わたしにとっての幸せとは
こんにちは
あなたは幸せですか
お昼ご飯を食べに行く途中
歩いていたわたしは
女性2人組に声をかけられる
女性の顔を見る、笑顔で
「幸せです」と答えたわたしに
女性は少しの動揺をみせた
「すみません急いでいるので」
と大事な用事があるかのように去ったが
わたしはお腹が減っていただけだ
それにしても
まわりから見たわたしは、幸せそうに見えない
のかもしれない
よくある何かの勧誘だったのだろうか
持っていた冊子には見覚えがある
ただ、それがどうというわけでもない
幸せですかという問いで切り出すという事は
人は幸せに悩んでいるという前提なのだろう
頷けるだけに、わたしは話を聞く必要が無かった
人は幸せを求める
わたしは求めていない
なぜなら幸せだからだ
幸せなのに幸せを求めるのは違和感がある
幸せになりたいと言う人がいたら、少なくとも
今この瞬間、幸せではないという事だと思う
ただの言葉遊びだ
では幸せとは何なのだろうか
あくまでわたしの幸せである
そして、またこの先変わる可能性もある
わたしはその時そう思った
ただそれだけの話だ
それでは聞いてください
どんぐりこくぞうで
幸せ
幸せの定義は人それぞれだ
美味しいものを食べれてて幸せ
家族と一緒に過ごせてて幸せ
お金が使い切れないほどあって幸せ
わたしはお金は持っていない
どれも幸せそうだ
幸せそうに見られることが幸せ
という事もあるだろう
人には十人十色の幸せがある
とても素敵だ
わたしも色々な幸せを味わうことが出来た
ありがたい事だ
しかし、そのどれもが続く事を保証された
ものではない
いつかは、終わりが来る
その事に気づいた時、わたしは虚無感に
襲われた
今あるものが無くなるかもしれない恐さ
それは、持っていて幸せだと感じれば感じるほど
無くす恐さが増えていく
それならば、そんなに辛い思いをするのなら
持っていないほうがいいのではと
考えてしまう
だから
だましだまし、生きてきた
わたしにはそんな出来事は訪れないと
望んでない事なんて訪れない
わたしは大丈夫だと
しかし、幸せを感じるほど
その恐さは増していくようだった
宝くじで1等が当たれば、とてつもなく喜ぶが
手に入れると、無くす事がとてつもなく恐くなる
らしい、それに似ていると思う
無くしたくないものは人それぞれだろうが
それが大切であればあるほど恐くはなるだろう
仕方のない事だ
一体どうすればこの状態から抜け出せるのだろう
悩んだ
そして
わたしは色んな事を学んだ
人生とはそのようなものだ
わたしは過去の記事において
世の中の事は変わって行くという事を
何度か書いた事がある
変わらないものなど無い
変わっていくから、わたしという存在も
生まれてくる事が出来た
変わらない事に抗うことは出来ないのだ
よく、このまま時が止まればいいのにと聞くが
ずっとその瞬間の幸せを噛み締めていたい
感じ続けていたい
このままでいたい
痛いほどよく分かる
しかしそれは、変わっていくという事を知っている
事も含めての、幸せだ
いつかは終わる
だからこそ、その瞬間が素晴らしく
そして、無くならないで欲しいと強く願うのだろう
喜びもあれば苦しみもある
喜びがあるから苦しみがある
凄く喜べるのは、凄く苦しんだからだ
逆にとても苦しめば、とても喜べるだろう
同じか
まあいい
しかし、結局最後には何も残らない
わたしが残してきたものも
残していくものも
最後には消えてしまう
作ったものも、まわりからの評価も
このnoteだってそうだ
50年も残るだろうか、100年も残るだろうか
何百年残れば、わたしは満足するのだろうか
わたしの事を覚えてくれている人は100年後も生きているだろうか
わたしの事を話してくれる人は150年後もいるのだろうか
わたしが生まれて来たことには意味などなかったのかもしれない
そんなふうに思えた
楽しみも、喜びも
幸せだって
続くわけではない
では、わたしは
どこに向かって歩けばいいのだろう
何処に向かって生きていけば
いいのだろう
何をしても、楽しいと思えない
虚しい…
…
本当にそうか
本当にそうなのだろうか
人生とはそんなに
意味の無い事なのだろうか
わたしは思った、そんなに意味が無い事ならば
欲に任せて生きたほうが良いのではないか
だがおかしい、それならばもう人間は絶滅している
そもそも欲に任せて生きることが正しい事ならば
人間が増えていく意味はあるのだろうか
ご先祖様達は自分達が苦しくても、死ぬ目に合いながらもずっと命を繋いできてくれた
死にたくない、というのは根源的な欲求だろう
もしも人間という個体が欲に任せて生きていくのが
正解なら、辻褄が合わない
ご先祖様は喜んだのかもしれない
この世に生まれた事を、そして
人間として生きる喜びを、繋げたかったのでは
ないだろうか、とわたしは思いたい
そうだ、人間とはこの世に生まれて喜ぶのだ
赤ちゃんや子供の顔を見ると
わたしはそう感じる
なので、この世が苦しむ為の世界だったり
生まれて来たことは罰のようなものだとは
わたしにはどうしても思えなかった
いや、思いたくなかったの方が近いかもしれない
欲(煩悩)というのは、過去記事でも書いたが
我である、人生が自分の思う通りに
進んでいくのならば何の不満が出るだろうか
自分の思う通りにいかないから苦しいのだ
自分の思う通りにいかないから嫌だ、というのが
欲であり我なのだ
だから、苦しいのは欲があるからで
人間は欲(煩悩)で出来ているのだから
エンドレスリピートで苦しむ事になる
解った
つまり
我を無くせば苦しむ事はないのだ
言い換えれば欲を無くす
それは、人間ではなくなるという事だ
それが成仏
仏に成るという事なのだろう
わたしは目指した
(出家したわけではない)
仏に成れば良いのだ
苦しみから逃れられるのなら
目指す以外に道はない
どうにかして
この苦しみから逃れたい
いつも言うが
だからわたしは浅はかなのだ
苦しみから逃れたい
苦しみたくない
苦しいのはイヤだ
もう楽になりたいよお父さんお母さん
欲(煩悩)の塊ではないか
まるで孫悟空だ
ド○ゴンボールの方ではない
わたしはお釈迦様の手の上で転げ回っていたのか
そうか、受け入れるしかないのだ
受け入れたくないから
わたしは苦しかったのだ
その時、わたしの目から
涙があふれた
今
この瞬間
わたしに一切の苦しみはない
全てを受け入れる事が
今ならできる
目の前の景色が、変わった
先程までと見てるものは同じ景色なのに
そこには喜びしかない
一瞬一瞬が尊く
そして
一つ一つが尊い
見える世界全てに感謝が溢れる
それを幸せ以外に何と呼べるのだろう
それを感じられるのは
それまで、があったからだ
過去の全てにも感謝した
その喜びが固定され続けるわけではないが
感謝をすれば、思い出す
それで充分だと、わたしは思う
それはやはり、人間として生きていれば
また煩悩が、我が、出てきて苦しむかもしれない
自分で自分を苦しめるかもしれない
それが人間だ、そしてそれが私だと思う
それでも、わたしにとっての幸せは分かった
苦しみがない
それが
幸せという事だ
最後まで読んで頂きありがとうございます
表現上の為、少し宗教感や断定した表現があると思います、不快に感じられた方へ
ここでお詫び申し上げます
読み物として楽しんで頂けましたら幸いです
人間として生きるのは苦しいものであり
だからこそ楽しいのではないだろうか
人から見たわたしは幸せには
見えないだろう
それは相対的な幸せではないからだ
自分の中でしか分からないものを
書くという矛盾はあったが
どれだけ言語化出来るかというのは
わたしの学びでもある
この長い自分語りの記事を
一緒に読んでくださった事に感謝したい
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