見出し画像

残夢②〔ポスター〕

 

『振り返るな。二度と戻れないぞ』

警務課のドア脇に貼られた交通安全ポスター。県内の中学生部門最優秀作品が目に入り俺は思わず足を止めた。後部座席でグズる我が子が気になっても運転中は決して振り返ってはいけない。事故を起こせば幸せだった日々は二度と戻ってこないというメッセージが込められた水彩画は酷くグロテスクな色彩で描かれていて一目で心を掴まれる。
落とし物を受け取りに来る一般市民も必ず目にするはずだが過疎化が進んでいる鳩巻署管内ではむしろ『振り返って指さし確認しろ』と言いたくなるような事故が相次いでいるのが残念でならない。幼稚園バスや保育園に送りに行く際にすやすや眠っていた子を夕方まで車内に放置してしまう事故。穏やかに眠ったまま亡くなったとは思えない。どれほど寂しかったか。どんなに苦しかったか。

ポスターに描かれた車体に忍び寄る悪魔らしき影が胃に重くのしかかるのと対照的に軽やかなステップが背後に近づいて俺の肩を叩いた。
「このポスター、いいでしょ」
蛍光灯を二本持ち、肩に三脚を担いでポスターを顎で指したのは同期の曽根徳宏そねのりひろだ。
「何がいいって運転手がパパなのが最高。我が子を乗せて保育園や買い物に出かけるのがママの役目って時代は終わりよ。この中学生は良く分かってる。しかも我が子が泣いてソワソワするのもママだけじゃなくてパパもそうなんだってメッセージ、父性が足りなくて離婚されちゃった堂森ちゃんには伝わらないだろうな」
「お前なんて一度も結婚経験ないクセに」
いきなりディスられた俺は精一杯の嫌味を返した。ポスターにそんなメッセージがあるなどと確かに露ほどにも思わなかった。いや実際に無いだろう。ジェンダー問題に敏感な曽根だけの勝手な解釈に違いない。
「あら。じゃあ独身同士ちょうどいいわ。堂森ちゃん結婚しよ」
「残念だが日本の法律上、俺はお前と婚姻関係を結べない。だいいち俺にはそういった嗜好がない」
「やだ。差別発言」
曽根は明らさまに拗ねた顔つきで体をくねらせた。
「差別ではない。俺は好まないと言っているだけだ。曽根は好きにしたらいい」
「ふふふ。堂森ちゃんのそういう真面目なところ、ス・キ」
人差し指で俺の鼻を突こうとするので全力で手を払いのける。仕事は確実丁寧な曽根だが古い体質のここの上司には絶対に好かれない。どれだけパワハラセクハラを受けてきても軽く受け流して飄々と任務をこなしていくところは俺も尊敬はするが人前でベタベタされるのはたとえ恋人でもお断りだ。しつこく絡んでくる曽根を押しのけながらガラス張りの扉の向こうで電話対応をしている稲元夏未いなもとなつみにふと目をやった。顎と肩で受話器を挟みながらPCを操作し腕時計も気にしている。もうすぐ定時。
 
「ところで警務課に何の用?」
「あぁ、係長の真上の蛍光灯が切れた。悪いが替えといてくれるか」
「また? さっき刑事課のシマで二本も替えたばかりよ。でも内線でよかったのに」
「帰るついでだ」
「もう帰るの?」
曽根は目を見開いて聞き返したが、すぐに何か思い至ったようで目を逸らし後ろの物置の扉を開けた。そう言えばさっき曽根は刑事課に居た。むしゃくしゃしていたので目に入らなかったが。
「もしかして聞いてたか」
俺が弱気な声で曽根に訊ねると曽根は苦笑いを向けた。
 
「逢いたくて。貴方に」など意味ありげなセリフを女に吐かれ、吸い込まれるように僅か一瞬だけ言葉を失ったのがいけなかった。
慌てて口をついて出た「俺の名前も知らなかったじゃないか」に対し女は「名前を聞く間もなかったわ」と返したものだからミラー越しのざわつきを背中で感じた。
「本当に逢いたかったの。ずっと。ずうっとよ」
少し前のめりになって俺の顔や手元を這うように観察する女の視線に耐えられず俺はテーブルの下に手を隠すと女がふと笑いやがった。
観察するのはこっちの仕事だ。腹が立って「いつどこで俺と会った」と詰問しようと口を開いた瞬間に女はさらに頬を1ミリあげた。

女は俺に聞かれるのを待っている。
俺とどこで会ったのか喋りたがっている。

根拠のない予感が俺の口を塞いだ。女は「覚えてないわよね」と悲しそうな表情を浮かべるとまた口を噤み始めた。その後、被害者との関係や動機について何を聞いても女が口を開くことはなかった。
 
揶揄からかわれているだけだろう? いったい何を恐れた。やましいことがある証拠だ。念のため山下に調べさせているからホシとの関係がはっきりするまでお前は出るな」
課長に冷静に諭されているところを蛍光灯を取り替えていた曽根に聞かれたのだろう。
取り調べも碌にできないのかと能力の低さで怒鳴られる方がマシだ。被疑者との関係を疑われて外された。
いつ、どこで会った? いや思い上がるな。俺のせいで事件が起きただと? 何様のつもりだ。俺は人の人生に影響を与えるような人間ではない。
俺の中の俺が耳元で囁いた。
 
「まるでアレだよねって誰か言ってたよ」
「アレって何だ」
「えっと、なんだっけ。江戸や猫八? 火消しの男に逢いたくて江戸の町に火を点けちゃう女」
「それを言うなら八百屋お七だ」
「そっか、間違えた。でもちょっと憧れちゃう。愛よねぇ」
放火犯に憧れる奴が勤めていい職場ではないと説教垂れたくなるがこの話は終わりにしたいので諦めた。本当に警察の誰かに逢いたくて起こした事件だとしたら笑い事では済まない。市民の身を守るための警察が市民の安全を脅かす存在となる。汚点だ。今後の仕事に大いに影響がでる。どんな発表をすればいい。どんな報道をされる。それこそお七か猫八だと面白おかしく騒ぎ出す奴がいるはずだ。いくら俺の潔白が証明できても噂が立てば暫くはおもてを歩けないだろう。そんな時代だ。

ただ本当にあの女の経歴を見ても俺と接点があったとは思えない。共通点と言ったら現住所が同県というくらいで年齢も出身地も大学も違う。
「まさか、あれかな。うちらが作成したYouTube」
曽根は眉間に皺をよせて天井を見上げる。就活用PR活動として数年前からYouTube動画を作成して流しているが再生回数は二桁程度だと嘆いていた、あれか。
「あんときの堂森ちゃんの笑顔。めっちゃイケメンだったもんね。あれを見て『スキーーッ』ってなっちゃったのかな」
ふざけるな。三年前、鳩巻署に赴任したばかりの俺は事情もよくわからぬまま久々に会った同期に頼まれて剣道場で竹刀を振る姿の撮影は許可した。その存在を忘れたまま多忙な日々を過ごし今夏に初めて見せられた。練習後に着替えている後ろ姿まで映っていたので猛攻撃したところたまたま新バージョンを撮影したので載せ替えると言うので納得した。今は若手のインタビューがメインの動画だが再生回数は大差ないらしい。
「お前が撮影した動画のせいで事件が起きたというのか」
「やっぱり、そうかな」
「どうやって責任をとるつもりだ。お前の浅はかな行動が女とガイシャの一生を狂わせた」
「えー。だってそんなの仕方ないじゃん。就活PR動画だよ? それを勝手に殺人の動機にされても責任ないでしょ。ほら、あれ。秘密の恋、じゃなくてミヒツのコイってやつ」
俺は思わず噴き出した。
「あほ。未必の故意みひつのこいなら動画を見た人間が事件を起こす可能性があると認識していたってことだ。法的責任を問われる。ちゃんと『相棒』みてるか」
「『科捜研の女』の方が好き」
「でも曽根。それがお前の見立てなんだな?」
「え、うん。そう。動画を見て堂森ちゃんに会いたくなったって動機」
曽根は小刻みに首を縦に振りアイドルのような笑顔で結論を出す。
「俺は違うな。あの女は単なる大嘘つきだ。きっと子供の頃からそういった嘘ばっかりの人生を送っている」
「えー。そうかなぁ」
「俺は単なるカモだ。何の接点もないことが分かれば俺もすぐに戻る」
「じゃ動画じゃなくて、交番勤務時代に道を教えてもらったとか」
まだその線で考えるか。もちろん動画よりかは可能性があると思うが。だったら何度も交番に来ただろう。俺の記憶にも残るはずだ。
「今どき交番で道聞く女なんていないぞ。Google先生だろ」 
「そうね。じゃ夢でも見たんだね、堂森ちゃんに助けてもらう夢」

俺に助けてもらう夢。

そうかもしれない。曽根にそう言われ妙に納得した。あの女は夢でも見ている。そんな虚ろな目をしていた。薬物反応はなかったらしいが家宅捜索で何かでるかもしれない。

いつまでも入り口で話を続ける俺たちが気になったのかチラチラ視線をよこしてくる夏未と目が合った。
「じゃ蛍光灯よろしくな。俺は帰る。お疲れ」
夏未にも聞こえる声で曽根に告げ自動販売機コーナーに向かう。いつもの癖で『無糖』のボタンを押してから、冷たいコーラをがぶ飲みしたい気分だったことに気付いて無意識に舌打ちする。
溜息をついてソファに腰を下ろし缶コーヒーのアルミ蓋を捻ると安っぽい香りが鼻についた。
目の前の小さな壁掛けモニターでは夕方のニュースが流れている。クリスマスの風物詩となってしまったD県の未解決事件。時効が撤廃されてから毎年のようにこの時期だけ流れる事件の詳細。事実婚夫婦と娘が自宅で何者かに殺害されたが30年近く経った今も犯人は見つかっていない。淀んだ空気が警察署の玄関を取り囲んだ。

「おつかれさま」
財布だけ手に持った夏未が目も会わさず自動販売機の前に立って指を動かす。
「今日はあったか~いミルクティかな。よし。おうちに帰ったらあったかーいシチューでも作ろっかな」
独り言のように呟いてボタンを押す。ゴトンという音がしてもミルクティを取り出す気配がないので夏未の顔を見上げると目が合った。何か言いたげだ。あの女の事を聞きたいのか。だが俺から言えることは何もない。どうしろと言うんだ。
「食べる?」
夏未は俺を見下ろしたまま片眉をあげて言った。
「シチュー」
その話か。「ああ」と溜息のような返事をして飲める程度に冷めてきたコーヒー缶に唇をつけると夏未は屈んでミルクティを取り出し、そのままの姿勢で呟く。
「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」
「なんで」
「だって。いつもは事件が起こると暫くくちも聞いてくれないじゃん」
「そうか?」
「そうだよ」
夏未はミルクティで両方の掌を温めるようにして持つ。
「じゃあ、私も伝票ひとつ整理したらすぐ帰る。あとでね」
そう言って立ち上がり小走りで警務部へと戻っていった。

今年の夏からほんのはずみで付き合い始めた、ひと回りも年下の彼女。
離婚してから三年。後ろめたいことをしている訳ではないが署内の女に手を出すほど困っているとも思われたくないので黙っている。夏未も目立たぬように自然に声をかけてくるだけで詰まらない嫉妬や束縛もしない。なにより結婚と言うものに夢を抱いていないのが楽だ。養育費を送りながら別の家庭を新たに築きたいという気も起きないし、努力を怠るとあっという間に崩れ落ちるような関係をわざわざ構築しなければいけないなんて。俺には無理だとすでに分かり過ぎるほど分かっている。
 
夢。
 
俺はまた曽根の言葉を反芻した。
 
夢の中で貴方に助けてもらったの。貴方に逢いたくてずっと夢の中を彷徨っていたのよ。そして今日やっと貴方に手錠をかけてもらえた。嬉しい。

目をつぶれば女が勝手にそう話し出す。
 
ふざけるな。
二度と夢の中から出てくるな。



第3話 につづく) 



冒頭で出てくるポスター自体(パパ)は創作ですが、お題を検索しているうちにこちらの動画、その名も「Don't look back.」に出会ったので取り入れてみました。(ママです)
注意喚起のためにも掲載します。ドライバーの皆さま、短いCMですのでぜひご覧ください。

今週もなんとか シロクマ文芸部で続けてみました。週一ペースで続けられるといいなぁ…。


いいなと思ったら応援しよう!

豆島  圭 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。