そこにいるだれかと我らの未来のために【5】

【5】

 スーツの襟元を正しパンツの折り目を気にしつつジャケットのボタンを留め直しネクタイを撫でつけ最後に髪をかき上げ、トレヴァーはようやく上司であるリタのオフィスのドアをノックしたが、そのドアはガラス張りである。ボタン一つで磨りガラスにもなるが、いまは彼女がひとりで書類整理をしていただけなのでその必要もなくクリアなままで、トレヴァーの猫並みに念入りな身だしなみチェックも、リタにはずっと見えていた。
 彼女は、見えない場所でやればいいのに、といつものように思った。たとえばお手洗いとか、もっと個人的な用を成すためのスペースで。こんな廊下の、しかも上司のオフィスのガラスドアの前などではなく。どこかに更衣室を作ったらそこでやるようになるだろうか。そうはいかない気がした。たとえ更衣室の壁一面に鏡を張り巡らそうとも、トレヴァーは直前に人のオフィスの前で毛繕いをするにちがいない。
 彼を猫に例えるのはセクシャリティの差別かしら、とリタは胸に手を当てて考えた。いまは答えは出なかった。まあ、口に出さなければいいことだし。
 いまのメンバーが揃って三カ月ほど経ったある日のこと、ひとりずつこのオフィスに呼んで  そのときもトレヴァーは今と同じセルフチェックを寸分違わぬ場所でやっていた  個々の印象を尋ねたことがあった。皆それぞれの角度から仲間たちのことを見ていたが、トレヴァーの印象だけは、程度の差こそあれど一貫していた。『彼はナルシシストかソシオパスのどちらか、あるいはその両方』という内容で。
 著しく社会性に欠け、彼の口から出る優しい言葉はどれもこの世に誕生した瞬間からふわっと散って消えるほどに軽い。だけどその清潔感のある外見のせいか身だしなみチェックの努力の賜物なのか、多くの人にとってはとても魅力的に見える。素晴らしい風景を映した番組を延々と映す高画質のテレビとほぼ同等の存在だ。
「開いてるわよ。入って」
 控えめな挨拶と共に素早く室内に身体を滑り込ませたトレヴァーからは、山肌を滑り降りる風の爽やかさと、禁断の魔法を使って生み出された欺きの混じった香りがした。上品で、危険。セクシーさよりほんの少しだけ欺瞞が上回る。英国ブランドの香水を二種類重ねづけして生み出されたこの香りは、このうえなく的確に彼の人となりを表現していた。
 リタはついさっき送ってもらったばかりのメールでの報告のお礼を簡潔に述べ、そのあとに、わざわざオフィスへ呼んだ理由の説明を続けた。
「この話を、最初にあなたにしてしまっていいのかどうか、まだ本当は決めかねているのだけれど」
「どんな話でしょう」
 リタから身振りで勧められたデスクを挟んだ椅子に腰降ろしながら、トレヴァーはジャケットのボタンを外し、特権階級の男性そのものの優雅さで脚を組んだ。そして自分をいい人間に見せるにじゅうぶんな角度で小首を傾げた。
 彼はなぜ俳優にならなかったのだろう、とふと疑問が沸く。彼ならば、古典や名作ミステリーなどで主要な役どころを演じられそうなのに。売れるまでのあいだ、開始五分で殺される類の役を演じるのが我慢ならなかったのだろうか。恋愛映画の脇役のオファーばかりが来そうだからという理由もありそうだ。彼の容姿は、残念ながら『使い捨てハンサム枠』にもやや当てはまってしまう。もっと若い頃ならばなおのこと。
「アメリアの能力の変化を口外することを、一切禁じる」気を取り直してリタは告げた。
「それは、どの方面からの探り入れにたいしてですか?」
 リタは、彼の感覚の鋭さに短い間だけ賞賛の視線を送った。
「探りを入れてくる政府機関や警察関係者、ほかの支局。そしてもっとも重要なのが、彼女の家族」
「政府機関や支局はわかるとして、ぼくの訊き間違いかな。彼女の、家族?」
「そのとおりよ」
「まず、会ったこともないのですが」
「これから会うかもしれない」
「どういうことです?」
 リタは少し迷ったが、話し始めてしまったからにはこのまま進めるしかないと判断した。重要な話はいつも、デクランがいればいちばんに彼に話した。だが今回はなんとなく、トレヴァーの作った報告書を読んだときから、普段ならまず相談相手には選ばない人物を頼ることにしてしまった。一時の気の迷いかもしれない。それか、彼の文章の個性に導かれたのか。なんらかの勘が働いたのは間違いない。
もしまずい事態になったときはそのときだ。彼女の指はデスクの上のクリスタル製のウサギの文鎮の耳を叩いていた。故郷のタイにいる彼女の娘が、日本赴任のお祝いに持たせてくれたものだった。きっとこれも縁だ。
「“heard”の創始者は、アメリアの両親なの」
「それは、えっと……ワオ」
「よくわかるわ。ワオ。そのとおり」
「じゃあ、本部があるのはデンマーク」
「そう。最初にアメリアがいたところ」
「アメリアはそのことをぼくらに黙っていたんですか?」
「いいえ。彼女自身も知らないことなの」
「そう……ですか……」
 トレヴァーは、うなづき、下唇を噛み、少し前かがみになった。リタは彼がもっと動じないか、動じていない振りをすると考えていたため、この反応はなかなか意外だった。彼はまったく非人道的な人物ではないのではないか。ソシオパスではなく、ひとと異なる感情の動きをする少しばかり変わり者の子どもが、うっすらと彼の中に見えた気がした。ナルシシストであることはまだ否定する材料もなかったが。いや、彼を、というかひとをたったワンワードで固めてしまうのはあまりに雑でつまらなすぎるのではないか。リタはふと己の癖を恥じた。人間にはもっと奥行きがある。定義づけが退屈しのぎにはなることは否定しないけれど。
 まあこれも、口に出さなければいいことだし。
「いったい、どういう状況ですか」トレヴァーが顔をあげた。
「ややこしいんだけど、アメリアは自分の能力のことを、彼女の兄にしか打ち明けていない。だから両親は知らないと思ってる。だけど両親は知っていて、知っていることをアメリアに隠してる」
 トレヴァーが、眉間に皺を刻んで、戸惑いつつも神妙な様子でうなづいた。「そうですか」平静を装おうとする姿がいじらしいほどだった。
「元々、この組織はアメリアの能力を生かすために作られたところなの」
 アメリアは覚えていないようだが、幼い頃の彼女はよく、見えない誰かと喋っているところを両親によく見られていた。最初は周囲も、子ども特有の“空想の友だち”だろうと思っていたが、徐々に不思議なことが起こり始めた。
 たとえば、アメリアが走って行く先で、数時間前にアンバーアラートで見たばかりの小さな女の子が、見知らぬ男と手を繋いで歩いているのを見つけた。さらには、街角に停められたバンを指差して取り乱したアメリアの導くままに通報し、到着した警官が任意で車内を確認すると不自然な金属の箱があり、中から開けられないような仕組みになっている。そしてその車の持ち主の家を捜査すると、そこにいるはずのない人物が縛られた状態で見つかったりとか、そういったことだ。
 スーパーパワーを持つ人間は少なからず存在するが、アメリアの両親はまさか自分の娘が、人探しの能力を授かるとは思っていなかった。そこで、大学で児童心理を教えていたアメリアの母親と、元々脳科学者で、遺伝子工学研究所といくつかの牧場を経営している父親は、娘の能力を研究することにした。それが“heard”の始まりだった。
 セーゲルストレーム家は“heard”を本格的に設立したときに、一緒に研究してきた人々を組織に就職させると共に、自分の子どもと似た力を持つ人間が現れたと耳にしたときは、その人物を勧誘  ときには家族ごと買収  して組織に加えてきた。
 そしてこれはリタの考えで、ほかの誰にも、デクランにさえも話したことはないが、彼らには組織で似たような能力者を抱え込んで世間の目に触れにくくし、アメリア自身の希少価値を高めようという算段もあるのではないだろうか。
 一部の人間にとっては誘拐はいいビジネスであるので、“heard”には権力者からの依頼が多く来る。むしろ、そういった人々からの依頼しか来ない。権力者らは身内が誘拐されたときに警察には頼らない。より安全に、迅速に、連れ去られた家族を取り戻せる“heard”が確実だということを皆よくわかっている。
 一年半前には“heard Japan”は存在しなかった。だけど、日本のとある政治家の身内が消えた際に“heard NY”へ要請があり、そこから本部へと連絡が行き、新たにこの国にも設立された。アメリアを含む各国から招集された現メンバーたちは、その消えた政治家の子どもを迅速に見つけ出したのだ。
 解決のたびに莫大な謝礼がセーゲルストレームの匿名の口座に支払われ、組織の資金はそこから出ている。さらに寄付もおおく受け取っている。被害者家族らの言う『無事助け出してくれて、世間に知られないためならいくらでも払う』の『いくらでも』というのは、ほんとうに文字どおりそのままだ。実際、公表されたくないろくでもない理由で誘拐される要人の身内は、世間が考えている以上におおくいる。
“heard”の使命はアメリアを守り育て、資金源を絶やさないようにすること、そしてなにより、アメリアの能力自体を絶やさないことにある。
「彼らはどうやってアメリアを囲うことに成功したんですか」
「アメリアは善人。あんなに心の美しい子はいないわ。自分の能力が役に立つとわかれば、必ずかかわる。ハイスクールや大学のサークルに“heard”の人間を仕込んでおいて誘導したの。言いかたは悪いけどカルトとおなじよ。ボランティアを利用したりして、日常の中で、情報を小出しにして与えてきた。彼女がそちらに進路を切るように。そこまできたら、あとはあなたたちと同じくスカウトがきた。アメリアはぜったいに断らない」
「サブスクリプション!」トレヴァーは手を叩いた。
「ええと、サブリミナルかしらね」
 “heard”の設立はアメリアが能力に目覚めて安定したあとの二〇一〇年だが、本格的に動きだしたのはその十年後の二〇二〇年頃だ。セーゲルストレームは、娘が大学に通いながらインターンとして働き始めるまでに土台をきっちり整えた。彼女が、組織と自分の両親を結びつけないために、時間をかけて万全を期したのだ。
「彼女の能力は、絶えてはいません」己の失言を認めたくないトレヴァーは、なにごともなかったかのように神妙に言う。「おそらく、状態が変化しただけかと」と、やや必死ともとれる口調で反論する。
「彼らは、生きている人間を助けられなければ意味がないって考えてる。死んだ人を探して弔うことは、霊媒師にだってできるわけだし。実際、警察と霊媒師は結託して犯人だって検挙されてる。生きたまま助けられるからこそ、金も入るし、アメリア自身も安定してる。彼女のいまの状態にはまだ答えが出ていないけど、能力が不安定になることは、彼女の両親がいちばん望んでいないことなの」
「不安定になると、なにかまずいことが起こるんですか? その、政治と金の問題が第一であるご両親にとっての、という意味ですが」
トレヴァーの嫌味ににやりとしてから、リタは続けた。「能力の暴走の話を知ってる?」
「ああ、そういうことか」トレヴァーは一度窓の外に視線を向けて、肩を落としてため息をついた。痛いところを突かれた人の表情で。「たまにありますよね。最初に事象が確認されたのは北欧、スウェーデンだった。他人に幻覚を見せる能力を持った人の力のバランスが変化して、幻覚が具象化し、周囲にいた半ダースもの人々が頭を喰われた。彼はセレブのパーティーにも呼ばれるくらい人気の“ホログラファー”だったのに、残念でした」
「それよ。彼らは、それが起こることを恐れている。どんな組織も、評判に傷がつくことを避けたいもの。たとえ表立って役割と組織名を公開していない、闇の仕事人であっても」
「アメリアの身の安全の心配は?」
「それを口にする人たちが相手なら、こうしてあなたに相談なんてしてないわ」リタはうんざりした様子で目を剥いた。
 トレヴァーは、今度は気持ちの準備をしていたようで、顔色を変えることなくうなづいた。
「強力なスポンサーを失うことになりかねないですしね。では、本部にさえばれなければ、とりあえずはだいじょうぶということですね。アメリアの能力がもとに戻るまで、彼女抜きで囚われた人々を救出する方法について、考える余地はできる」
「そうなんだけど、彼女の兄が明日から一カ月間、日本に住むことになっているの」
「このタイミングで? 偶然ですか?」
「それは疑いない。彼女の兄が来ることを、わたしは半月前に聞いた。そのとき彼女はまだ、一度目の失敗すらしてなかった」
「アメリアに口止めは」
「一応したわ。でもアメリアは、兄が両親に自分の能力の話をするはずはないって、笑ってた。だけど、セーゲルストレーム家の長男よ。信用できるかどうかわからない」
「彼女は兄にすべてを話すでしょうか」
「そう考えたほうがこっちも安全。それに、話さなくても相手は既になにかがおかしいってことは知ってるはず。本部からは、最近急になにも起こらなくなったことを疑問視する連絡が、すでに入ったし。どうにか誤魔化しはしたけどね」
 数日前に、セーゲルストレームの右腕から探りが入ったのだ。いままではコンスタントに事件の報告書を上げていたのが突然止まったのだから、なにか変化が起こったのかもしれないと怪しむのも当然だ。リタは唇を噛んだ。その、あからさまな不安の表れであるしぐさを見咎めて、トレヴァーは短く息を止めた。
「お兄さんは、アメリアの両親の味方だということですか?」
「まったくわからない」リタは正直に答えた。
 彼女はアメリアの両親、ラース・セーゲルストレームと今の妻であるミシェル・セーゲルストレームには会ったことがあるが、兄のことは一度話題に出た  アメリアには兄がひとりいるんだ……といった説明程度だった  だけで、どういう人物なのかは知らない。名前すら教えてもらっていない。話が通じる相手なら問題はないが、なにしろ情報がないため、危険度はまったくの未知数なのだ。
 ラースが息子の名前をリタに告げなかったということは、あまり良好な関係を築いていないことの証拠ともいえたが、逆に存在を隠しておきたかったのだとも取れる。もし、組織の誰かが反旗を翻したときなどの不測の事態が起こったとき、フィクサーとして彼が動き出す手筈になっているかもしれない。
「ぼくも詳しく聞いたことはないな。彼女はあまり自分のことを話すタイプじゃないし」
「そうなのよね。彼女は基本、尋ねられない限り自分のことを語らない」
「ぼくらは普段、目の前のくだらないことばかりを喋り過ぎる。素性を隠す癖がついているということもあるんですけど、それにしたって彼女のことを知らなさすぎた」
 リタは自分が把握しているだけの、アメリアの兄に関する情報をトレヴァーに共有した。とはいえたいして話すことはない。
 彼の母親はラースの一度目の結婚相手であること、たまに母親に会いにフランスへ行っていることに加え、職業のことくらいだった。
「デンマークで有名なレストランでパティシエをしていた。その後彼の母親の故郷であるフランスに渡ってホテルのレストランでスー・シェフを務めてシェフを引き継いだ。だけど、どちらのホームページにも彼自身の写真も名前も載せてない。日本へ来るのは、彼の店がオープンすることになったからだけど、一カ月限定ということは、プロデューサーかなにかかしら。そしてかなり派手な生活をしている。アメリアから聞けたのはそれだけ。能力の有無とか、ふだん主にどの言語を話すかすら、一切知らない。能力のことは本人以外に軽々しく訊けることではないし、あまり掘り下げると彼女に警戒されるといけないから」
 能力の有無や種類を公言しない人は多い。無理やり聞き出すのはマナー違反だし、他人の能力について“アウティング”することもまた、許容してはいけないことだ。“heard Japan”の所長みずからマナーをないがしろにするわけにはいかず、アメリアが話したいだけ話させた結果だった。
「世間話でそこまで引き出せたならならじゅうぶんです。うーん……生活は派手なのに、ネット上でそこまで徹底して自分を隠すなんて、なんだか怪しい男だっていう印象ですね、そのゴードン・ラムゼイもどきは。でもアメリアの兄だし、ここへは仕事で来るんだし」
「ええ、彼が来るのは偶然。だけど、それを利用して、なにかが仕組まれていると感じなくもない」
「具体的には、どういうことです?」
 リタはデスクの端に置いておいた飛行機のチケットの入った封筒を指先で叩いた。
「わたしが、きょうこれから二週間、ソウルへ出張になったっていうこと。昨日突然決まったのよ。先月新しく支社ができたばかりなの。そこの所長が事故に遭ったとかで、メンバーがまだ安定していなくて、責任者がいない状態では不安だからって。信じられる?」
 それを聞いたトレヴァーは、憮然として口を曲げ、椅子に凭れて腕組みをした。信じるのはかなり難しかった。だけどおそらくソウルの所長はほんとうに事故に遭って入院もしくは自宅療養をしているのだろう。そして代わりを務めるのに適任な人物がいるいちばん近くの支局が日本だった。アメリアのことがなければ誰も気にしない、単なる不運な出来事だ。
「それで」トレヴァーは鼻から勢いよく息を吐き、胡散臭げにチケットを見やった。「ぼくらは具体的になにをすればいいんです? 空港に到着する前に、彼の乗っている飛行機を爆破するとか? そうすればぼくら側から彼にここの状況がばれることはないし、もしむこう側の人間ならそれはそれで」彼は親指で喉を横にひっかく真似をした。「解決」
「ラビットフット、あなたの発想はとても……」
「ええわかっています。爆破はあまりいい手段とはいえないですよね。目立ちすぎるし、無駄は多いし、なにより美しくない」
 どこからが冗談でどこからが本音なのかわからない表情をしたトレヴァーをしばらく見つめ、この話を真っ先に彼にしたことを後悔するかと思いきや、どういうわけかリタの覚悟はここではっきりと決まった。
 “heard”の命運は彼に委ねてみよう。
「これまでどおりの仕事を続けて。そして、彼女のお兄さんを監視して、アメリアと組織にとってまずい事態になりそうなら対処して。彼をこの世から消す以外のことならなんでもいいから、あなたたちでうまくやって」
 トレヴァーはにっこり笑って指先でデスクの端っこを軽くたたいた。
「いいですね。ぼくそういうの大好きです。その、なんでもいいから好きにやらせてもらえるって部分が特に」
「彼女の兄がなんらかの行動に出たら、終わりだと思ってね」
「もちろんです」
 今後ずっと、彼女の能力が元に戻らない懸念もじゅうぶんにあるが、彼らはできるだけ早く、事態をうまく纏めあげる方法を思いつかなければならない。そうしないと、アメリアの能力ありきであるこの組織は分解を余儀なくされてしまう。
 リタには政治などどうでもよかったが、組織が存続できるだけの資金と権力は維持しておきたかった。わが子が誘拐されて、生死のわからない状態に置かれていることに耐えられる親などいないと、よく理解しているからだ。
 なにより彼女は、この分野においてアメリアほど優秀な能力者をほかに知らない。貴重な人助けの能力がなくなってしまうことは、誰にとってもおおいなる損失なのだ。
「わたしは、デクランと連携を取って、こちらのことをできるだけ気にしておく。どうにか力が戻ればいいんだけど。この国のお偉いさんの……お子様たちが、拉致事件に巻き込まれる前に」
 リタは、夜になると時計の文字盤が読めなくなるようなガキども、と言いたいのをどうにか堪えた。
「お偉い方々の、パーティで酒を飲んで目を閉じたら、自分の尻がどっちについているかもわからなくなるお子様たちですね」
 トレヴァーが言いたいことをすべて代わりに言ってくれたので、リタは深く息をはいて笑いの波を押しやらなければならなかった。
「今後ずっと、街中で起こる誘拐、DV、虐待に救いの手が差し伸べられないのもいやだわ。アメリアが声を聴ける範囲に限られているとはいえ」リタは両手を握りしめた。「こっちが本音かも。本部には内緒だけど」
 警察が出動できないグレーゾーンの事件であっても、アメリアが聴き分けることができるのなら、彼らが介入できた。彼女が声を聴けるということは、心の底から助けを必要としているということなのだから。必要な人にたいして適切に機能しない法律など、彼らの知ったことではない。
 リタは彼女、彼らに絶望してほしくなかった。見捨てられてどこからも助けなど来ないなどと諦めてほしくなかった。それはもちろん、メンバー全員の願いでもある。
「わかります。ぼくらも同じ気持ちです」
「アメリアがいちばんもどかしい想いをしているはず。必要ならデクランと話してもらうよう、彼女に伝えてくれる?」
「もちろんそうします。そうだ、そういえばデクランはどこに行ったんです? ここ数日、姿を見ていない気がするんですが」
「彼は別の場所にいるの。ここのところ立て込んでいたみたいだけど、明日にはこちらに来られるはずよ。わたしがいない間は彼がここの責任者になるわけだから、せめて顔だけは出しておいてもらわないと」
「彼はいまなにを?」立ち上がってジャケットのボタンを留めながら、トレヴァーが訊いた。
「本業よ」



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