そこにいるだれかと我らの未来のために【19(完結)】
【二日後】
「ああ、解決したよ。問題の元凶は、紹介状を書いて家族に入院を勧めた。心に深い傷を負っていて、監視してないとなにをしでかすかわからなかったから」デクランは個室を出て、後ろ手にドアを閉める。中のデスクの上にコーヒーを置いてきてしまったことに気づいたが、いまは取りに戻りたい気分ではなかった。あとで片づけるのを忘れないこと、と頭の片隅にメモを残した。「ああそうだ、アメリアはきのう、早速声を受信してね、メンバーは救出作戦を練ったり交代で仮眠を取ったり忙しそうにしてる。もうだいぶ遅い時間だけどこれから出動なんだ。え、ぼく? ぼくは……」
デクランはケータイを持ち替えて手すりに腕を乗せた。階下ではトレヴァーがおおきな身振りでなにかを激しく主張している。ジェイミーはデスクに尻を乗せてそんな彼にグミを投げつけ、Kはふたりを完璧に無視して地下のアメリアとネットで交信中。いつもの光景だ。
「見守ってるだけ。あんなに纏まりがない仔猫たち、いったいどうすれば? 頼むから早く戻ってきてくれ、リタ」
電話の向こうで、リタが声をあげて笑った。子どもの頃、アイスクリームカーを追いかけた暑い日を思い出させる、無邪気で屈託のない声だった。
『どうしようかしら。食べものはおいしいし、デパートのコスメ売り場には一日じゅうだっていられるし、それに、現場を最初から作るのってやっぱり楽しいのよ』
「リタ、頼むよ」デクランはとっておきの声を使った。ここぞというときにしか出さないチャーミングさで。
『わかってるわよハニー』リタはそれに乗っておどけて答えた。『ここは他人のもの。ええ、そろそろお返しする頃合いよ。所長も、都合よく怪我がよくなって、来週頭から復帰できるんですって。本部に、だれがなにを言ったんでしょうね』
「それに関しては、トレヴァー・マクドネルの周辺がいま面白い状況になってるから、戻ってきてからつついてみたらいいと思うよ。アメリアでもいいけど、彼女はパワーが漲っててとても忙しそうにしてるから、そっとしておかないと」
本部への報告は、クラウスとグレイ・ウォーカーが似たような証言をそれぞれの視点から時間差で行った。偶然にただなにごともなく暇な期間だっただけで、いまは久しぶりに事件が入ってきたという、嘘と事実を織り交ぜた伝達をセーゲルストレーム家は信じたようだった。
これで“heard Japan”に平和が戻ってきたと言える。事件そのものに関してはまた話が別だが。
『あらあら』楽しげなリタの背後で、(おそらく)韓国語でなにごとかを話す若い男性の声が聞こえた。そのあと英語で「お待たせいたしました、用意ができましたのでご案内します」とも。『ええ、ありがとう。……ごめんなさいデクラン、これからこちらのメンバーと飲みに行くの。アメリアのお兄さんのことは、“heard Japan”へ戻ってからの楽しみに取っておくわ』
「楽しんできて。戻ったらそちらの話も、秘密保持義務に違反しない程度に聞かせてくれ」
『もちろんそのつもり。ありがとう。ではまたね』
ケータイをポケットにしまい、デクランはまた階下を見下ろす。彼らは先ほどとは打って変わって真剣な表情で、スピーカーから流れるアメリアの話に耳を傾けている。トレヴァーなど、腕組みをして片手で顎を撫で、神妙な態度で何度もうなづいていた。やがて今後の方向性が決まったのか、ジェイミーがデスクの上の収納ボックスから車のキーを取り出して手の上で跳ねさせた。Kが首の骨を鳴らす音がやけに響く。
「オーケー」Kが通話口に向かってコンパクトに返答してから通話を切り、こちらを見上げた。「デクラン、行ってくる」
彼らに纏まりはない。だけどこのように一斉に動きだすのを見ると、胸に安堵感が広がる。彼らこそが希望そのものであり、失われかけた安心と必要なだけのじゅうぶんな優しさを生み出すことのできる存在だということを、デクランはよく知っているからだ。
「頼んだよ。そこにいるだれかと我らの未来のために」
Kとジェイミーが、顔を見合わせてにやりとした。
「それ、いいね」トレヴァーが親指を立てる。
「そこにいるだれかと我らの未来のために!」
三人の声が、回廊のすみずみまで響き渡った。
※※※
一階に着きエレベーターの扉が開くと、彼らが呼ぶところのグレイ・ウォーカーがそこにいた。珍しく外出をしていたらしい。夜だから、買い物と散歩に出かけていたのだろう。彼がときどきそうすることを、メンバーは把握してしまっていた。
クラウスから素性を聞いたこともあり、トレヴァーたちは驚いて固まってしまったが、彼にとってもおなじくらい不意打ちだったらしい。ほとんどをフードに覆われた傷だらけの頬がほんのかすかに引き攣り、コートを掻き合わせて立ち尽くしていた。
片腕に買い物袋を引っ掛けていて、それがエコバッグだということにも、メンバーは驚きを隠せなかった。バッグがミリタリー柄ということがせめてもの救いになっているかどうかもわからない。そこには、イエティがナイフとフォークを使って食事をしているところを目撃したような奇妙さがあった。
しかしいちばんおおきなわだかまりはやはり、お互いのことを知っていることを知らない振りをしている、という、妙な緊張感が彼らのあいだに重く横たわっていたことだった。
意を決したKとジェイミーが、真ん中に立っていたトレヴァーを肘でつついた。トレヴァーは一瞬、なんでぼくが、という表情をしかけたが、覚悟を決めて咳ばらいをして、ジャケットを整えた。
「やあグレイ・ウォーカー」
閉まりかけたドアを、ジェイミーがボタンを押して再度開かせた。
「調子はどう」
グレイ・ウォーカーは、まばたきをしたら見逃してしまいそうなほどの瞬間、笑顔らしきものを浮かべたようだった。すくなくとも友好的な吐息を漏らしはしたと、皆、確信している。
だがそのあと、いつもどおりに口元を歪めて小ばかにしたように肩を揺すり、巨体で彼らを押しのけてエレベーターに乗り込んだ。なんなら、いつもより少々乱暴な所作に感じたくらいだ。トレヴァーたちは反動で押し出された。なにかがすこしだけ変だった。素性を知られたくらいで、そんなに動揺するものだろうか。また彼がそんなことくらいで感情を露わにするタイプとも思えなかった。いったいクラウスとどんな話をしたのだろう。
彼は丸めた背中をこちらに向けて箱のど真ん中に立って、そのまま動かなくなった。
グレイ・ウォーカーの動揺ぶりに意表を突かれたKたちは、息をひそめてそのおおきな後ろ姿を見守った。
扉が閉まるそのとき、返事の代わりに彼のコートの中から、にゃあと鳴く猫の声を確かに皆聞いたのだった。
了
【いちばん最初↓↓】
