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短編小説|4F

【前回までのあらすじ】
パソコン音楽家の冷沢ひやさわは、三年間曲を書けていない。
そんなとき、三年前まで暮らしていたマンションの10階の部屋に、『drum set』を残置している事を思い出した。
その音を聴く事ができたら、また曲が書ける気がした彼はマンションの中へ入った。しかしそこは不条理が支配する世界だった。
冷沢は上階へ上がりながら、小学校時代の友達から赤いランドセルを、妻からはポプリをそれぞれもらい、エレベータに乗った。

講師室のエレベータは3階〜4階間しか行き来できなかった。10階まで一気に行けるものだと思っていた冷沢ひやさわは、若干気落ちした。
滑らかにエレベータの扉が開くと、薄暗い廊下が遥か向こうまで一直線に続いていた。
駅のホームでよく聞くような短いメロディが廊下を満たしている。冷沢の作だ。この曲は北海道の「平和駅」でかかっていると聞いた事がある。だが今は呪詛にしか聴こえなかった。
ドップラー効果のように、半音上がったり下がったりを繰り返している。もうやめてほしいと思った瞬間に音は止まった。

廊下にはドアが無数にある。そして壁には掲示物が貼り付けられている。例えば、各種サークルの案内、休講のお知らせ、補助金制度の説明などである。
ここは大学の構内で、各研究室前の廊下なのだろうと思った。
冷沢は大学に苦い思い出しかなかった。本当は音楽大学に行きたかったのだが、教育系の音楽教師養成学科にしか合格できず、渋々通ったのである。そんな経緯があるため、これから起こることは恐らくあまり良い事ではないのだろうと予測した。
この廊下を真っ直ぐ行っても終わりがない。しかし、どこかのドアを開けて研究室に入るのも気が重かった。だから仕方なく真っ直ぐ歩いている。
廊下の果ての一点透視図法の中心点から、一気に誰かが近づいてくる。背が高く丸メガネを掛けた、愛嬌のある表情。
冷沢は「ヨウスケさんだ」と思った。彼は一学年上の先輩で、慕っていた人物だった。
ヨウスケは一年留年してしまったが、一念発起して高校教師になったはずだ。
「おー。スサム!」
「こんにちは」
「部室かい?」
「そうですね。そうします。部室に行きましょう」
「はっはっは。何それ。じゃあ今から一緒に行く?」
「はい」
ヨウスケは一点透視図法の中心点を、スマホのピンチアウトのように二本の指で何度も拡げた。すると部室のドアが少しずつ現れ、全部出た所でダブルクリックした。

部室の中はタバコの臭いで充満していた。思わず冷沢はポプリを鼻に押し付けた。妻を連想して心が落ち着いた。
中を見回すと、灰皿、キーボード、二人掛け合皮ソファ、二畳くらいのラグカーペット、譜面台、ギタースタンド、タンバリンなどが置かれている。drum setはない。
「ヨウスケさん。drum setはどこに行ったのですか?」
ヨウスケはニヤリとした笑みを浮かべ、「スサム。それを探すのがスサムの課題なんでしょ?  ダメだよそれを俺に聞いちゃ」
「そうですね」
冷沢はヨウスケに甘える所があった。
「まあそんなに改まらないでよ。drum setがないなら、タンバリンでもいいよ。合わせるよ」
ヨウスケはキーボードの電源をonにして、トランペットの音程を取っている。
「いいよ。スサムカウント取って」
「1、2、3、4」
トランペットとタンバリンの奇妙なアンサンブル。冷沢はヨウスケに合わせてリズムを取った。しかし、ヨウスケのトランペットはリズムもメロディも優等生そのもので、光るものはなかった。
当時の冷沢は、ヨウスケに盲目的に付いていくだけだったので、そこまでは気にしていなかった。彼の人柄が音楽の才能を上回っていたとも言えた。
今の冷沢の知識や技能であれば、大学生など軽くリードできることに気が付いた。タンバリンをメロディの様に叩いた。ヨウスケはトランペットの音量を少し下げ、サポートに回る。その瞬間、曲はタンバリンのそれになった。冷沢は「ヨウスケさんは勘が鋭かったな」と思った。
大学の四年間はつまらなかった。
思い出すのはこの部室で音作りしたり、音合わせした事ばかりだ。思い出が短い画面を連続させて進んでいく。
今こうしてリズムを取っているタンバリンでさえ、突き詰めれば色んな奏法や表現がある。
冷沢は正直大学の四年間、手を抜いていた。
「もう少しだけ」を毎日やるべきだった。
今、「もう少しだけ」が丁度四年分足りない。
あの時、もう少しだけdrum setに座れば良かったのだ。
「スサム。大学が面白いかどうかはスサム次第だと思うよ。別に今からでも良いんじゃない?drum setを探すのは正解だと思うよ。
まあ不正解なんてないけどさ」
「そうですね」
「スサム。写真見る?」
当時のメンバーが狭い廊下で楽しそうに写真に収まっている。冷沢は、この写真の中の自分の笑顔を見て、大学は楽しかったことを思い出した。
毎夜毎夜、ヨウスケの下宿でホットプレートを囲み、遅くまで酒を飲んだ。
くだらない話をした。
本当に楽しかった。
「写真持ってくか?」
「そうですね」
「そこの窓を出たら、ベランダになってるよ。外には非常ハシゴがぶら下がってる。まあ無理するなよ」
「無理はしないです。ずっとそうして来ました」   
でも、手を抜いた時期があった事を思い出しました。

5Fにつづく

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