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残夢 ⑤〔置き去りの子〕

   

山下の運転する車が駅に到着する前に被疑者が笹原署員によって無事確保されたという無線を受信した。
「無駄足でしたね」
山下は悔しそうに言い、駅手前にあるコンビニエンスストアの駐車場にいったん車を滑り込ませた。
「無駄足なんてひとつもない。緊急配備キンパイにならなくて良かったじゃないか。戻るぞ」
戻ると言っているのに山下はエンジンを止め申し訳なさそうに俺を見た。
「ケンさん、巡回を、いや巡回っていうか。あぁ本当にすいません!」
山下は下腹部を押さえながらシートベルトを外し勢いよく車から降りて店に入って行った。
「ったく、ガキかよ」
朝から調子が悪そうだったので仕方ないが、そんなギリギリで現着してどうするつもりだったんだと呆れつつ、自分も車を降りて外の空気を吸う。

管轄外の笹原駅南口はいわゆる繁華街だが北口は閑散としている。土曜日でも。
どんよりとした日差しで気温は低いが冬と言われる季節になっても凍てつくような寒さを感じることは少なくなった。対照的に夏の外回りは精神力も体力もとことん奪われるが。
12月でも手袋やマフラーはさほど必要ではなく自分の吐く息も白くないなとぼんやりしていると、薄いジャージ姿で元気に自転車を漕いでいる男子高校生が目に入った。
その男子学生は「おい、これ見ろよ」と興奮気味にコンビニ入り口付近にいた2人組に声をかけ、声をかけられたほうの高校生は「遅いよ」とややむくれている。
どうやら約束の時間に遅れてきた高校生は南口での逮捕劇を動画に収めたらしい。店の前で動画鑑賞が始まった。

今の時代はとりあえず何でもかんでも動画撮影だ。自分のスマホを直接仲間に見せて喜ぶ分には構わないが、もしSNSに投稿するつもりならば、その前に本当にその情報が適切かどうか一瞬でも考えてからタップして欲しい。
映像に写った人物はまだ容疑の段階であって犯罪者ではないのだから。
「おおー」という小さな歓声を耳にすると心が少しだけ騒めくのを感じる。
万がいち被疑者ではなかったら。万がいち警察官が失態でも冒していたら。いや、実際に冒していなくても一般人が見てそう受け取れる言動があったなら。

まあいい。そんなことに気を揉んでも仕方がない。こちらに非がないのに矢面に立たされストレスのはけ口にされることなど慣れている。

コーヒーでも買おうかと店の入り口まで足を進めると男子学生のスマホ端末から被疑者と思える女の金切り声が耳に入ってきた。
≪私に触るなっ!≫ ≪汚らわしい≫ ≪たすけて!≫
こえー。キモ。と男子学生たちが笑いながら再度画面を見つめる。
え、今なんて言ってた? と耳を傾け、「男、死ね」とか言ってない? まじか、あはは。男に捨てられたんじゃね? え、ババアじゃん。 

盛り上がる声を脇目に店内に入り、コーヒーとホットレモンの会計を済ませたところで山下が奥のトイレから出てきた。
「あー。すいません。ゴチです」
「ばか言え。どっちも俺のだ」
マジすか、と笑う山下にペットボトルを手渡し「あいつらマル被を撮ったみたいだ」と自動ドアのほうを顎で指し示す。
マジすか、と同じ単語を山下は吐き出し「見せてもらいますか?」と真剣な顔を向けた。
「そんなもん見せてもらってどうすんだよ」
笑い返した時にはもう男子学生は自転車でどこかへ去って行った。
「マル被は軽く暴れたみたいだな」
「へぇ。近堂とは偉い違いですね」
「そうだな」
「白いコートに黒いスカートって聞いたときには近堂の再来かと思いましたけどね」
「そうだな」

店の外に出ると走って店に入ろうと向かって来た若い女性とあやうくぶつかりそうになる。駐車場には少し斜めに止められたワンボックス。今の女性が停めたのだろう。彼女もトイレに急いでいたのかと歩を進めながら何気なく車の中に目をやるとエンジンがかけられたままの後部座席に幼児が眠っているのが目に入った。
足を止める。
「ケンさん、どうしました?」
「子供が乗ったままだ」
山下が中を覗き込む。
「あー。さっきの金髪彼女ですね。一応注意しましょうか」
「一応じゃない。保護責任者遺棄罪だ」
「いや、すぐ戻ってくると思いますよ」
「エンジンがかかっているんだぞ」
「とめたら寒いですからね。鍵はかかってるかも」
「施錠していてもエンジンをかけたまま車を離れたら道交法違反……停止措置義務違反だ。それに万が一この子が起きて運転席を触ったりしたらどうするつもりだ。ベルトを自分で外せない年でもない。取り返しのつかないことになるぞ」
思わず語気が荒くなった。
「あー」
山下は困り顔をして頭を掻く。
分かっているのかいないのか。曖昧な返事をした山下が鼻を軽く掻いてコンビニのほうを見つめると女は既にレジで会計をしていた。
「ケンさん、僕がちゃんと注意します」
なぜか俺を宥めるようなポーズをとり山下は出入口まで女を迎えに行った。
後部座席の子供は目を瞑っているがどこか苦しそうだ。悪い夢でも見ているのか、車内が暑いのか。かつて一緒に生活していた自分の娘の面影と重なる。

山下が車に向かう女の横で説明する声は優しすぎた。
たまたま目について心配になったこと、今日の気温で熱中症の危険はないだろうがエンジンをかけたまま離れることは非常に危険であること、実は道交法違反であることなど。
母親と思われる女は山下を強く睨みつけて小走りで運転席のドアに立ち、無言でメカニカルキーで開錠しようとした。
俺は待ち構えていたように車の前方に立って警察手帳を見せた。女の顔から一瞬にして血の気が引いたのが見て取れる。
「法律違反だというのは今聞いていたな」
女は急に頭をさげて「すみません」と呟いた。
「ケンさん」
山下が俺の側に回り込んで手を押さえる。やめろと言うことか。
「ここで逮捕するつもりも切符を切るつもりもない。だがな、」
俺が声を荒げると後部座席にいた幼児の目が覚めたのか急に泣き声をあげた。女は慌てて後部ドアを開けて子供に「だいじょうぶだよ」と声をかける。
「すみませんでした。娘が熱を出して」
ふと助手席を見ると病院の薬袋が無造作に置かれている。女が袋にも入れずに手に持っていた購入品は清涼飲料水とゼリーだった。
「ケンさん」
山下が再度俺を宥めにかかる。
俺は山下の手を振りほどいて無言で自分の車に戻った。

山下が一言ふたこと女に何か伝えたあと女の車はすぐに走り去り、山下も車に戻った。

「さ。ホットレモンも奢ってもらっちゃったし。署に戻りますか」
おどけた調子の山下が車を発進させたが、後部座席に座っていた子供の泣き声がいつまでも頭の中で再生されて離れない。
熱が出てつらいのか。置き去りにされて悲しかったのか。
そんなことは俺が分かるわけがないと流れる外の景色を見つめる。

「先輩にジュース奢ってもらうのは何の法にも触れないですよね?」
山下が笑いながら聞いてきた。
「俺は経費で落とそうなどしない。民間人から奢られた訳ではないんだ。何の法律違反だと言うんだ」
「ですよねぇ」
赤信号で止まると、山下はふっとため息をついてから小さく話し出す。
「さっきのママさん、靴下が左右違う色でしたね」
そんなところまで見ていない。それは流行っているのか?と聞こうとしたが続きがありそうだったので黙って耳を傾けた。
「具合の悪い子供がなんとか眠ったのに起こしたくなかったんでしょうね。家に子供だけ置いていく方が危ないし。でもポカリが家にないことに気付いた。ママさんは、慌てた」
「慌てているときほど事故が起こりやすいんだ」
俺の言葉を無視して山下は続ける。
「スーパーやマツキヨだったらポカリが安く買える。コンビニって高いんですよね。だけど大きな店の駐車場にまさか子供を置いておけない。だから病院帰りの、目の前が駐車場の小さなコンビニを選んだ。値段は倍するけれど背に腹はかえられない」
「そう言ってたのか?」
山下はまた無視して続ける。
「旦那さんは帰りが夜中。実家は頼れない。子供は突然ふとんで吐く。すみません今日はパートを休みますと連絡をすれば、またかと散々文句を言われる」
「お前は誰の話をしているんだ」
「ははっ。この前、同級生にばったり会ったんですよ。高校の時の女子。赤ん坊抱えて『子育てなんてムリゲー』って言って笑ってました」
「話をすり替えるな。さっきの女は安いスーパーで子供を抱えて買い物をすればよかった。それだけだ」
「子どもを起こしたくなかったのは子供の具合が悪いからですよ。母親が楽したかったわけじゃない」
「子どもが嫌がるからとベルトをせずに、事故って子供を殺す、バカな親が! 山ほどいる!」
俺は声を荒げた。
山下の言うことは一つも理解できない。なぜ安全策を取らない。なぜルールを守らない。何度悲劇を繰り返せば分かるんだ。
山下も負けじと声を出した。
「知ってます! それでもっ」
でも、だって、は加害者側の常套句だ。被害はなくならない。

「それでも、あの母親はがんばってます」

俺は呆れた。
山下は何を言っているんだ。頑張ればいいという類の話ではない。

「ケンさんみたいに原則にガチガチに当てはめて罰しても、誰も幸せにはなれません」

低いトーンの山下の声にいつもの車窓がゆっくりと流れた。
僅かに日差しは温かみを増し、すっかり葉の落ちた街路樹から降り注いで山下の顔を照らす。

俺はゆっくりと口を開いた。
「原理原則を知っている者が若者や幼き者に教えてやらないでどうするんだ。俺もお前も警察官だ。自分の役割を忘れるな」

静かに伝えると山下は進行方向を見つめたまま、素直に「はい」と返した。

左折すると県内によくあるスーパーマーケットの駐車場が広がる。
まばらに止まる自家用車を一台ずつ眺め、あの日の妻と娘の姿を俺は探した。ここには居るはずのない二人の姿を。

(⑥に つづく→)


今回のシロクマ文芸部のお題は「本を書く」。どうしたってその書き出しでは書けない流れだったので、別に書きました。


こちらの連載は⑤で終わりです。
①から大幅改稿して 2024創作大賞に応募、中間審査を突破しました。
もしよろしければ下記マガジンからお読みください。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


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豆島  圭 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。