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第4話サファイアガラスの腕時計 前編:全ては愛ゆえ貴方の為に、門限7時の女子大生 【間宮真の機能的ロココ探偵事務所】

ロココ様式の調度品に囲まれた、雑居ビル6階の探偵事務所。そこに棲むのは、美意識に生きる探偵・間宮真。無口・丁重・有能。だがその内面は、教養と毒舌で構成された審美主義者。茶器の扱い一つで弁護士を呼ぶことを検討し、依頼人のネイル一つで嘘を見抜く。
「愚かさこそ罪」と断ずる男が、今日もまた事件を解く。

作品の雰囲気あらすじ


「あら、意外と似合うわね。流石、春一くんだわ」

ノックもなしに入室しての開口一番の台詞がそれなのか。

「あんたみたいな無骨を絵に描いたような男には、死ぬほど勿体無い空間だけど、似合うわ」

そう言って、春一がデザイン設計した、機能的ルイ15世様式デスクに向かって一瞬だけ微笑む。

代崎すみれ、27歳。俺が先々月まで所属していた天城調査事務所のエースだ。

代崎は、18歳の時から天城調査事務所の契約調査員として働き、短大卒業後、正規雇用契約を結んだと聞いている。5年前、警察を退官して天城所長に拾って貰った俺よりも、探偵としては4年先輩になる。

美人と呼んで差し支えない容姿の持ち主であるが、雑居ビルの急階段を6階まで登ってきたのに息一つ乱していない体力を、まず特筆すべきであろう。

天城調査事務所は、都内においても比較的大手であり、所属調査員には元刑事も多く、警察OBが大多数を占めている。

そして代崎は、それらを全てを凌駕する圧倒的な実力者、事務所の最高戦力である。

今年で68歳になる天城所長は、もし彼女が望めば、将来的には後継者とすると公言しているほどだった。

代崎は、つかつかと大理石の床を歩み、応接セットのポンパドール様式の肘掛け椅子に座りながら、言い放つ。

「あんた、どうせ暇でしょ。零細事務所に仕事を持ってきてあげたわ」

3年前までは、俺が8つ年長ということから、敬語を使っていたが、現在では見る影もない。

代崎は、正しい人間だ。敬うべき相手を選び、それ以外の人間には媚びることも下手に出ることもしない。周囲がそれをどう感じるかよりも、自らの矜持を優先する。

……春一は誰のことも恨まない。無邪気に俺を慕ってくれている。だから代崎は俺を赦した。

しかしそれは、信頼の回復を意味しない。代崎から俺への、人としての信用は地に落ちた。だから代崎の対応は至極当然、人間として真っ当な振る舞いだ。

「繊細な依頼人よ。あんたが適任だと思う。ウチの連中、血の気多いでしょ。明日、午後2時にここに依頼しに行くように言っておいたわ」

既に俺へと斡旋済みらしい。俺のスケジュール漏洩は春一だな。些細な言葉から全て読み解く、代崎の恐るべき直感は健在のようだ。

「詳細は本人に聞きなさい。先入観を与えたくないの」
話は終わったと、きっぱりと告げた彼女は、何故か席を立とうとしない。

「まだ何かあるのか?」
即断即決、マグロの如く動き続けるバイタリティの代崎にしては珍しい。怪訝に思って問い掛ける。

「ああ、春一くんと待ち合わせをしてるのよ」

ここでか?
涼しげな顔をして宣う代崎に、面食らう。

「今日は一緒に洋服を買いに行こうと思って。春一くん素材いいのに、いっつも〝UNIQUE BASIC〟ばっかりでしょ」

春一の洋服か。それは、さぞかし見立て甲斐のあることだろう。

春一の姿を一目見れば、ギリシャの3柱の女神とて舌打ちして黄金の林檎を渡すに違いない。トロイアも救われるな。

「そうね、もし春一くんの荷物持ちをしたいっていうなら、特別に同行を許可してあげても良いわよ」
それは冷笑か哀れみか。いや、勝利宣言か?
確かに俺は、春一と洋服を買いに行ったことはないが。

事務所のドアが開く。春一だ。代崎の姿を見つけて、ゆったりと微笑む。
「ただいま、真さん。久しぶり、すみれさん。今日はよろしくね」

「久しぶりね、春一くん。会えて嬉しいわ」
代崎の機嫌が急上昇したのが、声色でよく判る。女性の声というのは残酷なほど正直である。

「急で悪いんだけど、間宮がどうしても一緒に来たいらしいの、いいかしら?」

代崎、俺はそこまでは言ってない。言ってない、はずだ。






「毒親って言葉、母にだけは使いたくなかったんです。でも、逃げたくなった時、誰も信じてくれなかった」



7月29日、午後1時50分。
事務所が入る雑居ビル6階、その階段途中にあるセキュリティ装置が反応した。デスクに設置した、動体検知センサー連動のチャイムが鳴る。

どうやら依頼人が到着したらしい。

午後1時55分、ドアが開いた。
約束の丁度5分前。随分と律義な依頼人だ。

女性は一歩足を踏み入れた瞬間、まるで美術館に迷い込んだ観光客のように硬直した。見たところ20代前半、大学生か?

見上げた天井には花のようなシャンデリア、壁には淡いライラックのシルク壁紙、足元には艶やかな大理石、目の前にはロココ調の家具。

しばらく動かずにそっと周囲を見回したのち、ドアプレートを確かめるようにドアへ振り返る。

彼女の視線の先には、当然、間宮探偵事務所《 Mamiya Private Investigation 》の文字が刻まれた真鍮プレートがある。
「……え?ここ、間違ってない、ですよね?」

彼女は恐る恐る声を発しながら、再び事務所内に視線を戻し、俺の姿に気がつく。

その瞬間、まるで泥棒か変質者にでも出くわしたような表情で一歩退く。その動きと引き結ぶ口元から、強い不審と僅かな恐怖が入り混じる様子が見てとれた。

その所作と表情。年若い女性から受ける、とても正直な反応は、妙に心に刺さる。歳のせいだろうか?

まあ、仕方ない。こんな空間に俺のような無骨な男がいるのは、さぞかし異常に見えることだろう。

「驚かせてしまったようですね。大丈夫、ここで合ってます。間違ってません」

手元の名刺に視線を落とす彼女に、意識的にゆっくりと声をかける。あれ、俺の名刺だな。代崎に渡されたのだろう。

「似鳥結衣子さんですね。探偵の間宮と申します。どうぞ、コチラへ」



見たところ服装、所持品に特徴的な点はない。依頼人似鳥結衣子は、ごく普通の、少し大人しい女子大生、そんな印象だった。

カブリオールレッグの肘掛け椅子を前に一瞬、静止した後、背凭れのロカイユ装飾を撫でて、見守る俺をチラリと見る。

控えめな化粧。白のブラウス。水色の膝下丈スカート。ネイビーのバレーシューズ。淡い寒色を中心に纏められた、TPOに即した綺麗めコーディネート。所謂パーソナルカラーや骨格診断を意識しているのだろう。無難だが、ハズレがない。

俺の促す視線に従い、おずおずと、腰掛けた年若い女性、似鳥結衣子に声をかける。
「天城調査事務所からコチラを紹介されたと伺いました」

似鳥結衣子が、左手首の腕時計に触れる。俺の愛用している腕時計と同じブランドのものだな、あれ。国産のエントリーモデルだが、5万くらいはするはず。

彼女の服装のほとんどは、国民的ファストファッション〝UNIQUE BASIC〟と思われる。腕時計は入学祝いか何かか?

「はい、あの」

緊張しているな。まあ探偵事務所なんて早々来るものでもない。

……俺の視線には、かなりの威圧感があるらしい。少し、間を置くべきか。

「まずお茶をお淹れします。コチラでお待ちいただけますか?……その間に、この用紙に、埋められる範囲で構いませんご記入を」

面談での聴き取りを始める前。順番は前後する。だが俺は代崎の寄越したこの案件の受諾を決めているのだ。

慎重そうな彼女には、先に個人情報を差し出す形式にした方が、逆に語りやすいだろう。

「天城探偵事務所の者からは、個人情報保護、そして先入観を排すために、似鳥さんのお名前しかお聞きしておりませんので」

頷いた似鳥結衣子を確認して、給湯スペースへと向かう。

時折、興味深そうにルイ15世様式の家具達を眺めながら、真剣に用紙に記入している似鳥結衣子にホッとする。



「……スマホに、アプリが入れられてて。ロカウォッチって名前の、居場所とか履歴がわかるタイプのアプリです。会話の内容とかは、わからないみたいですけど……。それで犯人、特定してほしいんです。これって犯罪ですよね」
握り締めたスマホを見つめ、不安そうに瞬きを繰り返しながら語り終えた似鳥結衣子が、上目遣いにこちらを見る。

LocaWatchか。かなりメジャーな監視系アプリだな。
確か、GPS位置情報のリアルタイム追跡・履歴保存、通話の発着信履歴、SMSでのメッセージ送受信履歴、アプリ使用時間のモニタリングが可能だったはず。

通話内容までは分からないが、誰と何分話したかは分かる。内容は非表示だか、SNSの送受信日時とその相手の閲覧は可能。

現状の法的規制や技術的制約のなかで正規にインストールできる、監視アプリの一つだ。

……問題は、侵入は物理的にスマホを一度触る必要がある代物であるという点である。

そして後ろめたそうな今までの挙動。彼女には犯人がわかっている。怯えさせないように話す必要があるな。内心で嘆息しながら彼女に静かに問い掛ける。
「似鳥さん、あなたは犯人に、検討がついている。……、怒りません、約束します。誰ですか?」
強く問い詰めれば彼女は閉じてしまう。だが曖昧なままでは解決しない。

彼女は一瞬、視線を伏せた。しばらくの沈黙の後、絞り出すように言った。
「……お母さんが。私の母が、入れたんじゃないかって、思ってます。だから、ちゃんと違法かどうかも知りたくて……ごめんなさい」

LocaWatchは、アプリストアで正規ダウンロードできる端末管理アプリだ。契約者である親が、彼女、似鳥結衣子にスマホを渡す前にインストールしたのであれば、合法である可能性が高い。

親子間でも不正アクセス禁止法、ストーカー規制法、プライバシー権侵害、電気通信事業法などの対象になりうる。

だが、LocaWatch入りのスマホを与え、その際に簡単にでも使用許諾・監督権限の事前同意をさせていれば違法性はなくなる。

大学生相手には、明らかに行き過ぎた見守りと言えるが。

「謝らなくていい。あなたが状況をはっきりさせたい、誰かに確認して欲しいと思うことは正当です。……しかし、申し訳ないが、事前に一つ聞かせてください。スマホの契約者は、お母様ですか?」
俺の言葉に、似鳥はぎゅっとスマホを握り締めた。

契約者が親でも、似鳥結衣子の私物となった後に無断で触れば不正アクセス。位置情報や行動履歴を繰り返し取得して監視する行為は付き纏いの一種として、法的に問題になる。

だが、今回の問題はそこじゃない。
似鳥結衣子に、明確な精神被害が出ていることだ。この依頼、調査で終わるタイプではない。

技術的、法的説明の前に、まず彼女に伝えるべきことがある。

「契約者がお母様なら、場合によっては違法ではありません。しかし、仮に違法性はなくとも、あなたがストレスや不安を感じているなら深刻な問題です。ご依頼されるなら、問題の解決を一緒に目指します。どうしますか?」

違法性に言及された瞬間に浮かんだ諦めの表情。だが、続けた言葉に、はっとしたように、俺の目を見る。彼女がこの事務所に足を踏み入れてから、初めて目があった。

「お願いします」
似鳥結衣子は一度、強く目を瞑ってから、はっきりと答えた。

「わかりました。お引き受けします。他にスマホ以外で監視や制限、強制されていることはありますか?」

いわゆる毒親問題。探偵歴5年、このタイプの依頼を担当するのは初めてだ。さて、なにが出てくる?

「……母に、浪人したって構わないから、絶対に、お父さんの母校に行くようにって、そう言われて、今の大学に通ってるんです」

過干渉タイプの典型だな。本人の意志は無視され、親の理想が押し付けられる。それは事実上、自由も未来も奪われているに等しい状況である。

この面談で状況の全体像を掴み、現実的な解決策へ進む準備を整えなければならない。

「行きたい大学が、他に?」
ゆっくりと問い掛ける。

「わかりません。ただ、碌でもない大学では意味がない。国立にしなさい。お父さんの母校は自宅から通える場所にあるからって」
彼女の声は、だんだん小さくなっていった。

まずは、似鳥が感じているストレスの根源や背景を把握する必要がありそうだ。
「ほかに、貴方が苦しいこと、理不尽と思うことはありますか?」

俺の質問を受けて、大人しそうな似鳥が精一杯、語気を強めて話し出す。
「バイトなんてしなくていい。女の子なんだからって。……門限、7時で。高校の時は塾がある日は8時まで良かったんですけど……大学生になった今の方が、早いです」

午後7時の門限。
女の子とはいえ、成人した大学生に課すには些か異様である。

「大学生にしては、厳しいですね」
出来る限り、丁寧に相槌を打つ。
精神的・生活面での影響を知っておきたい。

「母は、いつも言うんです。『あなたのために言ってるのに、どうしてそんなことを言うの?』って」

なんと言うべきか、絵に描いたような毒親フレーズである。

「似鳥さんはこの問題をどう解決したいですか?……いえ、言葉を変えます。あなたは、どんな状態になれたら安心できますか?」
俺の探偵としての方針、依頼範囲の線引きを明確にするために、最も重要な質問を彼女に問う。

「〝親なんだから〟って、みんな言うじゃないですか。……でも、親だったら、何してもいいわけじゃないですよね?」
似鳥は、左手首の腕時計を弄りながら語り出した。

黙ったまま、彼女の言葉を待つ。

「毒親って言葉、母にだけは使いたくなかったんです。でも、逃げたくなった時、誰も信じてくれませんでした。いい、お母さん。素敵な家族じゃないかって。私も、そう思うんです。でも……!」

感情を抑え淡々と喋り出した似鳥。だが少しずつ苦痛に満ちた声色へと変化していく。最後には、言葉が出てこなくなったのだろう。彼女の悲痛を示すように、途切れた。

……途切れた言葉の先に、彼女の心がある。親の支配への彼女の孤独と無力感。助けを求めても、誰にも届かなかった。

彼女が落ち着くのを待って、具体的な監視アプリの使用状況と証拠の有無を順に確認していく。
「アプリがいつ頃から入っているか、分かりますか?気づいた切っ掛けなども可能なら教えてください」

彼女の心理的安全確保、物理的環境改善の解決手段の選定に必要な情報だ。

「えっと、いつからかは、分かりません。気がついたのは、1ヶ月くらい前です。充電の減りが早いって友達に愚痴を言ったら、アプリとか入れすぎじゃない?私は偶に断捨離するよって言われて、見てたら」
時折視線を彷徨わせつつ回答される。

「どんなときにスマホの挙動が変わっているか、分かりますか?」
似鳥は力なく、いいえと答えた。

「スマホに怪しい操作ログや通知、インストール履歴は残っていますか?」
……スマホの状態確認は、実際の監視状況を把握する、証拠収集や対策に不可欠。だが視線を彷徨わせ黙る似鳥の様子をみると、具体的なことは分からないようだ。 

「お母様の言動について、家族や友人、学校関係者など他に相談できる人はいますか?」
周囲の理解や協力者の有無、客観的な支援ネットワークがあるか質問すると、似鳥は無言で首を横に振る。

長期的な解決には、似鳥自身の持つ今の生活環境への評価と、今後の自立計画の有無が鍵を握る。
「今後、親元を離れるなど、自立する計画はありますか?」

俺の言葉に、似鳥はギョッとした顔をしてから、左手首の腕時計へと視線を落とし、小さく答えた。
「それは……、まだ考えてない、です」

まあ、大学生ならそんなものか。

「似鳥さん。今回のご相談内容から、心理的なサポートや第三者機関への相談も検討できます。専門のカウンセラーや相談窓口を紹介するケアサポートです。必要ですか?」
似鳥結衣子の目をしっかりと捉えながら、穏やかな口調で切り出した。

「……正直、今はまだそこまでは考えたくないです。カウンセリングとか、まだ無理かもしれません」
似鳥は言葉に詰まり、しばらく沈黙した後、弱々しく答えた。

それも当然の心理だろう。心が疲れ果てているとき、第三者に打ち明けることは恐怖でもある。常に彼女のペースを尊重すべきた。必要になったとき、背中を押せるよう準備をしておけばいい。

迷いと恐怖が混じっている様子の似鳥に、フォローを入れてから、別方向からの解決手段を提示する。
「わかりました。無理強いはしません。必ずあなたが望む範囲で動きます。では、私が間に入って説得を試みる、親御さんとの直接対話が最も合理的かと思われます。似鳥さんは、それを希望されますか?」

一瞬、似鳥の目が揺れた。言葉を飲み込みながらも、やがて小さな声で返答する。
「……はい。お願いしたいです。自分からは言い出せないので……」

話を聞きながら、家庭の構図が少しずつ見えてきた。彼女の決意を受け止め、頷く。そして、次回面談への手続きを説明していく。
「承知しました。まずは、親御さんとの話し合いに向けて準備を進めます。そのために、スマホを一度お預かりしてもよろしいでしょうか?解析を行い、具体的な証拠や状況を把握した上で、次回の面談でより詳細な方針を決めたいと思います」

似鳥は一瞬だけ戸惑った様子を見せた。だが左手首の腕時計を撫でてから、すぐに覚悟を決めたように頷いた。
「わかりました。お願いします」

……しかし、今までの面談内容と、似鳥結衣子の丁寧で行き届いた言動や身なりを総合すると、母親本人に大きな悪気はなく、むしろ〝これが愛情〟だと確信しているのではないだろうか。おそらく、大学へのコンプレックスなどから、娘に自身の夢を叶えさせようとしたのだろう。

所謂、勉強だけをさせる教育ママではないことは確かだ。似鳥結衣子に対して、TPOに則した服装、礼節、所作、時間厳守など、人間としての教育もしっかりと行っている。似鳥の母親は、一度「正しい」と信じ込んだことを最後まで曲げないタイプか?

そして全く話題にされなかった父親。日常では妻を立てつつ衝突を避ける、事なかれ型の可能性が高いな。娘に甘く、妻には強く出ない。そのため、妻の方針が事実上の家庭ルールになっている。

つまり、似鳥結衣子の家庭では「母がアクセル、父は動かず、ブレーキ不在」という構図がずっと続いているのだと思われる。

「解析には通常、数日かかります。ですが、元警視庁のサイバー部門で一緒だった友人がおりますので、信頼して解析をお願いできます。その場合、最短で翌日夕方には返却可能です。そちらを希望されますか?」
スマホ解析に関して、依頼人の不安を和らげるため説明を続けた。

「え、そんなに早く終わるんですか?あの、それでお願いします。スマホないと、困るし……」
不安げだった似鳥の表情が少し明るくなった。

「それは当然のことです。では解析のためのスマホ預かりは1日で済ませます。解析には私も同席しますので、安心してください」
不安を取り除くため、出来る限り柔らかく答えておく。

「わかりました。お願いします」
似鳥結衣子は安堵の色を見せ、小さく微笑む。

スマホを受け取りながら、言葉を添えた。
「ありがとうございます。それではスマホをお預かりし、迅速に解析を進めます。次回の面談は、明日の夕方以降に設定しましょう。解析結果を踏まえて、対話の具体策を詰めます」

この事務所で受ける2人目の依頼人は、背筋を伸ばし、応じた。
「はい、大丈夫です。……えっとなら、明後日の午前中でお願い出来ますか?その日は講義が午後からだから」

椅子から立ち上がり、最後の言葉を静かに届ける。
「では、7月31日の午前9時に。今日のお話はこれで終わりですが、何かあればいつでも連絡してください。あなたが安心できる環境を作るために、全力を尽くします」

毒親に悩む女子大生の似鳥結衣子は、ほっとした声で告げた。
「ありがとうございます。心強いです」


 



俺の事務所から歩いて8分。近所の賑やかな商店街の中ほどに今回の目的地がある。

7月29日、午後7時、シャッターが半分降りた商店街は、昼間の喧騒をすっかり失っていた。

年季の入った店の木製看板には、筆文字で「若宮クリーニング」とシンプルに書かれ、入り口には赤い暖簾が風に揺れていた。

店内に一歩足を踏み入れると、懐かしい洗剤やアイロンの香りがほんのり漂った。フローリングは今日も丁寧に磨かれており、掃除の行き届いた店であると教える。

大型ドライクリーニング機が稼働する機械音が、店内に低く響く。窓辺には小さな鉢植えが並び、季節の花が控えめに彩りを添える。日中には、日差しが店内に柔らかく差し込むだろう。

正面には、手書きの受付帳や青いインクのスタンプ台が置かれた木製カウンター。地域の人々から信頼される小さな店。派手さはないが、確かな技術と温かな人情が漂う、店主の人柄が伺える店だった。

カウンターの向こうで、若宮賢治が顔を上げた。

元警視庁サイバー犯罪対策室所属という異色の経歴を持ち、父親からこの店を引き継いだ男。身長170cm。中肉中背。明るめ茶髪の天パ。

如何にも爽やかな文化系好青年といった外見。そして性格も基本的にはそう表現して差し支えない。基本的には。

警視庁で再会するまで、特に親しくはなかったが、俺の高校の同級生でもある。そこでなんとなく交流が始まった若宮とは、俺が警視庁を退官した5年前に縁は途切れたはずだった。

だか、独立開業のため購入した自宅兼探偵事務所。そこから最も近いクリーニング店に赴いたことで、2度目の再会をした。腐れ縁と呼ぶには些か薄いが、妙な縁はある。

カウンター越しに、若宮が手を上げた。
「間宮。時間ぴったりだな」

そのまま奥の作業スペースへ案内される。若宮が奥の作業机にフォレンジックツールとノートPCを広げる。

普段は衣類の検品や仕上げ作業をしているであろう木の作業台に、黒い耐衝撃ケースに入ったノートPCとケーブル類、USB書き込み防止アダプタ、カードリーダーが所狭しと並ぶ。

「……まるで現役だな」
依頼しておいてなんだが、現役時代のツールをそのまま持っているとは思わなかった。椅子に腰掛け、作業を横目で見ながらメモを取る準備をしながら声をかける。

「現役じゃねえよ。クリーニング屋だ、俺は」
そう言いながら、若宮は手際よくフォレンジック用のバックアップソフトを立ち上げ、俺から預かった似鳥のスマホをUSB経由で接続する。

間に挟まった書き込み防止アダプタのランプが青く点滅した。まずは端末全体のイメージ化。bit単位での完全複製だ。

「これが終わらないと、何を見ても証拠能力はゼロになる。ハッシュ値も取っておく。急ぎたいならなおさら飛ばせない工程だ」
低く呟きながら、若宮はddコマンドを実行し、画面の進捗バーがゆっくりと伸びていく。

続いて、インストールアプリの列挙と、Cell tower log、GPS履歴、通信ログ、そして内部の設定ファイルの抽出。

俺は横でメモを取りながら、目についたアプリやファイル名を時折指差して尋ねる。似鳥に説明するためにも俺が理解していなければ話にならない。

「監視アプリの動作パターンはほぼ特定。IMEIとMACアドレスが特定のサーバーに送信されてる。位置情報と通信履歴、SNSのメッセージ転送が抜かれているな」
そう独り言ちた若宮は、立ち上がり、窓を少し開けた。

古びたドライクリーニング機の余熱で蒸し暑くなっていた室内に、商店街の夜風がほのかに洗剤の匂いをかき混ぜて通り抜ける。

気になる項目に都度質問する俺に答えつつ、黙々と作業を進めてくれた若宮の解析は、結局3時間弱に及んだ。

「ほら、これが決定的だ」
若宮がスクリーンショットを指差す。そこには位置情報、通話履歴、SNSのメッセージ履歴転送が自動で行われた記録が並んでいた。

「削除はするなよ。親御さんとの対話で見せるために残す。削ったら証拠能力は吹っ飛ぶ」
若宮は取得データをAES256で暗号化し、SHA256で整合性検証を行った上でUSBに保存し、俺に手渡した。

「助かる」
解析室と化した作業台を片付け、ノートPCをケースに収める若宮を横目に、俺はUSBの感触を確かめた。



[Makoto Mamiya's Functional Rococo Detective Agency]

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桜子 いつもありがとうございます。読んでいただけて、とても嬉しいです。