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残夢④〔雑談〕

   

新しい空気に替えてこいと係長に言われ近堂ひろ子の取調べ室に向かった山下遼太朗は15分程度で他と交代して戻ってきた。
「雑談でいいとは言ったが随分早すぎやしないか、山ちゃん」
係長が眼鏡の上から山下を軽く睨んでいる。
「めっちゃ温めてきましたよ。きっと近堂ひろ子は今から全部話します」
「山ちゃん、その自信はどこから来るの」
隣の席の小池さんが笑いながらチオビタのキャップを開け大きな腹をさすりながら山下に尋ねた。
山下は二年の交番勤務を経て今年鳩巻署の刑事課に配属されたばかりで俺と組むことが多い。父親はたしかD県警の刑事部長、キャリア組の息子だが人懐こい笑顔と裏表のない性格で課内みんなに重宝され、いや、可愛がられている。
「すごい盛り上がっちゃったから嶌村さんに今替われって言われたんですよ。ほんとですって」
自信満々の声をあげる山下の後ろから部屋に入ってきた藤岡華乃が眉根を寄せて係長に向かって補足を始める。
「すごい盛り上がって、ではないですけどね。和んでたのは事実です。そろそろ観念してくれるといいんですけど」
藤岡の言葉を信じた係長が軽く身を乗り出してきた。
「どんな話したんだ」
「えっとですね。『山さんみたいな刑事にカツ丼とか奢ってもらえると思いましたか、でもだめなんです。取調べ中は飲食禁止なんですよ』とか」
「カツ丼に反応したのか」
係長は真剣に山下に尋ねる。
「いや、してないです」
「してないのかよ」と隣のデスクの小池さんがツッコミながらパソコンに向かう。
「でもでも聞いてくださいよ。『山さん?』って聞き返したんです。だから山さん興味あるのかな?って思って太陽にほえろのジーパンとかマカロニの話をしたんです」
「マカロニの方が好きってか」
係長は半笑いで再度山下に尋ねる。
「まあ、結局そこは無反応だったんですけどね」
「無反応かよ」と小池さんはパソコン画面から目を離さず吐き捨てるように言った。
「いやいやいや『うちもみんなあだ名あって、今日の取り調べはジェントル嶌村です』って言ったら『シマムラさん?』ってにっこりしたんです」
へえ、と小池さんが少し顔をあげる。俺は山下の話の続きを待った。
「嶌村さんって優しくて紳士的で何でも聞いてくれる安心感がありますよね。だからみんな落ちちゃうと僕は思うんです。ジェントルマンなのでジェントル嶌村」
「それで」係長が苛立った口調で山下に聞く。
「あ、それからケンさんは『現場保存の鬼』って紹介して」
山下の言葉にその場にいたもの全員が「ああ」と納得の声をあげた。
俺がそんなアダナをつけられ、しかもみんなの同意を得るとは意外だった。俺は基本を守っているだけだ。別に鬼ではないと言いたかったが、そこで藤岡が話を遮った。
「でも私の話でめちゃめちゃ機嫌悪くなりましたよね」
「そうなの? 華ちゃんは何てアダナ?」と小池が尋ねると「分別の華です」と山下が自慢げに答える。
これも一同が「ああ」と納得した。ゴミの分別に目くじら立てて怒る藤岡華乃の姿は誰でも目に浮かぶ。たしかに。
「だいぶ失礼なアダナですよね」
藤岡は両手を組んで怒りを表明しながら話を続ける。
「でも近堂は、そのアダナで機嫌が悪くなったわけじゃなくて、山下君が『強行犯係の紅一点』って言ったときに怒ったんだと思う」
「紅一点? ああ、華ちゃんに嫉妬したってことか」
小池さんは藤岡に聞いてから俺の顔を見てにやりとした。
またその話か。
昨晩遅くまで山下が俺と近堂との繋がりを調べていたようだが、結局接点は何も出てきていない。冗談じゃない。嫉妬などするわけない。
「いえ。嫉妬じゃないと思います」
以外にも藤岡は俺と同じ考えのようだ。
「嫉妬だったら私を睨むと思うんです。でも、山下君を睨んでましたから……ね?」
「え。そうでした? 僕、華乃さんのあだ名を絞り出すのに必死で」
おいおい雑談だって重要なんだぞ、ちゃんと見ておけと俺が嗜めると係長も声を張り上げ「山ちゃん、どこが『あっためてきましたぁ』なんだよ。まったく」と嘆いた。
小池さんが小声で「俺のあだ名は何だった」と藤岡に尋ねる。
「『ラーメン大好き小池さんです。でも頭髪は残念ながら波平です』って山下君が言ってました」
満面な笑顔の藤岡の返答に小池さんが「おいっ」と声を荒らげ、山下が「すいませんした!」と立ち上がって頭を下げる。
あちこちから小さな笑い声が漏れた。

鳩巻署は県内でも凶悪犯罪件数が極めて少ない。平和な笑いに包まれ、一瞬今抱えている事案をすべて忘れてしまいそうな空気が流れるのを感じる。
結婚してから、いや、せめて子供が産まれてからこの署に異動が決まっていれば離婚するような事態に至らなかったかもしれないなどと詮無いことまで思い浮かべた。

「山下、後でカップラーメン奢れよ。でもまぁそれで和んだなら、いっか」
小池さんがにこやかに纏めようとすると山下が平然と「違いますよ」と言うので皆が山下を見た。

「近堂はアニメにあんまり興味ないみたいで。ラーメン大好き小池さんも波平さんも知らなかったみたいです。きょとんとしてました。ね?」
ね? と確認された藤岡も頷く。
「ふざけんなよ。俺のこと貶しといてそれかよ。せめて笑わせろよ」
小池さんは声を張り上げ笑いながら山下を非難する。
「じゃ山下、一体どこで和んだんだ。さっきから聞いてたら全然じゃないか」
俺も笑いながら尋ねると山下は急に真剣な顔を俺に向けた。
「いきなり笑い出して暫く止まらなかったのは」
そこまで言って山下は逡巡する。確認するように藤岡と目を合わせてから決意したようにもう一度俺を見る。
「笑ったのは、ケンさんのことを『現場保存の鬼』って言った時です」

近くにいた全員が俺の顔を見た。
背中を見せて座っていた仲間も無表情に振り返った。さっきまで笑っていた藤岡の目が鋭く俺を刺す。話に加わっていなかったはずの刑事課長とも目が合う。

俺が一体何をした。なぜ一斉に俺を見る?
「お」
一音だけ発して右手を前に出したと同時に、高い警報音が鳴り響き無線のスピーカーから声が流れた。
 
《本部から各局。笹原署管内で傷害容疑事件発生。本日9時50分頃、マル被は笹原市本町×××付近において男性2名を切り付け現場から南進、徒歩にて笹原駅方面へ逃走中……》

署内に緊張が走る。事件発生は隣の署管内だが駅を超えればうちの管内だ。

《マル被にあっては身長150センチくらい、女。白いコート、黒いスカート着用。なおマル被は刃物を複数所持しているとの目撃情報あり。確保にあたっては十分に注意され……》

女による刃物での傷害事件発生か。
「まただ」
複数の視線が一瞬にして絡み合う。おそらく考えていることは同じだ。一連の傷害事件はうちで捕まえた近堂によるものではなかったということか。それとも全く別の事件が起きたのか。

俺はジャンパーを掴み山下を連れて部屋を出た。
マル被確保のためか、先ほど俺に向けられた仲間たちからの厳しい眼差しから逃げるためか。
分からないまま、俺は走った。

⑤につづく→



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豆島  圭 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。