【感想・レビュー】「クワロマンティック」をリアルに描き出す舞台演劇『われわれなりのロマンティック』(いいへんじ)は超良かった!
超久々に観た演劇『われわれなりのロマンティック』(いいへんじ)は、私の個人的な問題意識にも突き刺さる、超絶面白い物語だった
さて、この日の私は「ロマンティック日和」でした。というのも、午前中に『ロマンチック金銭感覚』という映画を観た後で、午後に本作『われわれなりのロマンティック』を観劇したからです。まあ、ホントに偶然だし、ってか「だから何?」って話ではあるのですが。
というわけで、超久しぶりに演劇を観ました。大学時代に「演劇”も”やるサークル」にいて、私は小道具のセクションで椅子とか馬車とか作っていたわけですが、それ以降は、「働いてた書店でバイトしていた学生が関わっていた演劇」を数回観に行ったぐらいでしょうか。いや、盛岡にいた時に何か1つ観た記憶があるので、そう考えると7年ぶりとかそんな感じかなと思います。とにかく、超久しぶりという感じでした。
そしてホントにメチャクチャ面白い作品で、観て良かったなと思っています。
演劇に縁がなかった私が、『われわれなりのロマンティック』を観ようと思ったきっかけ
というわけで、まずは本演劇を観るきっかけから書いていくことにしましょう。
私は今、デザイン周りを友人に頼んでZINEを制作している最中で(というか、「その友人がZINEをよく作っていて、色んな流れがあってZINEの制作を思い立った」というのが正確な表現ですが)、そしてそのテーマを「友情とか恋愛とか」にしています。基本的には「今まで触れてきた映画・本の感想」のZINEなのですが、その中でも「友情や恋愛に関する私自身の価値観」が滲むものをまとめた内容にする予定です。
それで、そのZINEで取り上げる作品の1つに、『現代思想』という雑誌の「<友情>の現在」という特集号があります。この雑誌の存在は先の友人に教えてもらいました。その友人とはよく「アセクシャル」「デミセクシャル」「クワロマンティック」「ポリアモリー」みたいな話をしていて、その流れで「こんな雑誌が出てるよ」と教えてもらったというわけです。
その『現代思想 <友情>の現在』の巻頭特集の対談に、「レズビアン」を公言してジェンダー的な研究を行っている中村香住が登場します。そして実は、本演劇『われわれなりのロマンティック』の「ジェンダー・セクシュアリティ監修」を行っているのが彼女なのです。私は、先の友人から「中村香住が監修してる演劇が超良かった」的なLINEが来て初めてこの演劇の存在を知りました。そして、「なるほど、これは観なければ!」と感じたというわけです。
ちなみに、私自身は「シス男性のヘテロセクシュアル」であり、あまりこういう表現は意識的に使わないようにしているのですが、分かりやすく言うと「”一般的な”性自認・性的嗜好」だと思います。ちなみに、「シス男性」というのは「自分のことを『男性』だと思っている男性」のことで、「ヘテロセクシュアル」はざっくり「異性愛」のことです。ただ私の場合、周りに「アセクシャル」「デミセクシャル」みたいな人がいたこと、また、色々あって「恋愛からは遠ざかろう」と考えるようになったこともあり、「クワロマンティック」的な話には親和性があるし、興味も持っています。そんなわけで、今回観た演劇もメチャクチャ面白く感じられたというわけです。
ちなみに、「クワロマンティック」は「他者に感じている好意が『恋愛感情』なのか『友情』なのか判断できない(しない)こと」、「アセクシャル」は「性的欲求がまったくないこと」、「デミセクシャル」は「性的欲求がほとんどないこと」みたいな意味になります。用語を知っているかどうかはともかく、「このようなタイプの人が実際に存在する」という認識をあらかじめ持っていないと、本作を的確に受け取るのは難しいかもしれません。
演劇『われわれなりのロマンティック』の内容紹介
物語は、大学のフェミニズムサークルから始まる。その新歓としてファミレスに呼ばれた新入生の2人、永野茉莉と橋本蒼は、幹事長である五十嵐明里がやってくるまでの1分間を実に気まずく過ごしていた。沈黙である。永遠にも思えるような沈黙だ。2人はその後、別方向だという明里と分かれて2人で電車に乗って帰ったのだが、その際も全然会話が続かず気まずい思いをした。
2人は、こんな風に出会ったのである。
しかしその後、蒼が単に人見知りだと知った茉莉は、「自分は嫌われてるわけじゃない」と不安が払拭され、どんどん仲良くなっていった。そして、そんな仲の良い雰囲気を部室で目にした同じく新入生の松村理子は、「2人がいつの間にか恋愛的な雰囲気になってる!」と盛り上がる。しかし、これまで恋愛の経験がない茉莉には、蒼に抱いている気持ちが「恋愛感情」なのか分からない。好きだし、会えたら嬉しいけど、でも、心のドキドキは別にない。これは恋なのか? 理子は「経験がないから分からないだけだよ」と囃し立てるが、茉莉にはどうしても、「この『好き』は、みんなが言う『好き』とは違う気がする」という気分を手放すことができない。
そんなある日のこと。部室に来ない蒼について明里から「風邪引いたらしいよ」と聞かされた茉莉は、しばし逡巡する。心配だから連絡したいし、会いにも行きたい。でも、こういう場合に駆けつけるのって「大事な人」って感じがするし、「自分なんかが行ってもいいんだろうか?」と思ってしまう。それに、今蒼の元に行ったら、「恋愛的に好き」みたいに受け取られてしまうんじゃないか。それはちょっと違うような気がする。
みたいなぐるぐるを明里に話すと、彼女はそれを優しく解いてくれ、それで茉莉は蒼の元へ駆けつける決断ができた。そしてその時の蒼との会話の中で、「お互いに相手を『デカめの存在』だと感じているけど、でもやっぱり、恋愛にするのはちょっと違うよね」という感覚が共有でき、2人は「今のままの良い関係で進んでいきたい」という希望を確認する。
そうして彼らは大学を卒業して働くようになり、さらに様々な関係性が周囲に存在する中で、自分たちの関わり方も少しずつ変わっていき、やがて絡まった糸の解き方がわからなくなってしまう……。
メインで描かれる茉莉と蒼のメチャクチャ絶妙な関係性
まずは何よりも、本作のメインとなる「茉莉と蒼の関係性」の繊細さが凄く素敵でした。私はよく「解像度」という言葉を使うのですが、「メチャクチャ『解像度』が高い描写」という感じがして、まずその点が素晴らしかったなと思います。
さて、茉莉と蒼が「お互いにとって心地よい関係」に行き着くまでに存在する障害を短く表現するとしたら、「『恋愛的に好き』という態度を示さないと、『相手に関心がない』『相手のことが好きではない』と受け取られる」となるでしょう。私は先述した通り「恋愛から遠ざかろう」と考えていて、それ以降はずっと「異性とは友達になろう」というマインドで生きているので、この「障害」を実際に感じつつ生きている1人だったりします。
茉莉も蒼も、相手のことを「特別な存在」(本作中では「デカめの存在」という表現が使われます)だと思っているのですが、でもだからと言って、「『恋愛』にしたいわけじゃない」という感覚も持っているわけです。この2人の場合、お互いがそういう風に感じていて、さらにそれをちゃんと言語化して確かめ合える機会があったから「心地よい関係」に辿り着けたわけですが、なかなかそうは行かないでしょう。何故なら、「異性を『特別な存在』だと感じているなら『恋愛』に発展させるべき」みたいな価値観が当然のように存在しているからです。
この話は、通じない人には本当に通じなくて、例えば私は今42歳なのですが、同年代の男からはほぼ「何言ってんの?」みたいな反応が返ってきます。同世代の女性には一定程度通じますが、それでも「どゆこと?」みたいな反応の人も全然いる感じです。「異性愛者同士なら、関係性の最上位は『恋愛』なのが当然」だと思っているため、「『恋愛』にしないなら、相手との関係を最上位だとは感じていない」という発想になってしまうのでしょう。
私はそういう感覚に昔から納得いかない想いを抱いてきました。だから茉莉と蒼が、「これ(自分たちが感じているけど、ちゃんと言語化できない感情・状態)をどうにか維持していこうね」みたいな形でお互いの意思を確認できたことは、かなり僥倖だと言っていいと思います。私にとっても、彼らのような関係性はかなり理想的です。凄く羨ましいなと感じます。
茉莉・蒼以外にも、グチャグチャっとしたややこしい関係性が実に自然に描かれる
それで本作の絶妙なところは、そんな2人を主軸にしながら、さらに様々な”普通ではない”関係性(繰り返しになりますが、なるべく「普通」とか「一般的」みたいな言葉は使いたくないと思ってはいるものの、分かりやすさを優先してこういう風に書いています)をナチュラルに物語の中に組み込んでいるという点でしょう。
作中で”普通”の関係性と言えるのは、茉莉の故郷・茨城の友人である凪と陸の2人だけだと思います。彼らは共に「シスジェンダーでヘテロセクシュアル」であり、ごく一般的にイメージする「恋愛」を体現する2人だと言っていいでしょう。
さて、本作にはこの2人(凪と陸)以外に7人の人物が出てくるわけですが、茉莉と蒼を含むこの7人は、色んな矢印が複雑に絡まりながら、一般的な感覚では”特殊”と受け取られるだろう関係性を築いていきます。レズビアン、バイセクシャル、ノンバイナリーなどなど色んな性質を背景にしつつ、しかも、7人しかいない人間関係の中でそれらが自然に描き出されるので、メチャクチャ上手いなと感じました。
で、ちょっとここで内容とは関係ない話をすることにしましょう。これまで演劇についての感想を書いたことがないので、特に「ネタバレ」に関するスタンスをどう定めるか悩むところですが、少なくとも私はこの感想を「公演期間中」にはネットにUPしないので、であれば、「本や映画の場合は『ネタバレ』と判断されるようなことにも触れていいのではないか」と思っていたりします。もちろん演劇だって「再演」の可能性もあるわけで、だから本来的には「後半の展開には触れない方がいいんだろうな」と思ってはいるのですが、「まあいいってことにするか」と判断しました。
というわけで色々書いてしまうと、まず本作では、茉莉と蒼の関係性の中に、千尋という新たな人物が関わってきます。千尋は、編集者になった茉莉が仕事を通じて知り合ったカメラマンで、「性自認が男でも女でもない」という「ノンバイナリー」です(ただ、千尋を演じているのはたぶんシス女性だし、中性的ではあるけれども、見た目はやはり女性です)。そして茉莉は、蒼に対しては抱くことがなかった「恋愛感情」を、千尋に対しては抱くのです。だから茉莉はそのことを蒼に伝え、「蒼とも千尋とも深く関わる」という選択をします。恐らく一般的には、茉莉の行動は「浮気」とか「2股」みたいに受け取られるでしょう。ただ、茉莉は千尋にも「蒼という大事な存在がいる」ことを伝えており、蒼と千尋には直接の面識はないまま、茉莉を介して3人での関係性がスタートするというわけです(こういう状態を「ポリアモリー」と呼びます)。
そしてまあ当然と言えば当然ですが、そういう「ポリアモリー」な状態は、特に蒼・千尋側に様々な感情を抱かせるわけで、物語はこの3人の関係性が始まってから余計にややこしくなっていきます。
個人的に印象的だったのは、千尋がある場面で口にした「茨城では私はいないことになっている」というセリフです。茉莉が「恋愛的に好き」なのは千尋なのだけど、千尋は一般的には「女性」に分類されるだろうし、家族などにその存在を伝えるとしたらやはり「レズビアン」的な受け取られ方になるでしょう。だから茉莉は、家族に「付き合っている人がいる」みたいな話をする場合は、恋愛的に好きなわけではない蒼について話すのです。この辺りの複雑さは凄くリアルだなと思います。茉莉の葛藤も分かるし、千尋のモヤモヤも分かるという感じでした。ホント、絶妙な設定をするよなぁ。
さて、もう1つメインで描かれるのが、フェミニズムサークルにいた時からレズビアンを公言していた理子の恋愛です。彼女は大人になり芸人として活動を始めるのですが、茉莉や蒼ともまだ関係は続いていて、その繋がりで、教師になった蒼が働く高校の司書である香織と知り合います。
彼女はバイセクシャル、つまり男も女も好きになれる人のようで、自身のそういう性的嗜好も関係しているのでしょう、図書室の特別コーナーにジェンダー的な本で特集を組んだりしていました。しかし、年配の教師(ちゃんとした言及はなかったはずだけど、女性じゃないかと思います)から、「家族を否定しているみたいな感じがする」みたいにやんわり批判的な言葉を投げかけられたりするのです。「橋本(蒼)先生の言うことなら聞いてくれるのにね」みたいな発言が何度か出てくるし、彼女は恋愛的なこととは関係ない部分でもジェンダー的な問題を抱える存在として描かれていると言えるでしょう。
さて、そんな香織に理子は一目惚れして、かなり積極的にアプローチしていきます。バイセクシャルである香織としても、理子と付き合うことは全然吝かではありません。ただ、お互いにそこそこの年齢だし(ナレーション的な感じで「茉莉が東京にやってきてから9年目」みたいな話が出てくるので、とすれば理子もたぶん27歳とかそれぐらいなのでしょう)、将来のことを考える必要もあります。だから「女2人、しかも『非正規雇用』と『フリーランス』という不安定な状態で、今の世の中でやっていけるのか?」というリアルな状況に向き合わざるを得なくなるのです。茉莉の場合は、「純粋に自分の気持ちにシンプルに行動する」みたいに描かれていると言っていいでしょう。しかしこの2人の場合、特に香織の方は、「好きだけど、『好き』だけじゃどうにもならないかもしれない」という葛藤に苛まれてしまうのです。この辺りの繊細な描写も絶妙だったなと思います。
役者やその演技について感じたこと
ここまでで物語や描写についてはあーだこーだ書いてきたので、ここからは役者や演技に焦点を当てていくことにしましょう。
まず、個人的に「この人メチャクチャ上手いな」と感じたのが、幹事長の明里を演じた川村瑞樹です。役柄の雰囲気も相まってかもしれませんが、「状況を一瞬で支配する」みたいな雰囲気が圧倒的だったなと思います。本作においては正直、メインの役どころとは言えない感じがしますが(「クワロマンティック」的な観点から言えば、そういう描写の薄い登場人物です)、それでも登場シーンではその存在感に惹きつけられたし、個人的には、今回出演した役者の中では別格に上手かったという印象です(ただ、私は別に演技に詳しいわけではないので、あくまでも素人の感想でしかありませんが)。
また、本作の主人公と言っていい茉莉を演じた小澤南穂子は、緩急の付け方が絶妙で、特に「静」から「動」へのギアチェンジが凄く魅力的に見えました。普通、そんな急激なギアチェンジをしたら不自然に見えてもおかしくない気がするのですが、彼女の場合「そういう人なんだな」という雰囲気がかなり自然に感じられたのです。「物語にずっと絡んでいる」というだけではない存在感を放っていた気がして、とても素敵だったなと思います。
そして「存在感」で言えば、千尋を演じた飯尾朋花が凄く良かったです。本人がどういう人なのかはもちろん知りませんが、千尋という役はかなりフラットな雰囲気の人で、そしてその感じを絶妙に醸し出していたなと思います。単に「性自認が男でも女でもない」という意味で「フラット」なだけではなく、世の中の物事すべてをフラットに捉えている感じがあって、ある種の「達観」と言えばいいのか、そういう一筋縄ではいかない人物像を的確に表現していた印象です。全役者の中で、「役柄」ではなく「人」として一番興味深そうなのが彼女でした。
個人的には、まずこの3人に惹かれた感じです。
あと、理子を演じた百瀬葉の「笑いを取りにいくセンス」みたいな部分は凄く良かったし(「立ち会っちゃってる!?」は笑ったなぁ)、香織を演じた冨岡英香の「なんとも表現しがたいゆるっとふわっとした雰囲気」も良かったなと思います。また、蒼を演じた小見朋生の「こういう感じなら茉莉との”普通じゃない”関係性も成り立つよね」みたいな雰囲気とか、フリーライターの悠を演じた藤家矢麻刀の「どことなく温度を感じさせない雰囲気」とか、陸を演じた奥山樹生の「生真面目そうな雰囲気」とか、凪を演じた谷川清夏の「『女性であることの葛藤』を吐露する感じ」とか、どの役者もそれぞれ絶妙な雰囲気を醸し出していました。演技のことはよく分からないながら、「素敵な演技をするなぁ」と感じられるような作品だったなと思います。
最後に
最後にいくつか蛇足的な話を。
まず、場面転換というか、最小限のセット(どこでもドアみたいなものや、いくつかの台など)を役者自らが動かして状況を変えていく感じが自然に見えたし、「役者自ら椅子を持ってきて車座になる」みたいなシーンも印象的でした。「暗転させずに、『本来的には見せないだろう部分』を見せつつ進行する」みたいな演出が上手くハマっていて良かったなと思います。
また、実にどうでもいいことですが、今年から「哲学対話」に参加するようになったこともあり、作中で語られる「『哲学対話』を始める前に共有しておくべき注意事項」に聞き覚えがあって、「そうそう、そんな感じで始まるよね」と思ったりもしました。
そんなわけで、実に素敵な演劇だったなと思います。これは本当に観れて良かったなぁ。映画ばっかり観てるけど、演劇もたまにはチェックするか。
