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捨て犬男とノラ猫女:Sep.2

「よくわかんないんだ。やりたいことはあって、でもなりたいものかって聞かれたら確信が持てない。自分を引き留めてしまうっていうか、なれるものを目指したほうがいいんなじゃないかって足が止まるっていうか……そういうの、ない?」
「そりゃ少しはあるよ俺も。例えばさ、編集作業してる時に、もっと別の画も撮っとけば良かったとか仕上がり見てやっぱ違うなとかさ。直せるところなら直すし、どうしようもない部分は諦める。あ、いや違うな。次に生かす!」
「そういう前向きさが欲しい」
「欲しきゃそうするしかないんだって」
「そうするって?」
「欲しいって意思表示だよ。自分で手に入れにいかないと。あのな、マイナスイメージばっかり持ってるとホントにそうなるんだから。俺も専門出たばっかの時はさ、何でこんな小さい会社に入ったんだって何回も思ったよ。大きい撮影依頼が来るわけでもないし、ローカルCMとか企業のPR広告とか、そんなのばっかり。でもうちの社長はさ、いつか絶対映画やるんだって言い続けてたんだよ。俺が入る前からずっと、何年も何年も。そしたらさ、あの映画の企画が通ったんだよ。信じて続けてたからできたんだよ。やりたきゃやるって、ずっと思ってないとできないんだって。俺はさ、賢太はできると思うよ。何がしたいのか、何をやりたいのかは何となくでもわかってんだよな?」
「……まあ、一応」
「充分じゃん。じゃああとは、どうすればいいかってだけなんだからさ」
「それなんだよ。どうすればいいのかがさ」
「言葉にしてみろよ。賢太は何がしたいんだよ」
「……描きたい」
「知ってるよ。で、何を?」
「……建物とか人」
「どういう?」
「……この世界にはないような……ファンタジー系の、って知ってて言わせるなよ」
「口にするのが大事なんだって。ほら変わってないじゃん。一途じゃんか、お前は。無理に建築に行かなくたって良かったんだよ」
「ファンタジー系の建物じゃ仕事にならない。食っていけないよ」
「食ってる人はたくさんいるだろ。今はフリーランスでイラストの仕事しているって割と耳にするよ。いきなりは難しくても、バイトしながら描けばいいじゃんか。まずは描けよ」
「わかってる。まずはやらなきゃって。でも、それでいいのかって。それじゃないことに挑戦しなくていいのかって」
「いいんだよ、それじゃないことなんてそれがダメだった時に考えろ。自分のやるべきことを紙に書いて貼っとけよ。塾でよく言われたの忘れた? 自分の決意を目にしろってムカつくくらい何回も何回も言われたじゃん」
「ああ……ああ、うん、言われた。あの、何だっけ、名前忘れたけど言われた」
「そうそうアイツ。俺も名前忘れたけど」

塾の帰りに、ウザいなアイツ、と水野が言って、講師の仕草や口調を真似たのを思い出した。笑いが込み上げた。水野もそれを思い出したのか、少し赤らんだ顔で笑っている。

「確かさ、あの日俺と賢太で海に行ったよな?」
「行った! うおーーとか言いながら、意味なく走りまくった気がする」
「そうそう! あの時、賢太、足はえーーーって思った。砂浜なのに、すげえ速いんだもん。犬かよって」
「犬、犬か……いいな、犬になりたい」
「おい目標を変えるな」

水野は一瞬真顔になり、すぐにまた笑顔に戻った。

みっともなさの核心部分を曝け出せる相手は貴重だ。本当にありがたい。水野自身も苦労があるはずなのに。誰かの葛藤なんて放っておいても良いはずなのに。

「水野」
「何だよ? ありがとうとか言うなよ。めんどくさいから」
「言わないよ」
「じゃあ何だよ」
「身体に気を付けろよ」
「オカンかっ!」
「いやマジで。ああ、何か腹減って来た。エビ追加。あと、ハマグリも」
「おっ、いいねえ。今度実家帰ったら、ガチの浜焼きな」
「半年前には連絡いれるようにする。海も行こう」
「おう、絶対行く。ちゃんとスマホ見るから」

言って、水野は笑った。賢太は、いつ実現するのかわからない約束を楽しみだと思った。あの砂浜を、また一緒に走りたいと思った。水野が言ってくれたように、絶対にそうすると思い続けようと決めた。

店を出て繁華街をぶらついた後、それぞれ別の電車に乗った。店にいる間は気にならなかったが、電車に乗ると、自分から漂う煙の匂いが鼻についた。しかし嫌ではなく、楽しい時間が甦るようで、顔が緩む。賢太はニヤつかないように気を付けながら、電車に揺られた。

最寄り駅に到着し、見慣れた景色の中を歩く。心は随分と軽くなった気がした。水野の明るさのおかげ。重い話をしたはずなのに、水野は一度も顔を曇らせなかった。昔からそうだが、日陰にいても、水野には日光が注いでいるのではないかというくらい【陽】の気に満ちている。賢太はスピリチュアルな方面に詳しいわけではないが、本当に陰と陽があるのなら、水野は確実に陽の人間だ。そんな存在が身近にいるのは奇跡なのかもしれない。

――大げさか……いや、マジでそうだよ

自分自身は、どう考えても陰の人間だ。水野は完璧だと言ってくれたが、完璧な人間というのは存在しない。しかし完璧に近い人間がいるのだとしたら、それは他者に希望を与えられる生き方をしている者ではないだろうか。ならば、水野こそ完璧に近いと言える。

水野は真っすぐだ。夢に対して真っすぐに向かって行って、手に入れた。そしてまた、新しい夢を描いている。

別れ際水野は、あの頃を思い出すような青春映画を創りたいと言っていた。意味もなく砂浜を走りまくっていた、あの頃だ。あれが青春だったのか賢太にはまだわからない。しかし水野が新しい夢を現実にした時、それがわかるのかもしれない。本当に楽しみだ。

部屋に到着しても、空はまだ夜と呼ぶには明る過ぎる状態だった。DVDプレイヤーに入れっぱなしのディスクを取り出し、ケースにしまう。

湯を落とす間、すっかり椅子代わりとなった脚立に腰を下ろし、メッセージアプリを開く。水野に送った画像の横に既読の文字があった。賢太は安堵を覚えた。身体に気を付けてと言ったのは、ツッコみをもらうためでも、からかったわけでもない。本当に水野とまた会いたいからだ。今日は随分と笑った。一か月分くらい、まとめて笑った気がする。

――一日を、笑って終えられたら

美弥子の言葉を思い出す。今日のような日は稀だ。一年に一度あれば良いほう。一日にせめて一度、嘘偽りなく笑うにはどうしたら良いのだろう。

落ちる湯の音を耳に流し入れながら、賢太は考えた。バイト先で誰かに見せる笑顔は、ほとんどが偽りだ。自分ひとりで笑顔を発生させるのは難しい。バラエティー番組を見たり、コメディ映画を見たり、それでも勿論笑顔は生まれるだろうが、美弥子の言っているのは、そういう類のものとは違う気がする。では何か。自分なら、どんな笑顔を本物と認定できるのか。長く思考を巡らせるまでもなく、答えは導かれた。

美弥子だ。美弥子と話が出来れば良い。目の前にいなくても、声を聞けるだけでも、否、メッセージをやりとりするだけでも笑顔が生まれるのではないだろうか。しかしそれは、二人の関係をどう変えるのだろう。望んでいるのは自分だけではないか。美弥子の気持ちは、わからない。

――でも……これは、どう説明する?

自分が尻を乗せている物。背の低い脚立。美弥子がこれを買ってきたのは五月。確認する必要はなくなったと言っていたのは四月。必要ないはずのものを、わざわざ買って持ってきた。その後も、大切な物を確認する様子など微塵も見せない。

――じゃあ、何で

美弥子がここにくる理由は何なのだろう。単純に会いにきていると考えるのは、都合が良すぎるだろうか。

賢太は心臓の加速を誤魔化すように勢いよく立ち上がり、風呂場の水道を止めた。顔が熱いと感じるのは、風呂場の熱気のせいだけではない。

――落ち着け……今はそんな場合じゃないし

言い聞かせながらも、美弥子の姿を思い描く。会いたいと思う。声が聞きたいと思う。

これはマイナスではない。誰かに想いを寄せるのは、基本的にはプラスの思考のはずだ。マイナスイメージを持つなと水野も言っていた。前向きに、自分が得た感触を、前向きに捉えよう。

本当に小さな希望だと賢太は思った。しかしゼロでないのなら、前に進もうと決めた。次に会ったら、美弥子に連絡先を聞こう。その先を考えるのは、それからでいい。


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