残夢③〔夢の少年〕
最後の日まであと何年何か月。夢の中の少年が指折り数えて茫然と立ち尽くしている。少年は焦っている。あと何年何か月。気づくと日々は過ぎてゆく。あと何年何か月。
青年に成長した少年が自分の指から目を離すと大きな瞳が現れる。
「逢いたくて。貴方に」
化粧気のない黒い瞳だけが青年に対峙している。青年を飲み込むように。
「貴方は、私にとってヒーローなの」
スーツを着るまでに成長した男はあと何か月なのか、数えたところで訊ねる。なぜだ。どこで会った。何の話だ。
「覚えてないの?」
「忘れるわけないわ。忘れてるわけがない」
そして女は再び静かに言葉を吐いた。
「忘れていい、わけがない」
靴底を擦り減らして働く中年男は、もう指を折って数える必要がない。
悲鳴のような声を耳底に感じて目が覚めた。
薄暗い明かりの中で息を整え瞳だけ動かして周囲を見渡す。「悲鳴」の犯人はおそらく自分だ。隣で気持ちよさそうに寝息を立てている夏未が目に入りホッと溜息をつく。
九畳一間にキッチンとリビング、寝室を詰め込んだような夏未のアパート。シングルベッドの脇のローテーブルには食べ終える前のシチュー皿やビールグラスが置かれたままだった。
夏未を起こさないようにそっとベッドから滑り降りグラスに残っていたビールを喉に流し込む。昨夜はあれほど俺を満足させた銘柄のビールもたった数時間ほおっておいただけで酷く不味いものになる。食材に限らず何だってそうだ。輝く一瞬を逃せば手に負えないほどの苦い後悔しか残らない。
グラスを持って流しへ向かい浄水器の水を注いで後悔だらけの喉に勢いよく流し込む。雑多な小物が並べられたカウンターの上に置かれている夏未のスマホが何かの着信ランプを灯し天井まで緑色が反射点滅していた。
昨晩はむしゃくしゃした気持ちのまま夏未を抱いた。程よくとろみのあるホワイトシチューがうっすら残る唇を舐める夏未と目が合って「ちょっと待ってよ」と笑う夏未の言葉を遮り、彼女のスプーンを取り上げラグに押し倒した。それでも完全に同意の上での行為ではあるがアルコールの抜けた今では口の中にざらりとした感触が残る。俺は再度グラスに水を注いで飲みほした。
もうひと眠りしようとベッドにそっと近づくと、夏未がうっすら目を開け手を伸ばしていた。
「なんか着信あったよね。ちょっと取ってもらってもいい?」
俺は言われた通りカウンターの充電ケーブルを抜いて夏未に差し出し、ベッドに潜り込んだ。
「なんだ。姪っ子からだ」
興味なさそうな声のわりに画面をスクロールしてじっくり内容を吟味している。
「見て、かわいいでしょ。姪の芽衣」
スマホ画面に目をやり、すぐに夏未の顔に視線を戻してふっと笑いかける。
「年賀状の候補から漏れた写真一覧だって。修学旅行、小学生最後の夏休み、小学生最後の運動会。小学生最後のごり押しだね。ふふ」
ピンチアウト、ピンチインを繰り返しながらスクロールを続ける。
「運動会で応援団長やったときの写真だって。女で団長つとめるのは初めてだって書いてある。時代だね」
「詰襟でも着てるのか?」
「さすがにそれはナイね。ハチマキと法被……見て。妙……みょう、ぎ? 妙義団?」
俺は夏未の差し出したスマホ画面に再度目をやる。
「妙義団、だな。群馬か」
「なにそれ」
夏未がポカンとした顔を向けるので「姪っ子は群馬に住んでいるのか」と確認したうえで「群馬の小学校の多くはクラスごとの色分けではなく、赤城、妙義、榛名という群馬県を取り囲む山にちなんだ名前の団に分かれて戦うのが一般的らしい」という群馬出身の別れた妻からの聞きかじりを伝えた。
「へー。面白いね。うちは、1組が赤、2組が白、3組が青とかだったな。クラスが多い学年はピンクとかもあった。羨ましかったな。堂森さんはどうだったの。群馬じゃないでしょ」
「だいたい赤白だったと思うが、そういえば変な分け方してる時もあったかな。麓組、河川組、とか」
「なにそれ。あはは。超田舎だね。何県出身だっけ」
超田舎という言い方が癇に障った訳ではないが俺がスマホから目を離して顔を天井に向けると夏未は「田舎とか言ってごめん」と小さく謝った。
「いや、ド田舎だったよ。村島市だ」と俺は慌てて話を続ける。謝らせるつもりは微塵もなかった。
「山の中を走り回ってた。中学で越して、令和の今は知らないが」
「村島市ってそんな田舎だっけ」
俺は逡巡してから答える。
「ああ。合併して村島市になったから」
「そうなんだ。もともとなんて市? いや町か。もしかしてムラか。なに村?」
薄暗いライトの明かりでも見える蛍光シールの貼られた壁掛け時計の針は4時を差している。もうひと眠りついてからいったん家に帰って着替えよう。
「そんなこと聞いてどうする。尋問されているみたいだ」
「田舎扱いしたって怒ってるの」
咄嗟に笑って返した夏未の声は途中から聞こえなくなったが、目を合わせなくなった俺に向かって小さく拗ねる。
「ごめんなさい。でももうちょっと堂森さんのこと知りたいよ」
俺は鼻から息を吐き無言で夏未の肩に手を回す。
「例えば?」
「剣道はいつからやっていましたか」
夏未が嬉しそうに、眠たげな上目遣いで質問を始めた。
「中学の部活だ。田舎だから隣の学校と合同練習で弱小チーム。さらに俺はかなり弱かった」
ふふ、とクスクス笑う息が脇にかかる。
「礼儀や掃除、防具の扱いはかなり仕込まれて相当身に着いたけどな。中学のときは体が小さかった。リーチが短ければ当然不利になる」
「そうなんだ。でもずっと続けてたんでしょ」
「ああ。中学でさんざん負けて悔しくてな。剣道部がある高校をわざわざ探した。特別強い高校じゃなかったけど個人戦ではそこそこの成績で。まあ、それでも県大会程度だな」
「へぇ。がんばりました」
夏未は左手を毛布から出して俺の前髪を撫でる。
「中学の時は無駄な練習ばかりだったな。竹刀振りまくって走りまくればいつか勝てると思っていた。試合でも馬鹿みたいに突撃するだけで失敗だらけだ」
一向に成長しない俺を父は長い目で見守ってくれていた。今日の試合はアレが失敗だった、こうすればよかったと夕飯で愚痴ばっかり吐いて自分はダメだダメだと泣き言ばかり言い、右手が疲れてろくに箸を持つことができない俺にスプーンを渡して「とにかく飯を食え」と言ってくれたものだった。そして全く剣道を知らなかった父が本を借りて勉強を始め、休みの日は一緒に練習してくれるようになった。足運び、握り、打ち、ばらばらではだめだ。よく見ろ。相手の隙を探せ。一瞬の隙だ。ほら今だ。見逃したぞ。 次だ!
父は「失敗は取り返せばいい」と口癖のようによく言っていた。
綺麗な型に拘っていては一瞬の隙を見逃してばかりだ。だが誰だって失敗する。失敗だらけの人生だよ。失敗した経験は消せない。だが消す必要もない。失敗した経験を生かして次に挑めばいい。お前ならできる。
取り返せばいいんだ、と。
夏未は腕の中で静かに寝息を立てていた。
俺は夏未の額に軽く唇をつけ、一瞬の安らぎを得るためにそっと目を閉じ浅い眠りについた。
剣道まっったく知らないんですけど……。
変なこと書いていたらこっそり教えてください。修正しますm(__)m
何はなくとも最後は宣伝(福島太郎さんのパクリです)
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