そこにいるだれかと我らの未来のために【16】
【16】
デクランの目下の問題はふたつ。“heard Japan”の存続と、イザベル・キムとその弟の確執で、これらは恐らく根っこのところで繋がっている。だからほんとうは問題はひとつしかない。
1というのはいい。どれだけゴタゴタしていても、ひとつを始末するだけですべてが芋づる式にすっきりする。狙うべき場所がわかっている。じつにシンプルだ。
そのたったひとつの問題が、どれだけ巨大で、強固で、しぶといものだったとしてもまあ、なにも手立てがないよりはずっとましなはずだ。
鍵はキムきょうだいだ。彼らをいまよりもしっかりと引き離すことができれば、あとのことはするりと進むはずなのだ。デクランにはその未来が描けていた。
しかし結論から言うと、イザベルからリョウヘイを完全に取り除く すなわち、あの世へ送る ことはできなかった。
彼がアメリアの不調の原因なのはいまや明らかだ。癒着を剥がしてイザベルにバリアを施したのだから、思い切って祓ってみようと、デクランは決意した。
リョウヘイはすでに死んでいて肉体もないわけで、あの世経由でさっさと生まれ変わらせてやったほうが当人のためにもいいはずなのに、彼はどうやら、この世から動かないと決めたようだった。
デクランの鼻血を流しながらの説得にも変化を見せなかったので、次善の策としてジェイミーと個室にふたりきりにした。当然のことながら、ジェイミーはそこで全力を尽くした。こと彼に於いては、中途半端ということはありえない。
ジェイミーにたいしては能力の暴走がいいふうに作用していたため、普段の倍くらいのパワーが出ていたはずで、それは、地獄から顔を出したルシファーですら警戒して一旦首を引っ込めそうなほどの凄まじい出力だった。見物しに上がって行ったクラウスですら目を丸くしたほどに。
驚くクラウスにデクランが説明する。「ものすごくバイオレンスに見えるけど、あれが彼に与えられたパワーなんだ。あのやりかたしかできないんだよ。それに、双方痛みはないし、彼は生きた人間にたいしては決して暴力的じゃない。とはいえ……」デクランは眉を下げてほほえんだ。クラウスもつられて口元を緩めてしまうような、秘密を共有する笑顔で。「あれは酷い。見ていられないよね。あの力に気づいたときの心境を、いつか聞いてみたいと思ってるんだ」
「すげえ威力だ。神も殺せそうなくらいに」
「だよね。今回は特別に凄い」
実際、隣のビルの十階から九階のあいだの階段部分に閉じ込められてしまって成仏できずにいた幽霊歴三十八年目の男は、なんの関係もなかったのに、このとき無理やり昇華されていったくらいだ。
無理やりとはいえ、彼にとってはとても幸運だった。その建物の、特に上階部分の階段は滅多に使用されることがないので、年に一度の避難訓練の時期以外はだれも通らず退屈しきっていて、やることといえば無益な一階分の階段の上り下りだけだったのだから。
(だれだか知らないがありがとう! きみに幸あれ!)彼は最後に地上にそう言い残した。
ジェイミーは知らないうちに徳を積んだが、リョウヘイを天へ送ることはできなかった。
なんでぶち込めねえんだ、クソ! と彼はゴールを外しまくったストライカーのごとく地を蹴って、その勢いでひっくり返って立ち上がれなくなった。それで中断して七階へと送還されたのだった。
どうもなにかが引っかかっているらしい。それがイザベルなのは明白だったが。
リョウヘイは幽霊なのではなく、イザベルの創り出した幻影なのではないかという説がもう一度持ち出された。ジェイミーの見立て自体が間違っていたのではないか、殴れてはいるが、能力の暴走のせいで幻影にも触れることができているのではないか、と。
ジェイミーは再度探ってみたが、間違いようがない。あの色彩のなさ。白黒映画で髪の毛を食っているところを見たような、セミの抜け殻を握りつぶしたような、なんともいえないいやな感覚がある。あれは間違いなく死んだ人間の魂のとある面にしてジェイミーが最も嫌悪を抱く、『執着』と『恨み』の結晶だった。
結局、デクランが癒着をすべて剥がしきれていなかったのが原因かもしれなかった。あるいは、バリアが完璧に機能していなかったか。どちらにせよ彼らには、まだ強くお互いを必要としている部分が存在しているのだろう。
「あの男の気持ちはわからなくもない」とクラウスがデスクに尻を乗せつつ、八階部分の先ほどまでジェイミーが戦っていた個室に向かって首を振った。「おれだって、死んでアメリアともう二度と会えないってことになったら、なにがなんでもこの世にしがみつくだろうしな」
「まじか……あー、きょうだいなんてクソだ。もう嫌だ。やりたくねえ」疲れ切ったジェイミーが、普段よりさらに数段低いトーンで腹の底からの悪態を吐き、クラウスが座っている向かいのデスクに仰向けに寝そべった。Tシャツに手を突っ込み、腹を掻いた。「ごめんアメリア」と謝るだけの分別だけは見せた。「おれにも兄貴いたな、そういえば。うっとおしい奴じゃないから忘れてた」
「いいのよジェム。お疲れ様」アメリアが水を持ってきて彼に差し出した。
「ありがとう」
「ヘイ、一晩一緒に過ごした仲のおれに謝罪はないのか。間違ってなければ、アメリアとおれは血がつながってるはずなんだけどな」
「あんたは単体でクソだ。おれを潰してカウチに放り棄てた恨みはまだしっかり残ってる」ジェイミーは頭だけ起こして水を飲み、グラスを置くとまた首の力を抜いた。
「横向きに寝かせてやっただろ。いつ吐いてもいいように、バケツの代わりに床にタオルを敷いて、水も置いてやったのを忘れたのか」
「忘れた」
「クソ!」
「ふたりとも、言葉遣い!」アメリアが手を叩いた。
「きみでも駄目だったとなると」デクランが回廊を見上げた。
リョウヘイのいる部屋のドアの前にはトレヴァーが、イザベルがいるほうのドアの前にはKが、それぞれついていた。彼らはドアふたつ隔てた距離で視線を交わして同時に肩を竦めた。
「正直言って、どうしたらいいかわからないな。どうしよう」天井に向かってデクランが弱音を吐いた。
手すりにもたれていたトレヴァーが息をのむ。「そんな、弱気な」
「珍しいね。彼が弱気だと怖くなる」Kは壁に背中を預けて彼に同意した。
「デクランはぼくらのバックボーンだから」
「あんた一時期彼のこと好きだったでしょ」
トレヴァーは目に見えてうろたえた。「なにを根拠に」
「自分で思ってるほど隠し通せてないんだよ、人間って」
トレヴァーは納得してうなづき、邪魔な前髪をサイドに流した。「じつはすごくタイプなんだ。でもストレートへの恋心の芽は、早いうちに摘み取るようにしてる」
「懸命かもね。ちょっと悲しいけど」
「きみには気持ちがわかってもらえると思ってた」
「どういう意味」Kの首は、長いこと油を差していないブリキの人形のように回った。
「人間って、自分で思ってるほど隠し通せてないんだってよ」
「そうなの? 知らなかった……肝に銘じておく」驚いたふりをしたKは、心臓あたりをこぶしで二度叩いた。
「妹と半分血のつながっただけのおれですらそうなんだ。彼らは双子だろ? 結びつきはもっと強いんじゃないか」階下で、クラウスが神妙に言う。
「双子じゃない」デクランが驚く。「どうしてそう思ったんだい?」
「あまりに似てる。というより、似すぎてるからな。顔がっていうわけじゃなくて、においが……いやもちろんリョウヘイからはなんのにおいもしないけど」クラウスは鼻に皺を寄せた。歯をむき出して、いまにも唸り声をあげそうだった。「それとも、気配とでもいうか」
「それはぼくも考えてた。最初は、外見もだけど内面がとくに区別が難しかった。共依存関係が進み過ぎたきょうだいだからここまで似てるんだと……いや、待って。きみはいますごく、すごいことを言ったかもしれない」
デクランはゆっくりとオフィス全体に視線を巡らせながら、クラウスを小刻みに指差した。目は動いているがどこも見ていない。正確には、風景は目に映っていないが、自分の頭のなかで組み立てられつつある仮説に追いつこうとしていた。
ふと気づくと、いまやKも手すりにお腹をつけてこちらを見ている。トレヴァーとよく似た格好で。
彼らはよく似ているとデクランはずっと感じていた。多くの人は、Kとジェイミーが似ていると感じるらしい。トレヴァーはアメリアといいコンビで、印象をKと結びつけたりはしない。でもデクランには、ふたりの繊細だが強固な結びつきが見えていた。彼らはよく似ているし、息が合っていて心の底から信頼し合っている。まるで魂の双子みたいに。
彼らは血がつながっていない。だから似ていることがあたりまえではない。だけどセーゲルストレーム、キムきょうだいは似ていることが前提となっている。なぜなら血がつながっているから。少なくとも、一定期間一緒に育ってきた経緯があるから、似ているのが当然でなんの不思議もない。しかも共依存関係にあればなおさら。同化しすぎていて、本人たちにだって、お互いの違いがわからない部分すらあるくらいだ。
イザベルとリョウヘイは、確かに似すぎていた。血のつながりを考慮しても余りあるくらいに。
「失敗した。血が邪魔だった」デクランはデスクに両手をついた。「許してくれ、イザベル」
「どういうこと?」アメリアが彼のがっくり落ちた肩にそっと手をあてた。「ねえ、だいじょうぶ?」
ジェイミーはなにごとかと頭を持ち上げ、そのままゆっくりと半身を起こして腕で支えた。
「間違えてた。ぼくが、ああ……」デクランは片手で顔を撫でおろした。「リョウヘイは死んでいなかった」
彼の頭上でソウルメイトが同時に身じろぎする気配を感じた。カストールとポリュデウケースがそこにいるようだった。
