そこにいるだれかと我らの未来のために【15】
【15】
「半年前、おれは自分の店の出店を決めた。パリの店が、おれが抜けてもいい状態になってきたから、今度は最初からすべて、自分で作りたかったんだ」
散らかったテーブル周辺をざっと片づけ、クラウスは全員にそれぞれの好みの飲みものを出した。歯ごたえのあるビスコッティとバターをたっぷり使ったマドレーヌも添えて。「場所はアメリアのいる日本に決めてた。妹の傍にいたかったからな」
トレヴァーは彼の話を聞きながら、できる限りスーツの汚れを落とそうとしてあきらめていた。あとでクリーニングに出すつもりではいるが。ジャケットを脱いで空いた椅子に掛け、ほとんど無意識にシャツの袖を肘の近くまで捲った。いろいろあったせいで心拍数が上がっていたこともあって。クラウスのみならず、全員の視線が彼の前腕に注がれた。たとえ腕とはいえ、人前で肌が晒されるのはそのくらい珍しいことだった。
「あなたは、デンマーク時代、実家に住んでいたの?」Kは生絞りのグレープフルーツジュースを太めのステンレス製のストローでかき混ぜながら訊いた。
それは細かいクラッシュアイスと一緒にシェイクされていてグラニテに近かったが、いずれにせよこんなに美味しいグレープフルーツジュースを飲んだのは初めてだった。品種なのか作り方なのか、わずかな苦みのある酸味のあとに、雑味のない爽やかな甘さがほんのかすかに残る。夏のよく晴れた日の、ひまわり畑に降り注ぐ日差しを集めて砕いたものを飲んでいるみたいに爽快だ。これをそれほど高価でなく提供しようとしている、プロデューサーとしてのクラウスに好感と尊敬の念がもてたが、それは悔しいことだった。彼を疑うに値する事実を知ってしまったあとだったせいで。
「そういう時期もあった」
クラウスはうなづく。ほんのすこし目尻に緊張が走ったのは、親子関係があまりよくなかったせいかもしれなかった。
「自分でフラットを借りていたが、当時働いていたコペンハーゲンの店が実家の近くだった。忙しすぎて移動の時間が惜しくて、自分の部屋と実家、それと友だちのところを点々としていたと言ったほうが正しいな」彼はピルスナーを瓶から直接飲んだ。「だから、おれは彼らのアメリアにたいする態度をよく知っていた。その後おれはフランスに渡ったが、たまに帰郷したときも変わりなかった。大事な妹が陰では両親から単なる数値として扱われているんだ。おれはその状況を変えたかったし、この遣りきれない気持ちをだれかと共有したかった」
「その相手が、グレイ・ウォーカーだったわけか」
ジェイミーの前には熱々のマキアートが置かれている。表面にきれいなハートが描かれているのは、からかっているわけではなく、どうやら昨夜の酒宴にたいするクラウス流の謝罪のようだった。その証拠に、彼のリクエストとは別に、冷たいグリーンスムージーがショットグラスで一緒に提供されたからだ。ジェイミーは早々にそれを流し込んだ。なにかの野菜の苦みが強い。確かにこれは、弱り切った胃がクリアになる。
「そうだけど、あいつそんな名前じゃねえよ。おれもあいつも、なんでそんな聞き間違いが起こったのかには興味があるけどな。彼はものすごく面白がってた。『まるでドラマに出てきそうな名前を与えられた』って、大笑いしてた」
「大笑い?」Kには、あの大男と大笑いという行為が脳内で結びつくまでに、時間が必要だった。
「あれはぼくが」トレヴァーはポットから紅茶を注ぎ、温めたミルクをすこしだけ加えてから、ビスコッティをちょっと浸した。この組み合わせだけでも、クラウスから離れられなくなりそうな理由になる、素晴らしいお菓子だった。
彼はしっとりとしたビスコッティを舌に乗せ、思わず感嘆の吐息をもらした。
「だろ?」クラウスが得意げに唇の端を上げる。
それはフランスの店で週替わりのジェラートに添えられるビスコッティと同じレシピで、それだけを買いに来る客もいるくらいの人気の品なのだ。
「それで、続きは、ラビットフット?」そう促すデクランの飲みものはスパークリングウォーターだ。普段店で出すわけではないが、クラウスが個人的に気に入っているフランスのサンジェロンをシャンパングラスで提供された。
口当たりがなめらかな微炭酸で、後味がやわらかく消えていく。なにを食べていても、このひとくちで次の料理をまた純粋に味わえるだろう。食欲が沸き、マドレーヌをひとつ齧った。かなり嬉しいサプライズで、なかに砕いたアーモンドとチョコレートが入っていたため、念のためもうひとつキープしておいた。
クラウスは職業柄興味があって、メンバー全員のだいたいの食の好みと、アレルギーの有無を把握していた。だが、デクラン・ナヴァレスのことはグレイ・ウォーカーが正体を見破られることを恐れて近寄りたがらなかったためあまり情報がなく、アーモンド入りチョコレートマドレーヌの受けがこんなにいいとは驚きだった。
彼は甘党。クラウスは心にメモを残した。甘党で、公平な目を持っている。だが、特に仲間の件で怒らせたら危険なのはジェイミーやKではなく、ダントツでこの男だ。揺るぎない軸が彼にはうかがえる。マンダロリアン役の俳優に似ているからというだけの理由では決してなく。たぶん。
「うん、ぼくのせいだ。エレベーターの中で配達の人がそう確認してたんだよ。それを聞き間違えたか、そもそも他人の荷物だったかのどっちかだ」
彼は当時のことを思い出そうとした。聞きなれない個人名で荷物の確認をしていた配達員は、社名と階数が書かれていないためどこに届ければいいかわからないといっていた。『七階ですか? よく聞こえなくて』と言いながら、その配達員は電波のいい場所を探して三階で一旦エレベーターを降りてしまった。完全にトレヴァーの早とちりで、きっと七階とはなんの関係もなく、ほかの企業の従業員のことだったのだろう。
「そしてそれを定着させた。あんた毎回彼のことを間違った名前で呼んでたのね」Kは呆れて首を振った。「そりゃ返事なんて返ってこないよ。正体がどうこうとかいう前に、自分のことじゃないわけだし」
「だけど否定もされてない。なんならいつも笑顔を返してくれるくらいだよ」トレヴァーが口を尖らせた。
「笑顔じゃなくて、嗤われてたんだって。けど、そのまま呼び続けてやってくれ。気に入ってるらしいから」
「本名は教えてもらえないんだね?」
クラウスは大げさに顔をしかめてみせた。「そりゃ、スパイだしな」
「しかも二重スパイね」
「そういうことだ」
「昨日、おまえをエレベーターに乗せたのは、リタじゃなくて彼だったのか」ジェイミーはカップに口をつけた。
「ああ。嘘をついて悪かった。けど、正直に言うわけにもいかなかったからな」クラウスは脚を組んで、口にチャックをする真似をした。「そんなにこだわるなよ。それにKの本名だってわからなかった。どうやって隠してんだ? 相当調べたのに全然出てこなかったぞ」
「そんなにこだわらないで」Kがきっぱりとはねつける。「こっちも詮索しないから」
スパイであり、普段は顔の傷を晒すのがいやで暗くなるまでは決してビルから出ないグレイ・ウォーカーだが、彼は今回、クラウスからの連絡を受けたのち、エントランスから外へ出て数ブロック歩いたところで到着を待ち構えていた。夕方で、会社帰りの人が多く行き交っていたにもかかわらず。実際に顔を合わせるのは初めてで心の窮地から救い出してくれた恩人でもあったため、早く会いたくてたまらなかったのだ。
通りの角のトラフィックカメラの端っこには、ふたりが生き別れたきょうだいの再会さながらに抱き合う姿が映っているはずだった。いつも被っているフードの吹き飛んだグレイ・ウォーカーのほんものの笑顔と共に。その映像は二週間キープされたのち、特に確認されることもなく上書きされる予定だ。なんとももったいないことに。
「おれは敵じゃない」クラウスは両腕を広げた。「アメリアを愛してる」
九歳の年の差があったため、アメリアの能力が完全に定着したときはすでにクラウスは思春期真っ只中だった。両親の仕事の関係でパーティに参加することも度々あり、元々の社交的な性格のおかげで友人も多く、十六歳そこそこにしては、その年頃の平均的な子どもよりも経験豊富だった。その頃から彼は、手のかかりすぎない程度に派手に立ち回り、一方で冷静に周囲の大人たちの動向を見守った。父親と継母がアメリアに固執しだしてからはなおのことうまくやった。
アメリアの能力のことは、本人がもっと幼い頃に彼女自身から聞いていた。アメリアは、パパとママには話せないと言った。小さな子どもが精いっぱいの語彙を駆使して伝えた理由は、「うそだと思われるのがこわいから」だった。クラウスは妹を抱きしめ、話ならおれがぜんぶ聞くから、両親に言いたくないなら言わなくていいと教えた。実はもうすでに両親は知っていて、それをどう利用できるか相談している段階なのだということは、当然黙っていた。
クラウスは家では、両親の仕事にも妹にも興味がない振りをして過ごしていた。ラースもミシェルもそれを信じていた。というより、彼のことなど眼中になかったのだろう。多少は見えていたのかもしれないが、アメリアほどの興味を掻き立てられる子どもではなかった。
きょうだいのうち、あまり興味をもたれない子が取る選択は大きく分けてふたつある。大人たちの気を惹こうとしてめちゃくちゃな人格になるか、心を閉ざして影のように過ごすか。アメリアの能力が開花して以来のクラウスは常に三対七の割合をキープしつつ、しかしほんとうに心を閉ざしてはいなかった。彼は両親と妹を観察し、内情を把握した。両親の前以外ではアメリアをとても可愛がり、仲良くなった。
クラウスは彼らの部下やメイドたちに、雇い主よりも好かれた。クラウスにあってラースにいまいち欠けているもの、それは他人との境界線だった。クラウスは、適度に距離を保ち、尊重し、放っておくことができる。意見が違えば気の済むまで話し合う。つまりは、気に入らないからと言って怒鳴り散らしたりはしない。父と息子は真逆の性質をしている。クラウスがラースを反面教師にした部分もあり、持って生まれた資質もある。彼の母親の影響も無視できない。離れてだいぶ経っていたとはいえ、一緒に暮らしていたとき、母子はいいチームだった。
「フランスへ渡って、経営に必要なスキルを身につけながら、おれの母親に親父のことを訊いたりもした。全部話したんだ。母は、驚いてた。ラースとミシェルは、悪い方のケミストリーだったんだろうって。ふたりがくっついて、いいふうに作用しなかった。ラースだけに限れば、おれの母と一緒だったときより悪くなった。自分の娘を、権力と金を産む金のガチョウに仕立て上げちまったから」
「あんたは、なにか不当な扱いはされなかったの」Kが訊いた。
「特になにも。彼らにとっておれはただの料理が得意なだけのゲイだ。利用価値はなかったってことだろ。そうだな、まあ……」クラウスはかすかに表情を曇らせた。「彼らはほんとうに、一緒になったら駄目な組み合わせだったんだ。ふたりを庇うわけじゃねえけど、親父は他人に冷たいところがあるが、悪人じゃなかった。ミシェルも派手好きだけど、いやなやつではなかった。それが合わさって、金と権力の亡者に変化した。どんなものにも相性ってもんがあるだろ」
クラウスは二の腕を掻きながらちらりとトレヴァーを見たように、トレヴァーは感じた。一瞬のことだったので気のせいだったかもしれない。おれたちの相性はどうなんだろうな、と問われたようにも思えた。悪くないことを願うよ、と彼はそれとなく肩を上下させた。
「なるほど、悪い方のケミストリーか。きみの母親は言葉のセンスがいいね」デクランが指を鳴らした。
「おれの母親はいいやつなんだ。ちょっと……いや、まあまあ短気で、そのせいでおれを手放すことになっちまったけど」
クラウスは、アメリアが両親からちゃんと愛されていると信じたままでいてほしいし、彼女が居たいと思う場所にいさせてやりたかった。金のために世界中を移動させるなどもってのほかだった。いまの日本支局が彼女のベストだ。デンマークでも能力を発揮できたが、親が近くにいすぎた。“heard Japan”は彼女にとってとてもいい環境のようだった。
それなのに、彼は偶然聞いてしまったのだ。利益の少ない地域にアメリアを随時移動させる計画を。デンマークを離れるときだって彼女はかなり落ち込んでいた。いまの仲間と別れることになったら、そして今後も世界中を転々とする日々が続くのだと知ってしまったら、彼女は人と絆を結ぶことをやめてしまう。彼女の良さが閉じてしまう。
クラウスは、そのとき、いつかアメリアに会社と両親のことを話すと決めた。
「おれは、“heard Japan”を独立させたいんだ。すぐにとはいかないだろうけど、徐々に進めていくつもりでいる。もちろんアメリアが日本にいるうちに。あいつはここを、かなり気に入ってるからな」
「それはまた、願ってもない」
デクランは一度ならず独立を考えたし、リタに持ちかけもした。だが自分たちには国家への繋がりがなかった。少なくとも、セーゲルストレーム家の一〇〇分の一程度の影響力しかなかった。アメリアが日本にずっといる保証があるのならまだ希望はあったが、ラースが黙認するはずはない。リタとの話もいつもそこで終わってしまっている。だが長男が味方になってくれれば、独立も夢ではない。たとえそのあと、向こうがこちらを潰そうとしてきたとしても、一度分離してしまえば戦う手段はいくらでもある。
「信じられない」Kは首を振った。「いえ、無理だとは言い切れないけど、かなりおおきな賭けだよ。これまでにわたしたちがしてきたことを考えると特に」
本家のバックアップなしにどこまで自由が許されるのか。クラウスのコネがどこまで強いものなのかは未知数だが、セーゲルストレームの名があれば、各機関へのけん制にはなる。つまりは独立してもだれも逮捕されず、いまのやり方を続けられる。もしうまくことが運べば、だが。
「すくなくとも、みんなが離れ離れになる心配はしなくてもよくなるよ」とトレヴァー。
「それか、デクラン以外は揃って職を失うか」ジェイミーが余計なことを言う。
「心配ない。きみはぼくが雇うよ」デクランがジェイミーを励ました。
「レストランにはいろんな種類の人間が食事に来る。おれは何年もかけて人脈を築いてきた。金と権力をもったやつらはウラもオモテも把握した。もっとも重要でつながっておきたかったのは、安全で信頼できる“組織系”だけだったが、そっちもいまではルートを確保できてる」
グレイ・ウォーカーの存在を知ったとき、クラウスはその人物を徹底的に調べ上げた。そして、是非とも仲間にしたいと思った。だから彼はすぐに連絡を取った。相手はそこらの悪党じゃない、熟練の捜査官だ。クラウスは最初から包み隠さず、家族のアメリアに対する執着を懸念していることを話した。そして妹への愛情を出し惜しみしなかった。
彼は説得するまでもなくクラウスの提案を承諾した。返事はむしろ喜んでいるように聞こえた。これまでどおりセーゲルストレーム家に忠実でいるふりをしつつ、“heard Japan”のメンバーに不利になりそうな事態が起こったら、ラースたちよりも先に自分に報告してほしいというお願いを、彼は快諾した。
セーゲルストレーム家から寝返ることになるけどだいじょうぶかどうかを訊いたとき、彼はこう答えた。
『上等だ。それこそがおれの得意なことだ』
「水面下で準備は進めてる。あとはこの国での人脈を確保できれば、実行は目前だ」彼は両手を広げて自分の店を示した。「もうすこしなんだ」
「自分の店を作って、ボーイフレンドをつかまえて、わたしたちのことまで助けてくれるつもりでいる」Kは改めて高い天井からぐるっと店内へと首を巡らせた。「あなた、人生を満喫しすぎ」
「それはお互い様だと思うけどな……」クラウスは含みをもって目を細め、つま先を揺らした。「おれはアメリアを不幸にしないために、できることをしたいだけだ。独立には時間が必要だけどな。それからリトルラビット、きみのことは、途中でおれの人生のプランにどうしても必要になった」
「プロポーズ? いまここでひざまづく?」デクランが慌てる。「もうすこし、床を掃除したほうがよくないかい」
「そんなことは」もっと慌てたトレヴァーが、両手を振り回しながら割り込んだ。「ぼくが阻止するから。膝ならいくらでもついてくれて構わないけど、プ、プロナントカだけは、絶対させない」
「いまはまだ、だろ?」
「黙ってなよ」
いつのまにかボーイフレンドということになってしまったようだが、提案された覚えはないし、まだキスしかしていないわけだし、街を一緒に歩いたことすらない。ふたりはまだ、どんな関係にもなりうる。たとえば、ただキスをしたことのある友だち同士とか。
「その単語もさっきのリストに入れておいてくれ」クラウスがにこにこして言った。
「なあクラウス、ラースたちはまだ、アメリアの事情を詳しくは知らないっていう認識でいいのか」人魚の女の子をガールフレンドにするという夢を抱いていたことを除けば、だれよりも現実的なジェイミーが話題を本筋へと戻す。
「いまのところ確信に至ってはいない。だけど、報告が上がってこないことを気にしてる。これまで二週間も間隔が空いたことはなかっただろ。だからおれに様子を見てこいという指令が降りたんだしな。ついに役立たずの息子の使いみちを思いついたらしい」
「彼らにとっての役立たずの息子。てことは、ぼくらにとっての救世主に違いない」
トレヴァーの目配せに、クラウスは胸を打たれるしぐさで応じた。
日本は基本的に治安がいい、という報告をして検挙率の低下を誤魔化しているリタと、奇しくも似たようなことを伝えているグレイ・ウォーカーの言葉もいつまで通用するかわからない。人間の欲望には限りがない。それは人種とは関係なく、教育で根本的に改善が効くものでもないのだ。治安のいい場所にもおかしな輩はいる。そこに人間がいる限り。突然なんの理由もなく人間から衝動がなくなることはまずないのだ。これまでコンスタントに事件があったのに、次がきゅうに起こらなくなれば、彼の右腕どころか、ラース本人が乗り込んで来てもおかしくはない。
それに、いまは狭い範囲でしかないが、スーパーパワーに影響を与えている原因である、例の騒動が報道されるのは時間の問題だ。すでにだれかがネット上に動画を上げているかもしれず、それを見たデンマーク本部の職員が、アメリアへの疑念を確信に変えるかもしれなかった。そうなれば、彼女は有無を言わさず帰国させられる。
「いまここではふたつの相反する力が動いてる」クラウスが親指と人差し指を立てて見せた。「本部とおれたち。リタを出張へやったのは間違いなくラースたちだ。で、おれはこの隙に……」彼はそこで一呼吸置き、目をぱっちりと開いた。「とりあえずの措置として、アメリアが解決できる仕事、すなわち誘拐をでっちあげようと思う」
「なんだって!?」
「冗談でしょ?」
「そんな不正が許されるわけないだろ」
「驚いたフリしてるけどな、一度でもその案が浮かばなかったやつは、おれと目を合わせてみろよ」
トレヴァーは視線を斜め下へと向け、ジェイミーも腕を組んでカップの中のくずれかけたハートを、憤りの吐息でもっと散らせた。
「ああもう」Kは両腕を広げて天井を仰いだ。
「当然だよね」デクランは両手で目を覆い、それから指のあいだから周囲の様子を窺った。「手っ取り早い救済案だ。ただし、誘拐犯はちゃんと警察に引き渡されないといけない。秘密裏に“処理”するときでも、遺体を消す場合にすべて本部への報告と、人物の照合が入るだろ。どちらも中途半端な仕上がりだと、余計怪しまれるというリスクがある」
「だけどほかに手があるか? さっさとしねえと、どっかの金持ちの間抜けが、金目当ての誘拐犯か変態のどっちかと出会っちまうぞ。その両方だった場合はもっと猶予がねえ」
たとえば政治家などが相手の誘拐事件が起こり、大々的に報道される前に助けられなかったら、“heard Japan”に本部から監査が入る。そうなってしまったとき、アメリアがこの支局から消えるのはその前だ。彼女が公に糾弾されるのを避けるために。そしてアメリアがほかの人物と入れ替わったあとで、リタが責任を負うことになる。メンバーはばらばらに移動になるか、組織から出ていくかの二択を迫られることになる。
クラウスには、そうなってしまったら二度とアメリアと会うことができなくなる予感があった。連絡を取る手段さえ失われてしまうに違いなかった。監査が入れば、裏切ったことがばれるのは必然だからだ。
「おれが彼らの納得のいく説明をできなかった場合も同じだ」クラウスは顎でケータイを示した。こちらから連絡はしていない。二、三日程度なら、自分の店が忙しかったせいで連絡ができなかったと言い訳ができるが、それ以上となると難しい。
「とにかくだれかひとりでいいから、早急に救わないと、っていう状況なわけね」Kは爪を噛んだ。ほんとうはストローが噛みたかったが、ステンレスだったので、ほかに感触よく歯を立てられるところがなかったからだ。
「早まらないでくれ、クラウス」デクランが両手をテーブルにそろえて背筋を伸ばした。「事件を起こさなくても、ぜんぶ一気に解決できるかもしれない。ひとつ、ぼくに試させてほしい」
