欠陥でも説明できない致命的な欠陥が存在する』

『道徳的欠陥が著しい6歳の別の少年は、非常に短い時間の作業にでさえ注意力の維持は出来なかった。推察通り、注意力の損失は学校生活に於いて特に顕著であり、勉強に於いて遅れをとる場合は在ったが、学園内での会話には他の健常な生徒と同レベルの知性が見られた。』

と上げました。またスティル医師にとっての道徳的な行動とは『全ての人間にとっての善に従う行動』を指しており、ADHDは極めて人間性に欠け道徳性がない存在と提示したわけです。しかし同時に彼はADHDを初めて具体的に固有な精神疾患として医学界に広げる切っ掛けにもなりました。

 勿論この当時はまだADHDが子供の疾患という認識が当たり前であり大人でも患う精神疾患という認識はまだ在りません。( 一一)💦

コラム:スティル医師の偉業について語ろう( „一一)„👍
 イギリスの小児科の父と言われる彼には様々な偉業が在ります。折角なので此処で振り返らせて頂きましょう。
 小児疾患の体系化を目標としてスティル病(若年性関節リウマチ)を見つけたました。現在も根本的な原因は不明でステイロイド治療などで継続治療が行われる自己炎症性疾患です。
 また彼の見つけた特殊な無害な機能性心雑音『スティルの雑音』などが上げられます。その特徴は非常に音楽性が高いが余計な雑音が無く、どの病気にも当てはまらない非常にユニークな性質の心雑音であると述べられています。

スティルの雑音Wikipediaより



Alfred Frank Tredgold[1870.11.5~1952.9.17]
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📖:彼の著書『精神障害(アメンチア)』


4:脳腫瘍との因果性が結び付けられる。

 時代は変わり、1916年、ADHDに対し、『最低限の脳の損傷』で在り、原発性による遺伝子由来又は二次的作用による後天的な障害ではないかと提示した医師がいます。アルフレッド・フランク・トレッドゴールド[Alfred Frank Tredgold]です。彼が考えるADHDの遺伝子変性は当時の優生学運動によって大きく評価される事に成りました。

 余談ですが彼はID(知的障害)の方でも成果を残した人物でもあります。其方の方は後程、またの機会にお話し致しますのでもし宜しければ読んで頂けると幸いです。( 一一)👍

 然し、ADHDは現在、遺伝的な先天性の疾患である事が分かっています。今回は何故、彼がそう考えるようなったのかを原因となった事例を踏まえて詳しく説明させて頂きます。( 一一)✨


Constantin von Economo[1876.8.21~1931.10.21]
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著書は探したが見つからず残念( 一一)💦

▶:スペイン風邪と嗜眠性脳炎

 1917年~1920年頃、当時、流行った病こそスペイン風邪無気力脳炎です。発見者はオーストリアの精神科医及び神経内科医のコンスタンティン・フォン・エコノモ医師(Constantin von Economo)です。特に無気力脳炎に罹患した5~18歳程度の子供の内、3分の1は治療しても後遺症として、

無表情、性格の変化、落ち着きのなさ、不規則な睡眠習慣、昼夜逆転現象、過敏性、泣き声、衝動性を含む癇癪』

などの精神症状に苦しむ事に成ったのです。これ等の事に対しエコノモ医師は『道徳的狂気』と表現した予測不可能性を言及しました。また、非常に極端なケースの中では『異常な攻撃性』、『過剰で恥知らずな性欲』も含まれていました。そのため、これ等のパンデミックにより米国の小児科医は、精神障害は器質的疾患の影響による可能性が高いと結論づける様になったのでした。

 また此れ等の症状を『脳炎後行動障害』と呼び、生存した子供達はADHDの特性に近い症状パターンが在り、これ等の関連性により脳の根本的な障害または損傷を反映している可能性があると推測される事に成りました。

 この症候群は最終的に『脳損傷児症候群』として認知され、脳の損傷を最小限に留める事を目的とした治療で脳機能障害を改善すると言った療法が出来上がりました。

コラム:結局『嗜眠性脳炎』の原因って何?
 エコノモ医師が発見した後、多くの人間はスペイン風邪による脳炎と推測しました。そんな中、1929年に一際違う説を出したのがウィリアム・マセソン(William Matheson)です。これ等の嗜眠性脳炎はヘルペスウイルス若しくはストレプトコッカス・ビリダンスが原因因子なのではという案を出しましたが結局治療の原因は掴めず。1940年に終了しました。
 なので現在も原因は不明です。只、個人の見解で言うならばヘルペスウイルスは強ち間違いでは無いとは感じます。何気に言うなら現在鬱の原因の一つとして大分有力な説では在りますからね…可笑しくは無いとは言えるでしょう。( 一一)うむ。

嗜眠性脳炎の流行Wikipedia



Charles Bradley[1902.12.1~1979.5.31]
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5:ADHDの治療薬『ベンゼドリン(アンフェタミン)』の登場

  1937年、アメリカの児童精神科医教授のチャールズ・ブラットリー(Charles Bradley)はADHD及び無気力脳炎に於ける、注意力低下の理由を探る為、『気脳造影法』を用いて脳の異常を探る研究をしていました。その時に発生する頭痛を止める為に用いた薬こそ『ベンゼトリン』です。

気脳造影法(脳波検査[PEG])Wikipedia(英語版)より
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 元々、『ベンゼドリン』は喘息や鼻詰まりを改善する事を目的として1932年にアメリカの製薬会社が麻黄からエフェドリンプソインエフェドリンを取り出し喘息吸入治療薬『ベンゼドリン(アンフェタミン)』として市場に出したのが切っ掛けです。数年後には錠剤として使用されるようになりました。残念ながら喘息には効果が無かったんですが…。
( 一″一)…残念。

 其処でこの薬『ベンゼドリン』を先程紹介した『気脳造影法』における吐き気、重度の頭痛を取り去ることが出来ないかとチャールズ医師は考えたわけです。理由は当時入手できる中で最も強力な覚醒剤で在った為でした。

 脳の脈絡叢をこの薬で刺激する事で患者の痛みを和らげられる可能性を信じ使用されたと言う事に成ります。然し、残念な事に頭痛に対して効果は在りませんでした。その代わりにADHDに於ける注意力低下等の問題行動が大きく改善されました。当初の予測では強い覚醒作用により攻撃性が上がる見解がされていました。この驚きの結果にチャールズ医師は次のような言葉を残しています。

ベンゼドリンを1日1回投与する事と彼等に対して協力的な理解者となる存在の努力と合わさる事で学校の成績が大幅に向上する状況が見受けられた。この状態を客観的な視点で見れば、これ程の成果が無かったら寧ろ教師たちの士気は低下する事になっただろう。』

📖参考資料は此方より

 この結果により、更にチャールズ医師は30人の子供に対し実験を行い、14人の患者に対して有効であると分かりました。エフェドリンを前駆体として作られるアンフェタミンが中枢神経系を刺激し、子供たちの抑制能力を高めたのでは無いかという理論を出しています。(„一一)„✨

こうして彼はADHDの治療を初めて行って成功した人物になりました。

コラム:市販で可能なADHDの対策『麻黄湯』の話
 先程、ベンゼドリンの話の際、漢方の話をさせて頂きました。恐らくADHDかも知れないが診断基準に達する事が出来ず発達障害グレーゾーンとして現に生活面、人間関係、仕事面に悩んでいる方が一定数いるかもしれない。( 一一)ウム。
 なので今回はそんな対策の一つとしてシナマオウ(麻黄)について紹介させて頂きます

 先程紹介したとは思いますが、麻黄はエフェドリンプソインエフェドリンを含んでおり基本的には風邪や鼻詰まりの改善に用いられる漢方の一つです。その内に含まれるエフェドリンは覚醒作用を持ちドーパミン受容体を活性化させ、ノルアドレナリンの結びつきを助ける作用が在ります。勿論プソイドエフェドリンも同様に覚醒作用を持ちます。

 ある程度当事者はご存じかも知れませんがADHDはドーパミン伝達に異常が在り、ノルアドレナリンが不足する為に不注意が起きやすい障害です。

 その為、此れ等を助ける作用を持つ為、エフェドリンが脳に作用されるとADHDが改善するという訳です。然し、短期間の過剰摂取するとタキフィラキシー(短期間での過剰な反復投与を繰り返すと急激に薬効が消える現象)が発生するのでちゃんと容量は守るようにお願い致します。( 一一)🥺
 後ですが統合失調症の場合ドーパミンD2受容体の過剰が原因の一つなので出来る限り風邪などで接種する際は気を付けましょう。( 一一)ウム。

エフェドリン - Wikipediaより



ソ連のスプークトニク一号。月面観測は此処から始まった
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6:ADHDの基準が『脳機能障害』に代わる

 1957年10月4日、当時アメリカと冷戦中のソビエト連邦が世界初の人工衛星であるスプークトニク1号を開発しました。この危機にアメリカは反応し将来的に科学者や宇宙飛行士を育成する為、教育基準が大きく変更される事に成りました。ここで登場した新しい教育基準が国防教育法(NDEA)です。
 この改定により、教育方法が更に厳格に為り、より発達の遅れが浮き彫りになる様に変わりました。

エリック医師とモーリス医師の実際の論文
僕は二人のWikipedia及び生年月日を確認出来ませんでさた。
此処で謝罪させて頂きます。( 一一)💦

 此処でADHD脳炎等には関連性が低いと上げた医者がいます。エリック・デンホフ(Eric Denhoff)とモーリス・ラウファー(Maurice Laufer)です。
 彼らはエマ・ペンドルトン・ブラッドリー・ホームで多動性注意欠陥を持つの児童達を研究しました。

 然しその児童の内、脳炎脳腫瘍を罹患した児童は1/3程しかいませんでした。其の事例から、脳腫瘍脳炎ADHDとは無関係である可能性が高いと判断される事に成り『脳損傷後遺症』の概念から『脳機能障害』という認識に変更されました。

 1957年に、彼らは「多動性衝動障害」という診断を作成し、はるかに多くの子供に適用できるようになりました。多動性衝動障害のより広い定義により、多くの学校でその特定が行われました。
 

ジョン・F・ケネディ暗殺前がリムジンに乗っていた様子
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更に1963年11月22日『ケネディ大統領暗殺事件』が起きました。この事件をを筆頭に児童精神科は米国の会議で大きく取り上げられる事に成りました。また犯人であり軍人のリー・ハーヴェリー・オズワルド(Lee Harvey Oswald)は子供時代に精神鑑定を受けていましたが異常は在りませんでした。

 此れは憶測でしかありませんがこの時点から精神障害を持つ人間は犯罪を犯す可能性が高いという俗説的な認識が世界全体で立ち始めたのでは無いでしょうかとは考えております。

コラム:『リタリン(コンサータ)』の登場。
 1962年スイスのCIBAによって開発されADHDの改善として導入された薬こそリタリン(コンサータ)です。恐らく名前を聞く事は当事者なら多いのではないでしょうか。また、当時、覚醒剤の成分との類似点があるという問題から、論争が行われたと言います。( „・・)„!?
 効能はある程度ご存じかとは御座いますが、ドーパミンノルアドレナリンの再取り込み阻害を行い、脳内に於けるドーパミンノルアドレナリンを増やすお薬に成ります。

 いずれ詳しく解説する時があると思いますのでまたの機会に…。

メチルフェニデート(コンサータ)Wikipedia




Wikipedia『注意欠陥多動性障害の歴史より』
基準の移り変わり
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Paul Wender[1934.?.?~2016.7.16]
正確な生年月日不明( 一一)
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📖:彼の著書『多動症な子供達』


7:成人用のADHDの基準が完成する。

 此れで恐らく歴史の項目では最後の項目に成ります。(・ω・)アザマス

 1970年代頃にアメリカでADHDと診断された子供たちの研究が更に盛んになりました。此処で初めて成人にも適応できる61項目のWURS-61診断基準を提案(ヴェンダー・ユタまたはヴェンダー・ライム基準)を出した人物がポール・ヴェンダー(Paul Wender)です。現在ではその内の25項目がDMS(診断統計マニュアル)に採用されております。また彼はドーパミンがADHD脳では欠如していると発見した人物でもあります。

 更に1986年、ガブリエル・ワイス博士(Weiss Gabrielle)の調査の末にADHDの症状は成人に成っても66%は維持されると判明する事に成りました。この後も相次いで研究が行われ、成人に成ってもADHDの症状は継続さえると判明し今現在の流れに落ち着いたわけです。



📖:最後に感想で終えよう(„・・)„👌


 此処まで読んで下さり有難う御座いました( 一一)
 如何でしたでしょうか、長かったとは思いますが今回はADHDの歴史を徹底的に纏めさせて頂きました。いや本当に長かった。( 一一)💦

 しかし、一つ忠告させて頂きたいことが御座います。翻訳の際、抽象的な文に翻訳された部分は自己の解釈で書き直させて頂いております。なので真偽が不安定、自己研究論が含まれていると感じた際、研究論文が読みたい方向けに幾つか外部リンクを載せておきましたので、宜しければご活用頂けると幸いです。
(・ω・)

 僕自身も一発達障害として此れからもこの様な記事が書ければ幸いであると考えておりますので今後も御愛読頂けると幸いです。( 一一)👍

また定期的に更新等を行いますので改善点、情報が不確かである点などコメント欄にてご報告いただければ幸いです。


本当に有難う御座いました( 一一)✨
また、出会う機会があれば宜しくお願い致します。👍
それでは失礼いたします。(一一)✍

魔術師タヌタロー



参考文献MEMO


ADHDの特性を幼児期~成人期まで細かく解説! 大人のADHD簡易チェックリストも!(榊原 洋一) - 3ページ目 | +αオンライン | 講談社
ハインリッヒ・ホフマン(著者)ーWikipedia
ADHDの歴史»ADHDの歴史パート1:1798
ADHDの歴史»ADHDの歴史パート2:1798
1918年のパンデミック、覚醒剤、ペニシリン
子供の行動上の問題における多動性衝動障害 - モーリス・W・ラウファー、エリック・デンホフ、ジェラルド・ソロモンズ、2011年
注意欠陥多動性障害の病歴 - Wikipedia(英語版)

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