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将棋を通して父を知る

実家に帰った時に
父と将棋を指した

小学生の時分
ボロッボロに負けた記憶がある
飛車角落ち(飛車と角をハンデとして抜いてもらう事)
でだ
それから父とは将棋をしなくなった
トラウマかな

父は将棋も強い

そんなわたしも
やっと手こずらせるくらいには
強くなった
はずだった

「今の将棋(勝負)は面白かったな」

また負けたけれど
そんな風に思ってくれたらしい
わたしも、同じように思っていた


一局が終わると
父が、場面場面での解説をしてくれる
子供の頃は何を言ってるのかサッパリ
分からなかったが、今聞くと理解出来る

それでも、難しい場面では
頭が追いつかない
どれだけ先を読んでいるのか
もはや、見ているのは駒ではない
わたしを観ているのだ
と感じた

そして、駒の一つ一つを
大事にしている
言葉を換えれば尊重しているのだ

歩だから取られてもいいやと
歩を他の駒と比べて見ているわたしには
踏み入れない領域がある
と感じた

もう一局だ

将棋を指しているはずなのだ
駒を持ち、盤上で戦っている
けれども
そこにあるのは戦いではなく、対話なのだ
二人共黙っているのに
盤上で、駒で
わたしと父は話している
相手はどうしたいのか
相手は何をしたいのか

何を大事にしているのか

何を大切に想っているのか

ああ、父はこんなところまで大事にしているのだ
なぜか泣きそうになる
優しいのは知ってた
けれども
この人の愛はこんなに大きいのか
子供の頃は包まれていて気づけなかった

将棋を通して
言葉には表せないが
色んな事が伝わってくる

完敗だ
マグレで1勝しても
分かる実力差

将棋の強さではない…
心の強さだと思う
(いや、それが将棋の強さか)

全ての駒を大事に扱い
全ての駒を味方につけている

おおげさか
わたしにはそう感じた

戦術・戦略のその前に
一駒一駒が役に立とうとしている
役に立って喜ばせようとしている

一つの部隊として練兵されている

おおげさか
おおげさだな

わたしは素人だ
将棋が好きな方には
それが当たり前なのかもしれない

勝負の話は以前にも書いた事があるが
1人では出来ない

そこにあるのは
当たり前でなく
有り難い事なのだと思う

父は嬉しそうだった

わたしが将棋を指さなくなったのを
気にしていたのかも知れない

わかる
わかるよ

わたしも気にしてたから

感謝の場には
喜びが生まれ
嬉しさが溢れる

良い言葉だ

感謝の中に居たい
久しぶりに言った気がする

そして、居れている事に感謝したい

そんな事を感じた

最後まで読んで頂きありがとうございます


すごくかわいいイラストに惹かれました
わたしの硬い文面をやわらかくしてくれます
椿-TSUBAKI-様、ありがとうございます




歩をとられまい
だと
その想いが理解出来なかったわたしに
勝てる道理はない
わたしもいつか、そんな風に
将棋を指せるようになりたい


勝負の話は
こちらです

冒頭文に
頭がグサリと来そう、と見えますが
わたしの独特の書き方のせいです

続けて読んで頂けたら嬉しいです

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