同じ月の下に選ぶ者たち 第十夜「月下宮変 唯名易義」(妄想歴史会話劇)
夜の江都宮、太極殿。
灯は少ない。
広い殿内に、冷えた静けさだけが満ちている。
玉座には、隋帝楊広。
月の光を浴びた様な黄金の龍袍を纏い、微動だにせず座している。
九段の階の下。
鎧をまとい、刀を構えた二人の男――
宇文化及と、その弟・宇文智及。
刃は抜かれ、しかし、まだ届かない距離。
沈黙。
先に口を開いたのは、皇帝だった。
帝「遅かったな……」
帝「……なんだ、右衛に将作か」
わずかに目を細める。
帝「よりにもよって、一番つまらぬ者どもが来たな」
わずかに響く声。
二人は構えを崩さない。
化「……陛下」
智「お覚悟を」
皇帝は目を細める。
帝「覚悟、か」
小さく息を吐く。
帝「それは、朕ではなく――お前たちの方だろう」
わずかな間。
兄の刃が、わずかに揺れる。
化「我らは、国のために動く」
帝「国、か」
皇帝は玉座に深く身を預ける。
帝「ならば聞くがいい。
宮中に刃を持ち込み、禁を破り、衛を怠り、主を弑す」
ゆっくりと指を折る。
帝「どれも、重い罪だ」
静かに見下ろす。
帝「その“国”は、それを許すのか」
智「……時が許します」
皇帝はわずかに笑う。
帝「時、か。便利なものだ」
間。
帝「運河も、そうだったな」
二人の視線がわずかに動く。
帝「人を使い、道を引き、水を繋いだ」
帝「民は疲れ、怨みも積もった」
わずかに声を落とす。
帝「だが、その策を進めたのは――誰だったか」
沈黙。
兄がわずかに歯を食いしばる。
化「……我らの父だ」
帝「そうだ」
即答。
帝「朕は決め、あれは進めた」
帝「責は、どちらにもある」
静かに続ける。
帝「後はーー親征もそうだな」
智「……そ、それは……」
帝「如きで揺れるな、泉下の許公に笑われるぞ」
智「しかし、あれは陛下の勅ではーー」
帝「違うな、それもあれが強く勧めた」
帝「朕は、忠臣の熱意に応えたに過ぎぬ。……そう書かれるべきだと思わぬか?」
しんと鎮まり、
化及、智及の背に冷たい汗が流れる。
化「……黙れ! 父を、我が一族をこれ以上汚すことは許さぬ」
化「き、貴様は己の欲望のために国を使い潰したのだ。
遼東で、運河で、どれほどの民が死んだと思っている」
帝「民、か。……ふん。笑わせるな」
わずかに顎を上げ、化及の瞳の奥を覗き込む。
帝「一度も戦場に立ち、土を啜ったこともない黃口の徒が、書物で覚えたような正義を吐くか」
化「なっ……」
帝「許公は泥にまみれ、血の臭いを嗅いでここまで来た。だがお前はどうだ?」
帝「宮中の温室で、口先だけの政を弄んできただけではないか」
静かに、吐き捨てるように。
帝「戦を知らぬ者が語る死など、羽毛よりも軽い。
そんな軽い言葉で、朕を裁けると思っていたのか?」
宮中を冷たい風が吹き抜ける。
灯が大きく揺らめき辺りを暗くさせる。
帝「だがな」
間。
帝「後に残るのは、片方だけだ」
智「……」
帝「便利な話だろう」
皇帝はゆっくりと二人を見据える。
帝「罪は、形を変える」
帝「残るために」
化「……我らは、残る」
帝「残る、か」
皇帝はわずかに首を傾ける。
帝「何として、だ」
答えはない。
風が殿内をかすかに撫でる。
帝「朕を斬れば、お前たちは正義になるか」
化「……必要なことをした者になる」
帝「同じことだ」
即座に返す。
帝「言葉を変えれば、顔が変わる」
皇帝はゆっくりと息を吐く。
帝「だがな」
間。
帝「その顔を決めるのは――お前たちではない」
静かに、しかし逃げ場を残さず。
帝「書く者だ」
智「……史官は、ここにおりません」
皇帝はわずかに笑う。
帝「いるさ」
一拍。
帝「いずれ現れる」
帝「そして、いなかったことも――書かれる」
沈黙。
二人の呼吸だけが、乱れる。
帝「……歴史を紡ぐ、か」
玉座の上で、皇帝は静かに言う。
帝「結局はな、為政者に都合の悪いものを――消えていく者に擦り付ける営みだ」
間。
帝「朕も、そうしてきた」
逃げずに言い切る。
帝「だから後の世も、同じだろう」
二人を見下ろす。
帝「お前たちが朕を斬れば、朕は“そう書かれる”」
帝「お前たちは“そう残る”」
わずかに声を落とす。
帝「だがな――」
間。
帝「史書とは、正確なものではない」
静かに。
帝「ただの“正式なもの”だ」
沈黙。
刃が、わずかに下がる。
皇帝は最後に、淡く笑う。
帝「……それでも、人はそれを信じる」
風が止む。
長い、長い間。
やがて、刃が動く。
月の光だけが、変わらずそこにあった。
――そして。
月の光を浴びたこの皇帝は、
後に“ただ煬帝”と呼ばれる事になる。
↓第十一夜
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 