☕その言葉を、受け取らない自由
今日は、雲ひとつない青空だった。
春らしい、やわらかい光。
まだ少しだけ空気はひんやりしているのに、
日差しはちゃんとぽかぽかしていて、
ああ、こういう日、好きなんだよねえって思った。
こんな日は、お気に入りのパン屋さんに行って、
お気に入りのカフェでカフェラテを買って、
家でのんびり食べたくなる。
いや、最高か!
春、わりと仕事できるじゃん!
冬のあとにこれ出してくるの、
なかなかやるなって思うわ(笑)
で、パンを買って、カフェラテを持って、
本日、機嫌よし!みたいな顔をしながら帰っていたんだけど。
そういう、ちょっと心がほどけてる時って、
なんで急に人生の本質みたいなことを考え始めるんだろうね。
いや、知らんがな。
まずパン食べなさいよ。
カフェラテ冷めるよ。
って、自分でも思うんだけど。
でも、ふと思ったんだよね。
もしかしたら私は、
誰かの言葉そのもので傷ついているというより、
その言葉を自分の中で何度もくり返して、
じわじわ自分で傷を深くしてしまうことがあるのかもしれないな、って。
もちろんね、
ひどいことを言う人が悪くない、なんて話じゃないよ。
雑な言い方をされたり、
トゲのある言葉をぶつけられたり、
「え、いまの必要あった?」みたいなことを言われたら、
そりゃ普通に痛いもん。
痛いものは痛い。
「私、鋼のメンタルですけど?」
みたいな顔をしていても、
中身はしっかり木綿豆腐なんで。
いや、絹かもしれん(笑)
どっちでもいいけど、とにかくやわらかいんだ。
だから、傷つくこと自体はある。
でも問題は、そのあとなんだよね。
相手はとっくにもう忘れてるかもしれない。
なんなら晩ごはんのこと考えてるかもしれない。
こっちの傷?知らんがな、って感じかもしれない。
なのに、
こっちだけがその言葉を持ち帰って、
脳内で何回も上映会を始める。
しかも高画質。
言われた言葉だけじゃない。
相手の顔。
声のトーン。
その場の空気。
自分の心臓のざわざわ感。
ぜんぶセットでフル再生。
しかも副音声つき。(うるさいわ!)
「あの時、ああ返さなきゃよかったかな」
「やっぱり私が悪かったのかな」
「気にしすぎる私がめんどくさいのかも」
「いや、でもあれ普通にひどくない?」
「でも相手にも事情が……」
「いや、知らんがな!!」
脳内会議、開催しすぎ。
しかもこの会議、長い。
結論も出ない。
でも閉会しない。
なんなん。趣味なん?
いや、趣味ならもう少し楽しいやつにしてほしい(笑)
でも、こういうことって、あるよね。
真面目で、やさしくて、繊細な人ほど、
この脳内再放送が、ものすごく丁寧だったりする。
もう、映像監督とかになれるんじゃない?
でさ、そこ丁寧にせんでええのよ。
パンの袋を開ける手元とか、
カフェラテの泡とか、
春の光がテーブルに落ちる感じとか、
そういうところを丁寧に味わえばいいのに、
なんで自分へのダメ出しだけ、
そんな職人技みたいに細かいの?
親切すぎる。
しかも向け先が全部、自分。
優しさの方向、ガチでちょっと相談したい。
誰かに言われたひとことで傷つく。
それは仕方ないこともある。
でもそのあと、
その言葉を何日も何週間も自分の中で育て続けて、
自分の価値まで下げるところまでいく必要は、
ほんとうはないのかもしれない。
相手の雑なひとことが、
気づいたら自分の中で立派なモンスターになってることがある。
いや、育てんでいいのよ。
観葉植物だけで手いっぱいなのよ、こっちは。
心の中でまで変なもの栽培しなくていい。
水やり不要。日当たり不要。即撤去でお願いします。
最近、少しずつ思うんだよね。
私は、人の言葉にまったく傷つかない人になりたいわけじゃない。
そんなことたぶん無理だし、
無理にそうなろうとすると、
今度は、傷ついた私が弱いっていう方向で、
また自分をいじめそうだから。
そうじゃなくてさ。
傷ついたあと、
その痛みを使って自分を何回も刺し直さない人になりたいわけ。
これ、すごく大事な気がする!
あの人がひどかった。
それで私は傷ついた。
ここまでは事実。
でも、そのあとで
「ああ、やっぱり私がダメなんだ」
「もっとちゃんとしていればよかった」
「こう言われるってことは、私に価値がないのかも」
って、自分で自分に追い打ちをかける必要はない。
いやもう、追い打ち禁止!
本日の営業、終了です。
追加の自分責めは、ただいま品切れです。
売ってません。閉店です。
受け取らない、って、
なかったことにすることじゃないと思う。
「傷ついてませんけど?」って強がることでもないし、
無理にポジティブになることでもない。
ちゃんと痛かったことは認める。
「いや、あれは普通に痛いわ」って言っていい。
でもその上で、
その言葉を、これ以上、自分を責める材料にしない。
そこは、自分で決めていいんじゃないかなって思う。
あの人が投げた言葉を、
なんで私が丁寧に持ち帰って、
磨き上げて、
自分を傷つけるナイフに仕立て直さなきゃいけないの。
職人か。
そんな技術、いらん。
もっと別のことに才能使いたい。
パンをおいしく食べるとか。
春の光を浴びて「あったか〜い」ってなるとか。
カフェラテの泡を見てちょっと機嫌がよくなるとか。
そのへんに使いたい。
春の青空の日って、不思議だね。
世界が、急げ急げって言ってこない感じがする。
あたたかい飲みものを片手に持って、
お気に入りのパンをかじっているだけで、
少しだけ、自分の呼吸が戻ってくる。
そんな日に思った。
これからは、
人の言葉にまったく傷つかない人になりたいんじゃなくて、
傷ついたあとに、
自分で自分を追い込まない人になりたい。
ちゃんと痛かったことは認めながら、
でも、その痛みを何日も育て続けないように。
少しずつ、
受け取らない自由を覚えていきたい。
大きなことじゃなくていい。
今日はもう、その言葉を再放送しない。
今日はもう、その人の雑さを自分の価値に変換しない。
今日はもう、自分責めの会議を延長しない。
そのくらいの、小さなことでいい。
もしかしたら、自分を守るって、
すごく強い言葉を持つことじゃなくて。
「その言葉、今日はもう受け取りません」
って、静かに決めることなのかもしれないね☕
その言葉を受け取りすぎないことと、
ちゃんと自分の感情を感じてあげることは、
たぶんセットなんだと思う。
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