【心の闇】挨拶に意味を求めてた
ナマステー
ご存知の通りインドのこんにちはだ
日本語に直すと
ナマス(尊重する)テー(あなたを)
となる
あなたという存在を認めている
とても好きな言葉だ
心は、外を向いている
こんにちはも、そうだ
今日は体調や心境はいかがですか
と、相手へのねぎらいや気遣いの
気持ちが込められている
想っているだけでも
善い事ではあると思うが
相手に伝えるには手段が必要だ
それは言葉だったり動作(会釈)だったりする
わたしにはテレパシー能力がないからだ
ちなみに
わたしは挨拶運動を推進しているわけではない
挨拶とはわたしにとって何か、を書きたいのだ
自分が満たされると
心は外を向く
色んな存在を認識する
それは人だけでなく木や動物や物など
何もない世界で生きたいだろうか
何もない世界では生きられない
ただそこに存在している事に
感謝する
考えずに、感じていれば
存在しているだけで嬉しいと感じ
あなたを尊重する
という気持ちが湧く
相手を尊重出来るという事は
自分の事も尊重出来る
だからあなたを尊重する事が出来る
のではないかという
いつものわたしの中の論理
どんぐり理論だ
この自分と相手との連続する関係性で
メビウスの輪を思い浮かべるのは
わたしだけだろうか
わたしは子供の頃、挨拶が好きではなかった
毎日毎日繰り返すこの習慣
なんの意味があるのか
面倒くさい
この4行に、自分以外の事を考えている
瞬間があるだろうか
心が自分の事だけ
つまり内にしか向いていないのが
お分かりだろう
今ではナマステはあまり使われないそうだが
わたしのインドのイメージは
笑顔で、すれ違う人にナマステーと
声を交わし合う
そんな光景を想像する
文字通り光の景色だ
わたしが
自分の事を考えている時
何かあったの?暗いね
と言われた事がある
暗く見えるのは、偶然か?
自分以外を考えている時
わたしは色んな外の存在を認識して
顔は緩み、楽しそうにしている
良い事あったの?明るいね
と言われる
明るく見えるのは、偶然か?
光明に照らされるという言葉があるが
わたしは無明の中にいた
無明とは、明かりが無い
つまり、迷いの中にいたのだ
苦しみや迷いの闇に囚われて
自分以外(心が外)を見れなかった
挨拶をしたい
という気持ちには
なれなかったのだろう
挨拶をする事で、一時的にでも心は
外を向く
けれども心は闇の中だ
その時のわたしの挨拶は
音声を相手の耳に届けているだけだったと思う
心が相手を認識して挨拶(伝達手段)をする
挨拶された側が嬉しく感じるのは
言葉を通して
心(想い)を受け取るからだろう
お互いの心を何かを通して繋がる
その時、通じ合うという感覚に
なれるのではないだろうか
話が逸れそうだ
戻そう
わたしが思うには
自分から外を見れるようになるのは
自分が満たされた時だ
わたしの中でインドのイメージが
明るい景色なのは
楽しそうに感じるのは
満たされた人々をイメージするからだろう
それはわたしにとって光の世界のようだ
わたしは闇の中にいたいのか
光の中にいたいのか
また、別の記事に書いている途中だが
興味があれば、また読んで頂けたら嬉しい
この記事をここまで読んで頂いた事に
感謝したい
ナマステ
最後まで読んで頂きありがとうございます
光と闇
善と悪
正解など分かることはないと思うが
自分がどう生きたいかの
後押しはしてくれる
その時その時の考えを
文字に残し伝えてくれる
先を生きて来られた方々に深く感謝し
わたしもまた
今の想いを書き綴りたい
自由に書いていいと
言ってくれるnoteに感謝して
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