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残夢① 〔女〕

これは、創作大賞応募 小説 ではありません。

いったん投稿していながら下書きに戻していた「残夢」①~⑤までを 順次、再掲載します。当時の時間で表示されるのでタイムラインには流れないと思います。こっそりと戻します。
別の記事にリンクを貼っていただいており、「404美術館」が表示されてしまうのが忍びないためです。

創作大賞用に全編改稿しています。投稿いたしましたらぜひ読んでいただきたいです。こちらは「記録用」として、もしお時間ある方がいらしたらどうぞ。

2024.5.7 追加


「ありがとう」
手錠がカチャリと音をたてたと同時に微かだが確実に女はそう言った。女は両手を前に突き出したまま潤んだ双眸で俺を見つめている。口角は僅かに上がり微笑んでいるようにも見えた。もともとそういう顔の作りなのかもしれないが。
「ケンさん」
後輩の山下に声をかけられるまで俺は女から目を離すことができなかった。僅か2秒だったかもしれないし2時間だったかもしれない。女が山下に連れられてパトカーの後部座席に乗り込むまで気づけば無言で女を目で追っていた。

逮捕されて御礼を言う犯罪者にはたまに会う。大概は疲れ切った目をしている。やっと悪事から抜けられるという安堵、もしくはこの年末を留置所で過ごせるという狡猾な発想。だが、あの女の目はそうではなかった。あれはまるで。

せわしい師走の住宅街をゆっくりとパトカーが去っていく。
見事なまでの黄金色の空に吸い込まれるように進む黒い車体。その向かう先は何故か警察署などではなく、どこか懐かしい匂いに胸がざわつく故郷のような気がして目を細める。

そうだ。あれはまるで卒業式に憧れの先輩の第二ボタンを両手で受け取り包み込むように大事そうに抱える少女の表情だ。返り血を浴びた頬を桜色に上気させて、はにかむように息を吐きながら言ったんだ。あの女は、ありがとうと。

***

窃盗被害、軽微な交通違反、薬物所持の疑い。
今年に入ってから女は何度も鳩巻署管内に足を運んでいることが判明した。知らないうちに運び屋をしてしまったかもしれないと言い出した女の自宅から見つかった白い粉も結局は単なる片栗粉だったが、意味ありげな供述から麻薬密輸組織の検挙も夢ではないと捜査員たちが一時奮い立つほどだった。

そして今回は傷害の現行犯。加害者として鳩巻署に連行された。しかも女の風貌は最近起きていた連続通り魔殺人未遂事件の目撃情報と言われてみれば酷似している。刑事課が色めきだつのも仕方ない。
多少混乱はするかもしれない。だが精神鑑定が必要なほどではない。あの女ならすぐに吐くだろう。
誰もがそう思っていた。

ところが意に反して逮捕当日は一言も口を開かなかった。取調室に入る刑事を見ては溜息をつき、部屋を出ればわずかに瞳を見開き、口角を上げ、背筋を伸ばして入り口を凝視する。そしてまた同じ刑事が入室するやいなや落胆の色も隠さず黙秘を続ける。

「ケンさん、お願いできるか」
翌日も女の様子が全く変わらなかったことから係長が俺に取り調べを命じた。係長と共にまずはマジックミラー越しに女を観察しどうやって落とすか対策を練る。今回の傷害は現行犯で目撃者も多数いるため仮に何も話さなくても送検は出来る。だが連続通り魔にも関わっているとなると手を抜くわけには行かない。
女は椅子に浅く腰掛け、姿勢を正すとともにシャツの襟もとの匂いを軽く嗅いで確かめている。僅かに眉尻を下げたかと思うと首を軽く振り、白髪の交じり始めた頭髪を右手で撫でつけながら軽く咳払いをして居住まいを正す。少しして座ったままマジックミラーを覗き込もうと首を伸ばすが、自分の顔が見えないことに気付き拗ねたような表情を見せた。

フッと係長が鼻で笑う。
「こんな時でも鏡を見たいもんかね女ってやつは。今朝は化粧をさてくれなんて手洗いで言い出したらしいぞ。どういう神経なんだ」
女は地味だが整った顔立ちをしている。化粧をしなくてもスーパーの買い物くらいは問題なく行けるだろう。自宅の敷地内で習字教室を開いているという38歳の独身。今のところ被害者との接点が見つかっていない。緊急搬送された被害者も昨晩遅くには聴取できたそうだが、馬乗りになって何箇所も刺されるようなことをされる覚えが全くないと言う。
「かなりプライドが高そうだ。しかも大噓つきときている。慎重にな」
係長が俺の肩を軽く叩いた。取調べ開始の合図だと受け取った俺は軽く頷いて隣の部屋に向かう。開けられたドアの前で何気なく足を止め中に座る女を見ると、足音に気付いたらしい女はピンと伸ばした背筋で首だけを僅かにドアに向け視力が悪いのか一瞬目を細めたあと俺を認めて大きく息を吸った。

ふたりの視線が交差した。
警察署内の取調室だというのに朝露に濡れた若葉を撫でながら走る風が一瞬で俺を取り囲み、そして加速して通り過ぎた。俺は雨上がりの泥濘ぬかるみにうっかり靴底を掴まれてしまったような、二度と出られない空間に足を踏み入れてしまいそうな得体の知れない恐怖にかられて次の一歩をなかなか踏み出すことができない。
すでに入室していた補助官が不思議そうな目で俺を見た。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
気を取り直して重い足を引き摺るように動かし女の向かいの椅子に腰掛ける。
女は抑えきれない喜びの笑みを浮かべては頬に手を当てそれを制止する。上目遣いで俺の顔を伺い、そして目が合いそうになると恥ずかしそうに眼を逸らす。
気持ち悪い。やめてくれ。明らかに色目を使って見逃してもらおうとする女の被疑者は多くいる。うちの店にくればサービスするよ、あるいは愛人契約しようと言ってくる奴も。凶悪事件の捜査でそんな言葉に揺らぐようなサツカンはまずいない。どんなに顔が好みであろうと豊満な胸元を押し付けられようともだ。この女の不気味さはそれらと違う。処女のような表情を纏った女に俺は正面から切り出した。
「古河秀喜」
はにかんでいた女はピタリと動きを止め俺を覗き見た。
「フルカワ……さん?」
女は取調室に来てから初めて「黙秘します」以外の言葉を発した。俺はその言葉の続きを待った。
「フルカワヒデキさん、とおっしゃるんですね。私は近堂ひろ子です」
襟と胸元を少し整えてから頭を下げる女に向かって俺は言葉を吐いた。
「違う」
「はい?」
口元に手を当てたままの女は眉を上げて俺を見た。
「古河秀喜さんは昨日あなたがナイフで刺した男性です。昨日何度もここでその名前は耳にしたはずですが」
一瞬ポカンとした表情を浮かべた女は両手で口元を抑えケラケラと笑いだした。
「嫌だ私ったら。ごめんなさい。てっきり貴方が自己紹介をしてくださったのだと思って」
顔を真っ赤にして両手で覆い、嫌だ恥ずかしいを繰り返す。女は被害者とは本当に面識がなかったのだろうが、だからと言って笑う場面ではないはずだ。精神異常を装うほどの演技ではない。ごく自然に世間話の延長のような笑みを浮かべている。そんな感じだ。
その女がなぜ、白昼堂々自分より力の強そうな見ず知らずの男性を傷つけようとなどしたのか。刃渡り僅か8㎝の果物ナイフで急所を外して何度も傷つけたのか。そのちぐはぐさがかえって異常性を引き立たせる。
だが今日は女の機嫌がいいのかもしれない。どんどん話を引き出せと隣の部屋から課長に指示されている気がして俺はそのまま冷静に紳士的に質問を続けた。
「名前も知らない男性に何故あんなことをしたのか。今日は話していただけますか」
女はピタリと動きを止め顔を半分覆っていた両手を静かに動かした。徐々に顔が露わになると同時にまた姿勢を正し俺を真正面から見つめたままでゆっくりと、とてもゆっくりと顔を綻ばせた。
眉、目元、頬、口元。
そのどれもがゆっくり上下して完全な幸福を象徴する形を完成させたとき上唇と下唇が離れて吐息のような言葉が漏れた。

「逢いたくて。貴方に」

女は供述を始めた。




(つづく
第2話につづいてるってよ! →

この20文字から広げてみました。
ナゾだらけなので連載ものにしたいのですが……今日突然思いついて書き始めた、完全に見切り発車のノープラン。大丈夫かな。。さて、来週のシロクマ文芸部で続きの展開が見られるか(見られないか)、乞うご期待。いや、期待せずに長い目で見守ってください。





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豆島  圭 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。