見出し画像

捨て犬男とノラ猫女:Aug.2

八月の終わり。早番終わりで外に出ると、駅から多摩川に向かう道は酷く混雑していた。地域イベントで「手持ち花火大会」が開催されるとか。街コンのたぐいらしい。

コンビニには浴衣姿の女達がトイレを借りに列を作っている。賢太は思わず美弥子の姿を探してしまい、失笑。美弥子が言っていたのは、打ち上げるほうの花火大会。俯き加減で人波に紛れて歩く。

多摩川へ続く道で、イベントスタッフがチラシを配っていた。どうも想定より人の集まりが悪いようだ。なんとなくチラシを受け取り、軽く目を通す。フードワゴンが集まるとのこと。急に空腹を覚え、河川敷へ向かう。

河川敷はすでに活気づいていた。フードワゴンから漏れ出す香りに賢太の胃が反応する。同時に喉の渇きを覚えた。

比較的空いているフードワゴンでドリンクを買い、何を食べようかとうろつく。街コンだからか、カップルではなく同性の友人同士といったかたまりがほうぼうに。

手持ち花火エリアが賑やかになり始めた。さほど珍しくもないはずなのに、みんな楽しそうに歓声をあげる。スマートフォンを向ける者も少なくなかった。

花火は次々に誰かの手元を彩る。煙は風に流され川上へ。微かな火薬の匂い。観客の熱気。賢太は素直に楽しいと感じていた。美弥子と一緒に参加したかった。本気でそう思った。

フードワゴンで買った薬膳カレーを食べながら光景を眺め続け、しばらく時が経った頃。そろそろ終わりかな、という声が耳に入り、賢太は人波をすり抜けアパートに向かった。急に走りたくなった。なんだか胸が急いていた。

――俺が話せていたら、ちゃんと話していたら

あの場所に美弥子と一緒にいられたかもしれない。なんでできなかったのだろう。なんで突き放したのだろう。あの時の自分をぶん殴りたい。走ったからって時を遡れるわけではないのに、あの時の自分に会えるわけではないのに。

住宅街を駆け抜ける。アパートが目に入った頃、賢太の息はすっかり上がっていた。それでも足を緩めずに外階段を駆け上がる。


息切れ
苦しい
鼓動を整えたいのに整えられない
ドアの前
しゃがみこんだ美弥子


声をかけたいのに、言葉が出てこない。赤いスリップオンが近づいてくる。

「おかえり……これ」

美弥子の手には、手持ち花火大会のチラシ。

「これ、一緒に行けたらいいなって思って急にきちゃった」
「……ごめん……さっきまで、そこにいた」
「え? なんだ、じゃあ行けば良かった。賢太君、こういうのひとりでいかなそうなのに。って私の思い込みだった……今年から始まったみたいだね、このイベント」
「俺もバイトの帰りにそのチラシもらって、なんとなく」
「そっか。ねえ、これ」

美弥子は手に下げたビニール袋から缶チューハイを取り出した。

「もうぬるくなっちゃったけど」
「いいよ、ちょうど喉乾いてる。一緒に飲もう」

二人でベランダへ。美弥子が持ってきてくれた缶チューハイで乾杯。空を見上げる。勿論、大輪の花火はない。微かに火薬の匂いがしている。

足元にお気をつけてお帰り下さいというアナウンスが、河川敷から届く。賢太はまだ空を見上げていた。美弥子も空を見上げていた。微笑んでいるような横顔に、賢太は静かに声をかけた。

「あ、えっと……この前は、ごめん。本当に、ごめん」

美弥子は首を横に振って、賢太と目を合わせる。

「私も、ごめんね……無理矢理話に付き合わせようなんて酷かった……ごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ怒鳴ったりして申し訳なかったって……時間経っちゃったけど、ちゃんと言えて良かった、です」
「です、って……あの日ね、職場でヤな事があってさ。ケンタくんと話して楽しく過ごして、笑って一日を終わらせたいって思ったんだ」
「俺の話聞いてたら嫌な気持ちで終わったと思うよ」
「何て言うか、もうただの愚痴になってたと思う」
「私の話だってそうだよ。でもさ、愚痴聞くの嫌じゃないんだよね。変な言い方かもしれないけど、私だけじゃないんだーって勇気が湧くって言うかさ」
「俺も! あ、いや、不謹慎なのかなって思うけど、この前も同僚の愚痴聞いて、ああ、俺だけじゃないんだなーって」
「その話、聞きたい!」

賢太は森川の件を皮切りに、バイト先の人間関係について話した。クレームの話題から入ったはずなのに、すっかり気分は軽くなっていた。

美弥子は聞き出し上手なのだと賢太は感じた。頷いている様も、笑う姿も、全てが温かい。マイナスを吐き捨ててプラスの気を貰った。そんな気持ちになった。

小柳が言っていた天使というのは、美弥子だ。美弥子がここにいる限り、森川は天使に会えない。くだらないと思いつつ、賢太は心地のよい優越感に心を浮き立たせた。

駅までの道を、美弥子と並んで歩く。河川敷から駅に向かう波は途切れず、道はいつもより狭く感じた。

「早く涼しくなるといいね」

そう言った美弥子に視線を振る。いつもより、近くにいるように感じた。

駅前ロータリーに差し掛かった時、秋には近くの植物園で秋のバラが満開になるから見に行こうと、美弥子が言った。断る理由はない。賢太は初めての具体的な約束を、素直に嬉しいと思った。

またねと言って、美弥子は改札の向こうへ。浴衣姿の人波が、美弥子を飲み込む。美弥子は振り返り、飛び跳ねながら手を振って消えた。

――さっきのまたねは、確実な、またねだよな

賢太はすぐに、植物園のイベントについて検索。美弥子がいっているイベントは、十月のものだった。およそ一か月半先。

何だよと思ったが、それより先に花火大会がある。美弥子はまたくるかもしれないし、こなくても一か月半先には必ず会える。メッセージアプリのIDを聞けば良かったと思いつつ、聞かないほうが楽しいかもしれないと思い直す。今日のように、会いたいと強く願った日に、会えるかもしれない。

帰り道、賢太はコンビニに立ち寄った。トイレの順番待ちをする女達を避け、雑誌コーナーへ。二十代男性向けのファッション雑誌を手に取る。誰かと出かけるための服をワクワクしながら選ぶのは初めて。リーズナブルな商品が多く載った一冊に決め、顔を上げる。正面のガラスに映った自分と目が合った。顔の表情が緩んでいる。思わず噴き出す。そんな顔の自分を見るのは久しぶりだった。自分はまだこんな表情を浮かべられるのだと、賢太は嬉しく思った。


いいなと思ったら応援しよう!