捨て犬男とノラ猫女:Sep.1
九月の半ばを過ぎ、かろうじて秋、と呼べる陽気になった。朝晩は微かではあるが風に涼しさが認められ、エアコンの効きの悪さに苛立つ事も少なくなっていた。
賢太は珍しく二連休を貰い、初日の午前中をのんびりと過ごしていた。ベランダに布団を干し、障害物のなくなった畳の上に掃除機をかける。テレビはつけっぱなし。夕べ見たばかりのDVDを再度流している。
単館上映のインディーズ映画。内容は夕べ見たばかりだから覚えている。再び再生したのは、これから会う幼なじみの姿を確認するためだ。
――そろそろのはず……
賢太は掃除機を唸らせたまま、動きを止めて画面に見入った。ほんの一瞬、見覚えのある顔が画面の端に映り込む。
「いた……」
頬を緩めながら掃除機を止め、三十秒逆再生。該当のシーンを待ってスマートフォンで画面を撮影。その画像をメッセージアプリで送信。送信相手は、なかなか既読をつけないと仲間内では有名だ。およそ三時間後、顔を合わせるまでに既読がつくか否か、賢太はひとりで【つかない】に賭けた。
「おお! 久しぶり。久しぶり過ぎて最近会ったような気がする」
待ち合わせ場所に現われた途端、相当矛盾したの発言をしたは、水野太郎。賢太は、相変わらずだなと思いながら、画面で見たよりも老けた様子の水野と並んで歩いた。
水野がたまに行くという、二十四時間営業の居酒屋に入る。テーブルの上で浜焼きが楽しめるらしい。本当の浜焼きを知っている水野が、東京の内陸部のチェーン店に通っているという事実が、賢太にとっては少し意外だった。
時刻は午後一時。外は勿論明るい。初めの一杯が運ばれてくる。昼間に居酒屋で呑むのは初めてで、賢太は思わず他のテーブルの客に視線を飛ばした。女性同士のグループや、主婦と思われる二人組。外国人のカップルもいる。
「キョロキョロすんなよ。昼から酒呑んだって違法じゃないんだから」
「ああ、うん、初めてだから、何か変な感じ」
「晩酌って言葉があるからそういうイメージになってんだよな。昼酒って言葉もあるんだけどな。つーことで、かんぱーい」
水野は、もう待てないといった様子で生ビールをぐいぐいと喉に注ぎ込む。CMのような見事な呑みっぷり。賢太はレモンサワーをふた口呑んで、水野に問いを投げた。
「写真、見た?」
「何の?」
「さすがは既読スルー以前の問題」
「何だよそれ」
「水野のスマホは異次元にあるから電波が届かないっていう都市伝説」
「 ああ、そうそうそれな。いや、ホント見よう見ようとは思ってんだけど」
「みんなわかってるよ。一か月既読がつかなかった時はかなり焦ったけど」
「あの時はなー、ホンットに忙しくてな。いや、申し訳ない……食おう、食おう食おう。俺、まずはエビ焼きたい」
メニューを広げながら、水野は手を挙げて店員を呼ぶ。賢太は急いでメニューを見たが決められず、水野が適当に選び、人当たりの良い口調で店員に注文を告げた。水野は、とにかく明るい。しかも周りに配慮のある明るさだ。それが変わっていない事が、賢太は嬉しかった。
賢太が送った画像を確認し、水野は声を上げて笑った。自分であって自分じゃないと、何度も首を横に振る。
「あの時、電車の遅延でエキストラが間に合わなくてさ。監督が、お前出ろって。マジでって驚いてる間に撮影スタートだからねホントに。台詞がないって言っても役割はあるんだし、もう緊張なんてもんじゃない」
「キャラの役割って?」
「通行人」
「歩くだけ?」
「でも簡単じゃないんだって! カメラとか主役の俳優さんとか意識せずに、普通に、ごく普通に歩くんだから。難しいんだってホントに。もう二度とやりたくない」
「いい経験じゃん」
「まあなー……でも俺は、やっぱり撮る側がいいわ」
水野は運ばれてきたエビを焼き網に乗せ、ジョッキを口元に運ぶ。ビールは残り数センチ。賢太のレモンサワーは、まだ半分以上残っている。
「水野、今日は一日休み?」
「そう珍しくな! 明日脚本の読み合わせで、そこでもう一回スケジュール確認して、今月末から撮影に入る予定。また忙しくなるわー……ありがたいけどな」
ははっと笑い、水野はジョッキを空にした。エビをひっくり返しながら、二杯目を注文する。賢太は、しらすと海苔の入った卵焼きを噛みながら、水野の顎鬚は不精なのか、それともオシャレなのかを考えていた。
水野の顔かたちは、特別変化したわけではない。白髪が生えているわけでもないし、皺が刻まれたわけでもないのに、自分よりも年上のように見える。もみあげから顎までつながった髭のせいだろうか。幼稚園から高校まで、ずっと一緒だったが、水野と言えば、むきたてのゆで卵のように、色白でツルンとしたイメージだった。
今の水野は、しばらく髪を切りに行っていなそうな、中途半端なロン毛。目は何となく充血していて、肌も荒れているように見える。変わり果てたという表現は大げさだが、少し心配になる。
「映像関係の仕事って、ちゃんと休みもらえる?」
「ん……四か月休まずに働いて、一か月丸々休む、みたいな。まあ大げさだけど」
「みんなそんな感じ?」
「多分なあ。例えばさ、一個仕事終わって、さて休むかと思ったら急に仕事入ってって事もあるしな。俺みたいなのは断るって選択肢がないから」
「有名な監督とかもそうなのかな?」
「有名なほど忙しいだろ、どの業界だって。賢太の父さんもだし、母さんもな」
「あ、まあ、確かに……」
家族を知る人間と話すのは、久しぶりだ。水野には一人暮らしを始めた理由を話している。そもそも、一人暮らしを勧めてくれたのは水野だ。水野が専門学生時代に住んでいた街に、今、賢太が住んでいる。全く未知の土地に暮らすのは、不安が大きかったから。
水野は二杯目のビールを傾け、ふうっと長く息を吐いた。まだ顔に赤みはないが、目元はどことなく眠そうに見えた。
「一人暮らし初めて、もう半年? まだ半年? どうなのよ」
「どうって……どっちなんだろうな。考える余裕ないかも」
「考えるって……お前は考え過ぎ。俺から言わすと、お前は完璧なんだって。まあそういう風に見られるのもしんどかったんだろうけど、俺はホントにそう思ってたし」
「水野だけだよ、そんな事言うのは」
「違う違う! みんな思ってるって。親がどうこうじゃなくて、お前自身がって事な。勉強できてスポーツも人並み以上で友達もいて。大学は自分の望み通りってわけじゃなかったけど現役合格で、ちゃんと卒業もした。劣等感抱く要素ってどこにあんのってみんな思ってる。まあ俺は色々聞いたから、ああそうかって」
周囲の人間は、賢太を優秀と表現してくれる。しかし賢太にとって、そんな言葉は必要ない。重要なのは自分という存在の意義。ほんの僅かでも自身の在り方に価値を見出せれば、顔を上げて進めるかもしれない。
賢太は息を吐き、じっと見据えてくる水野から目を逸らすように下を向き、口を開いた。
